英雄降臨

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 屍を積み上げた上に平和は咲き誇る
 淡くはかない夢は、まどろみの現し世。

「ねえクロス、ぼくは思うんだ」
 あなたはたしかそう言ったわね、ヤマト?
「この平和な世界はただの『まぼろし』に過ぎないんじゃないかって」
 そう言ったあなたはとても悲しそうだった。それが、あなたの、『ヤマト』の宿命。この世界の礎がどれだけの死と嘆きの上に築かれて、閉ざされた扉の向こうに戦禍が燃え盛ると知るものの定め。
「でも、『まぼろし』だとしても、ぼくはこの世界がとても好きだよ。戦いなんていらない。神様なんていらない。みんなが、世界中のみんなが幸せにくらせる世界だったら、それは何よりも大切なものだと思うから」
 ええ、ええ、そのとおりです。
 だから私は守り続けます。―――あなたの望んだ、この、まどろみの幻次界を。



「あんたたち、どうしてあんなところに行きたがるんで?」
 この世界の果て、『天涯境』のひとつ手前のエリア――― 『岩仙境』にて。
 その名のとおり、『岩仙境』は、岩だらけのエリアだ。
 幻次界は決して豊穣な世界ではない。満足に草木の生えぬエリアも多いし、そうでなくても自然災害がとても多い。異界から吹き寄せるさまざまな力の余波が世界に災厄をもたらしたという記録は無数に残っているし、そのせいで荒れ果ててしまって人の暮らせぬエリアも少なくはない。この『岩仙境』もまた、そういったエリアに近い土地のひとつだった。
 巨大な岩山の間にへばりつくように作られた、小さな町。
 街道の通るこの町は、『岩仙境』の中ではもっとも人の多い土地ではあるけれど、だからといって人がたくさん住むような場所でもない。岩に生える草木を食べて育つ家畜や、深山幽谷にしか育たない特殊な薬草の類を育てる村人たち。……さもなければ、『天涯境』の住人たちがときおり尋ねてくる以外には、あまり人の出入りのないようなエリアだ。
 小さな食堂の店先で、彼、レシピエロはつくづくと二人の旅人を眺める。まだ子どもらしい雰囲気の小さな少年と、日焼けした肌の闊達そうな少年。青い髪の小さな少年は行儀よく麺をすすっていたが、何故だか釣竿を背負った少年のほうは、大盛りのどんぶりに盛大に顔をつっこんでいる。
「今吹いてる仙烈風が過ぎれば、『天涯境』に渡れるんですよね?」
「そうですけども……」
 青い少年に言われて、レシピエロは口ごもる。天を見上げる。頭上には、真っ赤な風が轟々と吹き荒れていた。黄沙を含んだ烈風、『仙烈風』。この『岩仙境』の名物でもあり、同時に、この最果てのエリアを人の寄り付かぬ土地にしている原因でもある。
「あの風はどこから吹いてくるんぜよ?」
 ずるずるずるっ、と盛大に麺をすすりこんだ日焼けの少年が、問いかけてくる。
「ありゃあ、世界の向こう側から吹いてくるんですよ。なんでも『聖魔和合界』から吹いてくるんだとかいう噂もあって…… いやですねぇ」
 まどろみの平和を数千年にわたって享受している幻次界と違い、もうひとつの世界は、争いの繰り返される土地なのだという。
 強大な力を持つ幻次界王に治められ、かつての聖神の威光がのこされているがゆえ、この地に災禍が及ぶことはないが、けれども、もうひとつの世界では世界そのものが滅び去るような災厄が降り注いだことも、幾度もあるのだという。そして、この果てにある『天涯境』は―――
「ほんとにあんたたち、なんであんなところに行きたいんで?」
 レシピエロは二人をつくづくと見つめる。いかにも、この土地には不釣合いな様子の子どもたちだ。
「あそこは次元の裂け目のあるところ、『仙烈風』の源ですぜ? なんでもわけのわからない化け物の類が出没することも、珍しくないとか言う話で」
「うん、それくらいなら聞いてる」
 青い少年が、きびきびとした口調で答えた。
「次元の果てで粉々に砕かれた天使や悪魔…… その無念が形のない化け物になって噴出してくる場所、でしょ?」
 そこまで知っているのなら、なぜ、とレシピエロは怪訝に思う。少年はやや真顔になり、問いかけてきた。
「ところですいません…… このあたりに、誰か、古い英雄の『ルーツ』を受け継いだ人が住んでるって噂を聞いたことはないですか?」
「へっ?」
 レシピエロは、困惑した。
「そうですねぇ…… うん、確かにこのあたりは、大昔はでっかい都市だったつう話ですが」
 かつて、大きな戦乱があったおりには、砦が築かれて次界を守る最後の要となった都市、聖フラダイス。けれどもそれも今は遠い過去の話、『岩仙境』は人も暮らせぬ最果ての地だ。
「おとぎ話なんぞだと、うーんと、確か『ヤマト』って名前の英雄がこの土地に住んでたこともあるって話ですけどもねぇ」
 しかし、『ルーツ』を持つ天使や悪魔なぞ、はるか過去の存在だ。今の世の中にそんなものが存在しているとはどうにも考えがたい。けれども、『天涯境』ならばありうるかもしれない、とふとレシピエロは思う。
「なんつっても『天涯境』はこの幻次界でいちばん危険なところですからねぇ。ここいらの土地まで危なくなることもあるんですわ。まあ、天涯警備隊が守ってくれるから、たいていのことは大丈夫ですけどねぇ」
 レシピエロは、やや、自慢げに言った。
「この幻次界でいちばんの猛者が集まってるっていう天涯警備隊ですよ。何が起こっても、何が出ても、『天涯境』よりこっちに化け物が出てくることぁない」
「ずいぶん誇らしげやが」
「そりゃあもう、やっぱり、幻次界1の猛者の集まりですからね!」
 そりゃあ誇りに思いますよ、とレシピエロは鼻高々に付け加えた。



 さてさて忙しい、とレシピエロが厨房の奥にひっこんでいくのを確認して、ピーターは、箸をおいた。
「どう思う、一本釣?」
「ん?」
 どんぶりの中身をすすりこむのに忙しい一本釣が、首をかしげる。ピーターは頬を膨らませた。
「さっき出た名前だよ! 『ヤマト』って言った! 聞き覚えなかった!?」
「……んんん?」
 口いっぱいに何かをほおばっていて返事がない。ピーターは深い深いため息をついた。頬杖をついて空を見上げる。
 『岩仙境』の空は、赤い砂に覆われている。
 『呼ばれざる』エリアを出るとき、太公望鯨帝は言った。この世界には数々の伝説が残っている。そして、その中には、かつてこの次界への道を開いた英雄たちの勲詩もまた存在する、と。
 彼らの名ははるか伝説のかなたに去っていたが、その名を名乗るものたちもまた、わずかにこの地に残っている。たとえばこの幻次界の王が代々『マルコ』の名を受け継ぐように、彼らの名をついでいるものたちもまた存在している、という話だったのだ。
 そして、その中で彼の記憶に覚えがあったのが、『ヤマト』という名だ。
 かつて曼聖羅との戦いのなかで、初代マルコの戦いを支えた英雄、ヤマト・ウォーリア。その名を受け継ぐものが今もこの幻次界に生きているという。そして、その彼が存在しているのが、この黄沙の果てにある『天涯境』だというのだ。
 ずるずるっ、と麺をすすり終わると、一本釣は、どんぶりを下ろした。
「しかし、その『ヤマト』ってのが、あっしらの過去の知り合いの『ヤマト』とは限らんぜよ」
「……それはそうだけど」
「あんまり期待はせんほうがええ。釣りは気を長く持つのが一番じゃき」
「釣りの話しじゃないよっ」
 ピーターは、頬を膨らませた。
 吹き荒れる『仙烈風』のかなたを見る。聳え立つ峻厳な山々。その向こうに、もしかしたら、『会いたい人』が待っているのかもしれない。にもかかわらず、吹き荒れ続ける風に足止めを喰らいつづけるというのもじれったい話。この風がやむのは月にもほんの数日なのだという。そんな日を待とうと思ったら、どれだけの時間をこの町でつぶさなければいけないのだろう?
 そう思い、天を見上げていたピーターは…… ふと、風の向こうに、何かがひらめくのを見た。
「……?」
 轟、と風が渦巻く。
「どうしたぜよ、ピーター?」
 一本釣が怪訝そうに聞く。けれども、ピーターはじっと砂のかなたを見つめる。そして、ふいに、椅子を蹴飛ばす勢いで、立ち上がった。
「誰か、いる!!」
「!?」
 あわてて店を駆け出して、大通りへと出る。驚いていた一本釣も、やや遅れてそれに続いた。おそらくは通行人たちも何人かそれに気づいたのだろう。人々が立ち止まり、怪訝そうにざわめきながら空を見上げている。紫電が天にひらめく。天を覆う烈風を切り裂くように。
 何かが、風にもまれながら、この町へと、近づいてくる。
 光をまとった『何か』。いったい誰だ? 人々がざわめく。『仙烈風』が吹く時、そこを通り過ぎることのできるものなど存在しない。けれども、その光は、たしかにこちらに近づいてくる。
 その光が、ひらめいた。何かが光っている。光るものが、三つ。まるで円陣を描くように回転しながら、こちらへと近づいてくる。
「一本釣!」
 思わず、ピーターは叫んだ。一本釣は答えるよりも先に、その竿を手にしていた。
「おう!」
 少年の足が、地面を、蹴った。
 飛び上がった彼は、辺りの建物を足がかりに、みるみる高いところへと登っていく。聳え立った岩塔の上、さらに上。そこになると、もう、それは『仙烈風』の中へと飲まれてしまう。誰かが叫んだ。
「無茶だ! 飛ばされてしまうよ!!」
 けれども、一本釣は、たしかにその岩塔の上へと立っていた。
 岩の塔。砂に削り取られて不安定な形へと変形した山。すさまじい風が黄沙を含んで吹き付け、肌を切った。長いマントが体にまとわりつく。視界は深紅、そして闇。定かではない。一本釣は思わずうめいた。強く足を踏ん張る。
「くっ……!!」
 けれども、三つの光は、激しく回転しながら、たしかにこの風に抗している。こちらへと近づこうとしているのだ。狙いはあれだ。一本釣の眼が、渦巻く風の静止するポイントを見定める。
「行け、聖フック!!」
 振り上げられた竿の先端で、理力を持った釣り針が、強く光った。
 風を切り、渦を貫いて、聖フックが、飛んだ。
 そして、一本釣の手に、確かに、ぐん、という手がかりがかかった。
「くう!」
 風の力に押し流されそうになる。砂が、頬を、むき出しの腕を、切る。獲物が重い。いったい、なんだ?
 リールを巻き上げていくと、獲物が、風に激しくゆさぶられながら、けれども、確かに近づいてくる。それは人影だった。見て取った一本釣は、思わず、眼を見開いた。
 獲物を小脇に抱えて戻ってくると、人々の間から、歓声と安堵のため息が漏れた。
「大丈夫、一本釣!」
「あっしはなんともないぜよ。けど、この子が……」
 一本釣は、抱いていた小柄な誰かを地面に降ろす。―――それは、ピーターと同じくらいの年頃の少女だった。
 簡素なデザインの白い服を着ていて、赤い帯を締めている。腰まで届く緑の黒髪。眉濃くりりしい顔立ちだけれど、あどけなさのほうがまだ目立つ。そして、彼女の体の周りには、勾玉状の大きな玉が、三つ、彼女を守るように浮遊していた。
 砂に傷つけられたのか、顔も体も擦り傷だらけだ。一本釣は軽く頬をたたいてみる。けれど反応はない。意識は無いようだったが、けれど、大きな怪我をしているようにも思えなかった。
「誰ぜよ、この子は?」
 一本釣が周りの人々に問いかける。誰かが、声を上げた。
「動使クシナダじゃないか!」
「動使クシナダ?」
 人々が割れて、出てきたのは、年寄りらしい姿の悪魔だ。あわてて近寄ってきて少女の頬に触れる。ピーターは思わず問いかける。
「誰ですか、この子?」
「この子は『天涯境』の動使クシナダじゃよ。―――『天涯境』の警備隊長、志星(シスター)クロスの娘さんだ」
 思わず、一本釣とピーターは、顔を見合わせた。
 


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