「さあ、跪きなさい!」
凛と響く一声と共に、寸劇は、始まった。
リズム。軽やかに奏でられる宮廷風のメロディ。ワルツ。舞台の上の少年は、まるで輪舞曲を舞うようにステップを踏み始める。くるり、くるりとめぐるたびに、蜂蜜色の髪がきらめき、真紅のリボンが踊る。あざやかにさばいた指が自分の体に青いマントをくるりと巻きつけた。誰ともなく、感嘆の声があがった。体にまとった青いマントが、優雅に摘み上げる指のしぐさで、一瞬にして可憐なドレスへと姿を変えたのだ。
ワルツ。軽やかに空中にささげらえた指。見えない誰かのエスコートを、当然のように受け止めた高慢さ、可憐さ。ステップが誰もいない舞台にドレスを刻む。たった一人の舞台にして、まるで栄華を極めた舞踏会の中央に立っているかのよう。まだ少女のような響きを残した声が、楽しげに歌いだした。
その物語を。
永き栄華を極めた王国に君臨する、驕慢にして可憐なる王女の物語を。
「むかしむかしあるところに
悪逆非道の王国の
頂点に君臨するは
齢十四の王女様」
タタン、とリズムを刻む指先。くちびるに驕慢な笑みを浮かべ、ジタンは踊った。さながらたった一人の譚詩曲(バランディア)。
「絢爛豪華な調度品
顔のよく似た召使
愛馬の名前はジョセフィーヌ
全てが全て彼女のもの」
傾けた指が繊細な彩色の陶器をつまみ、くるりと差し出された腕が召使のエスコートを当然のように受け取る。小刻みなリズムが刻むトロット。それらすべてが彼女のものだ。ただのマイムの演じる指が、つま先が、一瞬にして何もない場所に舞台を描き出す。広げていく。感嘆に声を失う仲間たちの前で、ジタンは、まるで可憐な王女のように、唇にあどけない笑みを浮かべてみせた。けれど、きゅっと口角を吊り上げると、小さな花の可憐さは、棘だらけの薔薇の傲慢さへと取って代わられる。
「お金が足りなくなったなら
愚民どもから搾りとれ
私に逆らう者たちは
粛清してしまえ」
すっとドレスから離された指が、その手に剣を携える。くるりくるり、回る円舞曲。それは棘にまみれた剣の舞だった。のばされた指先がうっとりと果実を求め、摘み取り、ひとくちかじったその次の瞬間には、もはや興味を失った果実をあっさりと捨て、踏みにじる。
ジタンは、王女は―――あでやかに微笑み、そして、はっきりと告げた。
「さあ、跪きなさい!」
想像も及ばぬほどの見事さだった。
もはやフリオニールは驚きのあまり声もない。使い込んでぼろぼろになった、頑丈一辺倒なだけだったはずのマントが、まるで絹やタフタをふんだんにつかった豪奢なドレスのように翻る。真珠やルビー、レースにサテン。実際に身に着けている装飾はひとつもないにもかかわらず、ステップを踏みながらのマイムだけでここまでのものが作り出せるのか。
「悪の華 可憐に咲く
鮮やかな彩りで
周りの哀れな雑草は
嗚呼 養分となり朽ちていく」
鍵盤の上を軽やかに指が踊る。フレーズ、リズム。くるりくるりとジタンは踊った。ときに宙にもたげられた指が、王女のために腕を差し出し、踝下に跪く人々の姿を予感させた。そう、彼女は王女。悪逆非道にして純真可憐。邪悪になるにはあどけなさすぎる歌声が、けれど、暴君というより他にない酷い支配を軽やかに歌う。
「暴君王女が恋するは
海の向こうの青い人
だけども彼は隣国の
緑の女にひとめぼれ」
「嫉妬に狂った王女様
ある日大臣を呼び出して
静かな声で言いました
「緑の国を滅ぼしなさい」」
支配。戦火。圧制。
あでやかに笑いながら、何も知らぬ無垢のまま、王女は踊る。踊る踊る、狂気の物語。
するりと解かれたリボンが、今度は、ジタンの手の中でひらめいた。焔、血、狂乱。自分の手の中に何があるかも知らないまま、幼い王女は踊り続ける。踏みつけたものの重みを知らぬ恐るべき無邪気さ。
「幾多の家が焼き払われ
幾多の命が消えていく
苦しむ人々の嘆きは
王女には届かない」
燃え盛る焔に取り巻かれたまま、それでも王女は気づきもしない。踊りつかれた王女が足を止めると、指先がチリンとベルを鳴らす。
「あら、おやつの時間だわ」
見えないカップを受け取って、注がれた紅茶を楽しみ、微笑む。そして次の瞬間にはそのカップは地面にたたきつけられて微塵に砕ける。
その音を聞いた気がしてフリオニールははっとする。無論、錯覚だ。
「悪の華 可憐に咲く
狂おしい彩りで
とても美しい花なのに
嗚呼 棘が多すぎて触れない 」
指先が、簡単に結ばれていただけの結び目を解いた。青いマントがふわりと解ける。片手にひらめく青いマント。もう片方の手には真っ赤なリボン。くるりくるりと舞うステップが形を変える。舞踏会の優雅ではない。今度のステップは、争いの舞踏だ。
「悪の王女を倒すべく
ついに人々は立ち上がる
烏合の彼らを率いるは
赤き鎧の女剣士」
剣を取れ、弓を張れ。一瞬のステップが、自分の戦いの技を真似たことに気づき、フリオニールはぎょっとした。周りの皆も気づいたらしい。ティーダがびっくりしたようにこちらを見る。目が丸くなっていた。ピアノを弾きながらバッツが嬉しそうに笑っているのが分かった。どうやら、彼が教え込んだものらしい。
「つもりにつもったその怒り
国全体を包み込んだ
長年の戦で疲れた
兵士たちなど敵ではない」
「ついに王宮は囲まれて
家臣たちも逃げ出した
可愛く可憐な王女様
ついに捕らえられた」
ステップが乱れる。その実、正確に定められた場所を踏みながら、ジタンははっきりと、傲慢な小娘が隠れ場所から引きずり出され、捕らえられるさまを演じて見せた。勝気に装っても怯えにゆがんだ表情。手の中からドレスだったものが引きちぎられ、もはや王女にとって最後に残されたものである黄金が、蜜色の髪がきらめくように乱れた。
それでも、彼女は、倣岸さと高貴をはっきりと含めたまま、叫ぶ―――
「この 無礼者!」
小突かれ、ののしられ、満身に悪罵を受けながら、それでも輪舞曲は続いていく。長きに渡った王朝の終焉。
「悪の華 可憐に咲く
悲しげな彩りで
彼女のための楽園は
嗚呼 もろくもはかなく崩れてく」
もはやその身を守るものは何もなく、無防備な姿と成り果てたかつての暴君。同情を寄せるものなど一人もいない。あちらに突き飛ばされてはよろめき、そちらで小突かれては足をもつれさせる。最後にジタンが倒れた瞬間、ティナが小さく悲鳴のような声を上げた。無論、ただの振り付けの一部に過ぎない。けれどそれほど、表情が真に迫っていたのだ。
突き飛ばされ、地面に跪かされたのは、今度は彼女のほうだ。ジタンはそれでも高らかにうたった。物語の続きを。
「むかしむかしあるところに
悪逆非道の王国の
頂点に君臨してた
齢十四の王女様」
「処刑の時間は午後三時
教会の鐘が鳴る時間
王女と呼ばれたその人は
一人牢屋で何を思う」
ピアノが歌う。いまだ終わらぬ舞踏会。かつてその中央で誰をも跪かせた少女は、今は処刑台の上にさらされた見世物に過ぎない。同じモチーフを繰り返すメロディはいっそ残酷なほどだ。バッツの指に熱がこもる。もはや踊ることもかなわぬ少女のために、指が、鍵盤の上に舞踏会を続ける。
「ついにその時はやってきて
終わりを告げる鐘が鳴る
民衆などには目もくれず
彼女はこういった―――」
髪が後ろにひかれ、白い喉が反る。知らず、フリオニールははらはらと手を膝に握り締めていた。うっとりと微笑んだひとみ。湖水のような青緑がきらめき、そして処刑台の王女は、最後まで高慢に、そして可憐に、最後の言葉をりんと放つ。
「あら、おやつの時間だわ」
執行。
力いっぱいにたたきつけられた鍵盤の音で、そして、崩れ落ちる王女の姿で、結末を知る。なおもピアノは、残酷なまでの華やかさで物語を奏でた。崩れ落ちた王女に代わって、演奏者が歌う。楽しげに、また、面白げに。
「悪の華 可憐に散る
鮮やかな彩りで
のちの人々はこう語る
嗚呼 彼女は正に悪ノ娘」
―――断罪、喝采、そして大団円。
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