/鬼こごめ
ねえ――― おぼえているよ、僕がどんなにかキミが好きだったかってことを。
キミはちっとも優しくなかったね。傲慢で、自己中心的で、そして、その癖に心が弱くて、いつだって躁鬱が激しかった。キミ自身の激しさや繊細さは、キミ自身を傷つけるだけじゃなくって、周り中の人間を、洗濯機のなかに放り込んだみたいなパニックに陥れた。しかもキミはそのことを理解していた。しすぎるくらい、理解してた。
あまりに薄くて透明だったキミの心は、この世界を明瞭に写しすぎる鏡だった。太陽の光はキミに眩しすぎ、夜の闇は暗すぎてキミを怯えさせた。
キミは、どんな形にしたって僕にすがった自分のことを、屈辱だとしか思っていなかったかもしれない。キミを受け入れた僕のなかに同情だとか侮蔑だとかを見つけ出して、キミは、切り刻まれるような痛みを感じたかもしれない。そんなときのキミは傍にいるのもつらいくらい残酷でおそろしい人間だったけれど、僕は、どれだけ傷つけられたにしろ、キミのことが大好きだった。
僕の気持ちが、純粋な、混じりけのない、キミに対する尊敬と愛で出来てたなんて言わない。僕はときどきはキミに疲れ、軽蔑し、また、キミに依存されることへの昏い悦びのしびれるような甘さに喉をふるわせたかもしれない。でもね、いちばん大きかった気持ち、僕がいつだっていちばんにキミに差し出したかった気持ちは、そんなものじゃなかったんだ。
僕は、キミが大好きだった。キミという存在自体が。つまさきから頭のてっぺんまで、キミという人間を構成する全てが、いとおしくてしょうがなかった。
いつだって、夢中になると白い制服のそでをインクのしみだらけにするキミ。ときどき、流れ星がおちてくるみたいにすばらしい思い付きにひらめいたとき、興奮と喜びで眼をきらきらさせながら喜んでいるキミ。悔しいときには眼に涙を滲ませて、悔しいときには声を上げてわあわあ泣いて、孤独なときには自分だけを抱きしめて静かに涙のしずくをかみしめていたキミ。
大好きだよって笑いかけて、抱きしめてキスをして、キミのことが大好きだもの、愛してるんだもの、って口癖みたいにいう僕のことを、キミはどう思っていたのかな。でも、照れくさい顔をするときも、軽蔑したみたいな顔をしてるときにほっぺたを赤くしてるときも、僕はキミのことが大好きだった。他の大切なすべてのもの、親友も家族も、ありとあらゆる全てを裏切ってしまうような言葉が、ときどき、口から飛び出してしまいそうになるくらい。
―――ねえ、なのに、キミはいったいどこへ行ってしまったんだい?
目の前にキミがいる。なのに、キミの顔が思い出せない。いったい、どうして?
あのころあんなにキミが好きだったころ、キミがあんなにも夢だけに囚われていたころ、どんな未来を語り合ったか思い出せないのは、どうして?
僕に笑いかけてくるのは、知らないひとだ……
こんなに冷たい手を、僕は知らない。人間の手じゃ、無いみたいだ。
その冷たさが、僕を、侵していく。血が凍ってしまいそうだ。冷たくて、痛い。身体が冷たい。
怖いよ。何も見えない。目の前にいるはずのキミがみえない。笑っているのは誰。お前のことを僕は知らない。
キミはどこへ行ってしまったんだ?
お前は、俺のことを、愛していたんだろう?
たったそれだけの理由のために、心に闇を棲まわすほどに?
ああ、いいよ。いつだかのように、お前のことを、愛してやろう。
本当は、ずうっと望んでいたんだろう?
どこにもいない。キミがいない。
寒いよ。怖い。ここは怖い。どこへ行ってしまったの。キミの名前を呼びたい。なのに、もう声が出ない。体も、動かない。
体にからみつく指が冷たい。これは誰の指。僕の心が悲鳴を上げる。体中に知らない手が、指が、触れる。
僕は思い出せなくなる。キミの腕を。ぎこちない口付けと、抱擁のあたたかさを。
冷たい、怖いよ。
冷たい指が這入ってくる。僕の中に。硝子みたいな爪が喉に食い込む。知らない人のくちづけは、死にたえた土の匂いがする。
怖い。痛いよ。怖い、怖い。
助けて、誰か……
なんておかしなことを言っているんだい、吹雪?
望みどおりに、俺が、お前のことを抱いてやっているっていうのに?
違うよ、違う。
お前なんて知らない。お前じゃない。お前は違う。
お前じゃない。愛せない。お前のことなんて、愛してない。
ねえ、藤原。どこへ行ってしまったんだい?
―――世界で一番好きだったのに、僕にはキミが、見えない。
谷山浩子の《鬼こごめ》が、あまりにダークネス藤原×吹雪すぎるという件について。
ほとんど歌詞どおりに書いただけでSSになったよ…(愕然
鬼こごめ 《谷山浩子 ”お昼寝宮・お散歩宮”より》
ニコニコ動画で視聴可能です→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm1157428
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