バレンタイン中止のお知らせ




 紙袋。
 それはいつしか、学園のそこかしこに散見されるようになった怪人物どもの総称であった。

 特徴として、まず、男子生徒であった。制服に寄れば。ただし中にはジャージや各種ユニフォームや女装、鎧兜に身をつつんだものがいたり、かとおもったら半裸、もっというと全裸、さらにいうととても口には出せないような破廉恥な身なりのやつもいた。
 正体はあくまで不明。とにかく、数が多い。そして紙袋を脱いでしまえば簡単に一般生徒らにとけこんでしまう。授業中などは普通に行動し、いざ、休み時間となると紙袋に変身する。そんなあやしいやつばらが、いまや、校内全体に横行している状態である。
 そして、特徴といえば、何はともあれ紙袋であった。

 一般的なものは、学食でパンなどを買うと入れてくれるアレである。再生紙100%で自然にも優しい茶色い四角い紙袋。が、中にはショップバックなどを使用しているやつもいる。中にはブランドのショップバックを使用して個性を出しているやつもいる。異様である。
 そこに、ふたつ穴があけてある。そこが目の穴だ。額には「ル」の一文字。それをかぶる。紙袋をかぶっているから、【紙袋】なのだ。
 
 一人や二人なら悪ふざけで済む。が、五人六人になるとちょっと不気味にみえてくる。十人二十人になるとほとんど不条理演劇の世界である。そして、ここ最近になってくると、校内を徘徊する紙袋の数は、とてもではないが三十人四十人という規模ではない。
 なんか怖い。しかもキモい。やつらは休み時間になるとどこからともなく湧いてきて、ハリセンだのピコピコハンマーだのガムテープだの油性ペンだのを装備して校内をうろつく。中には輪ゴム鉄砲や吸盤アーチェリーセットなどの飛び道具で武装しているやつらもいる始末である。
 大半の女子はドン引きしていた。男子はというと、逆に、素顔をさらしていると目立つようになってきた。素顔で歩いていると紙袋が10人単位でこっちをガン見している。怖い。必然的に、身近な紙袋に声をかけて、こっそりと自分も着用に及ぶやつもいる。小心者というなかれ。群集心理の恐ろしさである。
 2月に入ったあたりから連中は校内をうろつきはじめた。それから加速度的に増え始め、もはや校内で紙袋を見ないで歩くほうが難しい。が、やつらの目的はなんなのか。なんで紙袋なのか。そして額に「ル」なのか。

 クラスメイトの大半が紙袋化するまでやつらの存在に気付かなかった能天気なティーダも、さすがに、ここにいたってことの重大さに気付いてしまった。
 別に、校内に紙袋がいるからではない。やつらがティーダが前を通るといっせいに振り向き視線で追ってくるからでもない。あまつさえ、校内を歩いていると、ぞろぞろと大挙して後を付いてくるからでもない。そんなものははなっからティーダの視界には入っていなかった。無駄なものは見えない便利なフィルター付きの視界のせいである。だから問題はぜんぜん違うところにある。
 つまりティーダは、見てしまったのである。


「……なにこれ」
 今日、掃除の担当になった職員室の壁を前に、ティーダは呆然と立ちすくんだ。なんか、貼られていた。ビラみたいなものがびっしりと。
 なんかいろいろある。文面もデザインもいろいろである。が、共通しているのはその激しいののしり口調とアジテーションである。
「ってか、誰が貼ったんッスか、これ!?」
「あれ、気づいてなかったの?」
「知るわけないだろ、この怪しい張り紙…なんだこれ」
 とりあえずティーダが手に取った一枚には、でかでかと毛筆で、【怨】の一文字が書かれている。その隣には【恋愛資本主義に踊らされる現代を糾弾する!】という文字の隙間を埋めるようにびっしりと小文字が書かれている。【ねたましい】というのもある。たくさん貼られた紙の上にスプレーでグラフィティ風の英字が書きなぐられている。
 クラスメイトの彼女は、なれた手つきでぺりぺりと張り紙をはがし始めた。ティーダも一枚はがしてしげしげと眺める。そこには怒りとかいろいろがにじむ文字で書きなぐられていた。
 【バレンタイン中止のお知らせ】
「二月の頭くらいから、ちょっとづつ増え始めてたんだよ」
「ぜんぜん知らなかった……」
「だってキミ、部活の練習で忙しかったじゃない。それにこういうの、目に入らないほうでしょ?」
「どういう意味なんッスか?」
「実は、私にもわかんないんだよね。友だちに聞いても教えてくれないし」
 困り顔で画鋲を引っ張る彼女は、いかにも清純可憐な雰囲気の美少女である。彼女の顔を見下ろして、それからしげしげとビラを見て、なんとなく、誰も教えてくれない意味が分かった気がした。
 (たぶん、ユウナにはいえないような意味のビラなんだろうなぁ)
「なんか、硬いね。剥がれないよ…っ!」
「オレがやるッスよ。爪、はがしちゃうよ?」
 自分の頭よりたかいところのビラをうんうん言いながらひっぱっている彼女を見かねて、ティーダが手を伸ばしてやる。が、はがしてもはがしても死ぬほどある。なんでこんなもん放置してるんだ。どうなってんだこの学校は。
「自分は、気付かなかったくせに」
「しゃぁないっしょ〜。試合、あったんだし〜」
「ちょっと残念だったね、前の試合。がんばったのに」
「うん、実はむっちゃ悔しい。あ、だから気付かなかったのか!」
「キミってそうだよね」
 くすくすと笑う美少女と、その隣で頭を掻くティーダ。いかにもほのぼのした光景である。が、二人はそれぞれに回りに注意をしていなかったので、気付かなかった……
「ん?」
 シャー、シャー、と後ろから音が聞こえてくる。なんだ… とティーダが振り返った瞬間だった。
「天誅ゥゥゥ!!」
「うごっ!?」
「きゃあっ!?」
 ばーん、と顔に何かをたたきつけられてひっくりかえるティーダ、思わず立ちすくむクラスメイト。犯人はキックボードに乗った謎の紙袋二体。高笑いを残しながら校則で廊下を走り去っていく。
「はっはっはっはぁ! 天誅だ! モテメンは滅びろ!!」
「だ、だ、大丈夫、ティーダ!?」
 謎の棄て台詞を残して去っていく二人。あわててクラスメイトがティーダに駆け寄る。ティーダは、顔におもいっきり何かをたたきつけられて目を回していた。よろよろと手を上げて顔にはりつけられたビラをひっぺがす…… ソレを確認した瞬間、「なんじゃこりゃあ!」と声を上げた。
 ビラの文面は、【天誅・モテメンには死を】【バレンタイン中止のお知らせ】【ルサンチマン派】と書かれていた。
「うわぁ……」
「ちょ、うわぁって言わないで! 傷つくから! ってゆーか、何ッスかこれ!?」
 ティーダは顔から引っぺがしたビラをぐしゃぐしゃと丸める。さすがに腹が立ったらしい。が、見回しても謎のキックボード紙袋はすでに見当たらない。けれども違う紙袋が今度は三人ぐらいで黙々とビラを貼っている。
「あ、こら! 掃除してんのに横から貼るなよ! あっちいけー!」
「て、ティーダぁ」
 ティーダが怒りに任せて上履きを投げつけると、紙袋はきゃーきゃーと騒ぎながらわらわらと逃げていった。が、これじゃキリがない。はらはらと見守っている少女に、ティーダは、怒りさめやらない顔で「ユウナはもう帰ったほうがいいッス!」という。
「もう、続きの掃除はオレがやっとくから。こんなわけわかんねー場所に女の子がいちゃだめッスよマジで! 危ないから!!」
「え、でも、独りだと危なくないかな?」
「オレは平気。無駄に鍛えてないッス。っつか、この事態がなんなのか確かめないと」
 けんけんをして上履きを拾ってくる。そして履く。手に画鋲を抜くためのスクレイパーを持ったままはらはらと見ている少女。「大丈夫ッス!」とティーダはサムズアップをしてみせる。
「とりあえず、そのへんをうろついてる紙袋をとっつかまえて聞けばいいだけっしょ?」
「そんなことやっちゃって怒られるんじゃないかな」
「じゃあ、知り合いでいろんなこと詳しいやつがいるから、そいつに聞くだけッス。顔も広いし10人くらい捕まえたらひとりくらいあいつの友だちいると思うし」
「……そ、そうかなぁ」
 だいじょうぶかな…… そんな不安が顔にばっちりと書いてある彼女をよそに、ティーダは、「平気、平気」と気軽にこたえる。そして、軽いフットワークで、そのまま廊下を走り出した。
 階段を下りて上って、ちょっと左右を見回す。よく見れば校内は紙袋でいっぱいだ。なにやら近くの階段のあたりに衛兵よろしく立っている数人の紙袋に目を付ける。頭から茶色い紙袋、そして手にはモップ。なんか動きに統制がとれていた。強いて言えば【上級紙袋】ってところだろうか。
「なーなー、あんたたち何やってんの?」
 そして、何の脈絡もなく声をかける考え無しのティーダ。
「お前、生徒会一派のものか? 許可なしにここに立ち入ることは禁止されている!」
 がちん! と音がして、ティーダの前でモップが二本、十字状にがっちりと組み合わされた。さすがのティーダも「うぇ」と一歩引く。
「生徒会一派ってナニ? そんなの知らないッスよオレ……」
「何者かはしらんが、早々に立ち去れぃ! ルサンチ一派ではないものを通すわけにはいかん!」
「って、ここ、保健室じゃん!?」
 保健室立ち入り禁止… 何かあったらどうするつもりなんだろうか。ティーダはそーっと首を伸ばして中をのぞこうとする。が、紙袋に横柄にぐいとモップで押しやられる。なんか、乱暴だ。ちょっとムッとした。
「なんなんッスか。いいじゃん、入ったって」
 いーだ! とティーダは思いっきり舌を出してみせた。子どもである。何か言うかとおもったらなにもいわなかった。調子に乗ってまぶたをひっぱってあかんべえをする。親指を口につっこんで、いーだ、とすごい顔をしてみせる。ぶっ、と何か言った。
「あっお前、今吹いたッス!」
「……吹いてなどいない」
「笑ったじゃんか」
「やかましい! 子どもはさっさと帰れ!」
「へっへーんだ。お前だって高校生のくせにー」
 子どもだった。どうしようもなく、子どもだった。
 さっきからティーダにコケにされているのとは逆のほうの紙袋が、ぼそりと、「こんなのがB級指名手配だと?」とつぶやく。ティーダは目をぱちくりさせた。
「びーきゅうしめいてはい? オレが?」
「おい、ウェッジ!」
「な、なんでもない! なんでもないぞ!!」
 なんか、水面下で、変なことが進行しているらしい。
 ここまでくれば、さすがのティーダだって分かる。でもこれ以上のこと自分で調べるのは無理っぽい気がした。じゃあ、しかたないとすぐに判断をあきらめた。フリオニールに聞こう。あいつ、事情通だから、聞けばきっとなんか分かる。
「あっかんべーだ。お前らのことなんて知らねーッスもん。いいよオレ、のばらに聞くもん」
 ―――その瞬間だった。
 ざっ、と紙袋の雰囲気が変わった。
「きさま はんらんく゛ん た゛な !」
 二人が顔色を変えた瞬間、がららっ、と音を立てて保健室のドアが開く。そこから一気にわらわらと紙袋が出てきた。ティーダはぎょっとする。
「え、ちょ、え?」
「出合えー出合えー!! 反乱軍を見つけたぞー!!」
「なに、反乱軍だと!?」
「このような場所まで出てくるとは、不届きものめ!!」
 わらわらわら。紙袋が5人10人たくさん。10人までは数えられたがそれ以上はティーダにはムリだった。どこから沸いた!? 大量の紙袋に大挙して押し寄せられて、ティーダはあとずさった拍子にしりもちをついた。それが、致命的だった。
「ちょっ、えっ、ナニ、ぎゃあああああ!!!」
「剥けー!剥がせー!!」
「見せしめだ!捕らえろ!」
「ちょっ、ズボンやめ、ぎゃあ、ナニ、痛い、痛い痛い痛い!!」
 ベルトをひっぱられズボンをひっぱられ髪の毛ひっぱられ踏まれ蹴られつかまれなんかその他もろもろ。いくらなんでも多勢に無勢でわけがわからない。なんだこれ、オレ死ぬんッスか!? ティーダが何も分からないまま目の前が真っ白になりかけた、その瞬間だった。
 ピシピシピシッ、と鋭い音が、響いた。
「ぎゃあっ!」
「な、なんだ…… 飛び道具だと!?」
「おちつけっ。ゴム鉄砲だ!」
 周りを囲んでいた紙袋数人がひるんだ。その瞬間、「どけや退けどけぇ!!」と聞き覚えのありすぎる大声が響いた。ティーダがそれが誰かを確認するよりも先に、決して小柄ではないはずのティーダの体が軽々と持ち上げられ、米俵のように肩に担がれる。なんだかひどく嬉しそうにデカい声でわらいながら、ばっさばっさと紙袋をなぎ倒しているジャージ姿の大男。それは。
「おら退け! いや退くな! てめーらまとめてジェクト様の経験値になりやがれ!」
「ちょ、お、オヤジ!?」
 ジェクト。体育教師にしてティーダの父親。ティーダはなんで、と問いただそうとしたが、その瞬間、ぶんと頭が振れた。ジェクトが手にした巨大なマットレスを振り回した拍子に、ティーダも同時に頭から遠心力を付けてぶんまわされたのだ。
「うごっ!?」
「おらおらいるんだろうがルサンチ一派のリーダーさんよぉ! いっちょここでオレと勝負つけろや!」
「ちょ、オヤ、んがっ!!」
 頭が不幸な紙袋の誰かさんの頭とぶつかってごんと音を立てた。ついでに他のなんかにもぶつかった。四回目くらいにどっかに頭がぶつかったとき、ティーダはそろそろ意識が遠のくのを感じる。撤退だ、撤退だー、と紙袋どもがわめくのが聞こえた気がした。わらわらと逃げていく後姿と、がっはっは、と高笑いする父親の声も聞こえた気がしたが。
「ジェクト先生! 何やってるんだ、撤退するぞ!」
「あン? 今ちょうどいいとこで」
「目的忘れてる! ティーダのこと助けにきたんだろ!?」
「あ、あ! そうだったか!」
 天井の板がぱこんとはずれて、そこから飛び降りてくる紙袋一名。誰だアレ。そいつにうながされて、ジェクトはあわててきびすを返す。相変わらずティーダのことは遠心力に任せっぱなしだ。ぶんと勢いよく頭からふりまわされてまた意識が遠くなった。道を引き返し、廊下を走り出す。追走するそいつが顔から邪魔な紙袋をむしりとる。と、そこに現れたのは……
 フリオニール。あんた、なんで天井裏にいたんッスか……?
 そう思った瞬間、とうとう、ティーダの意識はブラックアウトした。