50円玉20枚の謎




 高見マリエ、というのは変な女だった。
 高橋洋介にとってはミステリー研究会の先輩に当たるのだが、飲み会で会った瞬間、「君の名前はあたしの愛するマンガ家さんと同じだ!」と絶叫し、頬に情熱的なベーゼをくれた女である。酔った勢いかと後で聞いたら「あたしは一回も二日酔いになったことがないのが自慢ー」と胸を張る。正直、恋愛感情のあるなしを前にしてそういうことをする女性というのは洋介にとっては初めての存在だったため、会うたびに圧倒されてばかりである。しかしマリエのほうは洋介のことがえたく気に入ったらしく、なんだかかんだと回りに付きまとい、100円から400円あたりの小物をせびりにくる。


「……で、マリエ先輩、今回はお汁粉なわけですね」
「ぜんざいと言いなよ。こしあんのがお汁粉で、つぶあんのがぜんざい。ここ重要。そこを外すと甘味の真意が分からなくなるよ」
 栗の入ってないのは一杯400円だよーといいながら、マリエは給仕をやっているらしい茶髪の女の子を呼ぶ。いまだ昭和の匂い残る古臭い商店街、その、片隅にあるちいさな甘味屋でのことであった。
 高橋洋介、19歳。大学一年生。日本文学科。合板のテーブルに頬杖を着いて、目の前に座っている女をつくづくと眺める。妙なデザインのフレームの眼鏡をかけ、長い髪をたらし、エスニックな服を重ね着風にした女。顔だけを見ればまあ美人といえないことも無い。高見マリエ21歳である。
 二人の関係は、一言で言うと、同じサークルでの先輩後輩関係に尽きる。
 マリエは自称『歩く要らない知識』と名乗っており、自分に似ている人間は『ジョジョの奇妙な冒険第四部に出てくる岸辺露伴』と自称し、洋介に向かっては『君はヘタレの康一くん』と言い放つ。洋介も基礎教養程度にはそのマンガを知っているが……
「もうすぐ部誌の締め切りなんだけどさぁー」
 お店の女の子が、氷水を持ってきてくれる。安っぽくて分厚いデザインのコップが逆にレトロで可愛らしい。マリエは頬杖を付いてため息をついた。
「あたし、ぶっちゃけミステリーって苦手なんだよね」
「ミス研に入ってる自分を正面から否定してどうするんですかマリエ先輩」
「うっさいなあ。だって、うちの大学ってあたしの書くような小説乗っけてくれるサークル、ミス研しかないんだもん」
 マリエの書くものは微妙だ。たとえていうならば初期の谷崎潤一郎、さもなければ同じく初期の江戸川乱歩。ライトノベルというには文体が重過ぎるが、純文学というにはあまりに趣味的である。かと思ったら、ときどき非常に微妙な作品を書いてもいる――― そういえば前回の部誌に載せた作品は、『さるパンツ強盗の告白』だった。内容は押して知るべし、といったところだろう。
 でさあ、とマリエは洋介を据わった目で睨んだ。
「なんかネタになるようなこと、無い?」
「……えぇー、ネタですか? なんで俺に聞くんですか」
「君の平凡極まりない日常に、あたしの猟奇趣味をぶち込んだら、ちょうどいい具合にミックスされて小説のネタになるかと思ってー」
「ネタ人生送ってるくせに……」
「そりゃね、ネタには不自由してないのよ。でもさあ部誌に乗っけるのはぶっちゃけどうも、っていうのしか思いつかないんだよね」
 洋介はため息をつく。マリエは知り合っていれば退屈をしないタイプの先輩で、小説はたしかに上手い。そして、彼女は洋介にとっては、『師匠』でもあるため、逆らいようが無いのだ。ミス研独自のシステム。新入の部員には文章力の優れた上級生がつき、作品の添削を行う。そして、洋介にとってはいまいち納得のいかないことに、ミス研でもトップレベルの文章力の持ち主だった。
「なんか面白い話無い〜。ねえねえ、面白い話〜」
「あるところに全身真っ白い犬がいて……」
 次の瞬間、おしぼりが飛んできて、洋介の顔を直撃した。
「ひどいですよ、マリエ先輩!!」
「やかましい! だいたいそれはあたしが仕込んだネタでしょうが!」
 洋介はため息をついた。そして、付いた拍子にふと思い出す。最近読んだ面白い本の話を。
「……そういえばマリエ先輩、『50円玉20枚の謎』って、知ってます?」
「え、何?」
 よかった。読書量が異常なマリエが読んでいない本を思い出せた。洋介も水を一杯飲む。そして、説明を始めた。
「ええとね、創元推理から出たアンソロジーなんですよ。けっこう昔の本なんですけど、若竹七海とか、有栖川有栖とかが寄稿してるんです。……さすがに、有栖川有栖は知ってますよね?」
「バカしないでよお。読んだことは無いけど」
「はいはい。でね、話を持ち込んだのは若竹七海らしいんですけど……」

 とある、土曜日の本屋。
 当時まだ作家デビューをしていなかった女流ミステリ作家若竹七海は、あるときから、奇妙な客に出会うようになったのだ。
 ―――土曜日の午後、毎日、一人の客がおとずれるのだ。
 みすぼらしい格好をした中年の男性で、彼は、50円玉を20枚握り締めている。
 そして、言うのだ。
 これを、千円札へと両替してください、と。

「え、それ毎週? なんで?」
「わかんなかったらしいんですよ。で、なんでもその若竹さんが、ミステリー作家同士の忘年会だかなんだかにそれを持ち込んだら、話がやたらと盛り上がったらしくって……」
 公募で競作のアンソロジーを出すことになりまして、というと、マリエの目が輝いた。
「へえーへえーへえー!! すごいそれほんとに実話!?」
「ええ、実話ですよ。……実話かなあ。もしかしたらネタ自体は企画のための捏造かもしれませんけど、本自体は実際にあります。うちにもありますし」
「読みたい! 貸して!!」
「はいはい」
 丁度そのタイミングで、ウエイトレス役らしい茶髪の女の子がぜんざいとお汁粉を持ってくる。わりと大きな朱塗りの椀で、ちいさな皿に漬物がつけ合わされていた。マリエがぱきんと割り箸を割る。洋介もひとくちお汁粉をすすった。なるほど、マリエがすすめるだけのことはある。それほど高級な味ではなかったが、豆の香りが素朴で、美味しかった。
「でもいいなあ、それ。すごく想像が膨らむよね」
「なんか、ネットでそれをテーマにした小説を読んだこともありますよ。たしかドラゴンクエストの二次創作で、『ゴールド金貨25枚の謎』だったかな」
 けっこう粋なオチがついてましたよ、と洋介が言うと、マリエは目をキラキラさせながらうなずいた。
「それはいい。すごくいい」
「じゃ、今回ネタにします?」
「えー、どうだろう…… うーん、ネタにはしたい。すごくしたいかも」
 で、とマリエはいきなり言いだした。
「じゃあ、洋介くんだったら、どういうオチがつくと思う?」
「えぇ?」
 洋介はめんくらった。
「なんで俺なんですか!」
「いや、まず人の意見を聞こうとおもってー。でさ、あれだよね。思い切ってどういう人が両替に来てるとかを創作しちゃっても良いよね」
「はあ……」
「男性だと若干設定が絞られるしね。老若男女誰でもオッケーってことにしよ。じゃ、制限時間は5分ね」
「ええええ?」
「五分で考えて。50円玉20枚の真相」
 まったく、むちゃくちゃだ。マリエはよくこういうことを言い出す。洋介は必死で頭を絞った。
「え、ええええーと、問題点は二つですよね。まずなんで50円玉なのか」
「うんうん」
 50円玉、というのは、案外に集まらないものだ。
 手に入れようと思えば、まず、お釣りが50円玉になるように特別に会計をいじらないといけない。さもなければ、なにか『まったく他の方法』で50円玉を入手しているか、だろう。
「で、なんで毎週土曜日なのか」
「うん」
 なぜ土曜日なのか? 水曜日でも、日曜日でもなく、土曜日。土曜日というのは考えてみればけっこう特別な曜日だ。たいていの勤め人にとっては休日の翌日であるし、店によっては早めにあいたり閉まったりしてしまう曜日でもある。そして、ふと壁のカレンダーを見上げた洋介は、今日が土曜日であるということに気付いた。まるで符号のようだ…… ということでもなく、それは、二人にとって大学の講義が休みである、という非常にシンプルな理由なのだった。
 洋介は必死で知恵を絞った。制限時間が五分、と言い放ったマリエは、見ると、嬉しそうな顔でタイマー設定にした携帯電話をちらつかせている。
「二分経過!」
「冗談じゃないですよ、タイムショックですか!」
「ふふふのふー」
 にやにやとチェシャ猫のように笑うマリエ。ほうっておくと眠そうで無愛想な顔をしていることの多い女なのに、こういうときばかりが楽しそうなのだ。洋介はなんとか言葉を搾り出した。
「ええっと…… じ、じゃあ、小学生が両替ってのはどうですか!?」
「ほほー?」
 自分の記憶がなんとなくフラッシュバックしたのだ。洋介は、頭の中でいくつのなんのと計算をする。
「50円玉20枚…… ってことは四人が週5日、もしくは五人が週4日…… あ、違う。往復だからその半分で良いんだ」
「ん? 小学生が四人居るの?」
「こう考えてください。小学生五年生くらいの仲良しグループが、バスで遠くの塾に通うようになるんですよ。運賃は片道でだいたい200円くらい」
「うんうん」
「子どもだから、無くすと困ると思って、親御さんは毎回交通費を200円づつ渡してるんですよ。で、それがある日、たまたまサボりで降りた運賃150円のポイントで、子猫だかなんだかを見つけちゃうんです」
 そして、子どもたちは、猫を養うために、塾をサボって毎回のようにそこで下車をするようになるのだ。
「で、子どもたちはその差額を集めて、子猫のえさ代にしてるんですね。学校が休みになる土曜日が集金日で、そこの日に近くのお店に行ってお金を両替、千円で猫缶を購入するんです」
「そんでその子どもたちのほのぼのとした放課後ライフがテーマの甘酸っぱい短編仕立てね。うん、洋介くんらしい作風だわ」
「あ、OKですか?」
 おもわず洋介がそう言った瞬間、にやあ、とマリエが笑った。
「50点ってとこだね」
「ええー!?」
「だって、穴が多すぎるもん」
 びしっ、とマリエは手を出した。エスニック調の指輪が、いくつもはまった手。
「まずひとつ。別に千円に換える必然性が無い」
「そ、それは…… だって、いきなり大量の50円玉をもって子どもが買い物に来たら怪しいじゃないですか!」
「毎週土曜日に千円に換えるのも同じくらい怪しいよ。あと二つ。じゃあ、塾の無い日は誰が餌をやるのよ?」
「あ……」
 思わず絶句する洋介に、マリエはさもうれしそうにニヤニヤと笑い、ぜんざいを啜った。
「まー、雰囲気としてはいいかもね。でも、真相編としてはまーだまだ」
「ううっ…… じゃあ、マリエ先輩はどうなんですよ」
「えーあたし? あまり面白くないのしか思いつかないなあ」
 あのねえ、とマリエが言いかけた瞬間…… ふいに、その口が、ぽかんと開いた。
 めずらしい顔。どうしたんですか、と洋介は言いかけた。そして振り返った洋介の後ろで、ドアにつけられたベルが、からん、と鳴った。誰かが出て行ったのだ。
 誰が来て、誰が出て行ったんだろう? それが驚くことになるとは思えない。なんなんですか、という意思を込めてマリエを見ると、マリエは呆然と呟いた。
「50円玉、20枚……」
「……え?」
「ちょ、ちょっと、すいません、おねーさーん!!」
 マリエが大声を上げて茶髪の女の子を呼ぶ。レジにお金を入れていた彼女は、「なんですか」と無愛想に振り返った。
「今のお客さん、なにやってたんですか?」
「……両替ですけど」
「50円玉を20枚、千円に換えたんですか!?」
「まあ、はい」
 思わず、マリエと洋介は、顔を見合わせた。
 マリエは、緊張した顔になる。そして、そろりと彼女に問いかけた。
「……もしかして、毎週やってくるんですか?」
 どうみても中学生か高校生にしか見えないくせに、耳に銀色のピアスを満載した彼女は、ぶすっとした顔になり、「お客様のプライベートですから」と言い放った。
 なにより明白な答えだった。




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