/れんげ節 
 
*一部、残酷な表現を含みます




 わたしがこの膚の上に鉄をまとうようになったのは、まだ竹千代様がものごころつくよりも前のことだった。

 わたしの膚はかつて、太陽に焦がされて濃い色に焼けていた。あるいは土によごれて、戦場の汗にまみれて。あれが日ノ本一の槍取りよ、戦国最強の武士よ、と謳われることに酔ったわたしの傲慢を御仏が見放したのか、この膚に鉛色の病兆があらわれたのが、いまから十数年も前のとき。
 本多家は父祖の代からの徳川家の譜代だった。わたしも徳川に使えて槍をふるい、生涯を竹千代様のお傍につかえて生きるつもりだった。だから、己の病を知ったときには、それこそ目の前が闇に閉ざされたような気がした。竹千代様はまだ幼かった。だのに、ご母堂のお大の方様は竹千代様を手放し、今川への人質として出さねばならぬという。小国の三河ゆえに仕方のないことだった。竹千代をたのみます、とお大様がわたしのまえに頭を垂れたとき、頷く以外にどんな答えがわたしにあったろう。わたしはこの身に通った骨の髄から、徳川家の臣であったから。
 
 けれどこれも、言い訳なのかもしれない。わたしは、この槍を棄てたくなかっただけなのやもしれない。己の病を認め、竹の杖を突いて路頭に彷徨い、人の慈悲にすがって暮らす生き様など認めたくなかった。わたしは御仏にすがった。あるいは光明子に祈った。どちらもせん無いことだった。わたしの病はおそく進んだ。青白い病兆が膚を這い進み、膿みを持ったできもので舌がただれた。頼った医者の腕がよくなかったのか、わたしが声をうしなったのは、この頃のことだったろうと記憶している。


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 竹千代さまはまことに健やかな、誰からも愛される賢いお子だった。泣きながらわびるお大様に、いってきますかあさま、と笑顔で答え、歯を食いしばって涙の一つも見せることのない御子だった。まだ、あのころの竹千代様は、ごくいとけない幼子だったというのに。竹千代様は強い御子よ、末は三河の金時よ、と皆が評していたことをわたしは知っている。その健気さを思うと胸が痛んだ。竹千代様は、人の上に立つものは、けっして弱くてはいけないのだということを生まれながらに知っていた。知っていることと、そのように振舞うことは違う。こらえきれない涙をかみ殺すときには、このわたしの背中に隠れ、膝を抱えて嗚咽する竹千代様を知っていたからこそ、そう思うのだ。あの頃から竹千代様は、わたしひとりに弱さを見せることを決めていたように思う。これは傲慢ではない。むしろ懺悔と思って欲しい。竹千代様は、わたしにしか、頼らなかった。鋼鉄の中に病の身を押し込め、声もなく、けっして他の誰にも秘密を明かすことがないだろうわたしにしか、涙を見せようとはしなかったのだ。


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 今川を没落してより後また、西へ、東へ。
 まだわらべの面影を残したまま、竹千代様は『家康』と名を改めて、相も変らぬ流浪の日々を送った。竹千代様は変わらず、よく笑い、快活だった。わたしに対してもそうだった。おまえはワシの誇りよと、この身の上を親しげに、また、尊敬を込めて呼んでくれた。身の丈にあまる槍を持ち、声を張り上げて戦場に赴いた。しょせんは小国三河の国主よ、本多忠勝なくては何ひとつできぬ小童よ、と侮られながら、それでも竹千代様は変わらなかった。己を侮る相手に向かって笑った。己をあざわらうものに対して親しげに話しかけた。そのうちにいくらか友も出来た。竹千代様は何よりも友を大切にした。この戦国の世では、たとえ親しい友といえども、いつ、お互いの首級を奪い合う相手となるかもわからぬ。それゆえにただ一瞬、このひと時ごとにお互いの精一杯を持って友誼を結ぶことより他、無い。水の上にうかぶ木っ端のごとく、今日明日も知れぬ流浪の身の上を続けているが故に、竹千代様はそのような思いを抱くようになったのやも知れぬ。


 やがて時はすぎた。いちどは織田弾正が天下を平らげた。それも滅び、再び日ノ本は麻のごとく乱れた。わたしも竹千代様も槍を取り戦ったが、時宜に恵まれなかったゆえか、あるいは寡兵の悲しさか、どうにか三河の国を守りおおせることすら叶わなかった。田畑は荒らされ、民は餓えた。あのころ、破竹の勢いで兵を進めていた豊臣殿は、まことに苛烈な、己も他人も許すということを知らぬ方だった。竹千代様はある日わたしを呼び、言った。「三河は豊臣に下る。ワシは、人質として聚楽第へ赴く」 竹千代様はそのころにはずいぶんと背も伸び、ようよう一国の主らしい風格を身に付けようとしていた。だが、宿命の風向きは、いっかな変わろうとはしなかった。竹千代様はお大様の膝より引き離されたあの頃と同じように、またしても虜囚の辱めを受け、その身を持って三河の国を守るほかなかったのだ。
 


 三河の武士たち、民草どもは皆、竹千代様をよく慕った。健気なものどもよ、ワシは皆に頭があがらぬ、と竹千代様は冗談めかしてよく言っていた。本心からの言葉だったのだろう。だから竹千代様はあんなにも慕われた。愛された。心から己の幸せを祈ってくれるものを嫌うものは、この世には、いない。わたしも同じだった。竹千代様はわたしの身の上をいつも案じてくれた。忠勝、忠勝、とことあるごとにわたしを呼んでは、あれやれこれや、楽しいこと、嬉しいこと、面白かったこと、何もかもを、幸せそうに話してくれた。竹千代様がそうやって人前でわたしのことを親しげに呼ぶたび、他の皆もわたしに対して親しんでくれた。声のない、鉄のなかに業病を隠したこのわたしに。ことあるごとに竹千代様がわたしを重用してくれたのには、そういった理由があった。所詮は本多忠勝がいなければ、と侮られる原因となってもいたはずだ。それでも、わたしは嬉しかった。この身に病を見つけたとき、真っ暗に目の前をふさいだはずのあの闇は、いつの間にやら消えうせていた。次第に病は身を蝕み、鉄の下で総身が、忌まわしく白くなった。鉛色にむくんだ顔のなかで、ただ歯だけが天然の白さのままで残っていた。それでもわたしは恐ろしくはなかった。おそろしくはなかったが、いつか病がこの手足を腐り落とさせ、戦場に立つことができぬようになるのではないか、ということだけが気がかりだった。わたしに戦働きが出来ぬようになったら、誰が竹千代様のことを守る。戦場においては矢玉や鉄砲から、人々のあいだにあっては侮りと嘲笑から、わたしのほか誰が、竹千代様を守ってくれる。


 わたしは御仏に祈るほか、無かった。




 わたしのほかに誰か、誰でもいい、健やかな体と心を持った臣を、竹千代様に遣わして欲しい。臣でなくともいい。妻でも、友でもいい。嗚、西国の鬼は、気持ちの良い男であった。御仏よ、どうかあの男と竹千代様のあいだに、ふたたび縁を結んでは下さらぬだろうか。わたしはいつの間にか、己のために御仏に祈ることを、しなくなっていた。この身に斜めにかけた大数珠は、竹千代様に御仏の守護があるようにと、願うためのものだった。

 御仏よ。大千世界に遍く慈悲の光持つ釈迦無二よ。太平の世を、この日ノ本へ。天下は要らぬ。無双の名も要らぬ。いっそこの身の健やかさすらもいらぬ。わたしなど、死んでも良い。骨まで腐れて死んでも良い。この日ノ本に、平穏な世さえあれば良い。

 せめていとしい竹千代様が、自由に息の出来る世を、どうか、どうか。









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