かくれんぼう




 ねえ、かくれんぼうをしよう… 
 もういいよっていうまで、じいっとかくれているんだよ。



 これは僕の記憶。昔の話、まだ、僕たちがふたりだったころの記憶。
 僕たちはかくれんぼが大好きで、でも、僕たちを探してくれる鬼は、きまって僕たちのどっちか片方だけだった。というのも理由は簡単で、僕たちが隠れてしまうと他の誰にもなぜだか見つけ出せない、あんまり上手に隠れすぎるから、大人の人にだって見つけ出すことが出来ないからだった。
 僕たちはいろいろなところにかくれた。僕たちは、いつだって誰にも見つからない隠れ場所を見つけられた。たとえば破れたフェンスから忍び込んだ空き地に棄てられた冷蔵庫の中。たとえばじくじくと嫌な臭いのするへどろの積もった下水道の下、たとえば放置された車のトランクの中。僕たちが隠れるたび、ほかの友だちはみんな一生懸命に探し、見つけられず、最期にはうんざりして、僕たちを置いてけぼりにして勝手に遊びを終わりにした。最期に僕たちは、僕たちの片方が隠れているところにそうっと近づいていって、「もういいよ」と言うのだった。そのころには決まってもう空は夕焼けの色に染まっていて、顔を出した僕たちはちょっと嬉しいような、ちょっとうしろめたいような不思議な気持ちをかみ締めながら、隠れ場所から這い出してきた。そうしてお互いに手をつなぐと、家に帰った。夕日には僕たちの影がながくながく伸びた。そうして、その影はふたつがふたつともそっくりな形をしていて、どうやっても見分けなんてつきっこないのだった。
 それは昔の話。僕たちがふたりだったころのお話。
 僕たちが、いや僕が、ひとりになったとき、僕はひとりでかくれんぼをしてみたことがある。僕はまだ真っ黒い服を着ていて、膝丈のズボンには細い銀灰色のストライプが走っていて、糊の利いたシャツの衿には黒いタイが結ばれていた。僕はしばらく考えた末、葬儀場の近くにある小学校にはいりこんだ。冬だった。学校は休みだった。生徒は誰もいなかった。
 昔は落ち葉や紙くずを燃やしていた焼却炉が、もう誰にも使われなくなったのに放って置かれていて、僕は錆びた扉をしめていた鍵を簡単に開けて、そのなかにもぐりこんだ。床はざらざらしていて、焼却炉の内側を指で撫でると、さびで指が真っ赤になった。まるで血だった。見上げると、ぽかりと青灰色の空が丸く切り取られていた。僕が内側から焼却炉の扉を閉めてしまうと、出口は、あとはその煙突の先だけなのだった。
 僕はずっとそこにいた。永遠と同じくらい長い間、そこにいたとおもう。僕は誰かが僕を探しに来てくれるということを想像して、それから、それはもう二度とかなわないのだ、ということをゆっくりとかみ締めた。焼却炉のなかは風だけは通らなくともしんしんと冷えて、僕の手足は満足に動かすことも出来ないくらいに冷え切ってしまった。窮屈な姿勢だったけど苦しさも辛さもなかった。僕はただ、たったひとつの出口であるはずの、煙突の先を見上げていた。
 もうひとりの僕は、あそこから出ていった。なら、きっと僕が出て行くべき出口もあそこだった。でも、誰も僕のことを見つけてはくれず、焼却炉に火を入れてもくれない。僕は白い煙とわずかばかりの清潔なかけらになり、二度と誰にもみつからないほどに見事に隠れおおせることもできないのだった。僕は、哀しむよりも先に、とほうにくれた。僕を見つけてくれる人はもういない。だったら、僕はひとりぼっちのかくれんぼを、どれだけのあいだ、続ければいいんだろうか。





 今、あれから何年も過ぎて、僕の髪は長く、やわらかい。たいていの男が思春期を通り過ぎ、身体がすこしづつ変わっていって、子どもの頃の姿を手放してしまうという環境にあって、僕は、奇跡のように今ももう一人にそっくりのままでいる。顎の細い繊細な面差し、白すぎ、肌理のこまかすぎる肌、煙色のトパーズのような焦点のあいまいな目、そして、真綿のように真っ白な髪。
 風呂の中でタオルに細かく泡を立てて、ていねいに膚の汚れを洗い落とした。すこし病的なほど色素が薄いせいもあり、元から体毛の薄い体質なこともあり、僕の手足はまだ人形のように無機質に白い。性差のあいまいな華奢な体つき。僕は自分の身体を丁寧にチューニングする。意に添わないデザインの人形を手に入れて、その関節を削って稼動域を広げるみたいに。あるいは、皮膚を塗り替え、眼を入れ替えて、自分の好みの外見に作り変えるみたいに。
 僕の目的はいつもあきらかで、それは、常に僕が、もう一人の姿に似続けるということ。でも、シャワーを浴びて泡を洗い落とし、さらに、汚れを落とした髪を背中に流して、僕はいつものような困惑を覚える。僕の身体には傷があるのだ。どれだけ丁寧に隠そうとしたところで、服で覆うほかに、どうしようもなく存在し続ける傷が。
 手を貫いて、手のひらから甲にまで貫通した傷跡。みぞおちのあたりの皮膚をえぐった痕。二の腕には深い傷跡を縫った痕。どれも盛り上がった瘢痕となり、色素が定着して赤黒く、ごまかしようがない。僕はこの時点で、もう、もう一人との区別が付きようがなくなってしまっている。
 湯船を出て、簡単な服に着替えて、髪をタオルで乾かし、いつもの紐を首にかける。もうすべて習慣となってしまっているのだ。頭の中で皮肉めいた声がする。それが僕自身の思いつきなのか、それとも違う何かなのか、たぶん、僕にはもう区別が付かない。
”相変わらず、堂に入ったナルシストっぷりだなァ?”
「そうだね」
”そんなに鏡ばっかりみてて、何が楽しいんだか”
「楽しいとか楽しくないとか、そういう問題じゃないんだけど」
 はっ、とあざ笑う声が脳裏に響いた。僕は冷蔵庫にいって冷たい鉱水のボトルを取り出し、外に出る。冷たい風が皮膚の表面を撫でた。息が白く凝った。たぶん気温は0度を下回っている。僕はベランダから街を見下ろす。
 遠いところに通っている高速道路。線路を走る電車は灯りを連ねた首飾りみたいで、箱みたいなアパートを並べた町並み、ちいさな屋根をモザイクみたいに集めた住宅街、そして駅前の繁華街が、すべて、人工のあかりだけで照らされている。
 頭の中で、不愉快そうに身じろぐ気配がした。あいつは、寒さが苦手なのだ。でも僕はそうじゃない。僕はベランダに置かれた室外機のとなりに座り、ボトルの水を一口飲む。ミネラルの多い水は奇妙な味がする。
「まるで作り物みたいだよね」
”作り物だろ。灯りも建物も、全部が、全部だ”
「言われてみれば、そうか」
 たしかに、街に灯っている明かりのひとつひとつ、建物のひとつひとつが、すべて、誰かの作った人工物であることに間違いない。頭の中の声は、面白いことを考える。普段の僕だったら考えようのない角度と思考。興味深い。でも、これも僕の一部に過ぎないのか。つまりは僕自身が、いままでとは違う方向から何かを考えているという意味のことなのか。
”何を勘違いしてやがる、宿主様よォ?”
「おまえはやっぱり僕の幻聴じゃないかって、また思ってたんだけど」
”何回修正しても、ちっとも認めやがらねぇな、てめえは”
「たとえば僕が、この風変わりなペンダントのおかげで、ちょっと変わったものの考え方をするようになった。それが極端になりすぎて、居もしない何かのことを実在みたいに思うようになってる。そういう風に説明は付けられない?」
”お前が幻聴と幻覚、ついでに記憶喪失だの豹変だのが日常茶飯事の、正真正銘のキチガイだって認めるんだったら、アリかもしれねぇな”
「そうか。じゃ、おまえってやっぱり僕の一部だったんだね」
”……やっぱり狂ってやがる”
 ぼやく声に、僕は、くすくすと笑う。可笑しいなあ。こういう風な考えが頭の中でやりとりできるというのは、いろいろなことをさておいて、とにかく面白いことであるのは間違いない。
 風呂上りで濡れた髪が、凍りつくみたいに冷たくなる。指先も、裸足の足もおんなじだ。頭の中で不満に鼻を鳴らす気配がして、”さっさと部屋にもどれ”と不機嫌に言われる。
”また風邪でも引いて寝込みてえのか”
「へんなの。お前は僕なんだからさ、僕が自分の意思で何しようが、勝手じゃない」
 言ったとたん、なんだか、ヘンな感覚がする。手足の感覚がふっと遠くなり、貧血の目まいみたいに視界が遠くなって、目の前が暗くなる。手からころがりおちたボトルの中身がじゃあじゃあとベランダにこぼれた。あ、もったいないな、と最期に思う。けっこう高いミネラルウォーターだったんだけどなあ。
 次に意識が戻ってくるのはいつかしら。とりあえず、ちゃんと身体をあたためて、布団の中におさまったよりも後なのは間違いない。この口の悪いヘンな妄想は、僕の身体をいろんなことに役立てたいから、ときどき、妙に親切な風に世話を焼く。僕は僕自身の身体を役立てたいと思わないから、やっぱり、これはこれで釣り合いが取れてるんだろう。やっぱりこいつ、僕自身の一部なんじゃないかしら。もともと僕はちょっと頭がおかしい風だったわけなのだし、そんな意識とか人格ってやつに業を煮やした僕の体、僕自身の生きる意志とかいうものが、もっと生存の意思を強く持っている人格とやらに、身体を明け渡そうとしているとか?
 まあ、いい。妥当な選択だと思う。人間の身体は有用に使われるべきだ。生きたい人間が生きられず、逝きたい人間が逝けないというのは、どだい、不自然だというものだ。手やみぞおちや、二の腕に残った傷。もしも僕という意思が身体の不随意な運動まで制御していたりしたら、とっくの昔に、僕はその傷のどれだかを治すことをさぼって、傷口から腐って死んでいるはずだもの。
 でも、少しだけ、嬉しいこともある。
 こういう不自然な現状について。
「ねえ、おまえさ……」
 僕は、薄れて行く意識の中で、呼びかける。返事がないのは半ば承知でだ。
「僕がどこに隠れていたって、どうせ、お前は見つけてしまうんだろうねえ……」
 あたりまえだろう、と不機嫌そうな声が答えた。
”逃げたり隠れたりする程度で、お前を逃がすほど、オレは甘かねえ”
 答えはぜんぜん意味が違っていたけれど、僕は安堵を覚える。思い出すのは下水でじくじくと汚水をにじませるヘドロの臭いや、炎天下で太陽に炙られた放置車、そのトランクで感じたプラスチックの溶ける臭い。それにあの日の焼却炉の中で、まるく切り取られた空を見ながら、肺の中いっぱいに感じていた錆び鉄の臭いだ。
 僕が隠れたら、こいつはきっと、見つけ出すだろう。どれだけたくみに隠れても、こいつは僕を見つける。こいつは僕の中に居る。二度と僕は、誰にも見つけられないまま、ひとりぼっちのかくれんぼを続けなくてもいい。
”……何笑ってやがる。薄気味悪いやつだな”
 あいつの声を感じながら、ひどく安らいだ心持を覚える。そうして僕は、また、ゆっくりと意識を手放した。





 もういいかあい、もういいよ。
 もうひとりの僕、みいつけた。









これは宿主sideです。裏もあるよ。
裏はバクラ&盗賊王のお話…かな?





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