/れんげ節 弐
「忠勝、佐吉のやつがな!」
あるとき、用向きがあると聚楽第へと赴いた竹千代様は、帰ってくるなり、わたしに向かって憤然と訴えかけてきた。
「ワシのことを、ちび、と言ったのだ!」
あれはたぶん凪の日々。
三河が豊臣の軍門にくだり、竹千代様が陪臣とは名ばかりの人質の身の上にあった頃のことだと思う。
「たしかになワシの背丈は小さいぞ、だがどう見ても佐吉よりも目方は重たいではないか。これからワシは背丈が伸びるんじゃ。それをなんだ!? やっと敬語が抜けたと思ったらいきなりソレか!? 人が下手に出てやってると思ったら付け上がりよってあの銀もやし!」
立て板に水でわたしに向かって文句をぶちまける竹千代様は、残念ながら佐吉殿の言うとおり、とてもとても【ちいさく】見えた。わたしがそう訴えると、「なんで忠勝、おまえまで」と竹千代様はがっくりと肩を落とす。わたしは笑ってしまう。周りの人間にはぎりぎりと鉄が音を立てたようにしか見えなかったかもしれないけれど、竹千代様はさらに深く肩を落とした。
佐吉、と竹千代様があのころ呼んでいたのは、当時は石田佐吉と名を名乗っていた秀吉公の小姓のことだった。年のころはちょうど竹千代様とおなじくらい、しかし今だ元服を許されず、通称のままで佐吉、佐吉と周りからは呼ばれていた。詳しい出自はわからないが、後ろ盾になるような家名がないということだけは間違いなく、同時に、何らかの問題となるようなしがらみが無いという意味で、あらゆる意味で竹千代様の対極にいるかのような若者だったと思う。
秀吉公と、その腹心である竹中半兵衛殿。その二人をまるで二親のように慕い、後には有能な能吏となるべく勉学を欠かさぬ佐吉殿のことを、当時の竹千代様はあれこれとずいぶん気にかけていたように思う。その理由を一度聞いた所、「あやつには友がおらぬのだ」と竹千代様は怒ったように答えた。
「大谷刑部は佐吉のことを兄のように可愛がっている。だがな忠勝、それがよくないのだ。佐吉は引っ込み思案で不器用なくせに短気でな、しかも人付き合いがないせいであの偏屈が治る気配がちっとも見えん。悪循環ではないか。秀吉公も半兵衛殿も佐吉のことを甘やかしてばかりで、あれでは何時までたっても佐吉の人嫌いが治らぬではないか!」
……後に考えてみると、あのころの竹千代様は、豊臣方での日々の暮らしに、家族のぬくもりのようなものを求めていたのだと思う。
何よりも武を重んじ、弱きものは滅びるのみ、と公言してはばからぬ方だった秀吉公は、しかし、一度懐に入ってみると不思議なほどに矛盾の多い人間であるようにも思えた。秀吉公の無二の人であった半兵衛殿は今孔明の別名を取るほどの軍師であったが、同時に折節病で床に伏すことも珍しくはない蒲柳の性質でもあった。召抱えの大谷刑部吉継は業病で忌み嫌われ、そして、傍に置いてはわが子のように目にかけていた佐吉殿は有能な若武者と呼ぶにはやや躊躇いのある癇の強い性質の孤児であった。外に向かってはただ武と覇のみをを唱えながらも、己の身のうちに大切に召抱えるものはどこかしら弱く欠けたものばかり。豊臣方の武将たちに言わせればそれぞ秀吉公の魅力だったのだろう。違う意見を持っていたのは、おそらく外様のわたしくらいのものだったはずだ。
兎も角も、覇王秀吉の軍門は、内側に入ってみれば不思議と、どこかぬくぬくと馴れ合うような空気を持ち合わせた場所であった。血の通った一族であるからそうなのではなく、吹き寄せられたように集まったものたちばかりで【そう】だったのだから、竹千代様もひそかに何かを心に期待していたのやもしれぬ。どちらにしろ竹千代様は、あの頃、おそらくは今までの十数年の人生の中で最も、かぞく、というものの傍へと寄ることが許されていたのだ。
「ともかくなあ、ワシのほうが佐吉よりも格上じゃ! 年は下でもワシはもう大人だし、箱入り娘のようにかわいがられてるだけの佐吉と違って世間というものに揉まれておってな、だからなあ忠勝」
「だから、何といって本多忠勝に泣きつくつもりだ? チビの竹千代」
わたしに向かってぎゃんぎゃん吼えるのに忙しく、おそらく気付いていなかったのだろう。
ぎょっとして振りかえると、そこには当の佐吉殿が不機嫌そのもの顔で立っている。銀ねずの小袖に鶯色の腰紐を合わせた趣味の良いしつらえは、おそらくは半兵衛殿の趣味か。佐吉殿が手に持っていた文箱を投げつけると、ぎゃっと言って竹千代様はわたしの足の後ろに隠れる。があん、と小気味のいい音がする。
「何故避けた竹千代!」
「あたると痛いではないか佐吉のばか! それにワシは竹千代ではなく家康じゃ!」
「貴様のような小童など竹千代で充分よ。だいたい三河の鶏頭のごときが偉そうな名を名乗りおって、分不相応だとは思わんのかこの豆狸め」
「チビではないわ! 佐吉の銀もやし!」
「誰が銀もやしだ竹千代!」
「竹千代違うと言うておろうが!」
「ふん。何が違うというのだ。何度でも読んでやるわ竹千代め、竹千代竹千代竹千代チビの竹千代!」
―――まごうことなき、子どものけんか。
わたしはため息をついて(機械音に聞こえたと思う)、膝をかがめて(佐吉殿がぎょっとして一歩あとずさった)、投げつけられた文箱を拾った(二本の指でつまむくらいのサイズしかなかった)。
「すまん忠勝…… ん、これは黒田殿からの書状か。そうだよな、半兵衛殿の書かれた文を佐吉が投げるわけがないものなぁ」
わかった、すぐに返事をしたためよう、と竹千代様はうなずいた。あまりにきっぱりとした切り替えの早さに、佐吉殿は胡乱なものを見るような目を向けていた。そういえば佐吉殿はわたしを見るときもいつも怪しいモノでも見るような目をする。片足が一歩退いたままの佐吉殿は、「良い足袋だなぁ」としみじみと竹千代様がつぶやいた声を聞いた瞬間、パッと赤くなって足を引っ込めた。
「何を見ている、馬鹿!」
「いやさ、それ、半兵衛どのの見立てか? いつも佐吉はこぎれいな格好をしておるよなあ。ワシとは大違いだ」
「……ふん。私は、秀吉様の傍小姓だ。傍仕えがみすぼらしい身なりをしていたら、秀吉様の格が下に見られると半兵衛様は仰せだ」
「なるほどなぁ」
そういった言い方をするのなら、聚楽第そのものが秀吉公の示した一種の考えの表れだともいえよう。そもそもは武張ったことを好み、大阪城という堅固な城塁を持ち合わせながらも、それとはまた別に絢爛豪華な居城として作り上げた座所があの聚楽第だ。かつて天下人と言われた織田弾正が安土城に天守を気付いて己の威光を示したのと同様、秀吉公は目もくらむような大名茶を立てさせるための聚楽第を持って、己の覇を天下に示した。あでやかな身なりの傍小姓に茶を点てさせ、客人に供するのもまたそういった手腕のひとつか。
「それとな」
佐吉殿は何か、ものすごく怒ったような顔をして、付け加える。
「これを選んだのは半兵衛様ではなく、私だ」
はっ? と竹千代様がもらす間の抜けた声。
「……二度と勘違いをするな。次に間違えたら、茶杓で目玉をえぐりだしてやる!」
白い顔を真っ赤にしてそう怒鳴りつけるなり、踵を返してものすごい勢いで走り去る。佐吉殿は羽のように細くて軽い体をしているせいか、身なりの軽さもまた無二だ。見送る時間もありはしない。唖然、呆然としてしばし佇んでいた竹千代様は、やがて困ったようにわたしの方を見上げる。眉が八の字にさがっていた。
「なあ、忠勝。あいつが何処に怒ってたのか、ワシ、いまいちよく分からねぇ……」
わたしは、曖昧に唸ることで答えておいた。鉄がきしんだように聞こえるはずだ。このような答え方をしておけば、竹千代様にだって、なんと言ったか分かるまい。
竹千代様に、家族ができる。
臣下でも民でもなく、家族、が。
そんな想像は、すくなからず竹千代様を戸惑わせたはずだ。竹千代様にとって、ご母堂の水野さまをはじめとして、血の繋がった一族すべては『守るべき相手』に他ならなかった。徳川を継いで以後の竹千代様にとっては臣のすべて、民草のすべてもまた同じ。そして、竹千代様の腕はまだ短く、すべてを守りきることなど不可能なことだった。誰かによりかかり心を許し、家族の絆という生ぬるいものに許されてまどろむ機会など、竹千代様には一度とて与えられたことが無かったのだ。
「なぁ忠勝、」
いつだったか、夕暮れの帰り道。竹千代様がつぶやいた言葉を、わたしはおぼえている。
「ワシの父君は、どういった方だったっけか」
「……」
大殿が亡くなったのは、竹千代様がまだ今川へ居た折。幼い頃に人質へ出され、満足に言葉を交わすこともなく彼岸と此岸に隔てられた御仲では、確かに満足に顔も憶えてはおられまい。
「ワシにとって、父君と呼べる方は、どなたかのう……」
あるく私の肩口で、竹千代様の足が揺れていた。昔はもっと軽かった、とわたしは思う。竹千代様は日々大きくなって行かれる。やや短躯ながら骨太で、がっしりと逞しい体つき。その姿は記憶の中に残っていた大殿の面影と、ほんの一瞬だけ重なり合い、消える。
「母君にも、もう何年会うておらぬことか」
竹千代様の無防備なつぶやきよりも、その言葉の中身がわたしの胸のどこかをえぐった。そんなことを考えては、いけない。そのようにして戻らなくなったものに繋がる糸をたぐっていけば、竹千代様は、過去に絞め殺されてしまう。
「……」
「ん? お前か? 忠勝はそうだな…… やっぱ、忠勝だな。ワシにとっては無二の存在よ。付ける名前は他にいらねぇ」
竹千代様は笑い、私の頭を軽く叩いた。夕日に照らされて、鉄の向こうからぬくもりが伝わる。
「ま、考えても仕方がねぇか。ワシはワシ、他所は他所。なにも、家族と縁が無いのがワシひとりってわけでもないしな。佐吉だってよく考えればそうだ。秀吉公に会うより前は、ひとりぼっちだったって聞いている」
竹千代様はつぶやいた。数珠を繰るようなひとりごとは、自分に言い聞かせているようだった。胸が痛んだ。
「ワシだけじゃないさ。こんな時代だもんな、みんな辛い。……みんな、どっかしら、辛い目にあってんだ」
飴玉のような目をくるりと返して、「なあ、忠勝?」と笑いかけてくる。その横顔が夕日に照らされる。屈託のない明るさは、間違いなく、わたしの知っている竹千代様だった。水野さまのお膝を離れたときから変わらぬ、わたしの、この世界でたったひとりの、大切な主の顔だった。
皆が辛いからといって、己の辛さがやわらげられるなどということは、決して、無い。
そんな簡単なことすら、竹千代様に伝えるのはむつかしかった。いつであってもそうだった。竹千代様は己の身の上を怨んで嘆く不毛を免れている代わりに、人を怨むこともできぬ方だった。是非もなく私は己の弱さを呪っては御仏にすがり、竹千代様への加護を願っては御仏に祈った。念仏を誦する声すらない身が恨めしかった。祈るほかない無力を思うと、身が細るほどに胸苦しかった。
わたしがこの鉄の鎧に閉じ込められ、声も亡くして業病に喘ごうとも、誰も怨まず、羨まずにいることが出来るのは、竹千代様のおかげだ。竹千代様はわたしの片手に乗ってしまうほどに小さかった頃から、わたしのこの重い体躯を、病も宿業も何もかもを、確かに背負ってくれていたのだった。わたしが失ったものはあまりに多い。常人らしい幸福、家族との絆や子孫との縁、人間らしい姿形や、人に思いを伝える術。けれどわたしはそれらの全てを、もはや怨もうとは思わない。何もかもを引き換えにしたから、この、肩の上に載ることが出来るような、小さな主君を守ることが出来るのだ。今でもわたしは痛んでいる。ただ、それに耐えてあまりあるほどものたちを、竹千代様からもらっているというだけのことだ。
そのことを恐らく、竹千代様は知らない。竹千代様がわたしに向ける感情は、ただただ深い親愛、そして尊敬と信頼だけだ。本多忠勝がいるから己がいるのではなく、己がいるから本多忠勝が在ることが出来るのだということを竹千代様は知らない。理解しない。それは、竹千代様には誰も居ないからだった。与える相手はいても、与えてくれる相手は居ない。誰かに与えられることで己が生かされるということの深い感謝と、甘い喜びを、竹千代様は知らないのだった。
「佐吉だって、」とつぶやきかけて、竹千代様は口をつぐんだ。斜めから差し込む夕日が、日焼けして引き締まった肌を、飴色をした丸い眼を、金色に照らし出していた。見たことも無い顔だった。わたしは確かにふと、期待を抱いた。
竹千代様に、家族が、できる。
竹千代様が、佐吉殿のように受け入れられ、血の繋がらぬ相手と絆を結ぶ。生ぬるく甘えた関係の中で、お互いにもたれかかりあうようにして休める場所ができる。あわい夢だった。にもかかわらず、思うだけで鉄の肌の内側でじんわりと甘く胸が痛んだ。夢を見るだけならいい、とわたしはひそかに思った。そして竹千代様もまた、同じように夢を見ればいい、とすら、願った。
―――嗚、御仏よ。
思い返せば、なんと愚かだったことだろう。
わたしはあの時にいたっても、所詮は無骨な猪武者に過ぎなかった。
肩に背負える己の主の器すら、測りかねる程度の人間だったのだ。
あのような夢など見なければ。
見ないでいることが、出来たなら。
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