12



 二人で泉の洞を出ると、エウリィとヨタカは里の裏に回った。大きく張り出した枝と気根の間。まるで外階段のように、塔の外へと張り出した場所へと。
 苔むした幹に背中を預け、エウリィは考え込むような顔をする。ヨタカはしゃがみこみ、頭を抱えた。
「勘弁してくれよ……」
 今、ヨタカの中で崩壊しようとしているものがある。―――冒険者としてのアイデンティティだ。
 モンスターたちは敵であり、人間を脅かすもの。邪悪であり敵対するもの。それが今までのヨタカの冒険を可能にしてきたアイデンティティだった。だから魔物と戦うことも、ダンジョンにもぐることも出来たのだ。けれど、この場合はどうしろというのだろう。あきらかに侵略者は人間のほうであり、その上、ダークエルフたちはヨタカにとって、少なくとも半分は血の繋がった仲間ですらあるのだ。
「落ち着きんしゃい、ヨタカ」
「お前は落ち着いてるのかよ!?」
「……」
 エウリィは、困ったような顔をして、ヨタカを見た。
「あんまり時間はないかもしれん」
「じゃあ、ダークエルフの子供たちをつれて、逃げるのか……? そしたら、あのリコリスって人はどうなるんだよ」
「リコリスだけじゃなぁで。ワームウッドもここに残って戦うゆうと思う」
「え、なんで……」
「たぶん、リコリスの腹の子供のおとんは、ワームウッドじゃ」
 ヨタカは絶句した。エウリィは淡々と言った。
「ダークエルフは普通夫婦にならんのよ。好きな相手と好きなときにつがって、子供は母親と部族全体が育てるゆうもんじゃ。やけど、あの二人はげに仲がええけ……」
 ダークエルフの、子供。
「……ダークエルフはお産が重い、ってあの人は言ってたよな」
「ほんまじゃ。ウチがこの城に来てから、子供は一人しか生まれとらん。やけど、そんときの子供のおかんは、げに可哀想なくらい弱ってしもうた」
 敏捷で、長命で、魔力にあふれ――― 脆弱な体を持ったヨタカの半身の血族たち。
 その特徴はヨタカにも当てはまる。魔法はあいにくつかえなかったが、並みの人間よりも敏捷で手先が器用、そして、歳を取る速さは並みの倍ほどにも遅い。そしてヨタカはあまり体が強くない。普通の人間なら耐えられるレベルの負傷であっても、ヨタカにとっては致命傷になりかけたということが何度もあった。
 ならば、とヨタカは思う。
 顔を見たこともない母も、ヨタカを産むためにそれほど苦しんだのだろうか? ましてやヨタカは人間とのハーフだ。異種族との間に生まれた胎児は、母体を苦しめはしなかっただろうか? なぜ、母はヨタカを産むことを選んでくれたのだろうか。―――通常のダークエルフならばありえないような、『その決断』がなければ、ヨタカはここに存在しなかったかもしれないのだ。
「どうすんだよ……」
 ヨタカは思わず呻いた。
「お前だったら、逃がせるのか?」
「たぶん。移動魔法陣を使えばええし」
「移動魔法陣?」
「この塔には大昔の移動魔法陣がたくさん残っとるん。一方通行じゃけえ、出るときにしか使えんけど、ウチなら発動できる。でも……」
 エウリィが口ごもる。エメラルドの目が揺れる。エウリィも迷っているのだ、とヨタカは思った。
 とても看過できないこの依頼。だが、もしも断るのなら、それはそれこそダークエルフたちを見捨てることになる。人間の冒険者たちがやってきたならば、彼らは死力を尽くして戦うといっていた。その戦いに『和解』はありえない。なぜならダークエルフは『モンスター』であり、倒されるべき邪悪な存在だからだ。
 ……人間にとっては『そう』なのだということを、たぶんヨタカは、誰よりも良く知っている。
 ヨタカは呻き、髪をかきむしった。打開点が見つからない。
「くそ、俺一人じゃダメだ…… 盗賊一人で何ができるっていうんだよ!!」
 そんなヨタカを見下ろしていたエウリィが、ふと、ぽつりと呟いた。
「あんた一人やない。ウチもいる」
「……え?」
 エウリィはヨタカの隣に座る。足を伸ばすと、しゃらん、と金銀の環が鳴った。
「ウチもこの依頼はどうしても気に入らん」
「……エウリィ」
「リコリスはウチの知り合いじゃけえ、どうしても見捨てとうない。リコリスとワームウッドの子供の顔もみたい。じゃけえ、ウチもできれば、別の方法で里を守りたい」
 にっ、とエウリィはヨタカに向かって笑いかけた。ヨタカはぽかんとその笑顔を見る。エウリィはすぐに真顔に戻る。顎に手を当てて、膝に頬杖を付いた。
「やけど、その方法が分からんのが問題……」
「……」
 その通りだった。
 冒険者たちを、いかにして、排除するか。
 死力を尽くして戦い続ければ、打開されるかもしれない。けれども、それは勝つ見込みのない消耗戦となる。なぜなら冒険者たちは後から後からやってくる。それはヨタカにとっては確信だった。いくら排除しても、相手は無限に現れ続けるのだ。―――そして、『死力を尽くす』ための力すら、ワイバーンのモロスを欠き、長のリコリスを欠いた里には、存在しないのだ。
 そして同時にヨタカは、彼らと戦いたくない、とも思っていた。心ひそかに。
 だって…… 同じ冒険者じゃないか、と。
 ここではなく街の酒場ででも会えば、酒を酌み交わし、喧嘩をしたり、笑いあったり、情報交換をしあっただろう冒険者たち。彼らを殺すことなど恐ろしくて考えることも出来ない。そして、もしもその中にヨタカの仲間がいたら? いなくなったヨタカを探すために再び黒鳥城に挑んだ仲間が、たとえば、リコリスと戦うことになったら? ……考えたくも無い想像だった。
「ちくしょう、どうしろっつーんだよ」
「ウチらで戦う、ゆうのは意味ないし……」
 ヨタカは思わず眼を上げた。エウリィを見る。エウリィはすこし笑う。
「ウチ、強いよ?」
「え?」
「でも、ようけおったら対応もでけん。たくさん来よったら手も回らん。意味ないわ」
「う、うん」
 エウリィの真意を測りかねる。ヨタカは言葉を濁らせた。
 たしかにエウリィは正体が分からない。無数の魔道具を身に着けているところを見れば、もしかしたら、彼女自身も魔道士に近い能力をもってるのやもしれない。だが、それもこの場合には意味のない話だった。戦って殺してはだめなのだ。相手は多数、こちらは少数。その前提の中で、相手を傷つけずに、外に送還するだけを考えなければ……
 その瞬間、ヨタカの頭の中で、なにかのピースが、かちりと触れ合った。
「ちょ、……エウリィ!」
 ヨタカは慌てて手を伸ばし、エウリィの二の腕を掴んだ。しゃらん、と環が鳴る。エウリィがめんくらったように目を瞬く。
「なん?」
「さっき、『移動魔法陣が使える』って言ったよな!?」
「う、うん」
「発動条件は?」
 エウリィは、戸惑いながらも、答えた。
「え、えと、魔法陣そのものは塔全体に散らばってるんじゃ。それをな、ウチが発動ワードを入れると、動くようになる」
「それ、お前がいなくても発動できんのか? 触ったら発動する状態に保持するとか?」
 ヨタカは勢い込む。エウリィは長いまつげを戸惑い気味に瞬く。しばらく考え込み…… けれど、きっぱりと答えた。
「できる」
 そして、ふと、二ッといたずらっぽく笑った。
「証拠、みせよか」
 エウリィは手を上げる。長い髪を手で払いのけると、壁を覆った蔦をかきわける。ヨタカが目を瞬く前で、エウリィは、こじ開けた蔦の隙間、塔の岩肌に手を当てた。
 やわらかい唇が、『力ある言葉』を紡いだ。

『冥王竜の名において、巻き戻されよ、アリアドネの糸!』

 その瞬間、ぱりっ、と空気を静電気が走り、オゾンの臭いが立ち込めた。
 エウリィの手を中心に、青白い電光が走りぬける。放射状に走った放電は、見る間に雷光の環を作り出す。だが、そのまばゆい輝きは一瞬だった。呆然とするヨタカの目の前で、最後に、かすかにきらきらと光る環が、壁に刻まれて残る。
「さ、触れてみぃ」
「え、ええ?」
 エウリィは面白そうに笑いながら、ヨタカの手をぐいと掴む。たじろぐヨタカを構わずに、その手をむりやり壁の環に近づけた。
 触れた瞬間……
 視界が、紫電の色に、スパークした。
 次の瞬間、ヨタカは、何もない中空に放り出された。
「わ、わ、わあああっ!!」
 足元に何もない。体に触れている感触は手を握ったエウリィの手だけ。思わずすがりつく。バランスを崩す。
 盛大な、水しぶきがあがった。
「うぁぶっ……!!」
 足元が取れない。思わず溺れかける。口の中に水が入り込む。その暴れるヨタカの襟首を誰かが掴む。ぐい、と水から引きずり出した。
 ずるずると水から外へと引きずり出される。ヨタカはげほげほと咳き込み、水を吐き出した。草の上だった。上からあきれたような声が降ってきた。
「何をしているのだ、エウリュアレー、半人?」
 ワームウッドの声だ。
 ヨタカは呆然と周囲を見回した。
 塔の重なり合ったテラスに築かれた、ダークエルフたちの村。その牧歌的な風景。柵の中で飼われている大トカゲ。そして、驚いたような顔でこっちを見ているダークエルフの子供たちや女たち。
 そこは、村の畑にある、水貯めの中だった。
 背後を見ると、驚きと呆れの入り混じった顔のワームウッドがいる。耳がぴくぴくと神経質に動いていた。そして、逆の傍らを見ると、エウリィが水からあがってくるところだった。しずくの垂れる琥珀色の髪を絞りながら、ヨタカの顔を見て、ぱちりとウインクをする。
 その瞬間、ヨタカは、自分の中で全てのピースがかみ合うのを感じた。
「はは、ははは……」
 いきなり笑い始めるヨタカに、背後のワームウッドが顔をしかめる。けれどもヨタカの笑いは止まらない。
 いける…… いける!
 打開点が、見つかった。
「エウリィ! ワームウッド!!」
 いきなり立ち上がり、逆に手を掴むと、ワームウッドはぎょっとしたように身を引いた。エウリィはきょとんとこちらを見る。ヨタカは拳をぐっと握り締めた。その感触がたしかに知らせる。自分は状況に流されていない。確かに打開方法を見出した。
「いける! 俺、いい方法思いついた!!」
 ヨタカは拳を突き上げ叫ぶ。エウリィとワームウッドが、顔を見合わせた。
 



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