/大人は嘘吐き




 大人っていつでも嘘をつくものだ。朝も昼も。生きている限り、嘘をつきつづける。必要な嘘も不必要な嘘も、他にも、山のように。
 でもそれは生きていくために必要なことだからで、たいていの大人はお互いにお互いの嘘吐きを許しあっている。嘘を許せないのは、子どもだけだ。彼らはまだ嘘をつかなくっても生きていけるから。周りの大人がその分もいろんな嘘を考え出してくれるから。
 だから子どもは、嘘をつく大人を憎み、嫌い、やがて理解し、自分もその仲間になって、大人になる。そういう過程をちゃんを減ることで、何が本当で、何がそうじゃないのかを勉強する。それが正しいのだと思う。それで、正しいのだと思う。
 そして、翻って僕はどうかというと、一度だって嘘吐きじゃなかったことがなかった。嘘吐きで弱虫。それが僕。つまり、僕は一度だって子どもだったことがなかったということになる。だから、



 だから僕は、嘘を知らないティーダのことが、いとおしくて、しょうがないんだ。



「……セシル、その、ごめん」
「どうしたの、何のことかな」
「セシルの…… その、鎧を脱いだところのこと、酷いこと言っちゃって」
「……」
「何言ったって、いいわけにならないって分かってるッス。ごめんなさい。何回でも謝るッス。だから」
「……ばかだなあティーダは、ぜんぜん気にしてないのに、そんなこと」
 くすくすと笑って、自分よりもすこし背が低いティーダの頭をなでる。ティーダはなんだか、泣いてるような、それか痛いのを必死で我慢しているかのどちらかのようなぐしゃぐしゃした顔を、一瞬だけした。その表情がまぶしいとセシルは思う。目を細める。
 粗朶が火の中ではじける音がした。薄暗い空へと火の粉が舞う。火の向こうで、フリオニールがこちらを気にしている気配がした。たぶんティーダは気付いていないのだろうな、とセシルは思う。さっきフリオニールは火にくべるための何かを探しにいった。戻ってくるまで時間がかかるだろうと思って、ティーダはタイミングを見計らったのだろう。残念ながらまるで見当外れだったらしい。仕方が無いことだとセシルは思う。
 火の匂い、水の匂い。今日のキャンプはごつごつと聳え立った荒い岩に囲まれた場所で、荒い断面のそこかしこに、小さな雲母やざくろ石のかけらが光っている。まるで自ら燐光を放つかのよう、だが、この場所の中で鬼火めいた燐光をまとって見えるのは、己自身こそだろうとセシルは知っている。
 やわらかい真珠色の髪はふわふわともつれながら肩や背にかかり、膚はしみひとつない非現実的な滑らかさ、ひとみは紫と青、淡い朱鷺色を混ぜ合わせた色。セシル自身は己の姿を鏡で見たことなど長らく無かったが、ぼうっと熱に浮かされたような目をしたティーダの目の中に、そんな、非現実的な姿をした生き物の姿を垣間見る。
 今日は月が細い。新月が近づき、夜の暗さが増すほどに、この姿は蛍のような淡いきらめきを増す。白い月に似た面差し。男という生き物らしからぬ、もっというならば人間らしからぬ印象。人から見れば、まぎれもなく《うつくしい》と呼ばれる姿なのだとセシルは知っている。
 己の、人間らしからぬ美しさ。それは、セシルのもっとも忌み嫌ってきたもののひとつだ。
「セシルはぜんぜん怖くないし、醜くもないと思う」
「……うん」
 だから。
「……あのさ、セシルって、どっちの姿のほうが生まれつきなんスか?」
 ためらいながら持ち出されたティーダの問いかけに、セシルは、ほろ苦く皮肉な気持ちをかみ締める。
「うん、そうだなあ、生まれつきっていうんだったら、《暗黒騎士》を拝命したのはティーダくらいのときだったよ」
「そ、そっか」
「それより前は、ずっとこんな感じで暮らしてた。だから生まれつきはたぶんこっち」
「……そうだよな、あたりまえッスよね」
 微苦笑を浮かべる。あいまいに首をかしげる。と、ティーダはぱっと赤くなり、困ったように目線をそらした。セシルは今度こそ、本当に苦笑するしかなかった。こんな反応なんて久しく味わっていなかった気がするのだけれど。
「セシル、ティーダ」
 向こうから、フリオニールが、控えめに呼びかけてくる。ティーダはぎくりと振りかえる。セシルは手を軽く振った。
「そこは暗くて危ない。そろそろ休んだ方がいい」
「そうだね。じゃあもう寝よう、ティーダ」
「わかった」
 少し逃げるように、フリオニールのほうに走っていく。そんなティーダにゆっくりと続く。はじけるように機敏な動きと、表情。目を細める。まだ少年というよりも子どもめいた無邪気さを残した後姿。
 素直で明るい。苛立ちや怒りや、悲しみすらもはっきりとした輪郭を持っている。セシル自身は一度だってそんな生き物だったことはない。だからときどき、こうやって少し距離をおき、遠くから姿を眺めたくなる。まぶしくて目を細める。ティーダは、セシルにはあまりなじみの無い、太陽とか海とかの匂いのする生き物だったから。



 はじめからセシルには、親兄弟がいなかった。
 名前すらなかった。《セシル》という名は養い親であるバロン王がつけてくれた名前だったけれど、その名前すらも借り物に過ぎなかった。
 だからセシルはいつも、周りに対してどこかしら申し訳が無かった。そんな卑屈さと気弱さが、子どもらしい屈託の無さというものを芽生える前から根絶やしにした。いつも肩をすくめて、身体を小さくするようにして生きてきたように思う。ごめんなさい、ちょっとだけでいいので、あなたたちの居場所に、僕の居場所を貸してください。そんな風に。
 賢く、従順で、柔和になろうと努力してきた。役に立つことで、生きさせてもらっている対価を払おうと思ってきた。そんな自分が嫌いだった。髪も目も、白い肌も、全てが。



 心と同じように、まだ、血の熱さも子どものようだからなのだろうか。ティーダはひどく寝つきがいい。今日も、火の傍で背嚢を枕に寝転がり、不安そうにセシルの方を見ていたかと思うと、もう、健やかな寝息を立てている。
 セシルは片膝を立てて座ったまま、そんなティーダの寝顔を、飽きもせず、見つめ続けていた。と、火の中でぱちりと音がする。セシルは顔を上げる。
「どうしたの、フリオニール」
 もう一人の仲間は、火の向こうでのっそりと身体を起こす。寝付けないのだろうか? セシルが水筒を手渡すと、「ありがとう」と短く答える。褐色の喉が上下するのを、セシルは静かに見つめた。
「さっき、話を聞いていたよね」
「その、ごめん」
「かまわないよ。聞かれたくない話だったら、気付いたときに止めていた」
 ただ、盗み聞きはあんまり行儀が良くないよ? やや冗談めかして言うと、たちまちフリオニールは情けない顔になる。セシルはくすくすと笑みを漏らす。
「……16歳のときに?」
「うん」
 セシルは両膝を抱えた。ことんと膝に顎を落とす。目を伏せる。ちらちらと焔が踊っていた。
「《暗黒騎士》になる志望者を募っていてね、僕は自分から志願した」
「自分、から……」
「そう」
 視界の端で、やわらかい髪の数本が、光をすかし、真珠そのもののような色に光っていた。セシルは微苦笑を浮かべる。
「育ててくれた閣下に礼をしたかった。それに、僕には騎士として戦う以外の道がなかったからね。僕の故国には竜騎士ってのもいたんだけど、そっちは生まれつきの家柄や後援者がない人間じゃなれないようなものだったから」
 フリオニールはしばらく黙っていた。ちらちらと火を照り返すひとみが、ためらいがちな色を浮かべていた。やっぱり、フリオニールのほうには気付かれていたらしい。セシルは、明かりに向かって、手をかざした。
 白い手、貝細工のような爪。常に剣に生きてきた人生を示すように、肩から肘にかけての線は、逞しく引き締まっている。それでもなお、肌の白さと造形の繊細さが、中性的で妖精めいた印象を作り出してしまう。やはり、甲冑を脱いでしまえば、何も変わらない己の手だ。
「……そうだね、あとは、あの姿がほしかったってのもあるんだと思う」
「暗黒騎士の、か?」
「ああ」
 フリオニールはためらいがちに口を開き、そして、あいまいに閉じる。セシルは、フリオニールの生きてきた道について細かいことを知っているわけではない。だが、今のフリオニールが何を考えているかくらいは、分かるような気がした。
「そうだね、ただ強くなりたいというだけでは、こんな風にはなれない。本物の《暗黒騎士》になれたのは、バロンでも僕一人だったしね」
「俺は、少しだけ、セシルと似た力を持っている奴を知っていたんだ」
 フリオニールは、かみ締めるようにつぶやく。セシルは焚き火ごしにその表情を見る。
 日焼けし、無駄なく引き締まった体つき。銀というよりは、狼の毛並みのような灰色の髪。手足が長く、逞しい体つきをしている。野を駆け、獣を狩る、大地と共に生きるものたちの姿だ。
「……こころの、闇がなければ、そういう力は得られないと聞いたことがある」
「そう、だね」
 セシルはあいまいに微笑んだ。フリオニールの率直な不安と恐れが、聞かなくても分かるほどにはっきりと伝わってくる。彼もまた、真っ直ぐで正しい心を持ったものの一人。強い風にさらされ、枝を折られ、日照りに耐え、深く根を張る若木のような強さ。
 闇。
 心の闇。
 けれど、心に闇を持たない人間なんて、この世に存在するんだろうか?
「たぶん、心の闇とか、僕の場合はそういう問題じゃなかったんじゃないかな。生まれのこともあるし、体質として適応してたってことがあるんだと思う。それに、僕は最初から色々とコンプレックスとか悩みも多かった。自分の心の闇とかに悩まされるのは慣れっこだったからね。たとえ外からそういう力をねじこまれても、ちゃんと対処できる自信があったんだと思う」
 嘘だ。
 そんな自信なんて、カケラもなかった。そういう言い方が許されるなら、セシルには、《自信》と呼べるものがあったことすら一度も無かった。
「コンプレックスや、悩み」
「僕は孤児だったから。引き取ってくださった閣下に感謝はしていたけど、やっぱりいつも、申し訳なさとか寄る辺無さとか、そういうものがあったと思うよ。それに見た目が―――」
 セシルは、苦笑交じりに、髪を指先でつまんでみせる。
「こうだから。やっぱりすごく目立ったからね。さんざん影口も叩かれたし、不安でもあった。僕は何者で、どこからきたんだろうって」
 いつも、どこか、とても遠い場所から来たような気がしていた。
 それを口に出してはいけないと思っていた。あいまいな不安でしかないものを本当に言葉にしたら、何もかも、失ってしまうような気がしていた。
「今は、どうなんだ?」
 自分がどこかが痛いかのような顔をして、おずおずと問いかけてくる。そんなフリオニールがひどく愛しい。セシルは指をはなす。ゆるく巻きつけていた髪がふわりと解け、落ちる。
「―――どうだろうね。今のままの自分でも、これからを生きていく覚悟は、決めているけれど」
 本当はいつも、不安まみれだった。今も、たぶんこれからも、同じだろう。
 それでも、後悔にまみれている暇がある生涯じゃなかった。
 後ろを向いて嘆いていたら、自分どころか周りの人間まで命をなくす。そういう生涯の過酷さは、フリオニールにも分かるだろう。二人は顔を見合わせて、お互いに、苦笑しあうような、あるいは共犯者のような、笑みを交わす。どう表現したらいいのかはよく分からない。けれど、相手の考えていることが分かるような気がする、不思議な感覚だった。
 フリオニールの歩んできた道はセシルとは違う。
 けれど、まだ幼い頃から戦渦に追い回され、ただ生きるということのためだけに、血みどろにならなければいけない生涯だったと聞いていた。生まれる前からどこもかしこも戦争まみれで。人の心は擦り切れ、大地は荒廃していたことだろう。そんな中で《生き残ってきた》という誇りと、《生き残ってしまった》というどうしようもない肩身の狭さが、この真っ直ぐな青年の中に共存している。
 セシルは思い出す。今も残されたむごたらしい傷跡。
「僕には、あの姿が必要だったんだ。恐ろしくて、異形で、でも、力強くて」
 風にも耐えぬ一夜かぎりの花のような、美しい、ただ、それだけの姿ではなくて。
「僕は、戦う力がほしかった。誰かのためというのもあるけれど、僕が僕自身に、《僕は戦ってきたんだ、どんなことがあっても、生き延びてきたんだ》って言い聞かせられる、ちゃんとした証拠がほしかった……」
 ふいに可笑しくなって、セシルは小さく笑い出す。フリオニールは目を瞬いた。セシルは小声でつぶやく。
「やっぱり僕は嘘吐きだね。《ぜんぜん気にしてない》なんて、大嘘もいいところだ」
 つまるところあの姿は、セシルにとって、今もひとつの証であり続けているのだろう。
 痛みにも、醜さにも、誰もが顔を背けるむごたらしさにも耐え、自分は、生き延びてきたということについての。
 セシルは指を伸ばす。そっと、自分の腕をなぞる。肘から手首にかけての線。今は、傷一つ無い。むごたらしい傷跡は、不可思議な、皮肉な力の働きで、今は生来の磁器めいた肌の向こうに埋もれていて。
「僕はティーダに理解してもらいたくないんだと思う。見てもらいたくもない。……僕みたいな生き方ってものについて、知らないままでいてもらいたいんだろうね」
 皮膚をはがし、骨を削り、糸でひっぱり、鋲を打って。
 凄まじい痛みと、誰もが目をそむけるようなむごたらしさを、セシルは、心から求めた。
 もっと傷がほしい。もっとひどい痛みも。
 心がこんなにもねじくれて傷だらけなのに、姿に傷一つないなんて、あまりにひどい嘘だから。
 フリオニールは苦笑した。
「ティーダが聞いたら、きっと怒るな」
「そうかな…… そう?」
「子ども扱いするなって。自分にもそれくらい、分かるって」
 セシルは、微笑む。微笑みながら、目を閉じる。
「ティーダに甘えてる自覚はあるよ?」
 理解してほしいとは思わない。できることなら、知らないままでいてもらいたい。ティーダもまた、セシルには分からない形で傷ついているのだろうとは思うけれど。けれど、それでもセシルから見た少年は、まぶしいほどに真っ直ぐで、そして、無垢に思える。
 そういう生き方が許される世界があるのだと、思いたい。
 無邪気に眠る横顔を見つめ、そして、思ってみたいのだ。
 嘘を知らず、無頓着で真っ直ぐに生きるというのは、いったい、どんな風だろう、と。
「大人は嘘吐き。でも、嘘をつかせてもらいたいこともあるんだよ。自分はどう頑張っても嘘吐きだけど、世の中には、そうじゃない生き方もあるって思いたいから。だから、子どもの前だと余計にたくさん嘘をつくんだ。大事だったら、大事なほどね。仕方ないんだよ。愛しているから」
「……大変だな、まったく」
「ほんとにね」
 二人は顔を見合わせ、そして、静かに笑みを交わす。
 そしてセシルは、屈託なく眠っているティーダの横顔を見つめる。日焼けた頬を、金茶色に褪せた髪が縁取っていた。青年というよりも、まだ、子どもだった。もう少しだけでいいから子どものままでいてほしいと静かに思い、それからセシルは、ごめんね、と小さくつぶやいた。







内容的には【まどろむ蝶々】の続きです。

セシルの名前うんぬんというのはFF4本編より。
セシルの養い親であるバロン王は、両親をなくしゴル兄の手によって棄てられたセシルを引き取って育ててくれた人です。《セシル》って名前もバロン王がつけてくれたんだそうです。
なのですが、バロン王は当時、幼馴染であり最愛の人だった月兄弟の母のイメージをセシルの中に見たから、セシルのことを引き取ったという設定があります。
彼女の名は《セシリア(Cecilia)》。英語風の発音ですが、イタリア語だとチェチーリア、ドイツ風だとツェツェーリアとなります。そしてフランス風に発音すると《セシル》。つまり、セシルはお母さんと同じ名前をつけられている…
それってどうなの、と思いますが、どうか。