はるかなるふるさと





 木漏れ日が、風が吹くたび、細いせせらぎからあふれてしまいそうな無数の魚の群れになり、夏の真昼に泳いでいる。
 ごとん、ごとん、と音を立てて、水車小屋の碾き臼が規則正しく回っていた。苔むした巨大な水車は、もう百年以上もそこで回り続けているに違いなかった。節くれだった幹が神殿の柱のように揺るぎない樫。驢馬を杭にしばりつけ、パイプをふかして粉挽きの順番をまつ老人。頭上を走る雲の速さ。水色と真珠色、灰色と青が混じりあい、たえまなく動き続ける空に描かれる石理の模様。
 かたん、と音がした。夢中でせせらぎに踊る木漏れ日を追っていた子どもは、はじかれるようにふりかえる。水車小屋の戸がひらき、エプロンをつけた中年の女性と、旅装束の男が出てきた。男はていねいに女へと頭を下げる。子どもは、転がるようにかけよって、ぽふん、と男の腰の辺りに抱きつく。
「とーさん!」
 ただでさえ大きな目を丸く見開いて、舌足らずな口調で、「あのね、あのね」と興奮した様子で男の顔を見上げる。
「あそこにね、川がねあってね、きらきらの魚がいっぱいなんだ」
「きらきらの魚?」
「うん!」
 男は顔を上げる――― 栗色の髪が襟足でくくられ、同じ色の髭が品のいい形に整えられていた。ざあ、と風が吹き、樫が揺れる。木漏れ日がきらめく。
「きらきらの…… なるほど」
「ね? でしょ?」
「そうだな」
「あんないっぱいのお魚、見たこと無いよね?」
 男はふと、どこかが痛むのをこらえるような表情になる。子どもは首をかしげた。男は、子どもの頭に手を置いた。
 珍しい色の髪をしていた。水藻のような、苔むした樹皮のような、不思議な緑の髪だった。
 水車を覆い水滴にきらめく苔と同じ緑。光の加減によってあざやかな緑にまた古びた茶に、あるいは草の穂のような真鍮めかした色にきらめく。
「そうだな。……バッツは、きらきらの魚は好きか?」
「だいすき!」
「そうか…… そうか」
 どこか男の様子がおかしいと、幼い子どもにすらもわかった。子どもは目を丸くして、はるか頭上にある男の顔を見上げる。陰になって表情がよくわからない。背中の向こうから差す光のまぶしさに思わず目を細める。
「とーさん?」
 男は、しばらく、返事をしなかった。
 頭に置かれた手のひらの厚さ。剣を握りなれて硬くなった指先。
 子どもは、何か、様子がおかしいと気付く。まぶしさにくらむ目で見上げる。もう一度呼びかける。男へと。
「……とぉ、さん?」
 水車が音を立てて回る。
 樫の木が風に吹かれ、木漏れ日がきらめく。
 
 ―――遠い日の記憶。




 
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