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その悪魔はどうやら薬種屋を営んでいるらしい。意識の無い彼女と一緒に、一本釣とピーターもその店に向かった。
石造りの小さな平屋の中にいても、『仙烈風』の吹き荒れる轟音は、途切れることなく聞こえてくる。
ベットに寝かされ、顔や体の砂を払われても、彼女は眼を覚まさなかった。悪魔の薬剤師は奥で何かを調合している。ピーターはベットの傍らに座り、彼女の顔をつくづくと覗き込んだ。
……動使クシナダ。
「知り合いなんか?」
「ううん……」
見たことの無い顔だ。それは断言できる。
「その子は『天涯境』の警備隊の子じゃよ」
沸かしたらしい湯のたらいをもって、部屋の奥から、老悪魔が現れる。
絞った布を額においてやる。手足の傷に丁寧に薬をつけてやる。それを見ながら、ピーターは問いかけた。
「あの、さっき言ってた志星クロスって?」
「『天涯境』の警備隊の、女隊長の一人じゃよ。けれども、ときどきこっちのほうにも、いろいろとものを買いにきての」
それで、この子もいっしょによく来る、と老悪魔は言った。
「しかし、『仙烈風』をつっきってくるとはなんて無茶な…… 大人の天使や悪魔でも、まともに超えることのできん風だというのに」
「この玉はなんぜよ?」
彼女の頭の辺りをふわふわと浮いている勾玉――― 奇妙な玉を一本釣は軽くつつく。かなり大きい。人間の頭ほどもある。けれど、重みは感じられない。まるで重力そのものがその珠には働いていないかのようだ。
「ああ、それは『聖動光珠』といっての、動使の体の一部みたいなもんじゃ。そいつを使えば空も飛べるし、ちょっとした障壁を張ることもできる」
「なるほど、これをつかって飛んできたんだね」
ピーターは感心したように言った。天使、悪魔のどちらにしても、空を飛ぶ、という能力を持っているものは実はそう多くない。実際に鳥の仲間として生まれてくるのでもなければ、空を飛ぶというのは相当な理力、さもなければ魔力の証明となることが多かった。
光ながら回転していた三つの光、その正体はこの玉だったんだろう。けれども、どうしてそこまでして、あの風をつっきってくる必要があったんだろうか?
そのとき、少女が、小さくうめいた。
「おお、動使!」
老悪魔があわてて駆け寄る。少女の額から布が落ちた。少女は目を開けた。
「あれ、ここ……」
「『岩仙境』じゃよ」
眼の色も濃い緑黒だった。少女はつぶらな目をしばらく瞬き、自分の置かれた状況がわからないといった風で呆然としていた――― けれど、ふいに、がばりと起き上がる。
「そ、そうだ! ……っつ!!」
「お、おい、無茶するんじゃないぜよ!」
起き上がるなり傷に響いたらしい。少女がうめく。一本釣があわてて肩を支える。少女は一本釣とピーターを不思議そうに見た。
「あれ、キミたちは……」
「ボクは星幻子ピーター、こっちが一本釣太公。こっちの一本釣が、風にまかれてたキミを助けたんだ」
「そ、そうだったんだ。ありがとう。ぼくは動使クシナダ」
まるで少年のような口調で言って、それから、彼女は、はっとしたように老悪魔に向き直った。
「そ、そうだおじさん! 用事があって来たんだよ!!」
「な、なんじゃ?」
「仙光酒がほしいんだ!」
何の話かわからない。三人は顔を見合わせるばかりだ。けれども、動使の後ろで、『聖動光珠』が彼女の感情の高ぶりを示すようにぐるぐると回転しだす。動使はベットから飛び降りる。
「次元の狭間からすっごい怨霊が出てきて…… 警備隊の人が何人も、瘴気にやられちゃったんだ! だからぼく、解毒のための仙光酒を取りにきたんだよ!」
「それはちゃんとクロス殿に許可を得てのことか?」
老悪魔が問いかけると、とたん、動使の勢いが無くなる。
「そ、それは…… クロスには……」
なにやら訳ありのようだ。ピーターと一本釣は顔を見合わせる。ここは同年代がしゃべるべきだろうと、ピーターのほうが口を開いた。
「キミ、天涯警備隊の一員なの?」
「……違う」
しゅん、と彼女はつぶやく。
「ぼくはまだ子供だからって、警備隊に入れてもらえないんだ。クロスは警備隊の責任者の一人なんだけど……」
「そのクロスってのがおまんのおかんなんがか?」
「うん」
きっ、と動使は顔を上げた。
「でもね、今、天涯警備隊はすごいピンチなんだ。次元の穴からものすごい怨霊が出てきてて、みんながすごく苦戦してる。だから、戦えないぼくでも、何か役に立てないかと思って、仙光酒を取りに来たんだ」
「仙光酒ってなんなの?」
ピーターの問いかけに、老悪魔は困惑したように答えた。
「遠くから取り寄せた特殊な酒、というより薬じゃよ。光気が練りこんであって、邪気をはらう。瘴気に当てられたときには一番の薬になる。……だが、そんなものが必要になるようなおそろしい怨霊なんぞがあらわれたのかの?」
「うん……」
動使はしょんぼりとうつむいた。
「ヤマト皇士がいたら、こんなことにはならなかったのに……」
「ヤマト皇士!?」
思わずピーターが叫ぶ。動使は驚いたようにピーターを見た。
「そ、それ、誰!? ヤマトって……」
「あ、うん。ヤマト皇士ってのは、ぼくの父上なんだ。とっても強い戦士だったんだよ」
でも、と動使はつぶやいた。うつむく。
「二年前に、怨霊と戦ってて、死んじゃって……」
一本釣とピーターは、思わず、絶句した。
『ヤマト』はすでに、死んでいた。
「……どう思う、一本釣」
仙光酒を探してくる、といい、動使には安静にするように言いつけて、老悪魔は出て行った。動使の病室からも離れた廊下に座り込んだまま、ピーターは力なくつぶやいた。
「まさか、もう死んどったとは…… おもっとらんかったぜよ」
一本釣もうめくように答える。
『ヤマト』の記憶は、まだ、明確に返ってきたとは言いがたい。
けれども、彼はたしか、『彼ら』のリーダー的存在だった。明るくて、頼もしくて、いつだって勇敢だった。女の子に弱かったり、お調子者だったり、という欠点もあったけれど、それを補って余りあるほどの魅力が彼にはあった。―――そんな記憶が、漠然と残っている。
「ボクら、遅すぎたのかなあ」
ピーターはぽつんとつぶやく。
「もっと早く旅に出ていれば、『ヤマト』に会えたのかな?」
けれども、ピーターは、まだ子供だ。今から二年前というと、まだ、一人旅などできるような年齢ではなかった。一本釣は手を伸ばし、蒼い髪をくしゃりとなでた。
「とにかく、『天涯境』に行ってみたほうがいいぜよ」
「一本釣……」
「『ヤマト』が死んでるにしろなんにしろ、何か、名残が残ってるかもしれんぜよ。とにかくあっしらはあいつがどう生きたのかを知らんといけん」
「うん…… そうだね」
それにしても、この『仙烈風』がやまなければ話にならないけれど、とピーターは窓の外を見る。
空は暗く赤く染まり、まだまだ風のやむ気配は一向に見えない。よくぞ動使はこの風を乗り越えてくることができたものだ。
そう思ったとき、ふいに、ばん、と音を立ててドアが開いた。
「おい、動使! 待つんじゃ、動使!!」
声が聞こえてくる。老悪魔があわてて部屋を出て行く。その前を走るような勢いで出て行くのは、動使クシナダだった。先端のあたりでかるく結わえた黒髪が揺れる。背中に控えた三つの『聖動光珠』がくるくると輪を描いて回転している。
「どうしたんですか!?」
「動使をとめてくれ! あの子、また『仙烈風』をつっきるつもりじゃ!」
「……えぇ!?」
大またで二人の横をすり抜けた一本釣が、ぐいと手を伸ばして動使の服のすそをつかんだ。小柄な動使は簡単にぶら下げられてしまう。そんな彼女の手には、何本もの瓶を入れた包みが握られていた。―――仙光酒。
「とめないでくれっ!」
動使は、悲痛な声で叫んだ。
「みんなが、みんなが待ってるんだ! はやく行かないと!!」
「無茶言ったらいけん! そんな体で、あの風を突っ切るつもりか!」
「だってぼくには他の事なんて出来ないんだもん!!」
怒鳴りつける一本釣に、動使は、負けじと大声で怒鳴り返した。
「みんなが苦しんでるのを見てるだけなんていやだ! クロスや、天涯警備隊の役に立ちたいんだ!!」
「そげんこと言って、傷だらけの格好でどうするつもりぜよ!?」
「行きが来れたなら帰りも行ける!」
「あっしがおらんかったら、おまんは岩にたたきつけられて粉々だったぜよ!」
怒鳴りあっている二人を、ピーターは、静かに見つめていた。かるいめまい。蒼い眼を、ふと、細める。
「……方法は、無いわけじゃない」
ふいに、ピーターが言った。一本釣と動使が驚いたように振り返った。
「ボクのレインボーアーチだったら、この風の上を通れるかもしれない。『仙烈風』はみたところ地面に近いところほど強いみたいだ。空の高いところを通れば、直撃を受けずに『天涯境』まで行けるかも知れない」
「ほ、ほんとうに!?」
「正気がか?」
二人二様の返事が返ってくる。ピーターは動使の顔を見据えた。動使は眼をぱちくりと瞬く。
「ただし、その条件は、ボクたちもいっしょに『天涯境』に行くことになるよ」
一本釣はピーターの顔を見る。真意が読めない。……そういう顔だ。
そんな一本釣に、ピーターは、かるく笑いかけた。
「だって、知りたくないかい? 『ヤマト』が、どういう生き方をしてたのか」
「……」
老悪魔が、腕を組んで、うなった。
「『仙烈風』は、次元のはざまから吹いてくる風…… もしも次元のすきまがあきっぱなしだったなら、いつまでたっても風は止まん」
「つまり、誰かが穴をふさがん限り、風は吹き続けるってことがか?」
「そういうことになるの」
動使が噛み付いた。
「それじゃ遅すぎる! 『今』、仙光酒が必要なんだ!」
ピーターは一本釣を見た。一本釣はうめいた。
―――この幻次界には、ときおり、恐ろしい災厄が見舞う。
それはたいていの場合、自然災害の形をとる。実はこの幻次界に戦乱が少ない理由もそれだ。頻繁に起こる自然災害が大地を荒らすため、人々の暮らしは厳しく、悪魔も天使もお守りも、助け合わねば生きていけない。
そして、その自然災害の大半は、この幻次界の『外』に原因を持つ。今では通路の閉ざされてしまった天聖界、天魔界など、さまざまな世界が激震するたび、その余波がこの幻次界にまで押し寄せて、おそろしい災厄となって見舞うのだ。
天涯警備隊が戦っているのは、まさしく、その『外』の災厄の化身とも呼べるものたち。もしも彼らが戦いに負けてしまったなら、この幻次界全体を災厄が襲うことだろう。
―――つまり、『ヤマト』は、この幻次界を守るための戦いで、命を落としたということになる。
既視感、にも似たもの。彼らの定めに似たもの。それを思い出す。一本釣は額の『青界星』にかるく触れた。何かを感じる。
「……しかたない」
やがて、ぼそりと彼はつぶやいた。
「このままだといつまでたっても『天涯境』にはいけんのかが?」
「うん」
動使はうなずいた。一本釣は渋い顔でピーターを見る。
「やったら、行くしかないぜよ」
動使は、顔を輝かせた。
「ありがとう! ピーター、一本釣!」
こんな風に喜ばれると、なにやらこそばゆい。困って頬を掻く一本釣に、ピーターはくすりと笑った。
三人が旅立とうとするとき、『岩仙境』の住人、みなが集まった。
誰一人として超えられぬ、といわれる『仙烈風』だ。それを超えようという。しかも、彼らはみなまだ若い天使たちばかり。けれども、お互いに集まって、広場に立つ三人の顔に、すでに迷いは無かった。
「『聖動光珠』!」
動使が鋭く叫ぶと、彼女の背中で回転していた三つの勾玉が、周囲に散開した。
三人の周りを取り巻く。光が走る。三角形に理力の力場が展開される。ふわり、三人の体が宙に浮いた。
「このまま出来るだけ高く上昇して。そこから、レインボーアーチで『天涯境』に道をつくる」
「うん!」
一本釣は真剣な眼で砂の嵐を見つめていた。そして、構えていた竿を、ふいに、大きくスイングした。
光る聖フックが、砂の渦を、切り裂いた。
「あそこがポイントぜよ!」
「わかった!」
動使が力を込める。理力場が強く展開した。『聖動光珠』が浮かび上がる。三人の周囲を旋回しながら、一気に、上昇した。
十数メートルも上昇すると、ふいに、横殴りの風が吹き付けた。
「!!」
針を含んだような風。それが、頬を、腕を、切り裂く。
『聖動光珠』の作る力場にある程度さえぎられてはいる。けれども、それでも体を切り裂かんばかりの風だ。力を含み、体を切り裂いていく。ピーターの頬を切り、一本釣の腕を裂いた。動使の簡素な服が激しくはためく。
けれども、上へ、上へ。ためらうことなく、さらに上へ。
やがて、風が、薄くなった。
すっ、と砂が薄くなる。風自身はまだ強い。ピーターの、一本釣のマントが大きくはためいた。けれども視界は澄んだ。はるか風の赤い濃淡の向こうに、聳え立った峻厳な山々が見える。
そのかなたに、何か、光るものがある。
それは、光の力場に覆われたリングのようなもの。大きな光輪のようなもの。砦たるエリア、『天涯境』。
ピーターが星氷剣を抜く。叫んだ。
「レインボーアーチ!」
剣から、星が、ほとばしった。
流星が荒れ狂う砂を裂き、一条の光を走らせる。それは七色の光の橋。ゆるやかな弧を描きながら、『天涯境』まで道をつくる。
「よし、行くよ!」
動使がさらに力を上げる。『聖動光珠』の作る力場は、まっしぐらに、虹の橋の上を、飛んだ。
砂が視界をさえぎり、風に飛ばされそうになる。お互いに手を握り合い、力場の上に身を伏せてなんとか耐える。風はたしかに『天涯境』の向こうから吹いてきていた。空が歪んでいる。空は砂に覆われて赤く、暗い。けれどもその空のあちらこちらに、漆黒の闇が口を開いている。
「ひどい……」
ピーターがつぶやいた。空が、あちこち、ほころびている。
「クロスは、ここが幻次界の果てだって言ってた」
身を伏せ、注意深く力を操りながら、動使が答えた。
「他の世界は、本当は、もう何回も破滅したり再生したりを繰り返してるんだって。幻次界だけが何もおきずに平和でいるのは、ほんとうは間違ったことなんだって。この世界は神様に見放されてるから――― 忘れられてるから、ただ、無事でいるだけなんだって」
「……」
一本釣は何も言わない。ピーターもまた、口をつぐんだ。
忘れられた世界。
虹の架け橋は、黄金の輪に向かって、まっすぐに、進んだ。
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