17歳のころのおれは、ひとりぼっちだった。
 1年くらい前から一緒に旅をしていた父さんが体調を崩しがちになり、それでもおれたちは、故郷に帰らず旅を続けていた。
 父さんは恐ろしく頑固で、その上、無口で静かな人だった。心に決めたことは自分の中で絶対に揺るがさない。それで十分だと思うだけで口に出してもくれない。そういう父さんとずっと一緒にいたせいかおれは余計におしゃべりな人間になった。とりとめのない意味の無い、でも明るくて気持ちのいい《おしゃべり》を、父さんが好きだと思ってくれたからだと思う。
 なんで故郷に帰らなかったのか。リックスに。遠い、故郷に。たぶん父さんは辛かったんだろうと思う。母さんが死んだとき居合わせることができなかったリックスに帰るのが。
 一度帰ったら二度と旅立てない。それがわかって帰るには、あの故郷は、父さんにとってつらすぎる場所だった。
 飛べない鳥はいない。なぜなら、鳥は飛べなくなったらすぐに死んでしまうから。どんな種類の鳥に対してであっても、空はとても厳しい場所だ。鳩もふくろうも、燕も鷹も、もし上手く飛べなくなったら、その瞬間にすぐにでも他の生き物の餌食にされてしまう。父さんもたぶんそれと同じで、旅をやめたらすぐに死んでしまうという種類の人間だった。
 たぶんあの旅は、父さんのためでもあり、おれのためでもある旅だった。不器用な父さんは、自分が伝えられることを全部おれに伝えるためには、旅をしつづけることしか出来なかったのだ。
 自由であるために必要なこと。自由であることで背負う責任とリスクというもの。自由であることの楽しさとすばらしさ。そして悲しさと辛さ。
 そして、《自由》でなければ生きられない人間の、どうしようもない、弱さというもの。
 最後に、一ヶ月くらいだけ、風が気持ちのいい南方の村で、教会の裏にちいさな小屋を借りて腰を落ち着けた。おれはそこで父さんを看取った。最後に、おれに手を握られたまま父さんが死んだ後、父さんの持っていた荷物や装飾品なんかを処分して弔いをした。ぜんぶがぜんぶ終わってそこにいる理由がなくなったとき、おれは、17歳になっていた。



 行くべき場所もない。行かなければいけない場所もない。使命もなければ、目的もない。
 村を出てずっと歩き、ゆるやかな丘の上でふと振り返ったとき、おれが見つけたのはそんな自分だった。
 風が吹いていた。空がきれいだった。石灰質の岩がしろく露頭する丘陵のくさはら。遠く見渡す眼下にはぶどう畑。振り返るとそこには遠く青く空をふちどる山嶺。おれはそんな場所に、たったひとりでぽつんと立っていた。
 それが17歳のころのおれだった。
 目を閉じて、風を聞いた。水の中に手を入れるように、自分の中をそっと探った。でもおれの中には、何も無かった。
 さみしくもない。かなしくもない。辛くもないかわりに、何も、感じない。
 ひとりぼっちでも、何も思わなかった、あの頃の自分。


 本当に、辛くも悲しくも無かった。これは、何の強がりでもなく、ほんとのことだった。
 父さんがいなくなってしまったのは悲しかったけれど、何年もかけて心の準備ができていたことだった。それに、人は一度会ってもかならずいつか別れる。それが定めというものなのだから。
 生き別れる、死に別れる、ときどきそのふたつには区別というものが無くなってしまう。一度会って二度と会えないやつが、記憶の中でだけ大切な存在であり続けても、今死んでいるのか生きているのかも分からない、わかってもどうしようもない、そうなってしまうことがたまにある。
 そういうことを考えているから、おれは多分、普通の何倍も人懐っこくて能天気な人間になった。今出会ったこの人が、たった今より後には二度と会えなくなる人かもしれない。それだったら今の時間を精一杯に大事にしたいし、楽しみたい。それにどうせ過ぎていくことだと思えばたいていのイヤなことも耐えられる…… そういうものだ。それが、旅の心を持ったまま、生きていくための方法だった。
 旅の心は風のこころ。
 それはどこまでも自由で果てしないものであると同時に、どうしようもなく、孤独なこころでもある。
 風の心は、孤独なこころ。
 おれはしばらくぶりに、そのことを頭の中でかみ締めたりした。どこで聞いたか覚えていないその言葉。


 風の心は、自由のこころ。
 風の心は、孤独なこころ。


 ―――なんとなく、仲間内でどんなメンバーがつるんでいるかが定まってきた頃、おれは気付いたら、ジタンとスコールの二人といっしょに行動することが、多くなっていた。というよりも、おれとジタンの二人が両側からスコールの手にぶら下がって楽しんでいるみたいな感じだ。
 困って嫌そうなスコールの顔を見るのが面白くって、ジタンとはしゃぐのが楽しくって。同時に、そうやって一緒にいるようになってみたらジタンもスコールも思っていたよりずっといいやつで。おれはこいつらと一緒にいるということがえらく楽しくなりはじめていた。
 同年代の(といっても、年下だけど)男仲間とつるんで行動するなんて久しぶりだった。男所帯の気楽さもあるし、それぞれに練達した戦士である二人には安心して背中をあずけられるっていう事情もあった。同時に、おれのほうがこいつらの面倒をみてやんなきゃなんない事情も出てきた。スコールはぜんぜん野営慣れをしていなかったのだ。ちゃんと食うものや寝る場所、安全な水や休憩所を見つけ出すには、おれの経験と能力がいちばん役に立った。
 火を焚いて見張りを立てて、かわりばんこで睡眠をとる。おれはときどき寝ているふりをして薄目を開けてスコールの様子を見たりした。スコールは、実直な人間だった。見張りをしろと言われたらじっと座ったまま立つことすらしない。まして居眠りなんて絶対しない。その背中を見て安心して、それからおれは眠りに付くことができた。
 そのうち気付いたら、水浴びするたびにおれの髪は色が落ちてきていた。元通りに近くなってきていた。あるときそれをジタンに指摘されて気付いた。「バッツ、頭の色が変わってるぜ?」って。
「あぁ、もしかして、緑っぽくなってる?」
「うん…… なんで緑?」
「地色が出ちゃったんだなぁ。まぁ、いいけどさ。べつにこの辺だとこの色でも平気っぽいし」
 指先でつまんでも、自分の髪なんて見えやしない。でもなんとなく記憶に残っていた。おれの髪色は本来は母さん譲りの草色だ。緑色と茶色の中間くらいで、光の加減でねこやなぎの芽の色みたいに見えるような、珍しい色合いをしていた。でも、そんな色だったのはずっと昔のことだ。旅を始めてからは茶色い色になりっぱなしだったと思うんだけど。
「染めてたのか? なんで? 趣味?」
「違うって。えっと、今は持ってないんだけどさ、頭を洗うのに使ってたのがあったんだよ。木の皮とか灰とかを混ぜたヤツ。それつかうと虫除けとかにもなるから便利なんだけどさ」
「ふぅん?」
「どこでも手に入るし持ち歩くの楽なんだけど、使うたびに髪が染まるんだよ。そんでだんだん頭が茶色くなってくるわけ。でも…… ずっと切らしてるからなぁ」
「石鹸とかじゃないわけだ」
「どこでも手に入るわけじゃないだろ、石鹸なんてさ。あっちのほうが楽だった」
「すげー、なんか、文化の違いを感じるぜ……」
 嘆息して髪をしぼるジタンは、お芝居に出てくるお姫様みたいなハニーブロンドをしていた。あまりきれいな色だからそれこそ染めているのかと思ったら、こちらは正真正銘の地毛だという。びっくりするような話だ。
「珍しいと思う?」
 おれは、スコールにもさりげなく話を振ってみる。スコールの髪は鷹の羽みたいな灰味の黒茶色。これは地毛だろうなぁ。性格から見ても、と思っていると、「緑の髪の人間なんていたんだな」とぼそりとスコールがつぶやく。
「え? そうか? 珍しいの?」
「珍しいぜ、すっごく」
 ジタンのほうも、そう請合う。おれは納得がいかない気分で自分の髪を指でつまんでみた。やわらかくて少し癖っ毛。
「そうかな。別に、桃色の髪とか、紫色よりは普通だと思うけど」
「紫色ぉ!?」
「いるだろ、フツーに?」
 いないいない、とジタンはぶんぶんと首を横に振った。なんか、ずいぶんおれたちって遠い場所から集まったみたいだなぁ。なんとなくあきれた気分で顔を見合わせていると、スコールがふっと目をそらす。《目をそらす》しぐさの意味がなんとなくおれには理解できはじめていた。「触りたいか?」と声をかけると、「莫迦を言うな」とますますこっちを見なくなる。
「そんなに珍しい? マジで?」
「……」
「じゃあ、このままにしようか。なんか面白いから」
「面白いって何さ」
 ジタンが口を尖らせる。おれはちょっと笑って返事をしない。正直、なんて返事をしたらいいかよくわからなかった。
 《面白い》のは、スコールがおれのことを気にしてくれることだ。
 誰かのことを気にかけるたびに、スコールはどんどん戸惑いがちに、居心地が悪そうになっていく。
 それでも離れて行ったりはしない。傍にいる。
 その感覚が面白い、とおれは思う。
 たぶんほんとうは……

 本当のスコールは、《ひとりぼっち》に、耐えられない種類の人間なんだ。



 時間がたつにつれて、おれの髪色が、光に透けるような草色に近づいていく。
 時間がたつにつれて、だんだん、みんなのことが分かってくる。
 ちょっと見だと軽い性格に見えるジタンが、本当は誰よりも義理堅くて男らしい性格の持ち主だとか。クラウドの不安定な脆さは、《護りたい誰か》がいてくれるということで和らげることができる種類のものだとか。フリオが誰かを死なせるまいと必死になる理由だとか、セシルのふとすれば甘さ弱さとも取られかねないほどにやさしい性根とか。
 みんなにあえてよかった。それは、正真正銘、おれの本当の気持ちだった。この状況はわけのわからないことが多すぎる。なんで戦わなきゃいけない相手がいるのか、そいつらのなかに見たことあるような顔が混じってるのは何故なのか、そもそも、なんでおれたちはここにいて、ここで戦わなきゃいけないのか。
 でも、それを全部ひっくるめても、おれには全部がとても《楽しかった》。
 どうしてだろう…… 背負うものが少ないからかもしれない。あの大樹はかつて滅ぼすべき邪悪な敵だったということは覚えていたけれど、今の状況だとやつの目的というのはそこまで悪いことを引き起こす種類のことじゃない。中には肉親や仇敵と向かい合うことで重いものを背負い込まされている仲間もいたけれど、おれは、そうじゃなかった。おれ独りが《軽かった》。
 そして、だからこそ、出来ることもある。
 笑っていること。明るくあること。誰よりも楽天的であること。
 自由、であること。

 自由であること。