3/
「次は『樹惑海』行き、ってところかなあ」
「ああ」
「どういうところなのかな、『樹惑海』って」
「ああ」
「……一本釣?」
さっきから返事は上の空ばかりだ。ぶう、と頬を膨らませたピーターは、手の上で作った氷の星をひとつ、一本釣の後頭部にぶつける。こん、といい音がした。
「あいた! ……なんぜよ?」
「キミのほうこそなんなんだよ! さっきからずーっと上の空で!!」
「大人はいろいろ考えるんぜよ」
頭をさすりながら一本釣は唇を尖らせる。ピーターは頬を膨らませる。
「キミだってまだ子どもって年じゃないか!」
「おまんや動使ほどやないぜよ!!」
「動使とボクを一緒にしないでよ!」
動使を見る――― ベットの上で、高いびきをかいている。ふわふわと三つの勾玉がまわりをただよっていた。今にもよだれが垂れそうな顔だ。それを見た一本釣は黙った。ピーターはふんと顎をそびやかせる。
宿の、一室だった。
窓からは町が一望できる。木々が大きく梢を広げているから、夜空は隠れてほとんど見えない。無数の窓が、ただ、木々の幹に光る。そして建物の間を巡る光の糸のようなハイウェイ。
「何を悩んでるの、一本釣」
ピーターはベットの上にちょこんと座る。一本釣は無言で膝に足を組んでいた。
「キミ、なんだかここに来てからちょっと変だよ。ボクたちに言えないことでもあるのかい?」
「……」
一本釣は無言だった。けれども、じっと見つめてくるピーターの蒼い眼には抗しがたい。しぶしぶと口を開く。
「……なんで、あっしらは旅をしとるんか、と思って……」
「えっ?」
こんなことを言うのは躊躇とも取られかねまい。どうにも『男らしく』なくて嫌だったが、その疑問を感じているのは事実だ。ガリガリと頭を掻きながら、そっぽをむいて言う。
「前、動使が転身したのを見たじゃろ?」
「う、うん……」
「あんな力、今の世の中には必要なんか?」
光の斬撃の中に、すべてを、葬り去る。
神代の時代、天使と悪魔が戦っていたころ…… 神をもこの地に降臨した時代には、たしかに、それは必要な力だったのだろう。
けれども、今の幻次界には戦いは無い。悪魔も天使も混ざり合って暮らし、戦うべき相手といえば災害くらいのものだろう。そして一本釣自身は、そういったものに対しては、従うほかにないということを理解していた。
彼は、釣り人だ。
海は恵みをもたらすと同時に、時に大地を飲むもの。その力は天意。たかが天使、たかが悪魔が抗することのできるようなものではない。それを重々理解していた。
けれども、もしも自分が、動使が英雄へと姿を変えたように、『過去あった力』を取り戻したのならば、海すら己の意のままにできるのではないだろうか―――?
「……あっしは、自分が恐ろしいぜよ」
自分の手を見下ろして、ぽつり、つぶやく。
「あっしはただの平凡な天使でかまわん。他のもんなんぞいらんぜよ。やけど、このまま進んだらそうも言えんようになる…… そんな気がするぜよ」
「……」
一本釣の額で髪を押さえる冠には、『青界星』がちいさく光っている。
いまだ力を発動せざるその『星』は、今の段階ではただの『かけら』にすぎない。けれども、それに内包されたものが恐ろしい『力』であるということを知った今、無邪気にそれを歓迎することもできない気がした。
ピーターの蒼い眼に、迷いが、ゆれた。
一本釣が黙ると、沈黙が降りた。動使の健やかな寝息だけが聞こえてくる。ピーターはベットの上で足を引き寄せた。
「あの、ね。一本釣」
「……?」
「寒い、誰もいない『界極点』で、ボクが何を考えながらすごしてたと思う?」
とつとつとした呟きは、普段の彼の言動には無いもの。一本釣は眼を上げる。そしてぎょっとする。ピーターの目には涙があった。ぐすっ、と鼻をすすり上げる。
「なんで泣くんがか!?」
「だって、涙出てきちゃうんだもん。……寂しかったんだよ。ボク、すごく寂しかったんだよ!!」
ぽろぽろと落ちた涙が、地面に落ちるころには小さな小さな氷の星に変わる。ころころと床に転がった。
「なんで寂しいのかわかんないんだ。でも、オーロラがどんなに慰めてくれても、友達ができても、寂しいのは変わらなかった。ここには大事な人がいない、大事な人にお別れも言えなかったって、ボク、それだけしか覚えていないんだ……」
「……」
一本釣の記憶の中にも、かすかに、残る影がある。
それは何人もの仲間たちであり、また、使えるべき尊い人でもあった。けれど一本釣の中の記憶はわずかに違う。……使命を果たせた、という満足感が、そこにある。
ピーターは自分と何故違うのだろう? ぼんやりと、そんな風に思う。
「力なんてボクだっていらない。このままでいい。普通の天使でかまわない。……でも、この寂しさだけはどうしようもないんだ。『みんな』にまた会わないと、きちんとお別れを言わないと、ボクは永遠に寂しいままなんだ」
そんなの、いやだ。
呟きが、重く、沈んだ。
ぽろぽろと涙がこぼれる。小さな星に変わる。それを一本釣は黙って見つめていた。
―――そのときだった。
眠っていた動使の珠が、唐突に、宙で動きを止めた。
動使が、ぱちり、と眼をあけた。
「どうしたんぜよ、動使?」
眼を開けたまま動かない彼女に、一本釣が声をかける。変な夢でも見たのか、それとも話を盗み聞きしていたか。けれども、動使の唇から漏れたのは、そのどの予想とも違う言葉だった。
「……呼んでる……」
「え?」
宙で、三つの『聖動光珠』が、方陣を組んだ。
がばりと起き上がる。彼女の眼はまっすぐに窓の外を見据えていた。額では――― 『紫動星』が淡く光を放っている。それに気づいた一本釣は驚愕した。
「あいつが呼んでるよ! ぼく、行かなきゃ!!」
「な!?」
止める間も、無かった。
誰があけたのかもわからずに、不意に窓が開け放たれ、びょお、と風が吹き込んだ。全力で駆け出した動使が窓から飛び出すのと、それは、ほぼ同時だった。
「動使!?」
とっさに、ピーターが窓に駆け寄る。だが、彼女は落ちてはいかない。空中で『聖動光珠』が集合する。動使の体を理力のフィールドで支える。彼女の体が宙に浮く。自らの体を理力で支え、彼女はまっしぐらに上へと上昇していく。―――重なり合った樹冠の、上へ。
「どうなってるんぜよ!?」
「わ、わからない……」
けれど、窓の外を見ると、気づく。
……時ならぬ喧騒。
何かが、起こっている。
二人は顔を見合わせた。ピーターはあわてて顔をぬぐう。泣いている場合ではない。とにかく、追わなければ。
「と、とにかく上に行こう」
「おう!」
二人は顔を見合わせ、うなずいた。そして、取るものもとりあえず、急いで、部屋を飛び出した。
上へ、上へ。
分厚く重なり合った葉をつっきり、さらに上へ。『天森京』の上空へ。
ばさばさと葉が体に当たり、小枝が体を引っかいたが、そんなことにかまっている場合ではなかった。体を内側から突き動かす衝動。それは、『仲間』が危機にさらされているという、言葉にならない焦燥だった。
やがて、唐突に、枝葉の層を、突き抜けた。
上空に、満天の星が広がる。
辺りを見回していた動使は、すぐに気づいた。―――誰かが、そこに、いる。
魔力とも理力とも取れぬ何か。それが、渦を巻き、そこに『顕現』しようとしている。
そこに居合わせているのは、動使だけではなかった。誰かがいる。それは、白い翼を闇に広げた、一人の天使の青年だった。
「―――!!」
動使はその名を呼ぼうとした。
その声は、声にならない。動使は彼の名を思い出せない。けれど、彼は確かに振り返った。まるで、その名を呼ばれたように。
そこにいたのは、まだ年若い、青年の天使だった。
水色の巻き毛に蔦の冠を頂き、白い翼を背に広げる。手にしているものは一本の剣。背にはリュート。やや幼い印象の顔立ちに、丸い眼。
「……お前!?」
驚いたように動使を見る。けれど、動使はすぐにその隣に直行した。腰から剣を抜いた。護身用に身に着けた剣。
「大丈夫!?」
「お、お前…… まさか、『天涯境』の……?」
「ぼくを知ってるの?」
会話がうまくかみ合わない。けれども、今はそんなことにこだわっている場合では無いということは分かった。ほかの誰かが現れる気配は無い。天森京の上空で、動使とその青年は、たった二人で巻き起ころうとする『力』の渦に対峙する。
雷光がひらめく。空気が静電気に爆ぜる。何かが起ころうとしているのは明らかだった。動使には何が起ころうとしているのかもわからない。けれども、ただ、何かとても危険な現象が起ころうとしている、ということが動使には分かった。彼女はこの幻次界でも、もっとも危険な場所のひとつで育ってきたのだから。
「あれ、なに?」
傍らの青年に問いかける。彼は、苦い笑みを唇に刻んだ。
「『悪夢』だ」
「……!?」
同時に、渦が、ゆっくりと形を取る。それは形もおぼろげな影のようなもの。ゆらぐ幻のようなものだった。
青年は剣をまっすぐに構える。そこに理力が集中していく。明るい橙色の光。動使は、眼を見張った。
幻が完全な形を形成するよりも早く、青年の剣が振り上げられる。光はまるで真昼の太陽のように輝いた。そのまばゆいサンセット・オレンジ。
振り下ろす瞬間、青年の叫びが、響いた。
「眼を覚ませ…… 『異夢姫』!!」
放たれた閃光は、光条となって、まっすぐに、幻を貫いた。
まばゆい光が、まぼろしを打ち消していく―――
「!!!」
けれど、その瞬間、あまりのまぶしさに眼を覆いながらも、腕の向こうに、動使は、見た。
その幻が、何を形作ろうとしていたのかを。
それは、一人の少年の姿―――
けれど、まぼろしは、サンセット・オレンジの閃光が消えると共に、消えうせた。
後は、ただ、満天の星空の下に、動使と、その青年だけが残される。
まぼろしが完全に消滅し、理力も魔力も消えうせたことを確認して、ほう、と青年は息をついた。
「今回は、まあ、たいしたこと無かったな。……『アレ』だったら、おいら一人でも十分ってもんだ」
剣を鞘に収める。そうして、呆然と立ち尽くしている動使を見た。
「お前、何者だ? 何しにきたんだよ?」
動使は、呆然と、つぶやいた。
「何、今の……?」
「お前には関係ない。それに、言ったって分かるもんか」
冷たく突き放すように言い放つ。そして、彼は翼をひらめかせた。そのまま去っていこうとする。けれども動使はあわてて後を追った。青年の腰に取り付く。両手で力いっぱいにしがみつくと、「げっ!?」と青年は声を上げた。
「ちょっ、何すんだよ! 離せよ!!」
「離さないっ! 今のなにっ!? きみは誰っ!?」
「つーかお前こそなんでいきなり出てくんだよ!? 何者だよ!?」
「ぼくは動使クシナダ!!」
言った瞬間、相手の動きが、ぴたり、と止まった。
「動、使?」
「うん」
はじめて抵抗をやめて、動使のほうを見る。つぶらな眼は緑色をしていた。彼は困惑の表情で動使を見る。
「きみ、誰?」
彼の腰にしがみついたまま、動使は問いかける。彼はしばし、困惑の表情で動使を見下ろしていた。やがて、しばらくすると、あきらめたように体から力を抜いた。
「……おいらは遊公男ジャック」
「男、ジャック?」
動使の眼に、戸惑いの色がよぎった。
その名。その顔。
……知って、いる?
しつこくしがみつき続ける動使に、どうやら彼、男ジャックは抵抗をあきらめたらしい。はあ、とため息をついて頭をガリガリと掻いた。
「お前、どっから来た?」
「え? ……えーと……」
動使は下を見下ろす。
『天森京』は木々に覆われている。というよりも、林立する木々の集合体こそが『天森京』だ。樹冠を突き抜けてしまえば、もう、自分がどこから来たのかも分からない。眼下に広がるのは、ただ、広大な森であるというだけ。
「わからなくなっちゃった……」
途方にくれたようにつぶやく。
はああ、と男ジャックはため息をつき、額を押さえた。
「なんだよ、迷子かよ…… しかも、よりにもよって……」
「え?」
「なんでもねぇ」
とにかく降りっぞ、と言って、男ジャックは腰から動使をぺりっと引っぺがす。
「あんまりずっと上にいっと、警備隊に見つかっちまう」
彼が言ったとおり、まもなく、下から何かがわらわらと飛んでくる。おそらく天森京の警備隊が、異変に気づいて駆けつけたのだろう。何かを聞かれるとたしかにまずい。あわてる動使がひょいと捕まえられた。男ジャックは彼女を小脇に抱える。
「いくぞ!」
「え? ひえ、うわぁぁぁ!!」
そのまま、翼をつぼめ、まっしぐらに下へと落ちていく―――
ひぇぇぇぇ、という動使の情けない叫びだけが、そこに、残った。
町がおかしい、ということは道に出てすぐに分かった。
遠く、爆音が響く。喧騒、悲鳴、そして、混乱。あちこちで車が止まり、道は完全にふさがれてしまっていた。そして、その道の上を横切って歩いていく、巨体の悪魔―――
「聖フック!!」
とっさに、一本釣は、竿を振り上げた。
空を切った金色の釣り針が、悪魔の襟首を引っ掛ける。そのリールは狙いをたがわず近くの木の枝を通過していた。肩越しにぐい、と竿を引くと、ぐるぐる巻きになった悪魔の体が、見事に枝の上に吊り上げられる。
まるで竜とトラクターをあわせたようないかつい容姿。土木作業などに従事していたのだろうと一目で分かるその魁偉な巨体。だが、その悪魔には悪意は無いらしい。おうおう、という大きな叫び声のなかに、何かを聞き取って、油断無く竿を引いたまま、一本釣は思わず眉を寄せた。
「……哀しい?」
ピーターは、道でしゃがみこんで、震えているお守りに駆け寄る。小柄な彼は頭を抑え、道路の真ん中に座り込んでいた。このままだと車に轢かれてしまう。なんとか立ち上がらせて道端に移動させなければ。けれども、そんなピーターの手は、逆に相手からすがり返された。
「哀しいよう…… さみしいよう……」
「え、ええ?」
「ひとりは嫌だよう…… こわいよう……」
目からぼろぼろと涙が零れ落ちている。ピーターは一本釣と目を見合わせる。ここにいたって異変の真相に気付く。―――哀しがっている。
あたりに集まった天使、悪魔、お守りがみんな、慟哭しているのだ。
悲しみのあまり暴れまわるものもいる。泣き出して動けなくなるものもいる。近くの建物からふらふらとさまよい出てくる人影は、寝巻きを身に着けているものも多かった。ただ全員が共通していること。誰もが顔をおおい、声を上げながら、涙を流し続けている。
「どうなってるの……?」
ピーターは、呆然と呟いた。
「たぶん、さっき感じた力のせいぜよ」
上手い具合に工夫をして、悪魔を吊り上げたまま、聖フックだけを回収する。そのややこしい作業を終えて戻ってきた一本釣は、苦々しい顔をして、頭上を見上げた。
「さっきのって、動使が出て行った?」
「おう」
枝葉に隠されて、頭上は見えない。けれども、そこで『発動した』力は、たしかに感じた。
辺りを見回す。この区画は、すくなくとも、大混乱に見舞われている。
この町全体がこの様子だったとしたら、とんでもないことになる。どんな事故や騒ぎが起こらないともわからない。なんとかして収めなければならない。―――どうやって?
「助けて、助けて、助けて……」
ピーターにすがりついたお守りは、涙をとめどなく流しながら、訴え続けている。その哀切な泣き声には、困惑と同時に、胸をかきむしられるような痛みを感じた。同情だろうか。けれども、理由もわからない『哀しみ』など、どうやって癒すことが出来るだろう? ピーターはとにかくその小柄なお守りを抱きしめる。まだ子どもであるピーターの幼い腕では、なんとかしてお守りを抱きしめるのが精一杯だ。
「おちついて、おちついて。どうしたの。哀しいことなんて何にも無いよ……」
けれども、その声は激しい慟哭にさえぎられる。おうおうと声を上げて泣いている。誰もがそうだった。何も手に付かず、何もできない。ただ、皆が泣き続けている。あきらかに異常な事態だった。
このままでは町が大混乱に陥ってしまう。ピーターは一本釣を見る。けれども一本釣は困惑の顔であたりを見回すことしかできない。リールで縛り上げて動きをとめることはできても、それ以上のことなど彼の手には余る。
「くそっ、どうなってるぜよ!?」
思わず頭をかきむしったとき……
ふいに、ピーターの腕の中のお守りが、ふっ、と顔を上げた。
「あ……」
目が、何かを求めてか、宙をさまよった。
ピーターも釣られて目を上げる。けれども、何も見えない。一本釣は辺りを見回した。彼が気付いたのは、あたりの人々が、いっせいに顔を上げたということだった。
それぞれが泣き、嘆き、慟哭していた人々が、静まった。
ざあっ、と風が吹いた。
いや、違う。木々がざわめいたのだ。
風に乗って、何かのかけらが耳に届く。途切れ途切れの、旋律のかけらが。
それは哀切なリュートの音。
ピーターが恐る恐る腕を放すと、お守りはがくりと地に膝を突いた。目からはとめどなく涙が流れ続けている。けれども、その涙はすでに悲しみのものではない。その目が閉じられる。何かを聞いているのだ。
リュートの音は、静やかに、密やかに、奏でられる。
その音に気をとられていた一本釣は…… 振り返り、はっ、と息を呑んだ。
ころり、と小さな星の氷が、地面に転がった。
「……ピーター」
「っ!?」
ピーターは驚いたように自分の頬に触れ、それから、きっと奥歯をかみ締めると、拳で顔をぬぐった。表情には決意の色がある。腰の短剣を握り締め、叫ぶ。
「音の源を、探そう!」
「ま、待たんか、ピーター!」
言うなり走り出す。その後を追って、一本釣もあわてて駆け出した。二人の目指す先はひとつ。……高い、ひとつの塔。
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