Yの描画
少々妙な話だよ、と言ったのは、友人のYだった。彼はしばらくどこへと姿を消していたものか、私と会うのも、ほとんど半年振りくらいのものだった。ひさしぶりに見るYは、いくぶんやつれたようだった。会うなり私に、浅草あたりですこし遊ぼう、と持ちかけてきた。
Yは、私の古い友人だった。とはいえ、取り立てて目立つところのある男ではない。いくぶん無口で、いくぶん頑固で、けれど、常識をわきまえた、柔和しい男だった。……たったひとつの特徴を除いては。だから、『遊ぶ』といっても派手な女遊びをするような男ではないので、浅草の六区あたりで動画を見て、バアで酒を飲むことにする。そして、杯をいくつか重ね、カツレツなどを食べ、今夜はそのまま明かそうか、というころあいだった。
―――Yが私に、奇態な話を始めたのだ。
「実は、この半年の間留守にしていたのは、旅行のためでも、静養のためでもないのだ」
実は、とYはためらいがちに私に切り出した。
「画を描かないかという依頼を受けていたのだ」
「当たり前じゃあないか。君は画描きだろう」
それでどんな依頼だい、と私はからかった。Yは少々渋い顔をしたが、女給を呼び止めて、さらに一杯の酒を頼んでやると、機嫌も幾分かはなおったようだった。精悍な顔立ち、短く刈った髪という書生風の容貌に似合わぬYの生業について知っていたのは、実際のところ、友人たちの中でも私だけだったろう。Yは狩野派の衣鉢も継ごうという高名な日本画家の家の出で、そのくせ、今は破れ長屋に住んで、婦人向けの化粧品の広告だの、少年雑誌の挿絵などを書いていた。……けれども、それはYの表の稼業ではなかった。Yのほんとうの仕事というものは、親友である私ぐらいしか、知らないだろうものだった。
小さなグラスの飴色の酒を舐めて、Yは、なんともいえない微苦笑を浮かべた。
「お前のことだから、どうせ、察しているのだろう。そうさ、俺はまた、好事家相手の絵を頼まれてね」
「無残絵まがいの仕事かい」
「いいや」
「ならば、責め絵でも頼まれたかい」
私が声を潜めたとおり、Yの稼業というものは、とてもではないが大きな声で言えるようなものではない。Yが書いている絵は、好事家たちとでもいうのか、奇態な趣味を持った人々にこそ愛されるような、一種、酸鼻極まりないものを描くものだったのだから。
たとえば、妹背山婦人庭訓なら三段目、雛鳥姫の生き首の様。青々と結い上げられた黒髪が流れに解け、乱れ、姫は薄目を開けたまま。うっすらと青い唇からは小さな前歯が覗き、膚は白々と清水を含んだ瑪瑙のよう。けれども、その首は無残に断ち切られ、千切れた首の鮮やかな紅は、さながら熟れた石榴のそれ。清水に流れる姫の首。流麗な筆で、執拗なまでの細かさに書き込まれた絵を見せられたときには、この私ですら、一種、慄然とする思いを覚えずにはいられなかった。そして、そのようなYの絵の『でかだんす』は、この大正の御世にもなってすら、秘めやかに、口を噤んで取引をされているらしいのだ、という話だった。
だが、その日、「いいや」――― とYは言った。そして、なんともいえない微妙な顔をした。あの表情を言い表す方法を私は知らない。Yはためらいを振り切るように、小さなグラスを一思いに干した。木のテーブルにグラスを叩きつけるように置く音が、にぎやかなバアに、けれど、奇妙に大きく響いた。
「実はね、とある華族殿に、おかしな依頼をされたのだよ」
娘の絵を描いてもらいたい、というのだ、とYは言った。
「どこがおかしいのだい」
私が問いかけると、Yは、言った。
「……娘を書いてほしい。金は惜しまない。けれど代わりにおれは、『決して娘を見てはならない』と言われたのさ」
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