2.






 二月十四日、土曜日。
 バレンタインデー当日。
「あ゛〜〜〜〜……」
「ジェクト…… 辛いのなら当直室で少し寝たらどうだ。私独りでもなんとかなる」
「いや、さすがにお前さん独りにやらすわけにはいかねぇだろ。……っていうか、他の連中はどこ行ったんだよ!?」
 がらんとして、誰も居ない。
 そんな保健室に、ジェクトの怒鳴り声が空しく響き渡った。
「うががが……」
「だから大声を出すと頭に響くと言っただろうに」
 自分の出した大声で頭をかかえるジェクトは、昨日の悪い酒がたたって酷い二日酔いに悩まされている真っ最中だった。しかし、それでもちゃんと仕事を手伝ってくれるのは、彼なりに昨日の醜態を反省でもしているのか。ジェクトはそういうところに妙に律儀な部分もある男なのだということを、ゴルベーザはちゃんと知っていた。
 ジェクトの隣であきれたように言って、ゴルベーザはとんとんと書類の端をそろえる。もうすぐ、外部進学の生徒の考査を行わないといけない時期ゆえの、単調だが重要な事務作業である。別にゴルベーザはそういった作業を担当する教員ではないのだが、今日、というよりもここ一週間ばかりは真面目かつ地道に仕事をしてくれる教員がいないのだから仕方がない。もはや彼は悟りの境地であった。
「それにしても、お前がそこまで痛飲するとは珍しい」
「いやよ、昨日の酒がまたえらくまずい酒でよぅ…… 行くんじゃなかったよ、皇帝どもの付き合いなんてよお」
 ぶつぶつと文句をいいながら、ジェクトはホチキスで書類の端をとめている。パンフレット作りのためのホチキス止め。彼の性分にはまったく会わないちまちました仕事ではある。
「生徒たちのバレンタイン騒ぎに足を突っ込んだと聞いたが」
「はっ、足? 頭からザブンと行ってやったね。しかたねぇだろ、うちのお坊ちゃんがボコにされかけてたんだから」
「ティーダが?」
「なんでも、けっこうモテるとかいうんで連中に眼を付けられていたらしいな。あんなまだケツに蒙古斑が残ってるようなガキのどこがいいんだか」
「……そうなのか?」
「だあほ。シュウジヒョウゲンってやつよ」
 ジェクトは二日酔いがガンガンひびくらしい頭を押さえながら、片手でちまちまとホチキスを止める。
「でもまあ、そのことでえらいイロイロ言われてよぅ…… あんなクソ不味い酒は初めてだったぜ。けったくそ悪ぃ」
「まあ、同情はする。私でも同じことをしただろうからな」
「は?」
 ゴルベーザは、一冊目の資料を確認し終わって、とんとんと端を机でたたくと、ファイルに止めなおした。パチンという音。
「セシルが誰かに手出しをされたなら、私でも黙ってはいないだろう、ということだ」
「ンなことするやつがいたら校舎が木っ端微塵になっても俺ぁおどろかねえよ。Wメテオいいですとも、って感じだからなぁ」
「……ジェクトの中で、私はどういう扱いなのだ?」
「弟至上的ブラコン原理主義過激派」
「……」
 思わず黙るゴルベーザを側に、しかし、とジェクトは首をかしげた。
「その、うちのガキなんだけどよ、どうも様子がおかしいんだよな」
「何がだ?」
「いやぁ、なんか昨日うちに帰って来たらしいんだよ。俺が眼を覚ましたら家の中で寝てたからな」
 とりあえず家に帰って玄関につっこんできたあたりで、ジェクトの記憶は途絶えている。普段のティーダなら放っておいて勝手に寝るだろうから、眼を覚ましたらちゃんとソファのところに寝ていた、しかも出した覚えのない空のスポーツドリンクが転がっていた、ということは、ティーダが介抱してくれたということなのだろう。だがその息子が朝になっておきたときにはもうすでに姿が見えなくなっていた。それどころか。
「なんとなくなんだが、『死ね、クソ親父!』って怒鳴られた気はするんだよなぁ」
「介抱してくれたのに、『死ね』?」
「いや、そういうもんだろ、親子っつーのは」
「……相変わらず、お前の家庭はずいぶんと過激だな」
「何言ってんだ、それがコミュニケーションってモンだろうがよ。まあそれはともかく、今朝からあいつの姿が見えねぇのが不気味っつーかなんつーか」
 何やってんだろうねぇ、あいつは? とジェクトは言う。ゴルベーザは話を聞いていてなんとなく嫌な予感がしたが、それを口に出すとろくな目にあわない気がしたので黙って手を動かすことにした。
 何度も言うが、職員室がすでに空っぽなのである。
 他の教員が総出でこの騒ぎに参加しているのだから、ジェクトにまで出て行かれたら、この仕事を一緒にやってくれる相手がいなくなってしまう。
 ……だがしかし。
(この学園に通っているものたちは、本当にここが学びの場であるということがわかっているのか……?)
 心で思えど口には出さない。
 万が一否定されてしまったら、さしものゴルベーザであっても、立ち直れる自信がないからだった。