1.


「ちしゃ頭(ラプンツェル)ですって? はあ、そう呼ばれとる娘はたしかにおります。ほら、あそこを行く下働きですわ」
 下人頭の男は、やや困惑した様子でそう答えた。丸々と太った腹をした、働き者らしい様子の男だ。彼の指差す石の窓の下を、一人の娘が汚物の桶を担いでよろよろと歩いていた。汚れた金色のショールを首に巻きつけている…… いや、首に長い髪を巻きつけている?
「ちしゃ頭、ってのは、まあ、この地方で『あほう』とか『知恵たらず』とかいう意味ですわ。あのラプンツェルは見ての通りのちしゃ頭でね。だからそう呼ばれ取ります。悪い娘じゃないんだが、ほうっておくといつまでもぼうっと座っているだけでね。あまり難しい仕事もさせられんので、厨房の灰をかかせたり、水汲みや屑捨てなんかの仕事をさせとります。……しかし、使者殿がなんでそんなことをお聞きで?」
「いや、うわさに聞いたのです」
 男は困惑しながら目の前の男を見る――― 若い男だ。
 年のころなら20前後というあたりだろうか。革の長靴から服に至るまで全てが黒尽くめ。こげ茶色の髪を首の後ろで一つにくくった王都風のいでたちに、涼しげな青灰色の眼をしている。けれど、その優しげで秀麗な面差しに傷をつけるのが、頬に残された三筋の深い傷跡だった。古い傷跡のように見えた。
 王都から派遣されて、何かの調べごとをするためにこの領土に来た男。腰には立派な拵えの剣を刷いているが、騎士のいでたちではない。どこぞの貴人の使用人だろうか。それがどうして、あのつまらないちしゃ頭のことなどを知りたがるのだろう?
「なんでも、このルドの領土の裏山には、深い穴があるのだとか」
「ああ、ございますよ。『石炭袋』ですわな」
 ルド。山際のちいさな町。あまり大きくは無いが果物の生産が多く、ルドで作られる葡萄酒は味がいいと評判だった。だが、同時にルドの周りには葡萄の小作人になることを望んで流れてくるものたちも多い。彼らはよく野垂れ死んでは屍を野にさらした。それを片付けるためにあるのが、裏の『石炭袋』と呼ばれる深い深い穴だった。
「まあ、不吉な場所ですんで、近づくものはあまりおりません。死体をほうるための穴ですからな。ルドの子供だったら、夜中に寝なけりゃ石炭袋に捨てるよと誰でも脅されます」
「ラプンツェルは、その『石炭袋』から来たのだとか……」
 男は目を見開いた。
「なんでよその方が、そんな噂を知ってなさる?」
「はは、まあ、色々です」
 男は苦笑しながら、指で頬を掻いた。妙に気さくな印象の仕草だった。その黒尽くめの身なりにあまり見合わない。
「世の中には趣味の悪い連中もいるもんでねぇ、言い出したヤツがいるんですわ。『石炭袋』には捨てられた連中の隠してたお宝が眠ってる、なんぞと」
「ほう?」
 旅行小作人たちは、その財産を守るために、すべてを宝飾品にして身に着けているのが常だ。たいていの場合、それらの宝飾品は、屍骸を捨てる前に剥ぎ取られ、領主のものへと没収される、さもなければ死体を捨てるものたちの手のなかに落ちるのが常となっている。けれども、中には口の中や性器、肛門のなかにでもお宝を隠していたやつらがいたのではないか、それらの宝が『石炭袋』のなかに溜まっているのではないか、と男たちは考えたのだ。
「考え出したのがここの小作人の若い衆でねぇ、なんで本気になったのやら。『石炭袋』のなかに綱梯子を下ろしてみたんですわ。そしたら……」
「……あの子がいた、と」
「へえ」
 ―――数十年、もしかしたら数百年の間屍骸を呑み込みつつけていた穴のそこに、なぜか、生きた少女が存在してしていた。
「まあ、ほっとくわけにもいかねえってんで、上に来るかこねえかっていったら頷いたらしいんで、ここにつれてこられたんですわ。でも、まあ、口も利かねえ脳は足りねえ、仕方ないんで下働きをやらせてるんですわ」
「妙な娘だと聞きましたが…… 長い髪ですね」
「嫌がるんですわ切るのを。痛い痛いって言うんでね。仕方ないからほうっておいてます。……でも、ほんとになんであんな娘なんぞに興味をお持ちで?」




 ラプンツェルは、野菜の屑を豚の作の中にぶちまけて、ほう、と一息を付いた。
 豚たちは野菜屑に殺到し、鼻を鳴らしながら食べ始める。中には小さな豚も居る。大きな豚に挟まれて窒息してしまいそうだ。ラプンツェルは何も考えない灰色の目でじっとそれを見下ろしていた。だから気づかなかった。後ろから声をかけられるまで。
「ラプンツェル?」
「……?」
 ラプンツェルは振り返る――― 誰かがそこに立っていた。
 眼を細めた。必死でその姿に眼を凝らす。特徴。背は高い。髪はこげ茶色。眼は青灰色。それに…… ああ、これなら憶えられるかもしれない。顔に傷がある。
「お疲れ様。疲れているところを悪いんだけれど、君に少し話を聞きたいんだ。いいかい?」
「あ…… う……」
 ラプンツェルはおどおどと答える。……人の言葉は苦手だった。
 ラプンツェルは、ちしゃ頭。誰にもそういわれる。理由はラプンツェル自身にもわかっていた。彼女は、人の顔をほとんど見分けることが出来ないのだ。
 かぼちゃを人と間違えたり、逆に人の頭をほうきと間違えたりする。その頓狂な間違えっぷりには周りの人々もほとほと呆れていて、仕方のないちしゃ頭だ、あたまがちしゃなのだから仕方がない、などとも言われたりした。ラプンツェルはおどおどと長い髪の先端を持てあそぶ。ふと、青年が表情を変えたように思った。
「君は、石炭袋の中からきたんだって?」
「は…… はい」
「どうしてあんなところにいたのか憶えている?」
 青灰色の目は嵐の空のようでとてもきれいだ。人間の顔はわからないが、たぶん、この男はきれいな顔立ちをしているんだろうとラプンツェルは思う。声がきれいだ。こんな優しい声でラプンツェルに話しかけてくれる人は滅多に居ない。
 男はいくつかラプンツェルに質問をする。そうして、明確な答えが返ってこないことを確かめた。それから近くで様子を伺っていた使用人の女のひとりに声をかける。
 近寄ってきた女は茶色い髪を布でひっつめていた。これでは誰だかわからない。茶色い髪を布でひっつめた女なんて何人も居る。彼女たちがあまりに似通っているので、その様子はラプンツェルをひどく困惑させる。
「はあ、これをですか。……お役に立つかどうか……」
「いえ、いいんです。道案内をしてもらうだけでいい」
 男はどうやらラプンツェルを借り出す交渉をしていたようだった。やがて腰につるした小さな袋を探ると、銀貨を一枚取り出して女に手渡す。女はぽかんとした様子で男を見上げた。
「不吉な場所なのでしょう。おそらく、あなた方にお願いしても連れて行ってもらうことは難しい。けれど、彼女だったら怖がらずに案内をしてくれそうだから」
「は、はあ! もったいないお話で!」
 女は慌ててぺこぺこと頭を下げる。もしもラプンツェルに女の顔がわかったのなら、困惑と同時に紅潮をした頬を見分けることが出来ただろう。やがて男はラプンツェルの方へと戻ってくる。そして顔を動かした。微笑ったのだ、とラプンツェルにも判った。
「今日一日、君を借りたよ。ちょっとお願いしたいことがあるんだ」
「な、なに……?」
「『石炭袋』に行きたいんだ」
 『石炭袋』。
 ラプンツェルは驚いて眼を上げ、まじまじと男を見る。男はまた少し、笑ったようだった。





 ―――ただの伝承だという噂もある。
 けれども、もしも真実だったら面白いから、調べておいで、というのが彼の主の命令だった。彼の主は好奇心がひどく旺盛だ。そして、その知識欲は、相手が『禁じられた知識』であればあるほど強く働く。
 その『禁じられた知恵』とは、己自身のことでもあるのだけれど、と男はふと思った。馬の前に座らせた少女は、緊張して体を硬くしている。年のころは判らなかった。小柄で痩せてはいるが、10前後だろうと言われればそうも見えるし、もう20を超えているといわれても納得してしまうような奇妙な雰囲気が彼女にあった。顔立ちは悪くは無いのだが表情は魯鈍だ。そして、赤みのかかった目をおどおどとさまよわせながら、彼女はさかんに髪の端をいじっていた。
 森の道は細く、ただの踏み分け跡といったほうが正しい。木々が左右から沸きあがるように迫って、道を半ば呑み込んでしまおうとしていた。だが、その森の異様な生命力は、けれど、本当の『森』の持つ自己増殖的なそれとは異なる。このあたりはまだ植林された森、人間の作った森だ。
 細い道に迷いながら、馬は山を登っていく。轍の跡がふたつ。死体を背負って馬車が上ってくるためだろう。途中の分かれ道で、ラプンツェルが、おどおどと手を上げて片方の道を示した。男はにこりと笑ってそちらに馬を向ける。
「ラプンツェル、君は、ラプンツェルでいいんだっけ。俺の名前はカスパール・ハウザー」
「……?」
 ラプンツェルは、不思議そうにふりかえり、男の顔を見上げた。男は、カスパールは、苦笑した。この反応は良くあることだ。なぜなら、『カスパール・ハウザー』とは、おとぎ話に現れる『おろか男』のという意味の名だからだ。
「君と同じだよ。君が『ちしゃ頭』なら、俺は『おろか男』だ」
 遠く、烏の鳴き交わすぎゃあぎゃあという鳴き声が聞こえてくる。森は次第に左右から狭まり、馬が嫌がって鼻を鳴らした。空は夏なのに雪が降り出しそうな黒雲だ。カスパールは手馴れた仕草で手綱をさばきながら、ゆっくりと道を昇って行く。
「カスパールが嫌なんだったら、『狩人』と呼んでくれてもいい。どちらも俺の名前だ」
「……かりうどさん」
「そう」
 たどたどしい声は、けれど、どこか魔女のように枯れている。その声がますます年齢をわからなくさせる。ラプンツェルの巻き毛は滑るような金の光沢を持っていて、傍でみると太い蛇のような奇妙な生命力を持っていた。長さはどれくらいあるだろうか。太い三つ編みが、首の周りに何重にも巻きつけられていた。
「かりうどさん、は、どうして……」
「どうして、『石炭袋』に興味があるのか?」
 こくん、とラプンツェルは頷いた。カスパールは答えた。
「俺の主が興味を持っているんだよ。俺はその命令に従ってちょっとした調べ物に来ただけだ。あの人は面白い成果をみつければ喜ぶだろうけれど、何も見つからなくても怒りはしないだろうね。そういう人だよ」
「あるじ?」
「ああ。俺はさる高貴な方にお仕えしている『狩人』だ」
 もっとも、『狩人』という言葉が正しいのかどうかはカスパールには判断しかねた。彼自身、『おろか男』の名で呼ばれるほうが気が軽い。狩人というのなら何を狩るのか、その答えはいつだってカスパールを憂鬱にさせる。わずかに黙り込むカスパールを、ラプンツェルは、不思議そうな目で見上げる。
 やがて、森が、途切れた。
 ふいに、風が吹いて、奇妙な臭いを運んでくる。何かを焦がしたような、けれど、何がこげたのかは判別のしがたい、いわく言いがたい臭いだ。そこで木々が途切れ、白骨化したようにうつろになった枝をさし伸ばしていた。烏が上空を飛びまわり、ぎゃあぎゃあと鳴き交わしていた。むき出しになった赤黒い土。そして、それに囲まれて、唐突に地面に開いている、直径が6mほどの真っ黒い穴。
「ここが、『石炭袋』……」
 ラプンツェルは言う。カスパールは鞍から滑り降りた。そして、ラプンツェルを助けて馬から下りさせる。
 なぜ『石炭袋』と呼ばれるのか、その理由を正確に理解する。穴の中にはまったく光が差し込んでいない。まるで石炭を詰めた袋のように真っ黒な闇が凝っていた。
「これは深いな……」
 カスパールは馬をつなぎ、穴の傍らに膝を付いて、中を覗きこむ。ラプンツェルは離れた場所からそれを見ていた。
 ためしに近くの小石を投げ落としてみる。乾いた音が返ってくるまでの時間は、十数mの深さを予想させた。中からは死臭と共に、さきほどのいわく言いがたい悪臭が漂ってきていた。カスパールは振り返る。そして、離れた場所に立ち尽くしているラプンツェルに、「おいで」と声をかけた。
「覗いてみるかい。……君は本当にここから来たのか?」
 ラプンツェルは近づいてくると、おびえた様子で穴の中を覗きこんだ。だが、一度覗き始めると、食い入るように見入って離れない。
「どうしてここの中にいたのか、憶えているか?」
「……」
 ラプンツェルは、おどおどと髪をいじった。
「……誰かに投げ込まれた?」
 こくん、とラプンツェルは頷く。カスパールはわずかに目を細める。
 普通に投げ込まれれば、この高さだ、間違いなく命は無い。けれども彼女は中で生きていたのだという。どうやって? この穴の中には水でも湧いているのか。だが、先ほど落とした石は乾いた音を立てた。中には何か乾いたものが積もっているということを予想させる音だった。
 死体を投げ込む穴だという。だが、腐臭はしない。乾いた死の臭いと、そして、何かを焦がしたような奇妙な臭い。それだけだ。
 何故、彼女はこの中にいたのか。
 そして、何故、彼女は見つけられたのか。
 先ほどの男は、『宝を探して』若い小作人たちが穴を下ったのだと言った。カスパールはその説明に納得をしていない。もしも彼の主の推論が正しいのなら、この中にはもっと別のものがあるはず、それを探して踏み込んだものが居るはずだ。そしてそれはまだ『見つかっていない』。
 カスパールは振り返ってみる。馬の背には丈夫なロープを乗せてある。降りようと思えば降りられる。
「―――降りてみるか」
 言った瞬間、ラプンツェルが、ぎょっとしたように振り返った。
「君は外で待っていてくれていいよ。それとも、一緒に降りるかい?」
「……あ、う……」
「大丈夫、すぐに上がってくる。待っているんだったら馬といてくれれば安全だと思うからね」
 だが、ラプンツェルは、しばし逡巡した後、首を横に振った。共に降りるつもりだ、という意味だ。
 カスパールは、少し笑った。
「判った。なら、俺の前に下りるといい。フックを貸そう」
 それからカスパールは、荷物を取りだすために、馬のほうへと戻った。





 近くの木にロープを巻いて、穴に投げ下ろす。底に着いたのを確認して降り始める。穴は、暗い。
 降りていくにしたがって、奇妙な臭いは強くなった。
 先に降り立ったのはラプンツェルだった。ぱりぱり、という乾いた音がした。ついでカスパールも降り立つ。やはり乾いた音を立てて足元で何かが崩れた。
 腰に付けていたたいまつに燭を入れる。ちいさな音を立てて灯りがつくと、ゆらめく炎が穴の中を照らし出した。
 穴の中は、まるで壷の中のように、口がもっとも小さく、内部ははるかに広くなっていた。炎では果てが照らしきれない。カスパールは試みに炎をかざしてみたが、ゆらめく影は壁に到達することも無かった。
 ラプンツェルは怯えた様子でカスパールの服を掴んだ。カスパールは軽くその頭を叩いてやる。そして、足元を照らした。
 そこに、骨が、あった。
 真っ白に磨きぬかれた、人間の骨だ。頭蓋やあばらや腰骨。大腿骨と腕の骨。わずかに襤褸がまとわり付いている骨もあるが、ほとんどは真っ白で清潔に乾いた骨と化していた。臭いはほとんど耐え難いほど強くなっている。カスパールはかがみこみ、小さな骨を拾い上げる。その表面を仔細に確かめる。目を細めた。
 ―――清潔な、白い、骨。
 頭上を見上げると、ちいさな穴のように、真っ黒い雲に覆われた空が見える。ここから投げ落とされた死者はここに積もる。そして、骨になる。―――何かがおかしい。
 『何者』が肉を食い、この骨を、こんなにも清潔で真っ白な骨へと変貌させたのだ?
 まるで何かがしゃぶったように、煮込んで肉を離れさせたように、骨は真っ白くなっている。ただ野で朽ちるに任せただけでは、ここまで白くなるには時間がかかる。そして、もしも死者が今でもここに投げ込まれ続けているというのなら、腐乱した死体の一つも無いということはどうにも奇妙に思えた。
 もしも、主の予想が、当たっているのなら。
 そのとき、だった。
 ラプンツェルが、かすかに、声を上げた。
「……あ、あ」
 ずる、と。
 ずる、と音がした。
 カスパールはすかさず振り返る。そのときには剣が抜き放たれていた。左手の燭に右手の剣がまばゆく光った。銀の剣、ありとあらゆるものを断ち切る力を持つ、磨きぬかれた鏡銀の剣だ。
 炎をかざすと、カスパールと、ラプンツェルの影が躍るようにゆれた。ラプンツェルはカスパールにしがみついていた。「少し離れて」と低い声で呟く。
「あまり近いと危ない」
 油断なく炎をかざす。視界の端を何かが逃げていく。ずる、ずるり、という湿った音。何か濡れた重たい布などを、地面にひきずっているかのような音。
「……」
 やがて、視界の奥に、ほっそりとした、一本の手が現れた。
 まるで蝶の片羽のような、優美な、労働を知らない貴婦人の手だ。それが、恥かしがるように指を丸め、そろそろと地面を這ってくる。
 ―――手だけが、這ってくる。
 その背後には、細長く手首が続いている。体は見えない。あきらかに体が現れていいはずなのに、見えない。
 カスパールは身じろぎもしない。ただじっと、その手を見つめている。
 やがてもう一本の手が這い出してくる。屈強で肉刺の多い農夫の手、やせ衰えた老婆の手、ふくふくとした赤子の手。
 手が、這ってくる。手だけが這ってくる。
 かさかさ、ずるずると音を立てて、手が近づいてくる。
「……なるほど」
 カスパールは、ふっ、と笑った。
「ユーリウス様には、いつも、驚かされる」
 そのとき、ラプンツェルは、身じろぎもせずにその手たちを見つめていた。正確にはその奥を。闇の中に潜んだ、手たちの『本体』を。
 ふらり、と前に踏み出す。ラプンツェルにカスパールは驚く。「ラプンツェル?」と呼びかける。
「かりうど、さん、……わたし」
 はあ、とラプンツェルは喘いだ。
 髪が解ける。首に巻きつけていた髪が、蛇がとぐろを解くように、自然に解けていく。
 長い髪、想像もできないほどに長い髪だ。
 それが、踊り、うごめく。
 蛇のように、ひとりでに、這っていく。
 ぬめるような黄金の光沢を放ち、炎の影に髪が踊った。そして、ゆっくりと這うように動き出す。薄い胸を喘がせ、立ち尽くすラプンツェルを取り残し、髪だけが意思を持ったように、ずるりずるりと這っていく。カスパールはじっとそれを見つめる。ラプンツェルの頬は紅潮し、もはや、その表情は法悦のそれに近かった。
 『手たち』と『髪』が出会う。
 そして、ふたつは。
 融合して、ひとつになる。
「……」
「あ、あぁ、あ、」
 ラプンツェルは喘いだ。切なげな喘ぎ声。髪がゆっくりとほどけていく。融けたような光沢を持った髪。その髪に手が這い上がる。融け込んでいく。一つになる。いや。
 還っていく?
 カスパールは目をすっと細め、剣を横に構えた。
 背後の暗闇から、圧倒的に巨大な『何か』が、ゆっくりと這い出してくる。
 まるで、ラプンツェルを出迎えるように―――

 それは。



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