《3》







 五年前…
 まだフリオニールに故郷があり、家族がいたころ。
 その当時、同じ村でずっと暮らしていた年上の幼馴染が、クラウドだった。二つ年上の幼馴染。ちょっと気が弱くて優しくて、けれど、見栄っ張りで背伸びしたがりで。その分代わりに二つ年下のフリオニールのことを弟のように可愛がって面倒を見てくれた。そう、半ば、家族のようなものだったのだ。
 あのときまでは。
「…フリオニールって、家族がいないって、聞いてたんッスけど」
「ああ、いないよ。五年前に事故で死んだ。それからは遠縁のマリアたちの家を頼ってたけど、やっぱりずっと迷惑をかけるわけにもいかないしな。それで奨学金をとってハイスクールに入って…… それからはお前も知ってるだろ」
 たくさんの人でごったがえした病院の廊下には、絶えず、患者や職員たちの声やお喋りが響き渡る。急ぎ足で運ばれるカート、点滴を片手に歩く患者、泣きじゃくる赤ん坊をあやす母親、疲れた顔の中年の男。薄く引き延ばしたような人間の匂いと薬の匂い。そんな廊下に置かれた長いすの一つに座って、フリオニールは、疲れの滲んだ顔で笑って見せた。
 クラウド、という名前らしい青年を、フリオニールの懇意の医者がいる病院に連れて行くことになった。車はクラウドを見つけたのだという三人のうち、青い眼をしたスコールが呼んでくれた。世話になった相手に問われて隠すわけにもいかないので、ぽつり、ぽつりと、問われるままにフリオニールは説明を始める。
 五年前のことを。
「俺は天涯孤独だって言っただろ? 原因は実はよく分かってないんだ。俺の故郷はさ、事故に巻き込まれて、いまだに立ち入り禁止になったままなんだ」
「じ、こ?」
「故郷の傍に、大きな魔晄炉があったんだ。そいつが事故を起こして村のあった周りの土地がみんな汚染されちまった。だからいまだに国に立ち入り禁止にされたままでさ…… 俺は隣街にいたから無事だったけど、生き残りは誰もいないって言われた」
 でも、とフリオニールはつぶやく。泣き笑いに声が震えた。
「クラウドが生きててくれたなんて、想像もしてなかったぜ」
「……」
 ティーダは、何を言ったらいいのかわからない、という顔で、黙り込む。仕方がないことだろうとフリオニールも思う。こんな話は誰にもしたことがなかった。同情されるのが嫌だった。フリオニールにとって帰ることの出来ない故郷は今もさびれた田舎の小さな村で、何のいいところもない、けれど、素朴であたたかい土地のままだ。汚染でまともに草木も生えないような土地なんかじゃない。誰にも、自分の故郷のことを、そんな風に思ってなんてもらいたくなかったのだ。
 ……ふいに壁際で腕を組んでいた青年が、淡々とした口調で言う。
「あの、クラウドという男は、何者なんだ?」
 まったく思いやりのない事務的な口調に、ティーダが、弾かれたように顔を上げ、青年をにらみつける。だがティーダが口を開くよりも先にフリオニールが肩に手を置く。困惑の目で振り返るティーダに、首を横に振った。
「そうだよな、君たちはクラウドの命の恩人ってことになるんだから」
「フリオニール……」
「でも、五年前のことしか俺にはわからないよ。クラウドは14のときに神羅カンパニーで働くために村を出て行った。五年前に最後にあったときは私兵としてちゃんと働いてたみたいだけど、特に変わったことは何も言ってなかったし。ソルジャーと同じ部隊に配属されたって自慢してたけどさ」
「ソルジャー」
 確かめるようにつぶやいて、眼を細める。フリオニールは困惑して彼の顔を見上げる。厳しい表情に眉間の傷が白く目立つ。
 奇妙な青年だ…… とフリオニールは思った。
「なあ、あんた。名前、えっと、スコール?」
「……」
「あいつを助けてくれてありがとう。でも、君は何者なんだ?」
「……」
 特に答えるでもなく、こちらを見返すだけ。その目は瑠璃のような深い青だ。「返事ぐらいしろっつーの」とティーダが小声で毒づく。フリオニールは困惑しながら彼の姿を見つめる。足の先から頭の先までを視線で確かめる。
 一見、ダウンストリート風の服装をしている……
 だが、その仕草も、身につけた服も、ストリートをうろつく少年たちのものではない。そういった姿に身をやつしていても、毎日のようにチンピラ同士の抗争で怪我をした少年たちに接していたフリオニールを騙すことなんて出来はしない。
 手入れの行き届いた髪も肌も、あたりまえのように身につけた頑丈そうな靴の高価さも、とうてい、ストリートの少年が欲して手に入れることの出来るものではない。そして仕草。歩くときには両足で地面を踏みしめるようにしてしっかりと歩を運ぶ。訓練を受けた人間の動きだ。医者に対応するときの大人びた口調には、ストリート生まれの人間では望んでも決して手に入れることの出来ない、人を従わせることになれた的確さが滲んでいた。
 ……何者だろうか。だがどちらにしろ、アンダータウンの人間では、ない。
「君は何者だ?」
「……あんたには、関係ないだろう」
「ある。君はクラウドの命の恩人だから。俺には君にお礼をする義務がある」
 フリオニールは頑迷に言い張る。半ば意地のようなものだった。
 彼らは、何かを知っている。ここでもしも彼らを逃がしてしまったら、自分は永遠にクラウドを取り戻せないかもしれない。そんなの、ごめんだ。まさか生きているとも、ましてや再会できるとも思っていなかった、たった一人の幼馴染。
 青年は瑠璃のひとみにかすかに困惑の色を浮かべた。ためらいながら何かを言いかける。けれど。
「おいおい、スコール、認めろよ。お前の負けだぜ?」
 楽しげで明るい声が聞こえてくる。診察室のドアが開いていた。そこからさも可笑しそうにこちらを見ているのは蜜色の髪をした少年だった。フリオニールは思わず腰を浮かせる。
「クラウドは!?」
「衰弱してるけど命に別状はないってさ」
 安堵の余り、膝から力がぬけた。思わずそのまま椅子に座り込む。フリオニールは手で口元を覆った。目が熱くなる。
「よかった……」
 ティーダはいまだに状況についていけないままで、フリオニール、それに見知らぬ二人の間に、めまぐるしく視線を行き来させていた。蜜色の髪、青緑の眼をした少年は、なんとも面白そうな顔をして、黙り込む青年の脇腹を肘でつつく。青年は顔をしかめる。
「ええと、それで続きなんだけど…… このあと、あの人のこと、どうすんの?」
「え?」
「だって、名前も不明、身分も不明、どこの誰なのかもわからない、そんなヤツを病院が泊めてくれるわけないだろ。別にしばらく寝かせといて点滴打つだけだって言ってるけどさ、その後はどーするつもりなわけ?」
「……それは」
 フリオニールは声を詰まらせた。狼狽が表情をよぎる。ティーダには意味がよく分からない。
「え…… だって、病人なんだろ? 入院させとかないと不味いんじゃないのか?」
「あんた、いいとこのボンボン?」
「……いきなり、何だよ」
 蜜色の髪の少年は、しげしげとティーダの顔を覗きこむ。失礼だ。思わずムッとするティーダに、「そういう顔してるよ」と肩をすくめて見せた。
「どういう意味だよ!」
「そのままの意味。あのさ、こういうスラムの近い病院で、重病でもなきゃ金もないやつを相手にしてる余裕なんてあるわけないんだよ。しかも注射痕だらけの行き倒れなんて露骨に怪しい。トラブルに巻き込まれたくないんだったら相応の対価が必要ってわけ」
「そ、そんなん」
「いや、彼の言ってることが正しい、ティーダ」
 フリオニールは顔を上げた。ふるりと首をひとつ横にふって頭を切り替える。だが、一体どうすればいいというのか。全て彼の言っているとおりなのだから。
 普段、働いている診療所で見ている患者たちのなかには、ちゃんとした身分がないため、あるいは金がないために、病院にもかかれないというような人々がたくさんいる。たとえ慈善病院であっても予算やベッドには限りがある。よっぽど切迫した事情がない限り、トラブルの元になりそうな患者は敬遠されるのが普通だ。
「で、どうするのさ?」
「そ、それは……」
「あんた治療費払える?」
 からかうような口調に、ティーダが跳ね返るように反応した。声を荒げる。
「おい、アンタなあ!」
「アンタって言うな…うおっ?」
 ティーダが怒鳴ったのと、未だにからかう気満々だった少年が後ろからひょいとつまみ上げられるのが、ほぼ同時だった。小柄な少年の襟首を、猫の子でもつまむように持ち上げたのは、さっきの青年だ。「あまりふざけるな」とたしなめる口調で言う。少年は苦笑した。
「はいはい、分かったよ、スコール。……ごめんな、今のは割と冗談」
「え?」
「もう話は医者に通しといた。この後、さっきのやつをミッドタウンのホテルに移動させることにした」
「……ミッドタウン? ホテル?」
「オレたちが泊まってるとこ。ミッドタウンにあるホテルにスイートを借りてるんだ。きちんとしたホテルで設備もあるし、セキュリティもちゃんとしてる。今すぐ入院ってわけじゃないんだったら、そっちに医者を呼んだほうがずっといいだろ。話も通さないでいきなり決めて悪かったけどさ」
 話が急すぎて、頭がついていかない。
「支払いは気にしなくていい」
 青年が短く言う。
「気にしなくて、って……」
 ホテルのスイートに部屋を取る? 医者を呼ぶ? 想像もつかない話だった。いったい彼らは何者なんだと、フリオニールは呆然と二人を見る。
 その隣でティーダが、明るい青灰色の目で、二人のことをきつくにらみつけていた。だがふいに、勢いをつけて立ち上がると、「様子見てくる!」と大声で宣言して、二人の間をすり抜けていった。







(なんだよ、あいつら。感じ悪ィ!)
 名前さえ分かっていれば、さっきの行き倒れのいる部屋も分かる。小走りに廊下を通り過ぎて病室を見つける。青林檎色のカーテンが間を隔てた病室を、看護士や医者、患者の家族たちが、忙しく往来している。
 さっきの二人……
 見知らぬ人間だ。それが突然フリオニールの前に現れてあの言動だ。頭が混乱していたがそれ以上に腹が立っていた。どうしてこんなにムカムカするのかはティーダ自身にも分からないことだったのだけれど。
 クラウド、と言う名前らしい青年は、病室のいちばん奥のベットにいた。カーテンをまくって中を覗くと、隣の椅子に薄茶色の髪をした青年が座っている。さっきの連中の仲間だ。ティーダを見ると大きな眼をまたたいた。不思議そうな顔で「誰だ?」という。
「誰って……」
「あ、そうか、さっきの人間!」
 《人間》って。
「こいつが心配だった? もう平気みたいだから安心しろよ。とりあえず座る?」
 椅子を立ち上がる仕草が、どこかしら妙に身軽だ。怒る気分の出鼻を挫かれて。ティーダは思わず眼を瞬く。
 金色の髪の青年は、ベットの上に寝かされていた……
 首の傷におおきくガーゼが当てられて、両腕には包帯が巻かれている。腕には点滴が繋がっていた。が、呼吸は落ち着いているし、顔色もさっきよりはずっといい。もう一度「座るか?」と促されて、ティーダはおっかなびっくりカーテンをくぐった。
「えっと、お前誰だっけ」
「……ティーダ。こいつの友だちの、友だちッス」
「ふーん。おれはバッツ」
 よろしくな、と屈託なく笑いかける。ティーダは警戒心がすとんと肩からおちるのを感じる。
「……アンタはいい人っぽいんだな」
「え、なんのこと?」
「別に」
 さっきの《感じ悪い》連中に比べれば、バッツのほうはかなりマシなようだ。ティーダは薦められるままに椅子に腰を下ろす。ベットの上の青年と、バッツの方とを、代わる代わるに見比べる。
 色石を繋いだ耳飾りをしている…… 目の丸い、顎の小さい、きれいな顔立ちをしていた。だが表情は屈託のない子どものそれだ。バッツはベットのほうを見下ろして、「無事でよかったよな」と言う。
「無事って」
「ストリーガに咬まれたんじゃないかって思ってたんだけど、ジタンはたんに血を吸われただけだって。身体は弱ってるみたいだけど、まだ人間の匂いがちゃんとする。これなら倒さなくてもいいみたいで安心だよ」
「え…… え、え?」
 こちらを見上げて、ニッと笑う。「よかったな!」とバンバン背中を叩かれたが、しかし、ティーダにはバッツの言っている意味がまったく理解できなかった。
 ストリーガ? 血を吸う? 人間の匂い??
「あの、ストリーガって何のこと? 血を吸うって?」
「あぁ、ごめん、クランの言い回しが抜けなくってさ。ストリーガってのは、ヴァンパイアのこと」
「!?」
 ヴァンパイア…… 吸血鬼!?
「ちょっと待ってくれよ。吸血鬼!?」
「……あ」
 ティーダが思わず大声を出すと、バッツは露骨に《しまった》という顔をした。
 吸血鬼って。
 ティーダはまじまじとバッツの顔を見つめ、それから、ベットの上の青年を見る。首にあてられた分厚いガーゼ。そこにあった傷。
「え、えっと、いや、そうじゃなくて、ストリーガはストリーガで、吸血鬼じゃないよ! うん!!」
「このヒトがぶったおれたのって、吸血鬼に襲われたからだって言ってるんッスか?」
「違うって。いや、違わない。そうじゃなくて、ストリーガは獲物を咬んだら逃がしたりしない。だから違う。うん」
 あまりに露骨過ぎる狼狽のしかたのせいで、逆に、ウソを言っているとはとても思えない。
「お日様に当てちゃダメだって……」
「そういうこともあるって! ……あるよな? 普通の人間にも?」
「ってゆうか、さっきから《人間》って何のことッスか。あんた、まさか自分が人間じゃないとでも言いたいのかよ?」
 半ば怒鳴るようなティーダの一言に、バッツが硬直した。ヤケクソの勢いで言っただけの台詞の、あまりに明確すぎる反応に、ティーダのほうがぎょっとする。二人はしばし、お互いに唖然としたような顔のままで見つめあう。変な空気。
「……えっと」
 やがて、先に口を開いたのは、バッツのほうだった。
「あのさ、ティーダ? ……おれ、どっかそんなに人間っぽくなく見えるのか?」
「《人間》っぽく、なくって」
「耳とか、爪とか、牙とか、何か出ちゃってる?」
 尻尾はないよな、とバッツは居心地悪そうに腰をもぞもぞさせる。尻尾なんてあるわけがないだろう。眼も耳も、歯も、あたりまえの青年にしか見えない。
 決定的に変なのは言動ぐらいだ。
「別に…… バッツは、人間に見えるッスけど」
「そ、そっか。よかった」
 外見でバレたかと思った、と小声でつぶやく。そして今だ何が起こっているのかわからないティーダに向かってちょいちょいと手招きをする。つられるままに近づくと、バッツが耳元に口を寄せてきた。ナイショ話をする口調。
「―――あのさ、今のことだけど、スコールたちにはヒミツにしといてくれ」
「な、何をッスか……」
「おれが正体バラしちゃったって」
 バレたも何も、いまだにティーダには、バッツが何を言っているのか半分も分からない。だがバッツのほうはすっかり何か大事なことをティーダに感づかれたと思い込んでいるらしい。口調は真剣なものだった。
「おれさ、まだ人間の格好するようになってすぐだから、人間っぽい行動が苦手なんだ。いろいろ気をつけて練習はしてるんだけど」
「……」
「でも、正体バレたって言ったら、ものすげー怒られちまう。だから黙っといてくれないかな」
 バッツはどこか、頭がおかしいヒトなのかと、ティーダは一瞬真剣に疑った。
 けれど、バッツのほうは大真面目だ。耳につけていた飾りを片方はずすと、「これやるから」とティーダに手渡す。
「こいつを持ってれば、他のクランの連中にもちゃんと分かるから。きちんと話も通るし、むやみに攻撃されたりもしないと思う。だから、口止め代わりにしといてくれないかな?」
 何色かの石を繋げたピアスだった。ネイティブアメリカンの作るアクセサリーのような、どこか野性味があって素朴な細工だ。
 普通のアクセサリーだと思う…… だが、受け取った瞬間、ティーダは何か《変な感じ》がするのを感じた。背筋がぴりっとする。思わず眼を見開いてしまう。なんだ、これ。眼を上げてバッツのほうをみると、大きな茶色い目が真剣な色を浮かべてこっちをみていた。
 さっきから、バッツの言っている言葉は半分も意味が通っていない。というよりも半ば、わけのわからない妄言だとしか思えなかった。だが耳飾りを受け取った瞬間、とたんにリアリティが生じてしまう。バッツの、『人間っぽくなさ』に対する妙な現実感。
 ティーダは顔を上げ、まじまじと、バッツの顔を見つめた。
 ……元からティーダは、動物みたいなタイプだと周りからよく言われていた。考えるよりも直感で動く性格、妙な勘の良さを持っているということ、仕草の俊敏さ、他にも理由はイロイロとあるだろう。バカにされているみたいでちょっぴり腹の立つ評価だったが、しかし、ティーダ自身が自分の直感を信じている、というのは、まぎれもない事実でもあった。
 その『直感』が、告げていた。
 バッツは、さっきから、嘘をついていない。すくなくとも彼自身が本当だと思っていることしか、言っていないと。
 ティーダは耳飾りを見下ろした。たぶん珊瑚とトルコ石、緑色の石は分からない。青い石は……ラピスラズリだろうか?
「その、バッツ」
 もしかしたら、自分は今、とても大事なものの尻尾を掴みかけているのかもしれない。ティーダは慎重に問いかける。
「『クラン』って何ッスか?」
「氏族。おれは、元々ヒトじゃないとこから生まれたし、育ったクランもこのあたりのじゃないから、このあたりの『人間』にはなかなか馴染みきれなくって」
 バッツは当たり前のような口調で言う。とても奇妙なことを。まるで、ネイティブの口伝のような話を、平然と。
「おれは、山猫(ピューマ)のバッツ。父さんは放浪者のクランのドルガン。母さんはピューマの《まだら星》」
「え? ……お袋さんが、何だって?」
「だから、ピューマ。おれはシシ腹だから、母さんはピューマなんだ」
 バッツはちょっと笑う。はにかんだように。
「だからおれも、四本足で暮らしてた時間のほうがずっと長いんだよ。二本足で歩いて暮らすのには未だに馴れなくってさ。つまり、そういうこと」
 ティーダは思わず頭を押さえた。意味がまったく分からない。
「なんか頭グルグルしてきたッス……」
 それがティーダの、いちばん素直な感想だった。





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