第一話

レッツ☆子作り 〜入門編〜



 1.


 爆音が、夜にはじける。
 ドッドッドッ、という連続的な爆音。そして喧しい笑い声。それが近づいてくる。白々と照らし出された、真夜中のコンビニエンスストアである。
『うわあ……』
 ちらり、と雑誌から眼を上げた少年は、ガラスの向こうにいかにも柄の悪そうな若者たちが近づいてくるのを見る。色を抜いた髪あるいは丸刈り、重そうな金属製のアクセサリー、これ見よがしにむき出しにされた腕などにはトライバルのタトゥが踊っていた。少なくともペーパータトゥではあるまい。素人目には分からないが、そう思える。
 目の前の国道、そして、薄暗い深夜の郊外。いくら天体観測が趣味であるとはいえ、夜遅くに外出したことを彼――― 蓮室信は心から後悔する。バックには天文用双眼鏡、それに、星座表くらいしか入っていない。店員を見ると、フリーター風の若い男の店員も不安そうに視線を泳がせていた。
 関東圏K県なら、鶴岡市。
 季節になれば花も咲き、観光客もあつまろうという古都である。海も程近い。寺社仏閣に恵まれた閑静な古都である、というのが一般で知られる評価であろう。住人としてもおおむね評価は間違っていない。
 おおむねは。
 ガラスの自動ドアが開き、急に、コンビニの中の空気が変わった気がする。いかにも柄の悪そうな少年たちが、威圧するように辺りを睥睨しながら店に入ってきた。あえて押しつぶしたような大声。
「おい、ビールどこだよ!」
「ったくひでード田舎じゃねーか、ここ」
 ビールって、と信は思う。あきらかに未成年に見える。というか、思う。20過ぎてこんな格好や行為をしているのはただのバカだ。いや、この年齢だからってそういうことをやっているというのは十分に頭の悪い類だと思うのだが……
 勝手に奥の棚からビールを引っ張り出した彼らは、会計もしないうちにプルタブを開け、その場でビールを飲みだす。相手は6人。これなら逃げられるかもしれない。信は雑誌を棚に戻し、そろりと出口へと近づこうとした。けれど。
「っかし、マジなのかよ? このあたりに明治の兵隊みたいなコスプレした、むちゃくちゃケンカの強いやつがいるって」
 その一言を聞いた瞬間、思わず、足が止まってしまった。
「マジじゃなかったらオレらかなりダメじゃん? マジなのかよータカト」
「いやマジもマジよ。オレ、写メ見せてもらったんだけどさ、本気で時代劇とかに出てきそうなカッコしてんの。……軍服ってヤツ? で、竹刀持っててさ」
「竹刀ーッ!?」
 何が可笑しいのか、彼らはげらげらと笑い出す。信にとってはそれどころではない。縫いとめられたように足が止まる。
「木刀ならともかく、超ありえねー!!」
「いやマジらしいのよ。で、ここらのチームの連中が、そいつ一人に壊滅させられたって言う噂でさ……」
「竹刀でか? っつーか幽霊じゃね、それ?」
 連中の話を聞いているうちに、冷や汗がだらだらと出てきた。
 明治の兵隊みたいな雰囲気の。
 竹刀を持った。
 ……むちゃくちゃケンカの強いやつ。
「お、あんた、そこで何やってんの?」
 思わず呆然としていた信に、ふいに、横から声がかけられた。
「!?」
 ぎょっとして振り返ると、そこにいたのは髪を金色になるまで脱色した少年だった。鼻ピアスを見てぎょっとする。彼はしばらく信を見ていたが、やがて、にやにやと笑いながら、なれなれしく肩に手を回してきた。
「やーだ、夜遊びしてんのォー? ダメじゃん。彼氏にほっとかれた? ラブホの帰り?」
「あ…… え、あの……」
「オレら、ブクロのほーから出てきたんだけどさァー。マジこのへんダサくね? でもアンタ可愛いねー」
「!!」
 信は思わず絶叫しそうになり、慌ててぐっと息を飲む。代わりに涙が出そうだった。いつもの誤解。しかし、この場合はしゃれにならない。
 ……蓮村信、15歳。高校一年生。彼の容姿をありていにいうならば、いわば、ひとつの完全な『女顔』である。
 茶色がかかった髪はかるく天然パーマがかかり、色が白くて顎がほそく、大きな目はとび色がかかって円らだ。身長は162cmしかない。よく周りからは女みたいだとからかわれる。通っている学校が男子校であるせいか、場合によっては『マコ姫』の通称でまで呼ばれることすらあるほどだ。
 しかも、今日は服装も不味かった。ジーパンにチェックの綿シャツといういかにも『オタク』的な格好。しかし、下手をすればこれがユニセックスなファッションに見えて、信は、『服装に無頓着な、痩せ型の可愛い女の子』にしか見えなくなる。
「ちょーどいいや。ねー、オレらと遊ぼー」
「ちょ…… 遠慮、しときま……」
「エンリョなんてしなくていいからさぁー」
 いまだに声変わりをしていないボーイソプラノ。嗚呼、少しでもいいから早く男らしくなりたい。思わずぎゅっと目をつぶると、ヤニ臭い息が顔にかかった。ゴツい指輪のついた手が、襟の辺りから鎖骨のあたりまで入ってくる。
 
 ど、どうしよう。
 誰か、助け……!!

 内心で、信が悲鳴を上げた、そのときだった。
 ちいさな音を立てて、コンビニの自動ドアが、開いた。
 あ? と小さく不満げなを上げて振り返った鼻ピアスの男が、そのまま、そこで凍りついた。口が開いていた。
 信はそれで異変に気付いて、そろりと薄く目を開ける。そして見た。ドアのところに立っている、男の姿を。
 空気の色すら、変わったようだった。
 開いたままのドアから流れこんでくる空気は、皐月の闇。濃厚な若葉の匂い。それをまとって立っている、それは、一部の隙も無い黒衣に身を包んだ、長躯の男だ。
 金の釦が並んだ詰襟は、いっそ、軍人めいている。履いている靴は革靴。片手に下げているのは一本の竹刀。そして、黒髪にかぶった黒い制帽。黒い羅紗の正面に、桜を模した金色の帽章が光っていた。
 身長ならば、180cmは軽く超えている。
 漆黒の髪に、漆黒の瞳。切れ長な瞳を持った、端正だが、冷たい印象のほうが勝つような顔立ち。肩の広さや胸の厚さは、膚を見せぬ服の上からでもわかった。一部の隙も無く、鞭のごとくに鍛えぬいた筋肉で鋼鉄の骨を鎧った、一人の男。
 彼は、コンビニの中を、見回した。猛禽類のそれを髣髴とさせるほどに、鋭い眼差し。
 そして、呟く。低い声。
「有象無象が、姦しい……」
 錯覚を覚える。さながら、明治の世の剣客、さもなければ帝国の軍人が、百年のときを経て現れたがごとく。
 だが、信は、彼の名前を知っていたのだ。

「鳴神くん!!」

 彼の名は――― 鳴神猛。
 信の声に、猛は、振り返った。そして、ものも言わずに黙ってこちらへと近づいてくる。鼻ピアスの男はようやく我に変える。「な、なんだ、てめえは」と、言いかけたところで、猛の腕が、閃いた。
 鼻ピアスの男は。
 声すら出さぬまま、昏倒した。
 眼にも留まらぬ速さ――― 竹刀を振るってすらいない。猛の掌底を額に受けて、鼻ピアスの男は、己がどうなったかを悟る間もなく、意識を失ったのだ。
「どうした、蓮室」
 あおりを食って倒れそうになった信の腕を、猛が掴む。身長の差はほとんど頭一つ分もある。信はようやく我に帰った。
「な、鳴神くん、どうしたの、こんなところで!?」
「……少しばかり面倒な理由があってな」
 言いかけたところで言葉を切り、猛は、眼を上げる。仲間が倒されたと知った男たちが、口々に驚きの声を上げながら、こちらへと近づいてくるのだ。
「ここにも面倒ごとがあったか」
 やや不快げに呟く。
「―――『本家』の刺客だけでも面倒なところに」
「え?」
「表に出ろ、蓮室。ここでは手狭だ」
 言うなり、足を翻す。その巨躯といってもいい体からは信じられぬほどに軽やかな、そして、静やかな所作である。何がなんだか分からないままに、信は慌てて猛を追った。
 外に出ると、とたんに、春の闇の濃厚な匂いが、立ち込める。
「てめえ、ヤスに何しやがった!!」
 男の一人が叫んでいる。おびえを虚勢に隠しているのが丸見えだった。猛は駐車場の中央あたりに立つと、信を背後にかばった。そして、ばらばらと出てきた男たちを睥睨する。
「テメー何者だ、このコスプレ野郎!!」
 一人が怒鳴る。懐から出してきたものを手首のスナップで振ると、じゃっ、と伸びて長さ50cmほどの得物となった。特殊警棒だ。信は瞠目する。こんなものまで持ち歩いてるなんて、本物の不良じゃないか!
「名乗る用意はない……」
 猛は男たちを見回した。
「が、貴様らが下衆だということは、もう、十分にわかった」
 猛は手にしていた竹刀を左手に持ちかえた。
「俺は今、虫の居所が悪い。今なら見逃してやる。怪我をしたくなくば、早々に立ち去れ」
 その猛が言ったのが、男たちの怒りに火をつけたらしい。彼らは、口々に怒声を上げながら、いっせいに猛に襲い掛かる。
 ……その次の瞬間に起こったことは、すでに、信の動体視力の限界を、超えていた。
 猛は、『右手一本』しか、使わなかった。
 一人目が警棒を見舞ったのを、半身で交わし、通り過ぎざまに丹田に掌底が入る。そのままに倒れた男をやり過ごして、次の一人の顎に肘が入った。まるであらかじめ定められた演舞のような鮮やかさ。僅かに掌底が、そして肘が、身体に触れるだけで、まるで定められた殺陣でも見ているように、男たちは倒れていく。
 そして、最後の一人――― 勢いのままに腕を取られ、そのままふわりと持ち上げられ、体から地面に叩きつけられた。
「―――がッ!!」
 声を上げたのは、その最後の一人だけだった。
 アスファルトの地面に叩きつけられた痛みに悶絶する男を冷たく見下ろして、猛は、言い放つ。
「貴様だけ残してやったのは、仲間を連れて立ち去るためだ」
 猛の言うとおり…… 他の5人は、皆、意識を失っていた。
 それぞれ、ほんの一撃ずつを、胴に、あるいは頭に受けただけで、だ。
「二度とこの鶴岡に足を踏み入れぬことだな」
 断罪をするように言う声は、あくまで、冷静そのもの。
 そこで、はじめて猛は竹刀を右手に持ち直す、そして、信のほうを振り返った。
「こんなところで何をしていた、蓮室?」
「鳴神くん……」
 信は、呆然と、というよりも、むしろあきれたように呟く。鳴神の技を見たのは初めてではないが、あいかわらず、でたらめとしか言うしかない神業である。

 鳴神猛。
 
 彼は、信じがたいことに…… 蓮室信の同級生だった。
 ほんの少し前に、16歳の誕生日を迎えたばかりの高校一年生である。そして、鳴神は、信の知っている限りの中では、間違いなく『最強の男』だった。



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