調子が悪い、と訴えるだけ訴えておいて、けれど、ヨハンは呼んでもらった車で、寮の自分の部屋へと戻った。いちばん落ち着く場所がそこで、しかも、寮のベットには常に設備が完備されている。覗き見をされているということが不愉快ではないといったらうそになるが、けれど、その設備がなければこの島では少女たちが自由を得ることは出来ないのだ。
 彼女たちは、見えない鳥かごで、他の人々と隔てられている。
 彼女たちを護るためにまた、彼女たちから護るために。
 衣類がちらばり、プラスチックの派手なビーズカーテンや、ポスターなんかが所狭しと飾られた部屋で、ヨハンはスタッフの手でベットに横たえられた。心拍や脈拍を軽くチェックすると、彼らはそれぞれに示し合わせて、部屋を出て行く。誰もいなくなってはじめてほっとする。だが、それは緩解を意味しない。
 強い腹痛に耐えていて、痛みを引き絞っていた筋肉の力が緩んだように。
 激しい頭痛に耐えていた、意志の力が途切れたように。
 堰をなくした苦痛が、どっと膨れ上がり、今にもはじけそうなのを感じる。背中が弓なりに反った。
「あ、あ、あ」
「……ヨハン」
「ぅあ、……あぁ、ッあ、ッ!!」
 さまよう指が、己の服のボタンを引きちぎり、痙攣するようにぴんとそったつま先で、履いていた薄い靴下がどこかに引っかかってやぶけるのを感じた。奥歯をかたく食いしばった表情で、ヨハンは、必死で咽から声を絞り出す。
「じゅ、だ」
「うん……」
「は、や」
「……うん」
 ほんの少しだけ、奇妙な表情が、十代の顔をよぎる。残忍な哀しみ、優しさに満ちた嗜虐心。そんな顔をするときだけ、十代の顔は、幼げな顔立ちの少女のものではなくなる。それどころか、その表情は、人間の女という生き物が思い浮かべうる、どのようなものとも違っていた。
 手早くブラウスのボタンを外し、スカートのホックを外す。下着を脱がせることすらももどかしいのか、ワイアの下から入ってきた手は、ずりあげるようにして白い乳房をあらわにさせた。泡立てたクリームのようにきめ細かく、白い肌。十代の指が、岩に残された古い碑文を綴るように、その膚を、滑らかに充実した皮膚を、その内側のやわらかくあたたかな組織の形を、たどる。 
 そこには傷がある。
 肌色に埋もれ、もう、目を凝らさなければほとんど分からないような傷が。
 だがしかし、そこには、確かに《傷》があるのだ。十代の指が、ゆっくりと、それを呼び起こした。
 考古学者の指が、磨耗した石の表に、文字をたどるように。
「ひ、ァッ、あああ、あぁぁぁ」
 ゆっくりと指がたどっていく先から、まるで、ファスナーを開いたように、傷口が、赤黒く花開いていく。
 手のひらがやさしく胸を撫でる。そのゆたかに満たされた膚のかたちを、その先端の色づいた場所を、埃を払うように、そっと、撫でる。傷口が次々と咲く。なめらかでやわらかだった膚が、無残に切り刻まれた痛みを、掘り起こされていく。
「まだ…… こんなに痛いんだ」
「あ…… あ……」
 息も絶え絶えにうめいているヨハンの顔を、十代が、見下ろした。その表情が、ふと、きみょうによじれた。その目が、とび色のはずの目が、古い琥珀のように、黄金の色に底光りした。
「―――こうやって、痛みを、大切に大切に、仕舞いこんで」
「ぅ、ぐッ!?」
「自分の力を構成する、パーツにしている」
 ヨハンはこれが大切なんだ、と十代は言った。
「いや、」
 指が、グッ、とひときわ深い傷跡に、もぐりこむ。ぱっくりと口を開くほど深い、血まみれの、ざくろのように咲いた傷跡。
「これが、《悦い》んだ」
「……―――ッッッ!!!!」
 脳裏に、スパークするように、痛みがひらめいた。

 笑ってる笑ってる笑ってる
 痛い痛い痛い痛い
 怖いやめて怖い

「ァ、ひ、ぁぁア、ぐぅッ……!!」
 だが、ヨハンは、指が折れそうなほどにシーツを握り締めて、それに耐える。頭の中にリフレインする恐怖感は、けれど、掘り起こされていく傷の記憶によって、逆にかきけされていく。
 今、こうやってリアルに感じている痛みは、自分が選んだもの―――
 そして、傷を開いていくこの指は、誰よりもいとしい人のもの―――
 今の自分は、ただ、無力さに泣きじゃくっていた子どもじゃ、ない。
「《悦い》?」
「あ、ぅ……」
「なあ、《悦い》か?」
「ぁ、……ひ ……」
 いちど、身を離した十代は、ヨハンの手を頭の上でひとつに押さえて、その体を見下ろした。ふっくらとして白くやわらかい乳房、なめらかな腹、あばらのラインから腰へと落ちていく優雅なラインの全てが、
 陵辱されている。
 踏みにじられた花畑のように。
 無数に咲いた赤黒い傷跡が、やわらかく育った白い体を、ずたずたに引き裂いている。
「も…… っと」
 ヨハンは、ほとんど子どものように泣きじゃくりながら、哀願した。
「もっ、と。たりな……」
「……」
「もっと、シて、よ。……もっと……!!」
 血が、油のように膚を流れ落ちる。おおきな乳房の、磔のような姿勢のせいで、重力にやわらかくおしつぶされたラインを。腋から、くびれたウエストまで降りていく、なめらかな形を。
 十代は、頷いた。ゆっくりと手を伸ばす。スカートをとりさり、下着をずり下げた。次の瞬間に予感される激痛。だが、己の手の中に完全に把握された痛みは、コントロールの意識下にあって、ほとんど己が望んだ感覚に摩り替えられる。麻痺した脳髄の中でヨハンは思った。
 これが望んだものなんだ。
 この痛みが。
 ふかふかとやわらかい陰毛の際の辺りをゆびでたどり、十代の手が、ゆっくりと、下腹を撫でた。さすがにここにはためらうのだろう。わずかに目を上げて、ヨハンを見る。問いかける。
「いいか?」
 その声が、まるで、琥珀のように、古い豊穣な酒のように、金色だ…… とヨハンは思う。
 金色のハロウを纏ったような声が、肉食獣の慈悲で、問いかけてくる。
「いいのか?」
 ヨハンは、小さくあごを引いた。次の瞬間の激痛を想像して、歯が、硬くかみ合わされる。
 十代はもはやためらわない。
 その指が、なめらかに、皮膚に沈み込んだ。

 ―――めり、と肉の裂ける痛みが、体を貫いた。

「ひ、ぐっ」
 内側から、肉が、裂けていく。
 碧の瞳が、裂けんばかりに、見開かれた。
 ごり、という音が、胎内に響くのを聞いた気がした。無論、錯覚だ。
 それは三年前のものであって、今のものではない。
 まだ幼い体を、プラスチックの人形でも玩ぶように、理性をなくした少年たちによってもてあそばれ、破壊されたのは、今のことではない。
 今は治癒している傷――― だが、そこにある《痛みの記憶》を、十代の指が呼び起こした。
 だから、再び、体は、二つに裂かれる。
「あぐ、……が……」
 未熟な肉が、青く硬かった器官が、凶暴な雄の欲望によって、さらには、本来そういった用途に使われるべきものではない異物によって、破壊されていく感覚。
 内側から壊される。
 体が。魂が。
「ヨハン……」
 一度、自壊しはじめた肉体の感覚は、もう止まらない。びくん、びくん、と体を痙攣させながら、自ら裂けていく少女を、十代はしずかに見下ろしていた。やがて自ら服の裾に手をかけると、それを脱いだ。少年のように締まった体つきが現れる。
 あさく膨らんでいるだけの乳と、健康的に乾いた膚。腰の辺りや、あばらの下あたり、その骨の形がわずかに見て取れるような体つき。
 涙が止まらない。
 ヨハンは、肉体の痛みと、そして、精神の狂った暴走にとめどなくあふれる涙の下から、十代を見上げる。哀しそうにヨハンの体を見下ろしているその顔を。
 その胸が、縫い合わされている。
 心臓のあるはずのあたりが。
 金属の環で閉じられて、ちいさなプレートが、冗談のように、ぶら下げられている。ファスナーの持ち手の部分のように。
 人間ではない…… とヨハンは思う。
 そう、十代は、人間ではない。
 そして彼女は、《遊城十代》という人間ですら、ない。
 ゆっくりと胸を撫でた手が、あかぐろい血をおしひろげて、白い乳房をしとどにぬらした。真っ白く、大きな乳房が血にまみれている様は、不思議と、何かの果実を連想させた。やわらかい、あたたかい、そしてしおからい汁を充たした、真っ白な果実だ。十代がそっと唇を寄せる。そして、ざくりと果実をえぐりとった傷に、ざくろのように咲いた傷に、触れて、
 その傷の端をゆっくりと咬み、そして、端からそれをたぐりよせるようにして、《食べた》。
「あ、ぁぁ……」
 じわりと、湧き上がる感触。
 声が洩れた。
 十代もまた、目を細めた。ゆっくりとヨハンの、血まみれになった胸に、頬を寄せる。感情のないままの目元に、ただ、欲望の色だけをにじませて、うっとりとつぶやく。
「おいしい……」
 また、別の傷へと。
 その次の傷は、痛みがもっとも鮮度のたかい、その瞬間を味わうために、わざわざ、指で押し広げられ、苦痛は苦痛のまま、絶叫する声を発泡酒のはじける泡のように、十代の咽喉の奥へと飲み込まれていった。
 浅い傷跡は、新鮮な野菜の茎をかじるように、サクサクと、歯ざわりを楽しんで。
 あるいは皿に残った濃密なソースを、下品に指でぬぐい、舐め取るように、わざわざ一度自分の上膊とその傷を転写して、舐め取った。
 傷が無くなっていくたびに、奇妙な空虚感と、充実とが、皮膚の上に残される。けれど、それは渇きにもどこか似ていて、ヨハンはあえぎながら泣きじゃくり、もっと、もっと、と哀願した。
 もっと、ほしい。
 もっと、《食べて》欲しい。
 この苦しみを、哀しみを、痛みを……
「じ、……う、だい」
 ヨハンは、あえいだ。唇がいつか唾液にぬれて、はしたなく開いていた。顔は涙と汗と唾液とでぐちゃぐちゃになり、頬は、痛みではない感触に、あきらかに上気していた。あえぐように問いかける。
「おい、し、……?」
「うん、おいしい……」
 十代が、目を細める。その目がうすく、琥珀の黄金を湛えているのをみて、ヨハンは半ば法悦にも似た思いを味わう。
「お前って、おいしい…… すごく……」
 薄いピンク色の舌が、ヨハンのくちびるを舐める。舐めるというよりも、押し広げる。その口の中にあふれる苦くしおからい血潮と苦痛の味を。
 はじめて出会ったその日から、変わることの無い、天上の蜜の味。
 己の絶望と苦痛との味を、ヨハンは、陶然と味わった。


 そう――― 十代は、ヨハンの苦しみ哀しみを、《食べた》。
 十代は、《食べる》ことができた。哀しみを苦しみをそして痛みを。
 そして、《食べた》分だけ、十代はすこしづつ、己の食べたものそのものへと、変わっていく。


 やがて。
「これ…… もらう。いいか……?」
 一本の指が、水藻のようなやわらかい下生えの下に、そっと押し当てられる。
 シーツにじわりと広がっていく赤黒いしみは、けれど、今や苦痛を意味しない。苦痛は快楽で、絶望は充満だ。涙を流しながらむさぼり食われていく草食動物の倒錯した悦び。
 指が、血だけではなく、溶けかけたバターのようにやわらかく濡れた場所へと、押し当てられる。
 そこは無残に破壊されている。
 けれど、その痛みこそが、もうひとつの感触の、源泉になる。涙を流しながら、ヨハンは、頷いた。おおきく脚を開いて、むごたらしく傷つけられた部分を、さらしだす。
「たべ、て……」
「うん」
「最期、まで、……な?」
 体の奥を。
 決して照らされることのない胎内のくらやみのなかで、やわらかく秘められた、その部分を。
 唇でふれることのできないその部分に、手が、押し当てられる。その感触自体は、実は、やわらかい。けれど次の瞬間に総身をつらぬく痛みと快楽を予感して、ヨハンの背中が総毛だった。
 だが。
 来たのは、違う、痛みだった。
「ひ…… ッ!?」
 やわらかい舌が、顔の右側に、触れた。
 そこが、灼熱した。
「い゛ぁ…… ッッ!!?」
 ちいさな耳が。
 器官が。
 めりめりと音を立てて、千切り取られていく。
 まったく予想外の痛みに、ヨハンは、絶叫した。今はちいさな穴があるだけの場所に、やわらかい舌が差し入れられる。その苦痛を甘い蜜と舐め取って、その声が、ささやく。
「おいしい……」
 それは人ならぬものの声。
 ヨハンが、あの日、"視た"ものの声だ。
 己を辱め、引き裂いたものたちを、怒りと、そして残忍な乾季に満ちて引き裂いていった、あの《もの》の声。
 ヨハンの、決して分かたれることの無い一部である、《けもの》。
 あれが……
 十代の中に、いる。
「なぁ、もっと、……」
 甘くささやく声。体の中へと、ゆっくりと入り込んでくる、《けもの》の指。
 まるで、夜そのものの天鵞布のようなやわらかさそのままに、三日月形に尖った爪が、ヨハンの体から、苦痛と快楽を、こそげ落とし始める。
 内側から喰らわれていく絶望と悦び。ヨハンはまるで、生きたままに噛み砕かれていく白鳥のように、美しく、絶叫した。




 
 ヨハンのほか誰一人として知らない事実。《十代》の正体が何なのか、ということ。
 その答えは、誰一人として知らないことだった。
 おそらくは皆がその《創造主》であると誤解しているだろう、ヨハン自身ですらも。
 とんでもない話だった。十代はある日、悲鳴を上げ続けていたヨハンの元に、しずかに現れた、誰にも見えない、奇妙な存在だった。そして、十代は、本人の言うとおり、ヨハンの悲しみ、痛み、苦しみのすべてを、果実でももぐようにもぎ取り、花の根元を吸うように味わった。そのたびにヨハンは己の体の上にすべての苦痛と陵辱が再現されるのを感じたけれど、その幻覚は、逆に心を慰め、抱きしめてくれた。
 ヨハンは、悲鳴を上げ続ける己を、抱きしめることを覚えた。
 苦痛を封じるのではなく、愉しむ。
 絶望を恐れるのではなく、愛する。
 その悦びは、ひどく昏いものであったのかもしれないけれど、自らの身に憶えてみれば、それは、己の中にあった本質に他ならなかったのだった。ヨハンの中には獲物を駆りたてることに至高の喜びを覚え、生きたままにかみ締める獲物の苦い肝臓に、天上の美味を覚える本質があった。それこそが、《けもの》だった。

 ―――だが、《十代》は、いったいなんなのだろう?




 すべてが終わってみると、白いシーツには、血のしみひとつ残ってはいない。
 あれはすべて、《幻影》の痛みなのだから、あたりまえといっては、あたりまえのことだ。だが、体に残されたけだるさには、現実離れした体験が、たしかに本物だったと知らせるような感触がある。それは、飢えの果てに乾いた草原に狩をして、獲物をしとめたような、満足感に満ちたけだるい悦びだった。己が獲物でありながら狩猟者である。その矛盾が、今のヨハンの中には、なんの矛盾もなく存在する。
 ベットの上におきあがり、己の胸に、腹に、さらに下の場所に、触ってみる……
 そこには、古い古い傷跡があり、かすかな痕が残っている。それだけだ。この傷が自ら裂けて血を流すなどということは、まず、考えられないことだった。
「なあ、十代……」
「ん……?」
 まだ名残惜しそうに、ヨハンの腹の辺りに鼻を寄せていた十代は、ねむたそうに目を瞬いた。ヨハンは手を伸ばし、その脚の間に指を伸ばす。「ん……」とかすかに声が洩れたが、抵抗は無い。
 そこには、内側に向けて、やわらかくて暗い、ちいさな裂け目がある……

 初めてであったときの十代には、そんなものは、無かった。

「なんだよぉ……」
 不満そうな声。鼻にかかった甘い声。ヨハンは黙って、十代を、抱きしめた。
 おそらくはこの体は、《痛み》だけで、作られている。
 誰かの痛みを食べて、それを元に、体を作っていく、いきもの。
 ヨハンの痛みが、十代の体に、《無かった》ものを付け加えた。繰り返し繰り返し飲み干す痛みが、その体の中に、他の器官を作り上げた。
 では、この顔は、手足は、声は、心は、誰が作ったものなのだろう……?
 もしかしたら、《いちばんはじめに、餌食となった、誰かの痛み》が、十代という存在を作っているのではないだろうか?
 だとしたら、この、栗色の髪の、とび色の目の、いとしい子どもは、おそらくは、死んでいる。己の苦痛との尺度にかけて考えても、これほどの実在を作り出すだけの痛みに耐えて、生存できる体と魂があるとは、とても思えない。
 痛みと哀しみだけを食べて大きくなっていく、生き物。
 本質的には、獲物を追い詰め、喰らい、その苦痛と絶望とを悦ぶ、狩猟者。
 おそらく兄姉たちに見せたなら、怖れ、そして、滅ぼすことを考えるだろう。これは、あまりに危険な生き物だ。生きることを他の誰かの苦痛と引き換えとする、そのような本質をもつもの。
 けれど。
 この世界に、誰の痛みも悲しみも食べずに、生きていくものなんて、いるものだろうか……?
「なあ十代、おみやげあげよっか」
「……何!?」
 とたんに目を輝かせる。現金だなあと思いながら、ヨハンは手を伸ばし、バックの中から二つの包みを取り出した。真新しいものとくたびれたもの。同じロゴの小さな革袋がふたつ。
 取り出すと、涙のしずくにも、花にも似た形のちいさなベルのピアスが、転がり出てくる。真新しく光をはじくものと、傷つきわずかに黒ずんだもの。
「いい音がするだろ」
 ちりん、と音がした。ふたつのベルが、二つの音。
「お前に付けたかったんだ」
「おそろいか?」
 十代が小首をかしげる。ヨハンは苦笑した。
「偶然だけど、な」
 涙のかたちのモチーフと、《私を抱いて》という意味の名を持つ銀のピアス。
 その耳に付けて、けっして手放さないように、したかった。どれだけ離れても、姿が見えなくても、その音を頼りに探せるように。抱いてと腕を伸ばして懇願するときも、抱きしめようと自ら腕を伸ばすときも。
 その耳からファーストピアスをはずしてやり、つけてやると、重みの違う銀のピアスに、不思議そうに首を振る。ちりん、とかすかな音がした。十代は、嬉しそうに笑った。
「これで、見失わないな」
 屈託なく、笑う。
「ヨハンのこと、いつでも探せる」
 ―――おりしも、思っていたのと、同じことを言う。
 ヨハンは目を瞬き、それから、ふわりと笑った。「ああ」と答える。
 手の中に残ったのは、古く、わずかに黒ずみ、傷ついたベル。
「つけてくれないか」
「ああ」
 髪をかきあげると、左の耳をあらわにする。無残にひきちぎれた右とはちがい、薄い耳朶が白い貝のような形をした耳。
 なくなってしまったもう片方を恥じるがために、もう3年、一度もピアスをつけたことが無い。
「……痛っ」
 やや抵抗のある皮膚を、なかば強引に突き入れると、針で突くのとも違う痛みが、頭に響く。キャッチを嵌めてくれながら、十代が、「痛い?」と問いかける。
 その目には、純粋な、期待の色がある。
「うん、痛い」
「そっか」
 何故だか、十代は、少し嬉しそうに笑った。
 そうして耳に唇を寄せ、やわらかい舌が、みみたぶを舐める。
 ヨハンは目を閉じて、くすくすと笑いながら、目の前の少女を抱きしめる。平穏だ。何もない。


 ヨハンはただ、あの日、悲鳴を上げていた自らを抱きしめたかったように、己が痛みの半身を、抱きしめる。

 
 


 



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