6.遊城十代のクリスマス
―――みんなでさんざん騒いで、飲んで食べて、気が付くともう真夜中を過ぎていた。
お互いに手伝って食器だのなんだのを片付けるが、何しろ、時間が時間だ。ある程度の片づけを済ませるとあとは明日にしようという話がお互いに出てきて、場がお開きになる。
明日香たちは女子寮に戻るし、ジムや吹雪はブルー寮の部屋に戻る、という話になる。万丈目はなぜだか妙に威張ったような顔で、責任を持って全部片付ける、と言い張って後に残った。ヨハンは久しぶりに歌いすぎたせいで喉が痛くなってしまった。あとは部屋に戻ってシャワーあびて寝よ、と思うと、大あくびが勝手に出てきてしまう。
廊下に出ると、空気が冷たい。郷里に比べれば"寒い"というほどのものでもないが、空気が澄んで、窓から見る星がきれいだった。
―――ふと、思い出した。
「おい、十代!」
ぼんやりと廊下に立っていた十代に、声をかける。「へ?」とまぬけな声をあげて振りかえった十代に、「お前、デッキ!」と声をかけた。
そもそも、デッキをヨハンの部屋に置いて行くといったのは十代じゃないか。だが、声をかけても反応がはっきりしない。「あー」とか「うー」とか言っているものだから、酒でも飲んだのかと疑う。「しっかりしろよー」と笑いながら腕を掴んだ。
「ほら、忘れんじゃねえよ。"相棒"がすねるぞ」
「あー、うん」
「ちゃんとデッキとってから帰れよ。あと、酒飲んだのか? だったら、きちんと水飲んどかなくちゃあ」
眼をまたたいてヨハンを見るが、やっぱり反応がはっきりしない。―――やっぱ、飲まされてるんだな。そう勝手に結論付けると、十代の手をひっぱって、ヨハンは歩き出す。
「水飲んで、デッキ持って、きちんと頭はっきりさせろよ! 二日酔いってキッツイんだからな〜」
「う、うーん?」
ぼけぼけだ。なんてこった。
ヨハンは肩をすくめる。そうして、なかば十代を引きずるようにして、暗い廊下を歩き出した。
部屋に戻ると、意外なことに静かだった。てっきり宝玉獣たちと、十代のHEROたちがそれぞれにお祭り騒ぎでもして盛り上がってるのかと思ったのだが。電気をつけて、ちょっと考えてから暖房をいれ、それから十代をベットに座らせる。「ちょっとまってろよ」と言い置いて、冷蔵庫にミネラルウォーターのボトルを取りに行く。
明かりもつけないキッチンで冷蔵庫を開けて、ペットボトルを取り出した。冷蔵庫のなかのライトの冷たいオレンジ色。それに照らし出されて――― 誰かが側に立っている。ヨハンはぽかんと口をあけ、眼を上げた。
腕を組んで立っていたのは、長い髪に凛々しげなまなざし、赤と銀を身にまとった、十代の"仲間"である精霊の女だった。
「……お前、ええと、バースト・レディ?」
《おかえりなさい、ヨハン》
「どうしたんだよ?」
ヨハンは少なからず面食らった。―――十代のデッキの住人である彼女とこうして一対一で話すのは、なんだか、初めてのような気がした。
十代にとってHEROたちは大切な仲間であり、共に戦う朋であり、そして、心の支えでもある。それは確かな事実ではあるのだが、ヨハンの"家族"たちほど主張する性質ではないらしい彼女たちは、デュエル中でもなければ滅多に姿を現さない。そういう精霊は珍しくないから、ヨハンも、そういうものだと納得をしていた。彼女たちはデュエルのそのとき以外にしゃしゃりでてきて何かを言うような性質ではないのだと。
「なんか、オレに用……?」
凛々しい顔立ちの女英雄は、ヨハンを見て、しばらく黙っていた。やがてちいさくため息をついて、いいにくそうに口を開く。
《……よかったら、だけど。あたしたちを一晩あなたのところに置いといてくれないかしら》
「―――なんで?」
驚く。……それは、十代のところを離れていたいという意味だ。
彼女の表情には、少なからず、苦いものが含まれていた。それが悔恨のようなものだとほどなくして理解する。彼女は淡々とつぶやく。
《あたしたちがいたら、今夜、きっと十代は眠れないわ。それは可哀想だもの。せっかくの聖夜くらい、安らかに休ませてあげたい》
「ちょ、ちょっとまてよ」
声を上げかけて――― あわてて潜める。十代に聞かれたまずい。ヨハンはそっと冷蔵庫を閉める。キッチンが真っ暗になる。
暗闇の中で、精霊の女の姿だけが、ぼんやりと、夢のように浮かび上がっていた。
「どういうことだよ。だって、お前らって十代の大事な仲間だろ? なんでそのお前らがいると、十代が休めない、ってことになるんだよ」
《あたしたちは"HERO"だもの》
「……なんだよ、それ」
《"HERO"は過去を思い出して泣いたりしない。どうしようもない弱虫な後悔もしないし、自分を可哀想がってめそめそするような情けないこともしない。十代はそう思ってるし、そうなりたいと思ってるの……》
でも誰もがいつも強くいられるわけじゃない。彼女は、そうつぶやく。
ヨハンは、少なからず困惑した。
「それって、十代が、お前たちのいないところで泣いたり、後悔したり、自分を哀れんだりしたがってるっていうこと……?」
ヨハンにとってすら、それは、想像のしにくいことだった。
明るくて、強くて、しなやかであること。それが十代のありかたで、そして、そうありたいと望んでいることだった。それはヨハンにも分かっていることだった。
常に望む自分でありつづけるということは、けっしてたやすいことではない。けれど、十代にはそれが出来ていた。正確には少し違うかもしれない。"常にそう在ろうとすること"が、できていた。
だから十代は、自分のデッキの精霊たちである"HERO"たちを信じ、そして、惜しみない敬慕をささげていた。彼は"奇跡"すら信じた。信じることによって、奇跡すら起こしうると、まるで子どものように信じることが出来ていた。
精霊の女は、わずかに黙り込んだ。やがて、ぽつりとつぶやく。
《―――大昔の話よ。あたしだって詳しく知ってるわけじゃない》
「なん、だよ」
《黙って聞きなさい。十代の話よ。……あの子には、昔、ひとりぼっちだったことがあった。誰もいない聖夜に、奇跡も夢もおとずれない夜に、たった一人でベットにうずくまっていた夜があったの》
ヨハンは黙り込む。精霊の女は淡々と続ける。
《そういう夜に、でも、十代を抱いてくれる人がいた。"人"とは言わないわね。あたしたちと同じような存在が》
「精霊、ってこと……」
《詳しくはしらない。あたしたちが十代と出会うよりも前だもの》
彼女は少し笑った。らしからぬ、自嘲するような笑みだった。
《でも、知ってることが一つだけある。……十代は、その"人"を棄てたの》
「……!?」
《だから、十代はもう二度と、一人ぼっちの夜を哀しがって泣いたりしない。《出来ない》。自分から手放しておいて、自分の望みで深く誰かを傷つけておいて、自分のほうが哀しいようなふりをするなんて、十代には出来ない。あの子の"正義"が、それを許さない》
そして、あたしたちは、"正義の味方"でなくなることなんて出来ないの、と彼女はつぶやいた。
そして眼を上げて、絶句しているヨハンを見る。その表情に浮かんだ微笑みは、まるで、姉のように優しかった。
《だから、今晩だけは、あたしたちをあなたのところに置いて。みんなで話して決めたの。せめて今夜は、十代に、"ずるくて弱い泣き虫"であることを、許してあげたい。それがあたしたちにできる、たったひとつのプレゼントだもの》
そんな、とヨハンは思った。
「―――そんなのって」
そんな哀しいものが、《贈り物》だなんて。
ヨハンの気持ちなど、とうに見透かしていたのだろう。彼女は、謝るように哀しそうに笑って、そして、消えた。あとには誰もいない。最初から、そうであったように。
あとにはヨハンひとりが、暗いキッチンに取り残された。
―――与えられたものは断片的すぎて、ヨハンには、ほとんど何も分からなかったといってもよかった。
ただ、しばし呆然と立っていると、素足が床を踏むやわらかい足音が近づいてくる。栗色の髪がひょいとキッチンを覗き込み、とび色の眼がまたたいた。「ヨハン?」と不思議そうな声がする。
「どうしたんだ? ぼーっとしちゃってさあ」
「……」
「疲れたのか? 大丈夫?」
お前、たくさん歌ったりしてたもんなあ。十代はくすくすと笑いながら言って、ヨハンの額に手を当てる。その手はなぜか、ひんやりと冷たかった。
「邪魔しちゃ悪いから、おれ、もうレッド寮に帰るな。おれのデッキどこだ?」
「……じゅう、だい」
ヨハンは、声を絞り出す。とび色の眼がまたたく。
次の瞬間、ぎゅうと抱きしめられて、十代の眼が、困惑の色を浮かべた。
「え? え?」
「おまえ、冷えてる……」
「あー…… ちょっとだけな」
十代は困ったように笑う。冷たいだろ、といって、やんわりとヨハンを押しのけようとした。だがヨハンは腕を放さなかった。自分よりも一回りほども華奢な身体を、ぎゅうと、強く抱きしめる。
「十代、今晩、泊まってけよ」
「へ…… ええ?」
ヨハンは笑った。むりやりの笑顔が、泣き顔のようにゆがんでいると自分で分かった。なぜ、こんな風に心がよじれるのか、自分でも分からない。ただなぜだか、無性に悲しい。
心の中に、断片的なイメージが浮かぶ。ひとりぼっちの部屋。寒々しいベット。小さな子どもがそこにうずくまり、膝を抱えている。泣きもしないで。誰もいない、何もおこらない聖夜に、夢を見て泣くことすら自分に許さずに、冷たくなっていく身体を、じっとこわばらせている。
ヨハンは、十代の仲間である、強くて優しい精霊の女を思いだす。そして、彼女の頼みは聞けない、と思った。
この腕を解きたくない。手を離したくない。
―――離してしまったら、何か、とても大切なものをなくしてしまうような気がするから。
「いっしょに寝よう。ベット一個しかないからさ」
「ええ、なんでだよう。どうしたんだよ、ヨハン」
「……それは」
素直にすべてを言うことなんて出来ない、とヨハンは思った。
自分自身を偽ることで護っている、十代の、薄くて硬い心のどこかを、砕いてしまうことになるから。
だからヨハンは笑った。泣き出しそうによじれた笑顔で。
「あのさ、サンタクロースってほんとうにいるか、見てみたくないか?」
「……ええ?」
「待ってようぜ、二人で。来たらとっつかまえて、世界中の幸せ、二人じめにしてやる」
十代はしばらく黙っていた。やがてなんだか困ったように笑って、ヨハンの頭をぐいぐいとなでる。
「ヨハン、酔ってるだろ」
「ああ、酔ってる」
子どもじみた口調で言う。なんでもいい。十代を引きとめて、独りぼっちで泣かせないための言い訳だったら、なんでもいい。どんなものでもいい。
しばらく黙っていた十代は、やがて、ふにゃりと笑った。「しかたないなぁ」と言って、ヨハンの背中に、腕を回す。
「おれ、悪い子だから、サンタクロースなんてこないぜ、たぶん」
「オレがいい子だからいいんだよ」
「変な自信だなぁ……」
「いいんだよ」
癖のある髪に顔をうずめる。飲んでいた紅茶から移ったのか、かすかに甘くシナモンの匂いがする。
今晩は、抱きしめて眠ろう。絶対に離さない。十代に、ひとりぼっちの夜なんて過ごさせない。
せめて、この聖夜だけでも。
抱きしめていると、だんだん、冷たかった手が暖かくなってくる。今夜はこうやって抱いて眠ろう、とヨハンは思った。自分は体温が高い。だから、きっと暖められる。十代に、少しも、寒い思いなんてさせないですむ。
「……言い忘れてた」
「ん?」
栗色の髪に、顔をうずめたままに、つぶやく。くすぐったく耳にふれる声に、十代が、首をかしげる。
今まで、これほど思いを込めて、この言葉を口にした事はない。
ヨハンは、十代の耳元に、ささやいた。
「Merry X'mas」
神様の生まれた日に、君よ、どうか幸せであれ。
―――聖なる夜は、しずかに、ふけていく。
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