―――夕方ごろには、もう、全国区で、ニュースが広がっていた。
「怖いねぇ、ママ。これってここのご近所なんでしょ?」
 店の片隅に設置されたテレビを眺めながら、中年のオカマがあきれたように呟く。
「そうなの。うちの子も、ここに通ってたから…… もしも爆発とかしてたら、って思うと、もう、怖くて怖くて」
「いやーねぇ。歌舞伎町あたりならともかく、このあたりまでこんな物騒になるなんて。いやなご時世ったらありゃしない」
 こんなんじゃアタシたちも落ち着いて商売も出来ないわ、と愚痴って、彼女(彼?)は焼酎を舐める。あまり広くない店の中に集まっているのは、飲み屋としても若干は異色な雰囲気の客が多い。近くの小劇団の人々や、あるいは、新宿2丁目から流れてくる同性愛者やオカマといった人々。場合によってはちょっとした小銭を手に入れ、温かい飯の一杯を口にしたいというホームレスや、あるいは、不法就労で金の無い外国人までがやってくる。ママであるところの玉子のあけっぴろげな性格からか、この店、『スナック・青猫』にはやや毛色の違った客ばかりがあつまるのだ。
 今日のバックミュージックは五月みどり『熟女B』。そんなくだらないコミックソング、さもなければマニアックを極めた音楽などがここの定番だ。そんな店内へと、ふと、奥の階段から、とんとんと足音を立てて、ちいさな少年が降りてきた。
「あら、ノビちゃん!」
 常連の一人が声を上げる。少年、眼鏡をかけた少年は、はっと顔を上げた。
「今ねえ丁度事件の話してたのよ! 今日、大丈夫だった? 怪我とかしてなぁい?」
「うん…… 平気です。ありがとう」
 派手なドレスを着て、コンタクトレンズを入れた玉子は、「どうしたの?」とノビに声をかける。
「ママ、あの、ちょっと卵もらってってもいい?」
「いいけど。ノブちゃーん、卵、あまってるぅ?」
 あまってまぁす、と返事をするのは、奥で料理の類をやっているアルバイトの女の子だ。
 ちら、と母が不安げな色を見せるのは、やはり今日の事件が気になっているからなんだろう。こんな母親でも、やっぱり、普通の母親としての顔を持っているのだ。ノビはなんとか笑顔を作る。
「うん、ちょっと急に玉子焼きが食べたくなったから」
「そぉなの?」
「おおいノビくん、だったら俺らがおごってやるぞお?」
 店の奥で、その名も劇団『メゾン・ド・トキワ』の演出をやっている男が怒鳴る。さっき声をかけてくれたオカマのナナ子と同じく、彼らもこの店の常連だ。けれどノビは「ううん」と首を横に振った。
「じゃ、みなさん、お邪魔してごめんなさい」
 礼儀正しい返事のどこがツボにはまったのか、どっと笑い声が帰ってきた。ノビは足音を潜めて二階に上がった。
 狭い階段をあがると、薄暗い二階は、一階とちがってしんとしている。あまり広くは無い二間続き。奥の部屋、敷いてあるというよりも、積み上げてある布団のあたりに、大きな影があった。
「ドラ衛門……」
 おそるおそる声をかける。彼は振り返った。
「たんぱく質、欲しいって言ってたよね。卵でいいんだよね?」
「ああ、すまない」
 こんなメニューでいいんだろうかと思いつつ、ノビは言われたとおりに大きなジョッキに生の卵を割りいれた。それを手渡すと、ドラ衛門は一息に飲み干してしまう。美味い不味いということを考えている顔ではなかった。
 ノビは、なんともいえない気持ちで、彼の姿を眺める。
 ―――上半身は、素裸だった。
 背中を、なにか、乾いた糊のようなものが覆っている。ついさっきまではまだピンク色のジェル状をしていて、ぬめぬめと光っていた。それが今では触れただけで粉になってはらはらと剥離してきそうだ。傷が…… 火傷が、治っている最中なのだ。
 肩にも、ピンク色に盛り上がりかけた傷跡。どうということはない、とドラ衛門は言った。二日もすれば完治すると。それが自分の機能だから、と。
 けれども、見せ付けられると辛い気持ちになる。ドラ衛門は、この自称ネコ型ロボットは、事実、ノビのために体を張って戦ってきてくれたのだ。この傷跡がまぎれもない証拠だった。
 ノビがそう思って黙り込んでいると、ふいに、「すまない」とドラ衛門が言った。
「え! ……な、なに」
「あの少年は、お前の友人だったのではないか?」
 優のことを言っているのだ、とすぐに気づいた。
「エージェントを排除することを優先して、彼のことを守りきることができなかった」
 ドラ衛門は淡々と言った。その無表情が、情の無さから来るものではないということを、今のノビはもう悟っている。
「俺には他人の傷を治す能力は無い……」
「……分かってる」
 ノビは、噛み締めるように呟いた。
「分かってるよ……」
 優の怪我が、軽いものではない、ということはノビにも重々分かっていた。
 両手の怪我。そしてなによりも、左の眼球の喪失。エージェントは優の眼球をくりぬき、そこへ自分の目玉をしのばせる、という方法を使って、ノビを抹殺しようとしたのだ。そのもくろみ自体は間違いなく成功率の高いものだったろう。仮にノビが何も知らなければ、きっと、優の視線を受けた瞬間、『夢』で見たように、自らの臓器を握りつぶされて死んでいたはずなのだから。 
 災厄。彼らは、そういった。
「ねえ、ドラ衛門、将来ぼくのもたらす『災厄』って、いったいなんなの……」
「それは禁止事項だ」
 ドラ衛門の返事は、冷然としていた。
「それを伝えてしまうということは、俺の製作目的に反している。……」
 だが、ややためらったのち、ドラ衛門は、付け加えた。
「けれど、『おまえ自身』は、何の災厄ももたらさない」
「……え?」
「『エージェント』が問題としているのは、さらに未来の事柄だ。おまえ自身は生涯善良な人生を送ることになっている。そして、それを守るのが、俺が作られた理由だ」
「ぼくのために……」
「So it goes.(そういうものだ)」
 すでに耳なじんだフレーズで言ってのけて、そして、ドラ衛門はノビの顔を覗き込んだ。無機質な茶色い目。
「お前は俺を拒否するか?」
 ―――おそらく、ここで『是』と答えたのなら、ドラ衛門はそのとおりにするのだろう、とノビは思った。
 そして彼は、『エージェント』とやらと戦い続けるのだ。自分の身を削り、文字通り命を賭けて、ノビのことを守り続けるだろう。それがノビの協力を得られないという事実によってどれだけ困難になっても、そうし続ける。それが、彼がここに『現れた』理由なのだから。
 ノビは自分の手のひらを見下ろした。
 傷一つ無い手。傷一つ無い体。
 本来なら、『死んで』いるはずだったはずが、今、自分はここで無事でいる。
 『彼』のおかげで。
「……拒否なんて、しないよ」
 やがてノビは、ぽつりとつぶやいた。
「ドラ衛門はぼくのことを守ってくれた。ぼくのために来てくれたんだよね?」
 顔を上げる。そして、真っ青な髪をしたアンドロイドの顔を、まっすぐに見つめた。
「だったら、ドラ衛門はぼくの友達で、仲間だよ」
「……」
 ともだち、という言葉に、かすかにその表情が揺らぐ。ノビは笑った。それが、妙に『人間味』あふれて見えるように思ったのだ。
「そうだ、ドラ衛門、『ドラ焼き』って知ってる?」
「……カステラ状の生地の間に、小豆からつくった餡をはさんだ、日本の食品か」
「そういう堅苦しい言い方じゃなくってさ。あのさ、近所にある和菓子屋さんのドラ焼き、すっごく美味しいんだ。お茶も入れるよ。いっしょに食べようよ。ご飯を食べるのが、栄養補給のためだけなんて哀しいよ」
 ノビはぱたぱたと居間へとかけもどり、菓子盆の上におかれたままだったドラ焼きをとってくる。一つしかなかった。そして、どことなく困惑しているような風のドラ衛門のまえで、そのドラ焼きを二つに割った。
「ね、食べてみて」
「……」
 言われるままに受け取って、ひとくち、ほおばる。
「美味しい?」
 ドラ衛門はしばらく黙っていた。そして、やがて、ぽつんと呟いた。
「初めて食う味だ」
 そして、目を上げる。ノビを見た。
「……甘い、な」
「また買ってくるよ。おいしいもの、いっぱい食べさせてあげるよ。ママも、ノブちゃんも、料理が上手だから。いっしょにご飯が食べられる友達がふえて、ぼく、嬉しいよ」
 ノビは言う。言いながら、なんだか涙が出そうだった。
 これからきっと辛いことが起こる。優が怪我をしたように、しず香が豹変したように、ドラ衛門がひどい怪我を諾々として負ったように…… 哀しくて辛いことが、いっぱい起こる。
 でも、ドラ衛門は、ぼくをまもると言ってくれるんだ。きっと、『So it goes.(そういうものだ)』とあっさりと言ってのけて。
 無力な自分に、なにができるだろう? 守られるだけの立場なんて嫌だ。でも、どうすればいいんだろう?
 その返事は見つからない。きっと、それを見つけるのはとても大変なことなのだろうとぼんやりと予感する。鉄を噛むように苦い予感だった。
 でも、彼は。
 『ノビのために』、ここまで来てくれた、彼のことは。
「ドラ衛門、これからぼくたち、友達だよね」
 ノビは笑い、手を差し出した。ドラ衛門はしばらく信じられないようにノビを見ていた。けれど、やがて、おずおずと手を伸ばす。
「トモダチ…… か」
「うん!」
 大きな逞しい手と、まだ小さく何も掴めぬ手。
 けれど、握り合った瞬間、そこに確かにぬくもりを感じる。『絆』のようなものを。


 ―――そうして、その日から、野比田ノビとドラ衛門の、奇妙な生活が始まったのだ。







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