戦 争 寓 話


1.



 パシャはマリーの髪に触ってみたかった。見たことも無いような色の髪だからだ。トウモロコシの毛のような金色。
 しかし、だいたい『マリー』という名前はどうだろう。あまりに耳慣れない響きで、パシャもチェリも何度も間違えてしまう。バヤンは賢いから一回聞いただけで覚えてしまったらしいけれど。
「マリーさんは遠い国で生産されたんですよ」
 バヤンは言った。マリーをここの国につれてきた、NGOの人間から聞いた話だということだった。
「マリーさんは、もともとは家庭用に生産されたんだそうです。でも、型番が古くなったから、NGOに払い下げられたんだそうですよ」
「要するに中古だってことだろ」
 チェリは悪態をついた。近くの燃樹の上から、ぶらさがった二本の足が見える。チェリが着ている服も、やはり、NGOから払い下げられたものだった。毛玉の出来たニットのタイツと、くまの模様がついたジャンパースカート。長い髪はお下げに編まれて背中にゆれている。チェリは遠くを見ているようだった。だから、パシャも空を見上げた。
 燃樹の木が茂った下には、色とりどりのテントや、バラックがひしめき合っている。遠くには丈高く草が茂っていた。風に揺れていた。風は遠くの硝煙の匂いを運んでくる。
 パシャとチェリとバヤンは南の国に生まれた。この国は、三人が生まれるよりもずっと、ずっと前から戦争を続けていた。
 原因はもう分からない。この国が植民地にされたということ、開放されたと同時に立てられた政権が軍事政権になり、植民地時代の特権階級を虐殺したということ、その報復がゲリラ活動となって始まったことなどが原因だともされているが、いまとなっては考えてもしかたが無い話だと思う。そもそも、まだ子供であるパシャやチェリやバヤンには、考えてもわかりようのない話ではある。
「おい、遅刻すっぞ」
「いけね」
 声をかけると、チェリは慌てて燃樹から飛び降りた。バヤンはもう先にたって、砂利道を踏みながら、そわそわしながら待っている。二人は走り出した。バヤンの後を慌てて追いかける。
 三人の住んでいる難民キャンプの隅には、NGOが建設した学校があった。コンクリートブロックを積み上げて、トタンの屋根をかけた建物。雨が降ると周りはどろどろのぬかるみになる。があがあと騒ぎながら、どこかの鵞鳥が学校のそばを歩き回っていた。石版をつめこんだカバンをカタカタと鳴らしながら走っていくと、そこには、金色の髪の『マリー』が子供たちを待っていた。
「コンニチハ、パシャ、チェリ、バヤン」
「おはようございます、マリーさん」
「おはよう」
「……はよ」
 ふてくされたような声で答えたパシャの頭をチェリが小突く。いて、などと言いながら、パシャは、上目遣いにマリーを見上げた。
 褪せたブルーのワンピースを着たマリーは、にこにこと優しい笑顔で、子供たちを迎えている。年のころならば、20前後といったところだろうか。長い髪はまっすぐで、背中でひとつに束ねられている。瞳の色は緑。ガラス玉の緑だ。
「せんせい、おはよう!」
「ハイ、おはようゴザイマス」
「マリーせんせー、これ、みて! 道のはしっこに咲いてたの!」
 泥だらけの顔をした、三人よりも小さな子供たちが、マリーに向かって、オレンジ色の花を差し出す。まあ、とマリーは笑った。うれしそうに花を受け取る。
「じゃあ、飾っておきマショウ。それジャア、授業を始めるノデ、アナタがた、教室に入ってくだサイ」
「はーい」
 全員が席につくまでには時間がかかる。小さな子供たちはきゃあきゃあと遊びまわっているし、年かさの子供たちはおしゃべりに忙しい。それでもマリーにたしなめられて、なんとか全員が席に着く。前に立ってそれを確認すると、「サア」とマリーは言った。
「それでは、いつもの言葉をとなえまショウ」
 教室で、ひびの入った黒板の前に立ち、マリーは、年齢も容姿もさまざまな子供たちに言う。
 下はまだ6つの子供から、上は15になる少年少女までいる。肌の色は違うけれど、みな、薄茶色から濃茶色までの濃淡を描いているということは同じだ。
「ワタシたちは、義務として初等教育を受けることができル」
 子供たちは、がやがやと答えた。
「わたしたちは、ぎむとして、しょとうきょうくをうけることができる」
「ワタシたちは人格、才能ならびに精神的および身体的能力を最大限可能なまで発達させることができル」
「わたしたちは……」
 机は古くて揺らすとガタガタと音が鳴った。バヤンは生真面目に言葉を復唱していたが、パシャには今ひとつ意味が分からない。チェリのほうをちらりと見ると、チェリは、鼻の上に鉄筆を載せて、より目になってバランスを取っていた。ふと、マリーがそれに気づく。くすりと笑って、「じゃあ、授業をはじめマス」と言った。


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