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塔の上、一人の天使が、リュートを奏でていた。
爪弾く響きは風に流れ、風になびき、ゆっくりと町全体へと広がっていく。そして、その響きが町の混乱を沈めていくさまを、動使はたしかに見て取った。人々の混乱、その嘆きの響きが、まるで水面に起こるさざなみが、もうひとつのさざなみによって打ち消されるように、すべての悲しみが消え去っていく。
その旋律。懐かしい、その響き。
動使は、いつしか、口ずさんでいた。
「神話は生まれ…… 伝説は語られる…… 歴史は唯記される……
ああ 物語は歌うように紡がれ続ける……」
ふいに、彼の、男ジャックの目が、驚いたように動使を見た。
「知ってるのか?」
「うん。クロスが、歌ってくれた」
男ジャックは町を見下ろす。混乱はあらかた収まったらしい。男ジャックはリュートを下ろし、そして、ちいさくため息をついた。やれやれ、と水色の巻き毛をかきむしると、動使の傍らにどっかりと座り込む。
「相変わらず、おいらのリュートじゃこういうのにゃ向かねえや」
「そう? すっごく! きれいだったよ」
動使が大げさに腕を広げて強調すると、男ジャックはなんともいえない顔で彼女を見た。
動使の後ろでは、彼女の体をここまで運んできた勾玉がぐるぐると廻っている。緑黒の髪、瞳。愛らしさよりは凛々しさの勝る男の子のような顔立ち。
つくづくとそれを見ていた男ジャックは、やがて、疑りぶかく、問いかけた。
「お前、何者だっつったっけ?」
「動使クシナダだよ」
「動使……」
男ジャックは渋い顔で動使を見下ろす。その顔が動使には不思議だ。彼女は目を瞬き、こちらはひどく不思議そうに、男ジャックを見上げた。
「ねえねえ、キミ、だあれ?」
「さっき名乗っただろ」
「そうじゃなくって! あのさ、さっきのあの子は誰? なんで音だけでみんなが悲しいのを止められるの? あと、キミってぼくの知り合い?」
「質問は一回に一個にしろっつの」
ったく、と頭をがりがりと掻きながら、男ジャックはしぶしぶと答える。
「一個目の質問の答えは、『答えられない』」
「ええ〜」
「二個目の返事は、それは、おいらがおいらだから」
「うう〜」
「三つ目の返事は、おいらはお前みたいなチビなんて、金輪際見たこたねぇよ」
「あう〜」
動使は、ぶうっ、と頬を膨らませた。
「まともに答えてるのが三つ目の質問だけだよ!!」
「大人には大人の事情があるってこった」
しれっとした口調で答えると、男ジャックは、ふと、まじめな顔になる。そして手を伸ばすと、つん、と指先で動使の額をつついた。
「今度はおいらの質問する番だ。なんだよ、このデコの石は?」
「これ? なんかね、『紫動星』って言うんだって」
今は光を放たない、ちいさな紫珠。動使の額に収まった星は、まるでちいさな勾玉のような形をしている。何かの反応を見せる気配は無い。動使は自分でも額をつついてみるが、星が何かの力を見せる様子は無かった。
「『紫動星』か……」
「いろいろと何か珍しいものなんだって。ぼく、これを集めるために、ピーターと一本釣と一緒に旅をしてるの」
ピーター、一本釣、と男ジャックはかみ締めるように呟いた。何かを確認しているかのようでもある。丸い目、どことなくふっくらとした横顔を動使は不思議そうに見上げた。水色の巻き毛に蔦の冠。見覚えが無いだろうか、とふと思う。
「ねえねえ、その冠、本物の蔦なの?」
「本物だけどよ」
「触ってもいい?」
「こら、寄るなって!」
にじにじと近寄ってくる動使をうっとおしそうにのけて、男ジャックは立ち上がった。リュートをかついて、ばさり、と翼を広げる。動使の短い腕のなかから、夜空へと、ふわりと舞い上がる。
「あー!」
「おいらはもう行くからな! ついてくんなよ、チビ!」
「チビじゃないよっ」
憤然と立ち上がった動使の足元に、勾玉が集まる。飛び立つために理力を蓄えようとしているのだ。男ジャックはそれを振り返って嫌そうな顔をする。けれども。
「おおーい、動使ーっ!!」
ふいに、下から、大声が響いた。
動使は思わず下を見下ろす。すると、虹のアーチがこちらへと弧を描いた。誰かがその上を走ってくる。動使よりもいくぶん年上の、男ジャックよりはいくらか年若の少年。肩に担いだ竿を見るまでもなく、その正体は分かった。一本釣だ。
虹の橋の端から身軽に飛び降りると、背中のマントが翻った。高い塔のてっぺんにひるんだように、やや恐ろしげに塔の端を見下ろす。
「いきなり出て行って、どうしたんがか? おどろいたぜよ」
「え、あの、ええっと…… なんかね、不思議な力が見えてね、そこに男ジャックがいてね……」
「男ジャック?」
あのひと、と天を指差そうとした動使の指は、途中で止まった。
「あ、あれ?」
すでにそこには、誰の姿も無い。枝葉にさえぎられない無数の星々が、夜の女王のマントに縫い付けられた刺繍のように、燦然と輝いている。
動使は途方にくれたように空を見回した。だが、眼前には混乱の収まりゆく『天森京』のさまが見えるだけで、誰の姿も見当たらない。
「誰ぞ、それは?」
問いかける一本釣に、動使は答えられない。困惑する動使の背中で勾玉が混乱気味の軌道を描いて廻る。ようやく追いついてきたピーターが、とん、と身軽に塔の屋上に降り立った。
「動使、無事でよかった。でも、いきなりどうしたのさ? びっくりするじゃないか」
咎めがちな口調で言われて、動使はさらに困惑顔になる。何がどうなったと説明しようとしても難しい。
「あのね…… 上で、誰かがぼくを呼んでて……」
「『誰か』?」
「で、会いに行ったら、遊公男ジャックってヒトがいて、そのヒトがその『誰か』を消しちゃって、それから男ジャックがリュートを弾いたらみんなが悲しいのが収まって、それから男ジャックがどっかに行っちゃった」
「……」
あまりといえば、あまりに要領を得ない説明に、ピーターは痛くなったこめかみを揉み解した。
「あのね動使、三段論法って知ってる?」
「何?」
「何がどうなって、だからこうなって、その結果ああなった、っていう説明の方法」
「え、ええとね」
動使は一生懸命に頭を働かせたらしい。
「ぼくが誰かに呼ばれて、ぼくは男ジャックに会って、それから男ジャックがいなくなった」
一本釣とピーターは、顔を見合わせ、ため息をついた。動使は真っ赤になる。ピーターはため息をついた。
「なんて頭の悪い回答……」
「なななななな何っ!? ぼくバカじゃないよ!?」
「キミはバカというよりも『ボケ』だね」
一蹴された動使はなにやらぎゃーぎゃーと抗議をし始める。まあまあと一本釣がなだめに入る。すでにピーターは聞いていない。遠い空へと目を向ける。
―――その音に聞き覚えは無いか?
あのリュートの音色。どこかで聞いたことは無いか? 人々の悲しみをなだめ、涙を消したその音色を、知りはしないか?
けれども、彼の記憶はいつだってあいまいだ。考えるだけ無駄だとすぐにあきらめた。振り返ろうとした瞬間、ごちん、と何かが頭にぶつかった。目から星が飛んだ。
「いっ……!?」
「あははは、あたったー!!」
後頭部にぶつかったのは動使の勾玉だったらしい。あーあ、という呆れ顔で一本釣が動使を抑えている。しかしあいにく珠は三つもある。彼一人だと抑えがたかろう。
しかし腹いせにコレか。子どもか。いや、たしかに動使は子どもだが。
こっちも星をぶつけかえしてやろうか、と一瞬ピーターは思ったが、しかし、そんなことをすれば自分も動使と同レベルだということを認めることになる。再びこめかみを揉み解す。こら、と一本釣に頭を小突かれて、動使は笑いながら謝った。
「あはは、ごめん、ごめん。……でも、きっと男ジャックにはまた会えるよ」
なぜだか自信たっぷりに動使は言う。なんら根拠の無いその発言。けれども、その『根拠の無さ』ゆえに、なぜか、その発言には奇妙な説得力があった。
「遊公男ジャック、ね……」
ピーターはぽつりと呟く。その名。顔すら見たことの無い天使。
けれど、動使の言うとおりに――― 出会えるような、そんな予感が、かすかに、よぎった。
―――そこは、水に満たされた空間。
虚空から降り注ぐ細い水柱が、砂時計の砂を落とすように、水面へと落ちていく。闇に閉ざされた鏡のような水面。そこにいくつもの蓮の葉が浮かび、いくつものつぼみがしなやかな茎を伸ばす。その色は青。その名を『神秘』と詠われる、青蓮の花が、何輪も浮かんでいる。
けれど、それはすべて蕾だ。
主たる人は、ここにありながら、今、ここにはない。
水の上には、水音のほか、静かな笛の音だけがある。笛を吹いているのは一人の天使だった。少年、あるいは青年。色白くたおやかな顔立ちに、髪を稚児輪に結っていた。そこにふと、何かが降ってくる。
ひらり、ひらり、と。
それは、一枚の蔦の葉だった。
天使は気付き、笛を吹く手を止め、落ちてくる葉を受け止める。葉は小さく光を放ち、そして、幻影のように消えた。けれどもそこに刻まれていた言葉は、たしかに、彼に届いた。
三つの、名。
「……動使、ピーター、一本釣……」
呟いて、手を握り締める。
その声を聞くものすらもなく、清水と青蓮の空間に、ただ水音だけが、響き続ける。
男ジャック登場の巻。水色の髪に蔦(蔓?)の冠だから、ビジュアル的には神帝男ジャックに近いかも。他にももろもろ話がデカくなってきた気がする。
作中で男ジャックが歌っているのはSound Horizonの『神々の愛した楽園』です。このシリーズのメインテーマ。Sound
HorizonはなんとなくBMっぽい曲が多いような気がする…… とくにクロセカとか……
だんだん捏造度が高くなってます。大丈夫か。
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