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 ―――墓守の一族の先の長が乱心し、一族のものたちの襲っただけにのみならず、己の子である新しい長マリク・イシュタールを手にかけようとしたという報は、すぐに、王都にまで伝えられた。

「マリク! リシド!!」
 一族たちが集められ、手当てを受けている部屋へと駆け込んできたイシズは、弟、それに忠実な従者を見つけ出すと、すぐにその傍らへと駆け寄った。広い部屋に寝具を並べ、一族たちが手当てを受けている中、マリクは己をかばって重傷を負ったリシドの傍らに付き添っていた。姉の姿を見て顔を上げ、うれしそうに、「姉さん」と答える。
「大丈夫、ひどい怪我だけど、リシドには命の別状は無いって」
「ああ……」
 体中を包帯で覆われ、体力をひどく消耗しているリシドは、眼を薄く開くことは出来ても、声を出すことができない。マリクは彼の手を握り、「姉さんが、帰ってきたよ」と呼びかける。
「もう大丈夫。ボクもいるし、姉さんもいる。それに、王都からたくさんの人たちが、救援に来てくれた……」
 イシズはリシドの傍らに膝をついて座り、けれど、弟の態度が落ち着いていることに驚いた。見れば、身体のあちこちに手当ては施されていても、床に付くほどの傷は負っていないように見える。振り返り微笑む弟は、何故だか、ほんの数日前よりも、ずいぶんと大人びてしまったように見えた。
「あなたは大丈夫だったの、マリク……」
「うん」
 マリクは、わずかに、表情を曇らせる。
「でもボクには、父上を止められなかった……」
 一体、何があったというのか。
 耳目の多い場所では話せない、ということなのだろう。マリクが顔を上げると、双六がいる。騒ぎを聞きつけ、軍勢を整え、イシズをつれてこの迷宮墳墓へと戻ってきてくれたのは、この双六だった。彼は表情をかたく引き締め、マリクへと向き直る。マリクはまっすぐに双六を見つめ返す。
「お話したいことがあります、双六様」
「ここでは出来ん話かね」
「ええ。……奥に部屋を用意させました。話はそこで」
「心得た」
 マリクは、低い椅子から立ち上がる。そうして姉と従者を見て、「姉さん、リシドを頼むね」と言う。
「私にも…… 聞かせられない話なの」
「ううん、あとで姉さんにもちゃんと話すよ。でも、とても大切な話なんだ。ボクは…… 墓守の一族の長として、双六様に話さないといけないことがある」
 長、という言葉を、弟が自ら口にするとは。
 イシズは思わず口を開きかけ、けれど、途中で黙った。代わりに手を伸ばし、弟の手を軽く握った。
「マリク」
「なに……」
「……あなたが無事で、本当によかったわ」
 心からの姉の言葉に、マリクはわずかに黙り込む。けれど、すぐに笑みを返して、「うん」と答えた。
「大丈夫だよ。だって、ボクはもう、墓守の一族の長なんだ。しっかりしないとね」
「……」
「じゃあ、すぐに戻るから」
 そう言って、マリクは双六を伴って、部屋を出て行く。腰の後ろに千年杖が差されているのが見えた。どう思えばいいのかも分からなかった。安堵の中に混じる一滴の不安。けれど、なぜ、そんな思いを抱くのだろう?
 父上が罪を犯された…… その混乱ゆえだろうと片付けて、イシズはかるく頭を振り、不安を振り払う。そのとき、傍らから、にぶいうめき声が聞こえた。
「イシズ様……」
「リシド!」
 彼が薄く眼を開く。だが、焦点があっていなかった。イシズは宙を掴むように伸ばされた手を握る。落ち着かせようとするように、語りかけた。
「リシド、私、帰ってきたわ。双六様も、他にも、たくさんの方が助けに来てくださった。もう心配ないわ。安心して……」
 だが、リシドは答えなかった。低い呻き声。それが、不可解なことをイシズに問いかける。
「イシズ様…… マリク様の、左腕は……」
 左腕は、と繰り返す。不可解な言葉。イシズは困惑しながら答える。
「左腕……? どうにもなっていないわ。あの子の傷は、浅いものばかりよ」
「そ、んな」
「え?」
 そんな、はずが、とリシドは低く呻く。声に恐怖が滲んでいた。
 その言葉にどんな意味があるのかもわからず、イシズはただ、困惑と不安に、眼を瞬いた。




 マリクが双六をつれてきたのは、墓守の一族たちが暮らす場所のはずれ、打ち棄てられ、崩れかけた通路の向こうだった。
 そこならば誰の耳目も無い。枯れ井戸に通じる、隠れ通路の一つ。立ち止まれば奥には外へと続く井戸の底になっており、ぽっかりと丸い穴が空へと開いていた。穴の底にわずかに草が生えている。双六は不安に表情を引き締めてマリクを見る。重々しく口を開いた。
「マリク殿…… いや、イシュタールの長殿。いったい、何事があったのじゃ」
 マリクは短く黙り、そして、口を開いた。
「黒翼の封印が、破られました」
「……!!」
 双六が、眼を見開く。声を失った。マリクは淡々と答えた。
「父は以前より、墓守の定めを憎んでおりました…… 己をこの迷宮墳墓へと封じ、生きながら死者となる定めを負わせたこの世の全てを憎んでいた」
「それは……」
「愚かしいことです。おのれの定めを憎んだところで、なにも代わりもしないのに。―――けれど父は、ボクの千年杖を見て、乱心したのです。これを使えば、覇王の力の欠片である、黒翼の封印を解けると、そう、目論んだ」
 絶句する双六の前、マリクは、腰に差していた千年杖を、そっと手に取る。金の杖はマリクの手になじんでいた。今や、真の主として己を選び取った千年アイテムの一つ。
「ならば、先の長殿が乱心めされたのは……」
「はい。ボクからこの千年杖を奪い、黒翼の封印を解くためだったんです」
 マリクは短く言葉を切り、そして、言った。
「―――そして、封印は、解かれてしまいました」
 双六は呻いた。その顔に、ゆるゆると、絶望の色が浮かぶ。
「……なんという、ことじゃ」
「ボクは父を止めようとしました。けれど、為せなかった。……すべて、ボクの力不足です」
 マリクは、にわかに地面に膝を突く。己の前にはいつくばった少年を見て、双六は、狼狽の色を見せた。マリクは地面に額をこすりつける。
「すべては、愚かしい父と、父を止められなかったボクの力不足のせいです……!! 許されぬというのなら、どうぞ、この場で、ボクの首を取り、墓守の一族すべての罪の贖罪に……!!」
 双六は、まじまじと、マリクを見下ろす。
 わずか、10歳の少年だった。か細い手足をした子どもだ。長の座をついで、まだ、ほんの一月しか生きてはいない。
「マリク殿。そのようなことを、おっしゃられるな」
 双六は自ら砂に膝を突いた。マリクの頭を、上げさせようとする。
「そなたは精一杯に尽力された。父御の罪はそなたの罪ではない。そのような哀しいことを、おっしゃられるな」
「……」
 マリクは、ゆっくりと、顔を上げる。
 その眼には、ほんの数日前には無かった、強い意思の光があった。
「―――双六様、ならばせめて、ボクに、贖罪の機会を」
「それは……」
「ボクが自ら、父の罪を…… 黒翼を取り戻すため、この迷宮墳墓より出でて、父の罪を狩るものとなることを、許していただきたいのです」
 双六は、一瞬、絶句した。
 その言葉の、意味することは。
 マリクは視線を落とす。呟くように言った。
「無論、一族のものには言いません。伝えられようが無い。―――この迷宮墳墓から、最も封じるべきものが、すでに失われてしまっているなんて」
 ……そして事実、それは、マリクの言うとおりだったのだ。
 この迷宮墳墓は多くの謎と力を封じている。そして、その中で最も封印されるべきだったものこそが、覇王の力の一端、そのものだった。墳墓というのなら、まさしく王の遺体に比せられるべきもの。今だ宝は残ろう。だが、真の意味で守るべきものは、すでに、ここからはうしなわれてしまった。
 ならば、永遠にここの迷宮墳墓に留まり、覇王の力を守り続けるという使命は、すでに失われてしまったのだ。
「イシュタール一族の長として、お許し願いたいのです。覇王の力を封印し続けるという使命を、真の意味で果たし続ける許しを…… どうか!」
「……」
 双六は、返事に窮した。
 無論、己の一存で決められるような問題ではない。三千年の禁足を解くなどという重大な事柄だ。王の許しがなければとうてい許可の使用が無かった。
 だが、マリクの眼には、確かに力があった。その力がどこから来るものなのかは分からなかった。だが、その淡い紫の眼は、もはや、ほんの数日前、己の定めに怯えていた子どもの眼ではない。
 それは、神の竜を操り、千年杖に選ばれた、《決闘者》の眼だった。
「お立ちなされ、マリク殿」
 双六は、マリクの手を握る。小さな手だった。
 立ち上がらされたマリクの額には、墓守の一族の長であることを示す、ウジャトを刻んだ宝冠がある。魔よけの刺青に彩られた眼。それが、まっすぐに双六を見る。
「ワシの一存では決めかねる――― だが」
 双六は、ためらいながらも、答えた。
「……太陽王殿にも、お口ぞえを戴こう。そなたが己の使命を果たしたいのなら、ワシは、それを認めたい」
 ……マリクは、知らず、詰めていた息を、安堵したように吐き出した。
 ふかく息をつき、肩の力が抜ける。キッと奥歯を噛み締めたマリクは、深く、頭を下げた。
「お心、ありがたく存じます」
「……」
 双六は、そんなマリクを見下ろした。そうして、困惑とためらいを含んだ眼で、その手に有る千年杖を、じっと見つめた。

 ―――やがて、双六が、去って。

 枯れ井戸の底には、ほのかに、太陽の光が、差し込んでくる。
 マリクはゆっくりと、光の下へと歩いていく。まぶしさに眼がくらんだ。頭上を見上げると、そこに、空がある。かつてリシドの手に抱かれ、見上げたものと、同じ空が。
 くくく、と、心の奥で哂う声が聞こえた。
《たいした面の皮だなァ、主人格様よォ……?》
「……」
《テメェで殺したジジイの死体は消えちまった。あの方の力はテメエのもんだ。そうして、口をぬぐって知らんぷりか》
「……違う」
《あン?》
 マリクは、眼を細め、頭上を見上げながら、呟く。噛み締めるように。
「あの方のお力は、ボクのものなんかじゃない。そして、あの方は、まだ己の定めに目覚めていらっしゃらない」
 マリクは、左の手を、ぐっと握り締める。一度は失ったはずの腕。
 黒翼の力によって、再び、授けられた腕だった。
 今もマリクは、己の中に、力を感じる。今も息づく漆黒の翼を。
 黒に染む翼。それに包まれて、マリクは一度死に、そして、生を受けた。―――この命は、覇王と呼ばれた少年によって、ふたたび与えられた命だ。
「ボクは、外の世界へ行く。そうしてきっと、あの方を見つける」
《……》
「あの方にお目見えしたい。同じ地を踏み、同じ空気を呼吸し、血肉を持って生きていらっしゃる、この世に顕現したあの方に、お会いしたい。お前の望みも、同じはずだ。そうだろう、《もう一人》……?」
 短い沈黙の後、それを肯定する答えを、感じた。
 マリクは己の胸に手を当てる。
 
 あの方は、ボクに命を下さった。
 戦い続けることによって、真に生きるという、生き方を。

「ボクはきっとあの方を見つける。お前も、協力してくれるな?」
《協力だとな。はっ》
 皮肉っぽい声が、心の中で響いた。
《俺は、お前の力を使わせてもらうだけさ》
 マリクは答えない。ただ、頭上を見上げる。
 そこには空がある。太陽に照らされ、蒼く晴れ渡る空が。

 ぼくは、あれがほしいよ……

 マリクは、とうとう、手に入れたのだ。
 己を照らし、冴え渡る青い空と、そこに輝く太陽とを。
 ―――ならば次も、己が望むものを、手に入れてみせる。
 黒い翼を持つ、美しく恐ろしい、あのお方から注がれる眼差しを。
「ボクは…… 戦う」
 マリクは、強く、千年杖を握り締めた。




 ―――黒翼の永き眠りは、こうして、解かれたのだ。









GAIR666.com様のパラレル企画、『D☆M☆A』の番外編SSです。
細かい設定は先方を参考にしてください。
〔BGM: 最愛なる魔王さま byALI PROJECT〕




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