3.








「西進すること幾星霜…… 果てしなき流浪の旅路。
 今は聖戦のディシディア。争いの歴史をしっかりと見ておきなさい。
 ティナ」
「はい」
「オニオン」
「オイ」
「……」
「……」
 しばし、沈黙。
「……なんじゃ、ノリが悪いのぅ〜」
 可愛い孫の思い切り冷たい突っ込みに、《雲》はそのまま図書室のカウンターにべったりとつっぷした。
「せっかくわしが楽しく《聖戦のイベリア》ごっこをしようとしたところだというのに」
「なんで図書館に来ていきなり歌につき合わされないといけないんだよ!! というか、今の歌!?」
「何を言うおぬし、世界に遍くサンホラーに喧嘩を売るつもりか? そこがいいのではないか。歌なのかミュージカルなのか分からん、そこが現代の吟遊詩人たる国王様の芸風というものよ」
 妙齢の美女が子どもみたいに頬をふくらませてぶーぶーわけのわからないことを言い出すので、オニオンは思わず片手でこめかみを押さえてしまう。頭がいたい。隣のティナがちょっと困った顔で二人の間できょろきょろする。実はこのやりとりは二人の間だと日常茶飯事なのだが、ティナからすればどっちに乗ったらいいのかわからない、というところなのだろう。
「それより、なんなんだよ、今の。ティナも! なんでいきなり乗ってるんだよ!?」
「え、だって今の、合言葉だっていうんだもの」
「……あいことばぁ?」
「なんじゃ、お主は知らんのか。今この学園だとバレンタイン・ウォーズの真っ最中での、各陣営はそれぞれに合言葉を持って活動しておるんじゃ。それをきちんと把握しておらんと、どこの陣営からも攻撃されるという悲惨な結果になりかねん…… まぁいい、ほれ入れ」
「最初っからそう言ってくれよ、もう」
 《雲》はやや気を取り直したらしく、カウンターを開けてくれた。オニオンは中に入り、ティナも会釈をしてカウンターの中に入れてもらう。《雲》は片手に鍵束をもったままで立ち上がった。目的はカウンターの奥、司書教諭が仕事をするデスクよりもさらに向こうだ。そこには重たい金属製の扉があり、その向こうには地下書庫に続く階段がある。
 コンクリート製の階段は、本の状態を保つためなのか、強力な除湿機のせいでカラカラに乾ききっている。頭上の蛍光灯がきれかけて薄暗い。「そろそろ交換せんといかんのぅ…」などとつぶやく《雲》に続いて、ティナとオニオンは、カンカンと足音を立てながら階段を下っていく。
「ところでさ、ティナ。いったい何があったの? この馬鹿げた状態」
「このって…… 紙袋の人たちのこと?」
「それだけじゃないよ! 学校中、どこもかしこもむちゃくちゃじゃんか。ここに来るまでに僕がどれだけ変なもん見たと思う? わけわかんないよ、ホントに」
 オニオンはぶつぶつと文句を言うが、それも、当たり前というところだろう。確かに今日という日を迎えて、バレンタインの惨状はまさにクライマックスを迎えていた。なにしろ授業をやっている間でも男性生徒はほとんど全員紙袋、女子もかなりの数がナゾのいでたちと化している。校内にはアジテーション用のビラがばらまかれ、ポスターが貼られ、いたるところにはバリケード。さらに生徒の大半がピコピコハンマーやハリセンや他にもさまざまなもので武装しているときたものだ。オニオンでなくても文句を言いたくなるといったところだろう。
「ふぁふぁふぁ。だから言うたであろうが。争いの歴史と」
 が、孫の様子を見ても《雲》は飄然としたものだ。階段の一番下までたどりついて、鍵束をじゃらつかせながらドアの鍵をさぐる。
「何でかわしもよう知らなんだが、この学園だとバレンタインの惨劇はひとつの名物ゆえにな」
「……名物ゥ!?」
「まぁ、今年ほど大掛かりなものを見たのはほんに久しぶりじゃがのう。4年ばかり前には当時の生徒会長が学園全体を巡る大戦争を繰り広げておって、本当に楽しい思いをさせてもらったものよ」
「そうだったんですね……」
「ティナ、騙されちゃだめだ。それ、普通のバレンタインじゃないから!」
「戦いの輪廻は繰り返すということよ。……あぁ、あったあった」
 4年前の生徒会長って誰だ。そう考えていたオニオンは、ふと、嫌な想像に思い当たる。ライト先生ってここの卒業生だったよね……? オニオンの思考をさえぎるように、かちゃりと音をさせて、《雲》は書庫の鍵を開ける。ドアを開けるとそこは高い天井に豊富な移動書架が築かれた広大な書庫だった。この学園は歴史が長い分、そうとうな量の蔵書を誇っている。地下にあるものは主に全集の類や雑誌のバックナンバーだ。ティナは《雲》の背中をおいこすようにして、小走りに書架のほうへと急いだ。
「そう急ぐな、小娘」
「…ねぇ、《雲》。なんでこんなところに僕らを入れてくれるのさ?」
「ん?」
 電動の書架を複雑な手順で操作しているティナをみながら、オニオンは、慎重に《雲》に問いかける。小柄なオニオンを見下ろして、《雲》はふっくらとしたくちびるに指を当てて、「うーむ」と考え込んだ。
「そうじゃのう、わしにも時には人に情けをかけることがある、というのがひとつか」
「……マジかよ」
「それともう一つはの、小娘にさんざ頼み込まれたからよ。あのチョコボ頭を頼むからかくまってやって欲しいと」
「え?」
 チョコボ頭、と表現される男。オニオンは一人しかそんな校則違反モノの人間を知らない。書庫が動き、その向こうにあった小さな空間へようやくたどりつく。その瞬間、オニオンが頭に浮かべていたのとまったく同じ名前を、ティナが呼びかける。不安げな声で。
「クラウド、来たわ。ねぇ、大丈夫?」
「クラウド!?」
 オニオンはあわてて《雲》を押しのけ、前へと飛び出す。そういえば昨日から姿を見なかったクラウド。どこへ行ったのか誰もわからなかった。まさかこんなところにいたなんて!
 だが、オニオンが見たのは、想像もしなかったその姿だった。
「ぐげ」
「……」
「……相変わらずじゃのう」
「可哀想なクラウド…… ごはん、持ってきたから、食べて。ね?」
「ちょ、ちょっと、ちょっと、ちょっとぉぉ!!!??」
 書架と書架の間で膝をかかえて座っているクラウドは、まさに廃人状態である。目が完全にイッてしまっていた。ティナは横に座り込んで心配そうに顔を覗きこむが、オニオンはそれどころではない。側でオモシロそうにそれを眺めていた《雲》の服を思い切りひっつかむと、「なんだよ、これ!?」と叫ぶ。
「あっ、こら、わしのかわいい触手が千切れる!ひっぱるな!」
「冗談言ってる場合じゃないだろ!? なにこれ!? どうしてクラウドがこんなことになってるんだよ!?」
 ティナはそうっとその顔を覗き込み、ストローを差したいちご牛乳をさしだしてやっている。なんてうらやましい。いやそうじゃなくて。
「ええい離さんか、乱暴なやつめ。……わしは知らんわい。小娘がそやつを匿ってくれと言うてきたときには、すでにこういう状態じゃったわ」
 オニオンの手から服のはしっこを取り返すと、《雲》は不満そうに鼻を鳴らした。
「そんなクラウド…… 元からちょっと頭イッちゃってる系だったけど、どうしてこんなことに」
「さりげに失礼じゃの、こわっぱ。まぁ予想がつかんわけではない」
「え?」
 ティナはクラウドの手にウィダーINゼリーを持たせてやると、振り返って、「あのね」と不安そうに言う。
「クラウドがね、《黒マテリアが…》とか言ってたの」
「……何それ」
「わしも見たぞ。校内をそやつを探して徘徊しておる怪しい人影をな」
 長身痩躯。そして、上半身裸。片手には長さ3mはあろうかという指示棒。
「指示棒というのはアレじゃ、授業中に黒板を指すやつ」
「『私のクラウド…』ってつぶやきながら、校内を歩き回っていたわ……」
「……」
「髪の毛がすごく長くて銀色で、ちょっとクラウドに似た人を見つけたらチョコをプレゼントしてたみたい。でも、紙袋をかぶっていたから、誰なのかはわからなかった」
「……いや、それ、チョコ?」
 チョコじゃなくて絶望をプレゼントしてたんじゃないかとか、それは紙袋を被っていても誰だかわからないほうがオカシイとか、そもそも半裸で校内を徘徊する教師ってどうなんだとか、オニオンの頭の中をいろんな考えが駆け巡る。あらためてクラウドを見るとなんだか胸の奥から変な気持ちがわいてきた。
 紛れもなく、『同情』というものであった。
「まぁ、さすがにここの奥までは誰も通さんわい。本を粗末にするやからは全て闇へ落としてくれるわ」
 《雲》は胸を張ってそう宣言する。
「闇へ落とすってなんだよ、闇にって」
「しかし、わしがここを開ければわけのわからんやつばらに図書館を荒らされんとも限らん。おかげでわしは図書室に足止めじゃよ。ほんにさみしいのう。つまらんのう」
 せっかくミシアも絶好調だと聞いておるのに、と《雲》は口を尖らせて、またぶうぶうと文句を言う。
「校内でこんなに面白いことがおこっておるというのに、わしひとりが図書館で留守番か。ほんにつまらんわい」
「いや…… それ…… うらやましい気もするんだけど……」
「だからの、小娘、それにオニオン、おぬしらがわしのかわりに争いの歴史を見て来い」
「……は!?」
 唐突な話の流れについていけず、思わず眼を白黒させるオニオンに、《雲》はごく当たり前のような口調で言った。
「当たり前じゃろうが。わしは自分の大事な、大事な図書室の一部を、おぬしらのために提供しておるんじゃぞ? その代償としてわしの目となり耳となり、校内で起こっている惨状のすべてを報告くらいしてくれてもええじゃろうが」
「いや、その理屈はおかしいよ!」
「ならば、そのチョコボ頭の服をひんむいてリボンを結んで、《プレゼントフォーユー☆ミ》のプレートつけて保健室あたりにでもつっかえしてやろうかい」
 汚いなさすが《雲》きたない。
 一瞬オニオンは、そんな日本語の崩壊した考えが頭の中をよぎるのを感じた。
「ねえティナちょっとこれって…ねえティナちょっとまって何その紙袋!!」
 助けを求めて可愛いガールフレンドのほうを振り返るが、しかし、オニオンが見たのは怪しい紙袋を手にした彼女であった。もはや呆然とするしかない。ティナは額に《る》の一文字を書いた紙袋に目の孔をあけようとしているところだった。オニオンに気づくとふと真剣な顔になり、「ねえ、オニオン」という。
「わたし、クラウドを助けてあげたい」
「助けてって……」
「いつもわたし、クラウドに助けてもらってたんだもの。困っているときにはおかえしをしてあげたいってずっと思ってた」
「いや、でも…… それはもうちょっと普通のときでもいいんじゃあ」
「なんじゃあ、たまねぎ小僧〜。男らしくないぞい〜」
「アンタは黙っててよ、アンタは!!」
 ―――しかし、状況のシュールさはともかくとして、ティナの表情はかなりマジに見えた。
 ちらりと後ろを見ると、あいかわらずクラウドは頭がイッてしまっているようである。あたりまえだろう。普段からストーカーまがいの行動をとっている相手が紙袋をかぶって半裸で迫ってきたら現実から逃げたくもなる。しかしこのまま放っておいたらティナは当の《半裸の変態》に正面から戦いを挑みかねない雰囲気である。
「ううう」
 それを放っておいたら男がすたるんじゃないだろうか。いや、というよりも、良心があるんだったらちゃんと止めるべき状況なんじゃないだろうか。
「ううううううう」
 オニオンはだらだらと汗を流す。クラウドをちょっと見る。そして心底真面目な顔をしているティナをみて、それから、今にも吹きだしそうなのを頬っぺたをリスみたいにしてこらえている《雲》を見た。
「―――ああもう、わかった、わかったよ!!」
 オニオンは半ばヤケクソで怒鳴ると、ティナの手から紙袋をひったくった。そして指でぶすぶすっと孔を二つ開けると、額に「ル」と文字を書く。ティナに向かって袋を返す。
「あのねティナ、ひらがなじゃなくてカタカナで《ル》。あと、僕から絶対に離れないでね。それを約束してくれるんだったら一緒にいってやるよ!」
「……ほんとに!?」
 ティナが、ぱあっと眼をかがやかせた。
「クラウドのことはどーでもいいけど、ティナが危ない目にあうのをほっとけないからね。僕以外にまともなヤツはいないみたいだしね!」
「そうじゃの!」
 あんたのことだよあんたの! 世にも嬉しそうな顔の《雲》を心の中で罵りながら、オニオンは、自分の分の紙袋を手に取った。《雲》はうんうんと頷きながら、うれしそうな口調で言う。
「よし、ならば小娘、オニオン、この世の中を覆った暗雲のすべてを見てくるがよい。ルサンチマンと嫉妬とジェラシーに凝り固まった餓鬼どもの世にも見苦しい戦いの輪廻じゃ。おもしろいのう」
「……最初にあんたを血祭りにあげたいよ、僕は。本気で」
「ありがとう、オニオン。きっとオニオンなら、そう言ってくれるって思ってた」
 ティナははにかんだように笑って、オニオンの手をぎゅっと握る。不覚にも胸がどきんと高鳴った。オニオンに向かって、すみれ色のひとみが、嬉しそうに微笑みかける。
「やっぱりオニオンが、いちばんたよりになるみたい」
「……あっ、当たり前、だろっ」
 オニオンは思わず眼をそらした。そそくさと紙袋を被る。顔が真っ赤だ。
「だって僕は、ティナのナイトなんだからね」
「ありがとう。わたしの騎士様」
 くすくすと笑いながらだが、ティナの返事には心がこもっていた。もしかしてこれって役得? オニオンはなんとなくそんな気分になってくる。あきらかに間違っているのはいちおう分かっていたのだが、悲しいかな、それが男のサガというやつなのであった。
「まぁ、チョコボ頭のほうはわしがなんとかしておくわい。後できちんと報告をせいよ」
 《雲》は、笑いをかみつぶしながら、ひらひらと手を振る。
「では、よいバレンタインを」




  (続く…)