/れんげ節 参




 竹千代様が槍を棄てたのは、佐吉殿が、遅い元服を迎えられたのと、調度同じ折だった。
 
 はじめ、竹千代様の鍛錬は、秀吉公の戦いをただ見ることから始まった。片手にはまだ槍を携えていたが、すでにその槍を振るう意思はそこには無い。竹千代様は秀吉公が戦に赴くときには必ずやその背に続き、日々の鍛錬の折にも出来うる限りその傍に控えようとした。竹千代様の目はただ、秀吉公の所作の一挙一足を焼き付けようとしていた。そしてその日の終わりには、必ずや、秀吉公の拳の形を真似て、巻き藁の代わりに砂嚢に向かう、竹千代様の姿があった。
 はじめ、竹千代様の試みは、無駄に手や腕を傷つけるだけの結果に終わった。秀吉公は紛れも無く優れた武人であったが、しかし、体格の違う竹千代様が真似たところで、まともに技が身につくはずもない。打ち方を間違えれば手首をくじいた。まともに入っても指の骨や関節を傷めた。たまらずわたしは、拳に布を巻き、詰め物をした布手甲を身に付けることを進言した。竹千代様は拳に固く布を巻き、布を重ねた手甲を重ねた。あっというまにどちらも血まみれになった。皮膚が裂けた拳を井戸の水で洗いながら、竹千代様は、いたいな、と言って笑っていた。
 甲冑組み手の師範に会いに行ったこともある。当世具足を身に付けたままで相手をねじり倒すための武術だったが、竹千代様の話を聞いた師範は、無理だ、とすぐさま口にした。体が小さく、それに比して手足も短い竹千代様では、そもそも素手で戦おうとすること自体が無謀だという。膂力に優れ、体重に恵まれているのだから、より重い武器を扱うことを考えたらどうか。そう言われた竹千代様は、けれど、がんとして首を縦には振らなかった。あきらめて最後には師範代は竹千代様に甲冑組み手を伝授することを認めてくれた。押しの一手はワシの得意よと、やはり竹千代様は言って笑った。
 まずは、土嚢に藁を巻いたものだった。次にはそれが、むき出しのままの砂嚢に変わった。やがて重い砂嚢に胴丸を着せたものがそれに変わった。突き、殴り、払う。同じ単調な動きを一日に数百も数千も繰り返す。鉄片をつづり合わせた鎧がしまいにはぼろぼろになった。朽ちた鎧が道場の隅に積み上げられた。しまいには、動きの自由を得るためか、竹千代様は鉄の腹巻を身に付けることをやめてしまった。背が伸びるにしたがって、まだまろみを残していた子どもらしい体つきが、逞しく鍛え抜かれた強靭なものに代わる。動きやすい胴着の向こうに見える肌は、いつのまにか厳しく引き締まった大人のものになり、陽に褐色に焼けていた。


 
「貴様ごときが秀吉様をまねるつもりか?」
「真似ているつもりは無いがなあ」
「いいや、私には分かる。それは猿真似だ。生意気なやつめ。家康の分際で、秀吉様に比肩しようとは」
 だいたい貴様のようなちびが、と、今は三成と名を改めた佐吉殿は、そう言って眉間に皺を寄せる。
「素手で戦場に立つだと? 無謀にも程があるだろう。どうせ無理だ。すぐやめろ」
「うん、すまんな三成、心配をかけて」
「何故そうなる!? 誰が貴様の心配などをした!!」
 かつて、そのすっきりとして美しい小姓ぶりで知られていた佐吉殿は、元服をして名を改めると、見るも美々しい若武者へと姿を変えた。幼さと身なりが作り出していた少女めいた面影を脱ぎ捨てると、佐吉殿、いや石田三成は、研いだように鋭利な美貌を持った白皙の若者となった。才走った繊細さが神経質にも見えるその容貌は、どこかしら、半兵衛殿にも似ていた。石田三成は、折節道場を尋ねては、竹千代様の様子を見に来た。砂嚢に拳を打ち付ける音だけが単調に響いているだけの道場で、石田三成は黙って、腕を組んだまま壁にもたれかかっていた。竹千代様は黙って砂嚢を叩き続けるだけだった。会話などはない。石田三成の姿を道場に見るときの竹千代様は、いつも、苦しそうな顔をしていた。おそらく石田三成は、そのことに気付いてもいなかったろう。

「家康。貴様、半兵衛様に差し上げる書状に、祐筆を使っただろう」
「ああ、まぁな。一度は自分で書いてもみたのだが、どうにも字が見苦しくってなあ」
「花押は確かに見苦しかったな」
「あれはさすがにワシが捺さないといけないからな」
「……いつから、だ?」
 ああ、これは、何時の会話か。
 石田三成は眉間にきつく皺を寄せ、竹千代様を睨みつけた。綺羅のような、金色の目だった。黒田殿に二つ心ありと秀吉公に進言し、幽閉の憂き目へとおいやったのはこの頃だったか。凶王、との二つ名を得る元となったその金色の目にも、しかし、竹千代様が恐れを抱いたことは一度も無い。
「いつからって、何が」
「貴様の字は知っている。田舎者の分際で、字形だけは悪くなかった」
「あれはな、今川にいたころに、義元殿に教え込まれたものでなあ。当時は手習いなどをよくやらされた。筆写で和歌集などを写したりもしたなあ……」
 だん、と大きな音がした。
 驚いた竹千代様が振りかえると、壁を蹴って歩き出した石田三成が、すぐ傍にまで迫ってきたところだった。強引に竹千代様の手首を掴むと、血のしみがついた手甲を、包帯を、拳からむしりとった。痛い、と竹千代様がつぶやいた。
「なんだ、この手は」
 石田三成の声は、かすかに震えていた。怒りなのか、それとも別の気持ちなのかは、本人にだってわかるまい。
「このふざけた傷は、なんだ!」
 竹千代様は、困った顔で、笑っていた。
 その頃はもう、利き手の指の何本かは、二度とは満足に動かぬようになっていた。
「見よう見真似はよくなかったな。それはもう治ってるし、さすがに拳の作り方も憶えたからよ、新しい傷はもうないさ」
「そういう問題ではないだろう。一生の問題だ! 貴様、こんな薄汚い拳を一生ぶら下げて生きるつもりか!」
「薄汚いって…… いくらなんでもひどいだろ、三成」
 石田三成は、どうしようもなく不器用な男だった。思ったことをまともな言葉にすることができない人間だった。竹千代様はそのことをよく知っていた。だから、言われた言葉の意味を分かっていたのだろう。光成に痛いほど手首を握り締められても、困ったように笑うだけだった。
 拳の作り方を間違えてものを殴れば、指の骨が砕けることもある。竹千代様はまだ成長期だった。二度、三度と同じ故障を繰り返せば、骨が固まって元通りにならなくなる。いつの間にか竹千代様は、昔のように滑らかな字を書くことができなくなっていた。いびつに歪んだ硬い拳が、竹千代様が身に付けた戦い方の、代償だった。
「なぜ、槍を持たない」
「どうも、性に合わないと思ったんだよ」
「そのような莫迦な話があるか」
「本当だから仕方が無いだろう。それに、今じゃまともな槍振る舞いもできんよ。前に一回試してみたが、この手じゃ満足に揮うことが出来なんでな」
 嘘だった。一度身に付けた槍術の腕は、まったく衰えてなど居ない。わたしが教えたのだ。それくらいは知っている。
「貴様は莫迦だ。単細胞だ。どうせ、頭の中にまで筋肉が詰まっているんだろう、莫迦の家康が!」
「あーあーあー、もう、落ち着けよー、三成。もう大人なんだから、地団太なんて踏むものじゃないぞー」
 困った顔でわたしの方を見て、「助けてくれんか、忠勝」と言う。道場の奥に控えていたわたしは、その言葉でうっそりと立ち上がる。三成はぎょっとした顔でわたしをみる。あの男はいつまでもわたしに慣れなかった。分厚い鉄で出来た鎧の奥に、何があるのかを理解しかねているような部分があった。
「たしか、れんげ草が咲いているところがあったよな、忠勝」
「……」
「うん、まぁ大丈夫だろ。お前の足は馬より速えからな」
「……」
「ありがとう、それじゃあ三成も頼んでいいか? こいつだったら軽いから、そんなに負担にもならねえだろ」
「……!」
 ぎりぎりと鉄の軋むようなわたしの声を、三成は理解しなかった。やや怯えを含んだ目が、裏腹の勝気さでわたしを睨んでいた。竹千代様が、能天気な調子でいう。
「なんだか変な空気になっちまったし、今日はこのあたりで切り上げることにした」
 それで三成、と竹千代様が言う。
「このあたりを走っていたらよ、きれいなれんげ畑を見つけたんだ。これからちょっと見に行かないか?」


 春。
 斜めに差す夕暮れの金色に、棚田一面にさいたれんげの花。
 みつばちの羽音がものうく耳に聞こえていた。夕暮れ、高台から見下ろす棚田に、牛にゆっくりと鋤を引かせている田も見える。いちめんに花びらを敷いたような桃色の花野を、金の夕日があわい朱鷺色に染めていた。春のあたたかな夕暮れ。遠い空にぽつりと、一番星が光り始めている。
「きれいだろ。それに、風が気持ちが良いんだ、ここは」
「……れんげ草か、あれが」
「なんだ? 見たこと無かったのか?」
 竹千代様はおおきく伸びをする。三成は、戸惑ったような顔でれんげ畑を見下ろしている。まさかれんげを知らぬということはあるまい。ただ、こうやって、野山に座って眺めたことがないだけだ。そうするだけの価値があるものとして、れんげの花を見たことが無かったというだけ。
「きれえだろ」
「……」
「もう仕舞いだから、調度よかった。ほら、あっちのほうはもう、だいぶ田んぼになってるだろ」
 竹千代様が指差す先には、もう田植えを待つばかりの、みずみずしい灰色の泥を見せている田畑がある。
 三成は眉を寄せてそちらを見つめ、それから花盛りの花野を見る。「潰してしまうのか」とちいさくつぶやく。竹千代様は、首をかしげる。
「……これほど見事なものを、花の盛りに、鋤き潰してしまうと?」
 れんげは田の肥しだ。秋の終わりに田畑に撒く。そうして春のころに花ごと土に鋤き込み、その年の米のための肥料にする。
「今年は春の気候がいい。このまま行ってくれたらいいんだがな。そうすりゃ、秋にはここら一面が金色になる…… 三成、どうした?」
 柳眉をきつく寄せていた三成は、ひとこと、「私は、れんげは好かん」と呟く。竹千代様は目をまたたく。
「緑肥を施さねば、収穫が得られぬということは、分かる」
「うん、まあなあ」
「が、ならば何故、ここまで見事な花を咲かせる必要がある」
 怒ったような顔で、三成は言い放つ。
「花なら花、草なら草と、きちんと分ければよいものを…… たんに鋤き潰すだけなのだったら、ただの雑草で構わないではないか!」
 竹千代様の、そのときの、顔。
 三成はただ、夕日に照らされる花野のほうを、睨みつけていた。竹千代様の表情になど気付いてもいなかっただろう。いつもそうだった。いつも。
 ―――石田三成は、そんな男だった。
「そうかあ、三成は、れんげが嫌いか」
 だから、三成が見たのは、のんきな調子でそう声を上げる、竹千代様の姿だけだったはずだ。
「ワシ、大好きなんだがな、れんげ」
「貧乏臭いな」
「うわあ、ひどい。……だがよう三成、田畑のこやしにもなる、子どもが編んでおもちゃにしたり、牛や馬のえさにだってすることができる。そのうえ花がきれえなんてよ、そんな良い花、滅多にないぞ」
 どうしても分からない、という顔を、三成はしていた。竹千代様は笑った。笑いながら、言った。
「ワシはな、もしなれるもんだったら、れんげの花みたいに生きてみたいもんだ」



 『石田三成』の初陣のその夜、竹千代様は、わたしの膝にすがって、声を殺して泣いていた。
「佐吉が、人を殺した」「殺したことを褒められて、喜んだ」と、繰り返し、繰り返し。
 確かに佐吉殿は――― 石田三成は、初陣で戦功をあげた。やはり初陣まもない若武者とはいえ、敵将の首をひとつ挙げた。その戦功を篤く褒められ、珍しくも満面に笑みを浮かべていたのをわたしも見た。混じりけのない純粋な喜びの色はあどけなくすらあり、白い頬を返り血で汚したまま、幼子のように微笑んで―――
「忠勝、忠勝。ワシは、どうしたらいいんだ。ダメなんだ。佐吉の討った首の人が、佐吉自身に見えたんだ……!」
 佐吉殿の討った武将は、年のころなら佐吉殿とも、もっというなら竹千代様とも、さして変わらぬ若者だった。わたしは戦場で、その若者の名を呼ぶ、悲痛な声を聞いた。あれは親兄弟だろうか。それとも竹千代様にとってのわたしのような近臣か、乳兄弟や友の類だったのだろうか。佐吉殿は初陣の血によってその声に気付かず、髻を掴んでその首を絶った。ひゅうっ、ともがり笛のように喉が鳴った。血がほとばしってまだ真新しい具足を染めた。首を切られるその瞬間まで、その若武者は生きていた。そう分かっていたから、喉の鳴る音を聞いたように、勘違いをしただけなのだろうか。
「ワシは、偽善者だ。ばかだ。なんにも、知らないふりをしてたんだ。本当は昔からずっと、ワシが殺したひとたちにも、家族や、友達が、いたんだ。なのにワシは知らないふりで、敵だったらいいんだと、殺してもいいんだと、そう思い込もうと思って、ずっと、ずっと」
 でも、もう無理だ、と竹千代様は言った。
 血を吐くように。
「どうしよう忠勝、ワシには皆が、佐吉に見える! 元親に、半兵衛殿に、刑部に、秀吉公に見える! 元親にも信玄公にも見える! 三河の皆や、ワシの母上にも!」
 人間は、独りでは、生きられない生き物だ。
 誰にでも大切な人がいる。親兄弟や、仲間や、友がいる。わたしにすら、いる。わたしには、竹千代様がいる。わたしに生きる意味を、場所を、目的を与えてくれた、こんなにも愛しい主君が、目の前にいる。
 もし竹千代様を殺せ、と誰かに命じられたなら、私は迷わず、竹千代様ではなく、己の首を斬ることのほうを選ぶだろう。それほど愛しい。それほど、かけがえがない。
「忠勝、おめぇにも、見えたんだ。戦で死んだやつらが。おめぇが、死んじまったみてえに思えて、それでワシは、そう思ってる奴がいるって気付いて、それで忠勝、ワシは、ワシは、」
 佐吉殿は、初陣で首を挙げ、主君に褒められ、幼子のように笑った。
 生きたまま首を斬られ、もがり笛のように啼いて死んでゆく若者の名を、知らぬ誰かが悲鳴のように呼んだ。
 それは、紙一枚を隔てただけの差だ。どちらがどちらになっていても、不思議は無かった。そして、起こったことは、変わらなかった。一人の人が殺し、一人の人が死んだ。喜んだものがいたのと同じくらいに、哀しんだものもいただろう。竹千代様はそのことを泣いた。知る限りの全ての人の名を呼んだ。その誰か一人が死んでも、そこには哀しみと絶望、憎悪と孤絶が生まれる。そして戦のたびに、人はいくらでも死んでいる。百人も千人も死んでいる。そのたびにどこかで起きているだろう、かけがえのない誰かを奪われたものの悲劇。
 声を絞り、血を吐くように竹千代様は泣いた。わたしを見上げた目が、その声が、涙に枯れ、しわがれていた。
「忠勝、ずっと、続くのか。こんなことが」
 赤く泣き腫らした琥珀色の目に、はっきりと、絶望の色。
 まるで己が、無二の友を奪われたかのように。
「……いくさが終わらないと、ずっと、ずっと、皆が、殺されるのか」
 そのように全てを奪われて、これからも、これからも、人が殺し、殺され続けるのか―――



 わたしに、どう、答えることが出来ただろう。
 なぜならわたしには、竹千代様の気持ちが、わからない。

 そして竹千代様は、武器を棄てた。

 あのようにして泣いた日の後も、竹千代様は、戦場に赴いた。そして戦功を上げ続けた。何度も、何度も。
 まるで友を、家族を殺すように思いながら、人を殺し続けた。つらくはないのかとわたしは問うた。つらくてたまらぬと竹千代様は笑った。ワシは偽善者かと竹千代様は問い返した。わたしは違うと強く答えた。竹千代様は首を横に振った。ワシはたしかに偽善者だと竹千代様は言った。
 人を殺すのは辛い。だが、殺されたものはもっと辛い。それでもワシは、哀しむふりをして人を殺す。偽善だ。だが偽善でも悪でも、傲慢でもよい。そしられても仕方がない。ワシには、なさねばならぬことができた。ワシは強くならねばならぬ―――

 ―――乱世を、終わらせるために。






「れんげの花のように、か」
「む…… ワシじゃちょっと、むさくるしすぎるか?」
「……貴様程度なら、これくらいの貧乏草が相応しいのかもしれんな」
「びんぼう草って言うなよー」
 次第に夕日が斜めになり、春の日差しが金色に染まる。
 空はゆるゆると白く暮れ、雲は茜に橙に、また、淡い金色に染め上げられる。夕暮れの空は、水で薄めた藍の色だ。東の空には月もある。今は白々と貝のように白い色が、やがて、あざやかに冴えた光と変わるだろう。
 竹千代様はまだ、三成と話している。ときに笑いが混じる。三成が、しきりに竹千代様の手を気にしているのが分かる。たまらず私は目を閉じる。このような想いなど、抱かなければよかった。竹千代様も三成も、お互いのことを友と、無二の存在と、思わずにいればよかった。こんな風に絆(ほだ)されなどしなければ、あのような思いなど、別れなど、哀しみなど、

 御仏よ。
 御仏よ、御身はいったい、今はいずこへおわすのか。
 全てを救うその掌で、何故、苦しむ衆生を救ってくださらぬのか。

 竹千代様は、秀吉公を討つだろう。秀吉公は絆を知っている。知りながら多数を殺している。竹千代様の望む世は、秀吉公の望む世ではないだろう。たとえ己の手の内に弱く孤独なものたちをかかえ、あたたかな絆を築いていたとしても、秀吉公は決して、他の大勢に対して容赦はすまい。己が愛するものを奪われる哀しみを、絶望を、己の無力を嘆く苦しみを知りながら、秀吉公は、他のすべてを奪い続ける。竹千代様の道と、秀吉公の道は、決して交わることがない。
 そして同時に竹千代様は、いつか、石田三成によって、憎まれるだろう。
 三成は、人を切って、笑うことができる男だ。己が切った相手を人とは思わずにいられる男だ。だから平気で、己の愛するものを奪ったものを、責めることができるだろう。その心の痛みに思いを馳せることなどけしてないだろう。お前が殺した相手にも絆があろうと責められようが、理解もせず、しようともしないだろう男だ。己の愛するものが斬られぬかぎり、掻痒すらもおぼえぬ人間だ。私と同じ種類の人間だ。わたしも、人をどれだけ殺そうが、何も思わない。ましてや己の殺した相手を、まるで竹千代様のように思い、嘆くことなどとうてい出来ない。そしてそのことを、わたしは一つの、祝福であるように感じている。

 名も知らぬ人間の死を心から嘆き、哀しむ。
 そのような人間は、乱世を生きるべきではない。乱世では、人は、あたりまえのように死ぬのだ。嘆いても哀しんでも、日々あたりまえのように死んでゆくものたちを、救うことなどできない。人は、仏ではない。凡愚は御仏のように人を救えぬ。凡愚は救おうとも思わないでよい。それは、御仏のなすべきことなのだから。
 にもかかわらず、御仏は、苦しむ衆生を救っては、下さらぬ。
 わたしの竹千代様は、それゆえに、御仏のごとくになろうとしている。

「なぁ、忠勝」
 黙り、巌のように佇むわたしへと、竹千代様がふりかえる。最後に残った夕日のなごりが、その輪郭を後ろからふちどる。淡い金色に、強い黒髪の際がきらめく。まるで金色の光を背負ったように。
「忠勝はどうだ。忠勝だったられんげの花、好きって言ってくれるだろう?」


 竹千代様。
 わたしのいとしい、竹千代様。
 忠勝は、れんげなど好きませぬ。なぜこのわたしには舌が、声がないのか。声があるならば、言いたいのに。充分だと。竹千代様はこの忠勝を救ってくれた、それで充分だと思ってはくださらぬのかと、百万語を連ねてでも、そう掻き口説いて進ぜたいのに。
 忠勝めは、竹千代様のおかげで、にんげん、でいることができた。たとえこの鎧の中に病の身を封じておらず、ただがらんどうの鉄だけが忠勝めだとしても、竹千代様はやはり、わたしをにんげんにしてくれただろう。あなたがわたしを呼ぶ声が、まなざしが、笑いかけてくれる目が、わたしを、にんげんにしてくれる。竹千代様に許されたから、わたしは、にんげんとして生きている。それだけでは足りませぬのか。あなたはもう、わたしを救っている。人ひとり救うことが出来ずに生涯を終える人間などいくらでもいる。あなたは、それ以上をまだ望まれるのか。己のにんげんを棄ててまで、竹千代様、あなたはうち棄てられ、忘れ去られたものたちを、にんげんに返してやろうと望むのですか。
 わたしは、れんげなど嫌いだ。竹千代様がれんげのように生きたいと望むから、嫌いだ。わたしは石田三成を好かない。だが、三成と同じように思う。土の中に鋤きこまれてしまうなら、最初から、花など咲かさなければよいのだ。さもなくば百合や水仙のように庭に咲き、花の盛りを美しいまま、愛でられるままでいればよいのだ。あなたのように花を咲かせ、なのに誰かのための犠牲となるために生きたいというのは、あまりにも、哀しい。

 そうしてわたしは何かを言おうとする。しかし、この鎧は鉄がこすれるように唸るだけ。三成がふと不安げに、「なんと言っている」と竹千代様にきく。苦笑交じりに答える竹千代様は、すこしだけ、さみしそうだった。

「忠勝も、れんげの花は、きらいだとさ」




【終】






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