6.




 夕焼けが、赤い飴をとろかすように、暮れていく。
 商店街のあちらこちらを冷やかして、公園でたわいの無い話をして、そうして、気付いたらもう夕焼けだった。夕暮れの公園には子どもたちの影も無くなり、鉄の柵に腰掛けている洋介の前で、マリエと慈郎はブランコに足を揺らしていた。
 会話が途切れたとき、ふと、慈郎が呟く。知ってるか? と。
「目をつぶってブランコをゆするんだよ。そしたら、なんか、だんだんブランコが空へ引き上げられてくような感じがするんだ」
「怖いなあ」
「いや、気持ちがいいもんだって」
 たわいの無い話だ。慈郎はブランコを軽くゆらした。低いブランコに足があまる。
「あの子、どうするんでしょうね……」
 やせっぽっちの、野良犬のような目をした、少年。
 あの男は、『土日には給食が無い』という理由で、彼に金銭を渡しているようだった。逆に言うと、彼は普段は給食をおもな食料として暮らしているということになる。家庭の環境も知れるというものだ。まともな保護者も無く、あんな薄汚い風体で捨て置かれて、あの少年はいったいどうなってしまうんだろう。
「千円で何食食べられるかなあ…… 外食だったら、牛丼が並盛で380円くらいだよね」
「このあたりだと、安いラーメン屋で一杯400円ってのもあるみたいでした」
 マリエや洋介は言い合うが、どうしても声は途切れがちになる。なにも言えない、としか言いようがない。自分たちはあの少年になにができるというわけでもない。何もいえないのだ。
 けれど、慈郎一人が、違う顔だった。
「大丈夫だ」
 はっきりと、言う。
 マリエと洋介は見る。慈郎は少し笑ったような顔をしていた。哀しそうな顔だった。
「お前らの話を聞いてると、あの人って、小学生くらいの男の子…… ってところだったか」
「そうですけど……」
 慈郎は上を向いた。盲いた目に夕焼けが映っている。鮮やかな紅、融けていく茜、忍び寄る紫が。
「俺にはそうは見えなかった。……なんていうか、あれは、もっと強い生き物だった。一人で生きていける生き物だよ。世の中には、たまに、そういう生き物が人間に混じって暮らしてるのさ」
 だから、と慈郎は言う。
「きっと、大丈夫さ」
 慈郎は笑う。その笑顔に、洋介は、マリエは、確信に満ちた色を見つける。『ただびと』には、分かりようの無いものを。
 洋介は思う。―――マリエの言ったことは本当だと。この世界には、『ただびと』には見えないものがあって、たしかに、慈郎はそれを見ているのだと。
 けれども、それを見る事ができることが幸せなのだろうか。おそらくそれは、幸せだとか、不幸せだとか、そんなこととはまったく関係なくやってくるものなのだろう。
 自分は一生それを知らないままだろうか。そのほうが幸せなのだろうか。不幸せなのだろうか。
「さて」
 声を同時に、慈郎が、ブランコを飛び降りた。
「おい、飲みに行こうぜ。おごってやるから。お前らみたいなのと一緒じゃないと飲みにも行かれない。不便な身分だよなァー」
「マジですか慈郎先輩。あたし、がっつり飲みますよ!?」
「よしよし。美味い日本酒がある店があるから、連れて行ってやろうな」
 マリエも立ち上がる。洋介も慌てて続く。慈郎が数歩歩くのに、洋介が腕を差し出すと、「サンキュ」と慈郎が笑った。
「あの、慈郎先輩」
 洋介は、ためらいながら話しかける。
「今度、俺の作品も見てもらえますか……?」
 慈郎は、きょとんと洋介を見た。それから、ニヤリと笑った。
「音読してくれるなら、な!」
 夕焼けが、金色にとろけ、暮れていく。

 ―――遠くから、どこかの学校の鳴らすチャイムが、聞こえてくる。
 
 

 

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