11


 ―――ダークエルフたちの里は、『青蜥蜴の塔』の最上階、空中庭園の上にあった。
 塔を半ば呑み込んだ巨大な樹が樹冠を広げ、塔の上には燦々と日の降り注ぐ野原が広がる。どうやらそこではなんらかの作物が栽培されてもいるらしく、小さな畑らしきものも見え、囲いをした中に何匹もの太った大蜥蜴がいるのが見えた。武装したダークエルフたちの一行が戻ってくると、女や子供のダークエルフたちが出迎える。けれどもワームウッドはそれすら意に介さず、早足に里のなかを横切った。エウリィもすばやくそれを追う。ヨタカも慌てて後を付いていく。
「な、なんなんだよ、エウリィ!?」
「リコリスがお目出度なんじゃ」
「リコリスってその人、……ダークエルフの長なんじゃないのか!」
「うん!」
 うん、ってなんだ。ヨタカはよけいに混乱する。
 目の前で、ワームウッドが、つるされた布の帳を、蹴散らすように乱暴にかきわけた。
「リコリス!!」
 叫んだ声が広い伽藍に放たれたように反響する。……そこは、ぽっかりと開いた大きな木の洞だった。
 清澄な水の匂い。さわやかな樹の匂い。樹脂の匂い。混ざり合った香りがかすかに漂う。薄暗い。けれどまもなく目が慣れた。―――ヨタカははっとする。何か大きな影が、洞の中央にうずくまっている。
 その洞は、ひどく広く、そして、伽藍のように丸い天井を持っていた。そして、その中央に水のようなものが沸きだしている。清澄な水がひたひたと足を洗う。かすかに温かく、清らかな香りのする水が。
 膝の上まである水の中を進むワームウッドの目の前で、何人かのダークエルフ女が顔を上げた。その中央に一人の女がぐったりと横たわっていた。浅くなるように水中に寝椅子のようなものが組まれている。長い白髪が濡れて額に張り付いている――― 美しい、少女のような面差しの、ダークエルフの女。
「ああ、ワームウッドか……」
 女はわずかに顔を上げると、痛みをこらえるように微笑んだ。
「見回りはどうした? 冒険者どもに塔を荒らされてはいなかったか」
「―――……」
 ヨタカは気づいた。……女の腹が、丸く膨れていた。
 では、この女がダークエルフの長だというのだろうか?
「ひさしぶり、リコリス」
 エウリィが、おだやかに声をかける。立ち尽くすワームウッドの傍らを通り過ぎる。水に半ば漬かった女、リコリスは、苦しげに微笑んだ。
「ひさしいな、エウリュアレー……」
「依頼がある言うけえ、来たんで。どうしたん?」
 ヨタカはふと気づく。二人の背後に、何か、巨大なものがうずくまっている。
 話に聞き耳を立てるのも忘れて、思わずそろりと視線を持ち上げた。ひどく大きい。小山ほどもあるだろう。たたまれた巨大な羽。金属光沢を持った細かくなめらかな鱗。青い。昼空のような晴れやかな青さと、夕空のような透き通る青さが斑になって、体に美しい斑紋を描き出している。
 ヨタカの耳が、驚愕と恐怖でピンと天を突いた。
 ヨタカの目の前で、『それ』はわずかに身じろぎをした。長い首。鱗に覆われた小さな耳。枝分かれした白い角。薄い瞬膜が瞬いた。目は黄金。瞳孔が砂時計のようにくびれていた。
「ワイバーン……!!」
 蛇のように細い体躯、鉤爪を備えた二本の足、鹿に似た角、大きな翼。飛竜ワイバーン。下級の竜の眷属。
 しかし、下級といってもそれは竜族だ。非常に強力なモンスターであることは間違いない。思わずヨタカは一歩あとずさるが、ワイバーンはすぐに元通りに目を閉じると、水の中にうずくまった。
 ヨタカは拍子抜けした。ぽかんと口を開けると、誰かがくすりと笑った。見るとリコリスだった。額に脂汗を浮かせたまま、少しばかり、可笑しそうに笑っている。
「モロスだ」
「も、モロス」
「青蜥蜴の塔の主だ。我らの盟友でもある。……しかし今は、傷ついていて動けない……」
「あまりしゃべらんと」
 苦しげにあえぐリコリスの背中を、エウリィが撫でた。言葉の後はワームウッドが続けた。独り言のように。
「我ら、翡翠樹の氏族を守る守護獣だ。我らはモロスの血族と共にこの『青蜥蜴の塔』に暮らした。モロスは我らを守ってくれた。我らはモロスとともにあった……」
 ヨタカはワイバーンを…… モロスを見る。蛇のように細い体、二本の足、大きな翼。けれども、そのわき腹を裂くように、ざっくりと傷があるということにふいにヨタカは気づく。
 傷口は縫い合わされていたが、それでも痛々しく腫れ上がり、鱗のはげた様子は隠れない。モロスはぐったりと頭を垂れている。ダメージが大きいのだろう。
「ウチを呼んだんは、モロスのためなん?」
「いや。……我らが逃れるためだ」
 逃れる、という言葉に、いっせいに、ダークエルフたちが黙り込んだ。
 リコリスに付き添った女たちや、ワームウッドをもが、陰鬱な表情で沈黙する。ヨタカには訳が分からなかった。エウリィは目を瞬く。真剣な目で問い返した。
「どうして?」
「―――モロスが傷ついたということを、人間どもに、知られてしまった」
 リコリスは、はあ、はあ、と短く喘いでいた。けれども、その目の冷徹な冷静さは失われていない。ダークエルフの部族を率いる長らしい、冷徹な判断力を満たした瞳。
「モロスはどうしたんね」
「塔に侵入してきた冒険者たちと戦闘をして、負傷した。今は見ての通りの…… 状態だ。モロスも私も」
 リコリスは、唇に、皮肉な笑みを浮かべる。
「なんにしろタイミングが悪すぎる。私がこの状態では部族を率いて人間どもと戦うこともできないし、モロスを頼りにするわけにもいかない。早晩、人間どもがこの塔へとやってくるだろう。その前に―――」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!!」
 思わずヨタカが割り込むと、リコリスは声をとぎれさせる。
 ダークエルフ。漆黒の肌に、金属光沢の目を持つ、美しい女。まるで少女のような風貌の女。けれど、彼女の口にした言葉は、ヨタカにとっては看過しがたいものだった。思わずヨタカは早口に口走る。
「ちょっとまてよ。それって、そのモロスっていうワイバーンが怪我したから、この塔から逃げるって意味か?」
「……ああ」
「アンタはどうするんだよ。だって、そんな…… もうすぐ子供が産まれるんだろう!?」
 産褥の床で苦しむリコリスを見れば、彼女が今は一歩も動けない状態だということはすぐに分かった。同時にヨタカは気づいてもいた。なぜ彼女たちが、モロスが、ここにいるのか。この泉の中に体を浸し、動こうとはしないのか。
「この泉、治癒効果があるんじゃないのか? 俺には魔力がないからよくわからないけど……」
 透き通り、わずかに樹液のような香りを漂わせるその水。ヨタカは気づいていた。壁を見れば、巨大な木の洞のような壁面の下にまで、苔の密集が続いている。
 通常、水の中に苔は生えない。水面より上から下へは入り込まないほうが普通だ。けれども、この泉はその例外である――― ヨタカは同じ泉を知っていた。いくつか見たことがある。聖泉などと呼ばれて尊ばれる、一種のヒール効果を持った水などでは、苔がこういった生え方をするのだ。
 モロスが水に漬かっている理由は傷を治癒させるためだろう。そして、リコリスが水に漬かっている理由は―――
「我々は、滅多に子をなさない」
 リコリスは淡々と呟いた。
「我々の体は、長い時を越えるが、脆弱だ。女にとって出産は大きな負担となる。時に女は何日もの間出産のために苦しむ」
「―――」
「タイミングが悪すぎる。私はとても動けない。堕胎してしまうだけならばいい。だが、この赤子を今腹から引きずり出せば、私も赤子も死ぬだろう」
「そ、んな」
 その返事に、ヨタカはうろたえた。
 出産で動けない。だから自分を切り捨て、仲間たちを別の場所へ逃がす先導をしろと――― リコリスは、そうエウリィに懇願しているのだ。
 思わずすがるようにエウリィを見る。エウリィは、厳しい表情で眉を寄せていた。
「リコリス、あんたはウチにあんたを見殺しにする手伝いをしいと言うとるんけ?」
「……直裁に言えば、その通りだ」
 リコリスは、きっぱりと言った。
「この塔には、次第に人間どもが増えている。……塔の入り口を守っていたモロスが傷ついたせいだ」
「ここは平和な場所じゃけえ……」
「ああ。我々とモロス以外でここに住むのは、弱い生き物たちばかりだ。人間どもにたやすく侵食されてしまうだろう。そして、もしこの里を人間どもが見つけたならば、おそらくやつらは手加減すまい」
「さ、さっきから、人間ども、人間どもって言うけど!!」
 ヨタカは慌てて割り込む。とても看過できない話が目の前で展開されている。
「アンタの言ってる人間ってのは冒険者たちのことだろう!? まさか、妊婦を殺したりするようなことなんて……」
「我ら誇り高い部族に、人間風情に下れと言っているのか、貴様」
 リコリスの声が、凍るように冷たくなった。
「子を成す時だから手加減をしろと…… モロスは傷ついているから手を出すなと言えと? そのようなことを人間どもが許すものか。汚らわしい半人めが」
 リコリスはゆっくりと手をもたげる。透き通る紫色の爪を持つ手。指先に雷火がぱちりとひらめく。ヨタカは鼻先ではじけた雷光に、思わず悲鳴を上げてのけぞった。そのままバランスを崩して転倒すると、ばしゃりと鉱水が飛び散る。リコリスは哂う。
「虜囚の辱めを受けるくらいならば、我らは死を選ぶ。だが、我らが部族には子供がいる。子供を守るためならば大人が居なければなるまい。戦士たちを護衛に付けて、子供たちだけでも逃がしたい」
「―――じゃあ、アンタたちは……!!」
「勘違いをするな」
 リコリスは微笑った。かすかな苦さを帯びた笑み。
「何もせずに殺される気などない。残った者たちは何があろうともこの里を守る。だが、人間どもは我らの宝物のためならば、容赦なく我らを狩り立てるだろう」
「狩り立てる、って……」
 そんな、と言いかけて、ヨタカはふいに声を途切れさせる。エウリィがヨタカを見る。絶句し、口元を押さえるヨタカを。
 ヨタカは思い出していたのだ。……青いワイバーンに守護された塔、についての話を。
 パーティの仲間たちと共にこの黒鳥城の攻略を計画した時、たしかにこの塔が名に上がっていたのだ。巨大な樹と一体化し、飛竜に守られた塔。ワイバーンを倒せば、そこからの攻略が可能ではないかと、たしかにそう話をした記憶があるのだ。
 ワイバーンの居ない間にこの塔へと入り込み、途中でクエストを中断して戻ってきたパーティのもたらした情報が、たしかに冒険者たちの間には出回っていた。回復のための泉がそこかしこに湧き、敵のレベルも低い。攻略しやすい場所。
 ―――そこを守護するワイバーンと、ダークエルフ。その双方がいなくなったならば、たしかにこの塔は、黒鳥城攻略のための、重要な拠点になる!
「う……」
 回復ポイントを備え、強力なモンスターも出現しない。ならばその塔を目標に目指し、回復の泉を使用しながら、この黒鳥城全体を攻略することを考える、というのは有効なクエスト方法となるだろう。ヨタカの中の『冒険者』としての経験がそれを確かに知らせる。
 リコリスたちが守るといっている『宝』とは、他の何者でもない、この豊饒なダークエルフの里そのものだ。冒険者たちに占拠されたなら、その場所そのものが重要な黒鳥城の攻略拠点となってしまう、里そのものだ。
 ヨタカが青ざめるのを見て、何を思ったのだろう。エウリィはしばらくヨタカの横顔を見ていた。
 そして、静かに、言った。
「ちいと、考えさせてつかあさい」
「……ああ」
 リコリスは薄く笑った。凛々しい少女のような、可憐な面差し。
「よい答えを期待しているぞ、エウリュアレー」





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