/おにいちゃんとオレら
不自然にデカいマンションとか、女の匂いがぷんぷんする豪邸なんかは苦手だ。勘弁して欲しい。別に俺たちは兄弟なんだからたいして気にしねぇし、とにかく、無駄な引越しだけはしないで済む家買ってくれ。
そんな風にオレが主張したのが今から5年前、中学へあがるときのことだったんだが、いまさらながら当時のオレに突っ込みを入れたい。兄弟なんだから気にしねぇってなんだよ。気にするよ。テメーみてーな小学生といっしょにすんな。こちとら図体のでっかい高校生なんだから、いい加減同じ部屋とか勘弁してくれよ!
しかし、そんな風に思ったからといって過去の自分の選択を取り替えることも、しかも、普段は傍若無人を地で行ってるはずの長兄が何故だかその願いを聞き入れたという過去を撤回することもできず、相変わらず彼ら三人兄弟の家はぼろくて狭い中古の一戸建てである。せいぜい一畳しかないんじゃないかと疑いたくなる庭には貧弱な夏みかんの木が生え、階段はすれ違えないほどの暴力的な狭さと角度、その上いまどきタイル床の便所にはもれなくベンジョコオロギが出没するという時代を間違えたとしかおもえない仕様だが、なんと、これでも土地付き一戸建てなのだ。当時の兄の年齢を考えると、どんな無理をしてこの物件を買ったのか、と頭が下がる気分になる。……だからまあ、前の住人は借金のせいで夜逃げしたらしいってあたりくらいは、突っ込まないでやったほうがいいだろう。
「おいリョウっ、寝るんだったら上ェ行け!」
台所でがしゃがしゃと食器をあらいながら、コタツでつぶれている双子の弟に声をかける。「んー」とか「うー」とかうめき声がきこえてくる。はあ、と彼、この一家の次男であるところのバクラはため息をついた。彼の双子の弟であるところのリョウは、外では美少年の優等生で通っているらしいが、実態は生活能力の足りないオタクだとしかいいようがない。洗い終わった湯飲みを湯を張ったタライにつっこんで、バクラは、ずかずかと居間のほうへと歩いていく。
つけっぱなしのDVDが、なんだか幼稚園の女子が見るようなアニメをやっている。黙って消す。返事が無い。寝てるらしい。起きてれば、絶対に文句をつけるからだ。
ユニクロのフリースを着たままでコタツでつぶれている弟の頭を蹴っ飛ばすと、「ひどいー」とうめき声と寝言をまぜたような声がした。
「寝るなら寝ろ。歯を磨いて寝ろ」
「うー…… 起きてるよぉ……」
「なら、風呂入ってこい。眼ェ醒ませ!」
怒鳴りつけて、綿みたいに白い髪の毛をひっぱると、「いたいー」だか「ひどいー」だか言いながら、ごそごそとおきあがってくる。そのままのろのろと風呂へと歩いて行くのをみて、バクラは、はあっとまたため息をついた。
この歳にして所帯じみている自分に情けなく同情するような無駄なことはとっくにやめた。窓をみるとガラスが曇っている。藍色の夜空に、たべられない夏みかんの実が、ぼんやりとオレンジ色に浮かび上がっていた。
彼ら兄弟は、物心付いた頃から、親も親族も居ない三人暮らしで暮らしてきた。
歳の離れた長兄は、双子の弟たちがまだほんの子どもの頃には、『やんちゃ』をしながら暮らしていた時期もあったらしいが、弟たちが中学校に上がるころにはぴたりとそれもやめて、きちんと金を稼いで暮らせる身分を手に入れていた。―――まあ、その仕事が闇稼業スレスレだというあたりに文句はつけるまい。そこまでいうのは贅沢というものである。
歳の離れた兄に養われて、双子の兄弟であるバクラとリョウは、世間的にはごくごく普通の学生としての生活を送っていくことができている。方向性はまるっきり違えど、双子は双方頭の出来には恵まれていた。世知に長けたバクラと、勉強ができるだけのリョウでは方向性がかなり違うが、いちおうこのままなら、彼らは、お天道様にまったく恥じることの無い、まともな道を歩むコトだって出来るだろう。たぶんそれが苦労してきた兄への恩返しになる。
―――だが、彼ら双子だって、面倒をかけてきた兄への恩返しを、そんな出世払いだけにするほど、ずうずうしい頭の出来をしていない。
玄関で、がちゃりと音がした。
「うう、寒ぃ…… ちくしょう、なんだこの天気」
「あ、兄貴」
バクラが玄関のほうをみると、筋肉質で大柄な男が一人、ぶつぶつと文句を言いながら、頑丈なブーツを脱いでいる。米軍下がりのミリタリーコートがやけに似合う、というよりも、どこからどうみても『似合いすぎる』。顔を上げると顔立ちそのものは弟たちと似ていないこともないが、褐色の肌、大きな傷跡が、見た目だけなら美少年で通る兄弟たちとかなり違った印象だった。どかどかとあがってきたかと思うと、荷物を投げ出してそうそうにコタツにもぐりこむ。
「くそ、嫌がらせみてえな天気だな。雪が降るんじゃねえのか」
「かもな」
「バクラ、飯。あと酒。あとリョウはどこだ?」
「テメーはよお…… ちったぁオレ様をいたわれよ」
ぶつぶつと文句を言いながら、バクラは台所へと戻った。時間はもう1時。飯じたいはとっくに二人で先に食べたが、兄の分はちゃんと残してある。むしろ、兄の帰りを待つために、二人でこうやってうだうだしながらも眼を醒ましていたのだ。
コタツの上に放り出されているものがふたつ。三つ折りにした紙。成績表だ。兄は座布団を折ってごろりと横になりながら、成績表を広げて、なんだか妙に真剣な顔をして眺め始める。バクラは台所で梅干を入れたいわしの煮つけをつつきまわす。
「ご感想は?」
「……これは、いいんだよなァ?」
「たぶんな」
自分自身はまともに高校すら出ていない兄は、「そうかぁ」となんともいえない風に声を漏らすと、成績表を放り出す。蓋を開けたワンカップを電子レンジに入れて燗をつける。喜んでいるんだろう、たぶんものすごく、というあたりはバクラにだって予想は付いた。
「おいバクラぁ。テメー、女はいるか」
「呼びつけるのに不自由しねえ程度はな」
「葉っぱ吸う以上のヤクはやってねーだろーな。あと、万札ビラつかせるみてえなヤバい山ァ踏んでねえだろうな」
「踏んでねえよ」
女に不自由はするな、ヤクは紙で巻いて吸うやつまで、悪い仕事は万札がビラ付かない程度まで。
保護者の言う台詞とはとても思えないが、しかし、これが兄から言いつけられる唯一の説教ごとだ。あとはせいぜい『勉強しろ』くらいだが、たぶん兄には『勉強』ということが具体的になにをすることなのかもわかってはいるまい。バクラがどんぶり飯と味噌汁、柴漬けだの煮物だのいわしの煮付けをがちゃがちゃと持ってくると、兄は、ようやく起き上がってくる。
燗をつけたカップ酒もまとめてコタツに並べていると、兄がなぜだかしみじみとこっちをみていた。「ンだよ」と顔をしかめると、なんだか妙にしみじみした調子で、「オメーは手がかかんねぇなぁ……」という。
「なんだそりゃ。気味悪ィ」
「いや。ちゃんと女もいる、煙草も吸う、自分の遊ぶ金は自分で稼ぐ……」
世間的にはそっちのほうがやばい、という突っ込みは無駄だ。兄の言うことの意味がわかるから、バクラは、自分もコタツに足を突っ込んで、缶チューハイのプルを開けた。
「言っとくけどな兄貴、オレよかリョウのほうが小銭は稼いでるぜ」
「何でだ」
「なんか、もうすぐ冬だから新刊がどーとかこーとか。次はゲストで大手のに参加したからなんとかかんとかとか、えーと、なんか魔改造がどーしたこーしたとか」
「……」
兄がおきあがり、酒にも手をつけず、缶チューハイを飲んでいる弟をじいっと見る。そうして、なんだか妙に居たたずまいを正すと、「おいバクラ」といった。
「ンだよ」
「その、だ。……リョウのヤローは、酒だの煙草だのヤクだのはどうなんだ」
「最期のいちおう保護者としてどうなんだよ兄貴…… ちっとも。飲み物は主に牛乳。煙草は臭いから嫌い。痛いのは嫌いつってるからヤクなんざごめんだろ」
「金はどうなんだ」
「だから稼いでるって」
「どうやって?」
「なんかエロ漫画とか描いてるらしい。あとフィギュア作ったり」
兄はしばらく黙った。バクラは黙ってテレビをつけた。お笑い芸人がグラビアアイドルとくだらないやり取りをしている。しばらく真剣に考え込んでいた兄は、やがて、いかにもおそるおそる、といった風に問いかける。
「あいつ、女はいるのか?」
「いないだろ」
「じゃあそのアレか、リョウは、二次元にしか興味が無いとかいう、アキバ系とかいうアレなのか」
「ンなこたあねーだろ」
「……そ、そうか?」
安堵の顔をしかける兄を、バクラは、哀れみに満ちた目で見つめた。
「―――兄貴、”フィギュア”は、いちおうれっきとした三次元だぜ」
バクラがてきとうにチャンネルを回していると、廊下から、ぺたぺたという足音が聞こえてくる。バスタオルで長い髪を拭きながら歩いてきた末弟は、死体のようになってコタツにつっぷしている長男を見つけて、ぱっと顔を輝かせた。
「あ、お兄ちゃん! おかえり!」
風呂上りで暑いのか、頬を赤くして、そのままぺたんと長兄の側に座る。そうして小さな手で兄の顔に触ると、「うわ、冷たい」と慌てて手を引っ込めた。
「お疲れ様、お兄ちゃん。今日、外周りだったの?」
「……まあな」
「成績表、見た? バクラったらさあ、また、歴史が赤点すれすれ。努力する科目だけ悪いなんてバカみたいだよね。どうせだったらカンニングでもなんでもやればいいのに」
「うるせーよ。落第しないんだったら、別に無駄に危険なマネする必要もねえだろうが」
「そうなの? 見てみたいんだけどなあ、お前が本気でカンニングとかしたら、どれくらい面白いことになるのかって」
あはは、と笑っているリョウは、手足も首も兄弟たちよりもかなり細い印象で、膚などは日陰の魚のように真っ白だった。透き通るような白い肌、どこかしら茫洋とした印象の大きな目、それに、人形めいて愛らしい顔立ち。どこからどうみても”可憐な美少女”で通ってしまいそうな容貌をした末の弟を、兄は、いかにもしみじみとした風に見つめる。パーツそのものは大して変わらないはずなのに、どうしてここまで上の二人と違うものなのか。「何?」とリョウは首をかしげる。
「どうしたんだよ、お兄ちゃん」
「……お前は、」
言いかけて、口ごもる。やれやれとバクラは苦笑する。「おいテメーも飲め」と缶チューハイを押し付けると「やだよ」とリョウは顔をしかめた。
「酒は二十歳になってからだろ。そういや、友達が面白いもんくれたんだ。ファンタ・キューカンバー!」
「なんだぁ、そりゃあ?」
「キュウリ味のファンタ。すごーく有名だったんだけど、ボクも見たの初めてなんだよね。お前も飲む?」
「むちゃくちゃいらねぇーッ!」
あはははは、と笑いながら、立ち上がる。なんだかわからないがやたらと疲れたようなため息をついて、ようやく兄がカップ酒を手に取る。そのままやけになったようにぐいぐいとあおるのに、やれやれとバクラは苦笑した。
―――これはこれで、平和な日常というものだ。
彼ら兄弟の生活は、いつであっても、おおむねこんな風なのだった。
【DX学園!】企画に参加させてもらった作品なのですが、こちらのミスにより設定齟齬が生じたのでサルベージしました。3ばく家族話です。所帯じみたバクラと、あまりといえばあまりにひどい宿主(笑
ちなみに、盗賊王の仕事は闇金の社員だと思われます。
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