A
nother ECCO






 遠くから聞こえてくる、誰かの声。
 誰の声だろうとかすかに思うけれど、考えを満足にまとめることができない。間断なくノイズに侵されていく思考。じぶんじしん、がばらばらに解けて壊れていく感触。
 ああ、はじめてじゃない。おれはこれを知ってる。
 知っているけれど、痛いほど悲しくて、そして悔しいのは、どうしてだろう。どうしてこんなに痛いのか。引きちぎれた肉でなくつぶされた目でもなく、心や体のどこでもない部分が。
 まだ聞こえる。おまえの声。ああ、泣かないで。おまえが泣いているのに手を差し伸べてやれないのが痛くて辛い。おれが壊れていくことよりもずっと。
 泣かないで、おれの、スコール。


 ―――遠い記憶の反響。


 初めて会ったときは、ぜんぜん気を許してくれないやつだって思った。あぁ面白いじゃん、って。
 別に世の中にはそういうやつだっていっぱいいる。おれはほとんど何にも覚えてなかったけど、それくらいは知っていた。たぶんどこかでたくさんの人と出会う中でそういうことを知ってたんだと思う。別になんにもおかしくないよ。お前のことそれくらいで嫌いになったりしないよ。無愛想で不器用なスコール。
 そう、そいつの名前はスコール。聞き出すまでわりと大変だった。名前すら名乗ってくれない。無口で無愛想。所作が落ち着いていて無駄が無いから、ちょっと見だとずっと年上だと間違えそうだった。でもすぐにきづいた。こいつ、おれよりずっと年下だ、って。
 見るからに子どもっぽくて弾けるように無邪気なティーダみたいではなく、顔かたちにあどけなさが残るジタンみたいでもなく、スコールに漂う"子どもっぽさ"というのは、ちゃんとしたかたちや見た目がないようなものだった。言ってしまえば匂いのようなもの。一言で言っちゃえば、どうしようもない青臭さ。
 こちらを拒絶する一瞬に、背中を向ける前の一瞥に、どこか、とまどうような色がかすめる。鍛え抜かれて精悍な体つき、無骨だけれど美しい顔かたちのなかで、その色だけがどうしようもなく脆く繊細だ。スコールは、きれいな青い目をしていた。明け染めるわずか前にだけ空が見せる色のような。どの国の王族であっても護符にと珍重する瑠璃のような。こちらのまなざしをカチンと跳ね返しそうに硬質な青。
 ろくにしゃべりもしないのは、無理やりにでも一人になりたがるのは、たぶん、そこらへんに理由があるんだろうとおれは見当をつけた。孤独癖のある仲間はほかにもいた。たとえば謹厳実直を絵に描いたみたいなリーダーや、こちらがふれようと伸ばした手がすりぬけそうな印象をもったクラウド。でも、自分の目的をはっきりと優先するから単独行動が多くなるようなリーダーや、たまに見ているほうが心配になるくらい不安定なところがあるクラウドとは、スコールの"ひとり"はぜんぜん質が違った。どう違うのか。どういう風に違うのか。
 それが、すごく、気になった。面白いと思った。面白いなんて言い方はきっとスコールにはすごく嫌がられるけど。

 年を無理やりに聞きだすのにも、けっこう時間がかかった。確かめてみたらなんとまだ17歳だっていうからびっくりした。見えない。でも、そういう顔をしたおれに(おれはたいていの考えが全部顔に出る)嫌そうな顔をしたスコールは、やっぱり、《17歳》に見えた。考えてみればおれにだって17歳のときはあったんだから当たり前だ。
「ふーん、そっか、17か。おれにもそんな頃あったなー」
「……《まだ体験してない》といわれたほうが、まだマシだったな」
「あ、それどういう意味だ、このやろ。それが年上に利く口か」
「……」
「年言った瞬間にその発言かよ、って今思っただろ! こら、あっち見るな! ちゃんとこっちみろー!」


 初めて会ったときからジタンとはむちゃくちゃ気があった。ティナは、なんだか面倒を見てあげたくなるような子だった。逆にセシルは背中をはりとばして元気付けてやりたくなる。でもだいたいの連中はフリオが面倒を見てくれるから安心。むつかしいことはオニオンが考えてくれる。
 出会って、一緒にいるんだったら、それはみんな仲間だ。言い方を変えたいんだったら《友達》でもいい。一回でも同じ泉の水を分けたなら、同じ火を囲んだなら、お互いの背中を気にして剣をふるったことがあるなら、それは仲間。ソレが仲間。
 そんな単純なことかって思われるかもしれない。そこらへんの同意が得られそうなやつは実はあんまりいなかった。強いていえば、やっぱりそれはジタンだった。おれが起こした火のそばにたまたまスコールもいっしょに居合わせたとき、「そういうのが旅人なのさ」とジタンは簡潔に説明してくれた。
「お互いに、お互いのこと"裏切らない"って同意がないと、旅はやってらんない。そういうこともあるのさ」
「……おめでたい話だな」
「おめでたい? とーんでもない! これはむちゃくちゃシビアな話だぜ。たとえば、人のいない山道を一人で歩いてるときとかどうするよ。あと、船旅で知らない相手と乗り合わせたときとかさ」
 それを聞いてすぐピンときた。あ、ジタンはおれと同じ感じの境遇だったことがあるって。正真正銘の一人旅、先も、終わりも分からない道を、一人で歩いたことがあるって。
「うん、それそれ、そういうこと。たとえば山で怪我してるやつをみたら、おれだったら何をしても絶対に助ける。でも、これはそいつのためだけじゃないんだ」
「……不文律か?」
「そういうむつかしい言い方はわかんないけどさ、そうしとかないとおれが怪我したときに誰かに助けてもらえない。そういう感じで見知らぬ相手でも信頼する。それが旅のルールなんだよ」
 スコールはちょっと黙っていた。火をつつきながら横目で見て、おれは、あのきれいな藍色の目の中で、いろいろな納得のいかない感情が動いているのを愉しんでいた。ちょっと意地の悪い楽しみだってことは承知の上。
「確かに、そう考えれば、合理的なところもあるな」
 そのうちスコールは、淡々とした声で言う。いつもみたいなぶっきらぼうな口調だったけど《しぶしぶ》が隠しきれていなかった。おれはジタンと目配せしてくすくす笑いを奥歯で噛み潰した。ジタンの目は、水が透き通った淵のような、あざやかな青緑色だ。その目の中にはいつだって、流れる水の水面みたいに、いろいろな感情がきらきらとちらついている。
「そ、だからお前らはおれの仲間。ジタンは友だち。スコールも友だち」
「…俺を巻き込むな」
「なんだよ、つれないなぁ。こんなに愛してるのに。おれのスコール」
「それはさすがにキモいだろ、バッツー」
 けらけらおれたちは笑う。スコールは眉間のシワをますます深くする。でも、なんとなくそういう関係がしっくりした。このトライアングルが気持ちがいい、とおれは思った。そのとき胸の奥にふとひやりとしたものを感じて、おれはひそかに、そんな自分をいぶかしんだ。
 この《気持ちがいい》は、危ない。
 なんか昔そんなことを考えたことがある。昔。いつ? とても昔。
 おれは、胸の奥でゆっくりと、ちいさな糸車がまき戻され始めるのを感じる。ゆっくりと、細い糸を巻き取って、記憶が巻き戻される。変な感覚だった。どきどきする。楽しい感覚じゃない。でも、逃げる気にはならない。なっちゃいけない。
 おれは本当は、すごく、《逃げだす》ことが上手な人間だ。何もかもから。
 もしかしたら、だからこいつのことが気になるのかもしれない。スコールのことが。
 
 カチリ、胸のなかの歯車がかみ合う。ただすれ違うだけの《仲間》じゃなくて、《スコール・レオンハート》のことがどうしようもなく気になりだした、これが、きっかけのひとつ。