ジムの作った料理を食べ、そのまま片付けもせずにTRPGのセッションを続行し、気が付くと深夜になっている。慣れない畳に腰が痛い。「じゃあ、今日はここまで」とアモンが言うと、みんなからいっせいに拍手があがった。
 見れば、万丈目やオブライエンまでもが手を叩いている。ヨハンはひとしきり拍手をすると、思わず、ダイスをばらまきながらテーブルにつっぷした。声が漏れる。
「つ、疲れた―――っ」
「おつかれ、ヨハン! よかったぜー!!」
「うぅ、侵食率が175%…… どうすんだこれ」
「Don`t Worry.経験点を削ってダイスを振りなおせばなんとかなるさ」
「それじゃ経験点が入らないーっ」
「次回のセッションでなんとかなりますよ?」
「―――っアモン、絶対にシナリオよりも敵のバランス強く設定してただろ!」
 わいのわいのと騒いでいるが、楽しんでいたのは紛れも無い事実だ。あちこちに空になったペットボトルや菓子のパッケージが散乱している。窓の外を見れば丸い月が西の空に傾いていた。すでに日付が変わっている証拠だ。
「じゃあ、成長やろっ」
「十代、もう寝る時間ですよ? 明日にも充分時間はあります。今日はもう、寝てください」
「ええええーっ」
「当たり前だろうが阿呆が。徹夜する気か」
 ちぇっ、と唇をとがらせる十代。やれやれと笑いながら、アモンが手にした紙をそろえる。
「さて、じゃあ僕はもう戻りますよ。明日までにシナリオを調整しないとね」
「調整…… 調整って、また、敵を強くする気か」
「……」
 返事は無い。ニヤリ、と口元が釣りあがった。
「ひでえええアモン、全員殺す気だろおおお!!」
「さぁ? DXだと人は死にませんよ。せいぜいジャーム化するだけです」
 楽しみにしておいてくださいね、と不吉な笑みを残して立ち上がる。それに続いてオブライエンも、「やれやれ」と立ち上がった。
「オブー、楽しかったかー?」
「……暇つぶしには悪くない、というところか」
「またまた。叫んだりしてたくせに」
「……」
「ルールブックもって帰るか? 明日までに、どういう風に成長させるか考えときたいだろ」
「……貸してもらおう」
 笑いながらルールブックの束を渡す十代。なんだかんだと全員が楽しんだことは間違いないらしい。悪い休暇じゃない。寝転がったまま窓の月を見上げて、ヨハンはそう思う。
「オレも寮に帰る」
「あ、万丈目はブルー寮で寝るんだ」
「こんなせまっくるしいところに一晩も二晩もいられるか」
「じゃあ、また明日な! 明日も支援、よろしくな〜」
 寝転がったままひらひらと手を振る十代。そのとき、ヨハンは、弾かれたように立ち上がる。十代が目を瞬く。
「あれ、ヨハンも帰っちゃうのか?」
「あ、いや。ここで寝るよ」
「マジで!? やりーっ!」
「でも、みんなをブルー寮まで送ってくる」
 ヨハンの発言に、十代が目を瞬く。「なんで?」と不思議そうに言う。
 アカデミアはあまり広い島ではない。ここからあるいても、ブルー寮まではせいぜい10分というあたりだ。住人が少ないのだから危険も無いだろう。送る理由なんてなにもないのに。
 ヨハンは笑顔を作った。ガリガリと頭をかく。
「いや、オレも力不足を感じたからさぁ。万丈目と帰り道で秘密の打ち合わせ」
「ふぅん?」
「ってわけで。ちょっくら行ってくるぜ!」
 万丈目は何かを言いたげな顔をしていたが、ヨハンはむりやりの笑い声でごまかす。そのままぐいぐいと万丈目を押し出していく。明るい畳部屋を出ると、外は、もう、真っ暗だった。



 夜になると、アカデミアには、海から吹寄せる風が吹く。苦い潮を含んだ風の匂い。昼の熱さとは打って変わり、水の気配を含んだ涼しい風の匂い。
「……」
「言いたいことがあるという顔だな」
 図書館を出て、ブルー寮への道を歩いている最中、ぽつり、と万丈眼が言う。ヨハンはどう答えればいいのか図りかねた。
 その顔が不愉快だったのだろう。万丈目は細い眉を吊り上げる。深いため息をついた。
「卑怯なやつだ」
「……どういう意味だよ」
「オレに全部言わせるつもりなんだろう。だがあいにく、オレは、そこまで貴様に親切にしてやるつもりはない」
 ヨハンは思わず顔を上げる。挑発的な言い方。けれど、その裏側にはもっと別の何かが塗りこめられている気がした。憔悴に似たもの。悲しみのようなもの。
 気付いてしまうと、単純に怒りをみせることなんて、出来なかった。
 ヨハンは迷い、言葉を選ぶ。やがて出てきたのは、つぶやくような一言だった。
「『たった一羽だけ白い鳥』……」
「……」
「あの本、オレに、見せる気だったんだろ」
 万丈目におしつけられた紙袋の中に、入っていた本だった。
 アカデミアの図書室にあったものではない。手垢が付いて薄汚れていた。決して売れた本ではなかったのだろう。安っぽい、ホチキスで中央を止めただけの、四角い本。おそらく月ごとに発行されて家に郵送されるたぐいの本だ。デフォルメされた鳥たちの絵が、愛らしいように見えて、どことはなしにひどく不吉だった。厭な本だ――― それが正直な感想だった。
「万丈目の本だったのか?」
「違う」
「……じゃあ、誰のなんだ」
「分からないのか」
 万丈目は、さらにいらだつような目で、ヨハンを見た。ほとんど睨むようだった。
「あれは、十代の、捨てた本だ」
 ヨハンは、息を飲んだ。
 万丈目のつま先が土を蹴り上げる。苛立ちがそこにこめられていた。海から吹く風が服の裾を揺らす。
「どういう意味があるのかは知らん。だが、あれは一年生のとき、十代が荷物に入れてもってきた本だ。そうして、それから一年後、ゴミ箱に捨てられていた……」
 それを見つけたとき、万丈目は、どう思ったのか。
「あの本の発行は、もう、10何年も前だったよな……」
 宝物だったのだろうか、とぼんやりと思う。十数年も前といえば、十代はまだほんの幼児だ。そんなころから、十代が、あの本を大切にしていた? ……想像がしにくい。
「なんで捨てたか、とオレが聞いたら、あいつは”なんとなく”と笑いやがった。あいつはとんでもない嘘つきだ」
 万丈目が再び地面を蹴る。曰く、分かり難い感情が、そこに滲んでいた。
「親兄弟と上手くいかないことなんて、日常茶飯事だ。誰だってそうじゃないか。オレだってそうだし、翔だってカイザーと上手くいっていない。エド・フェニックスは両親を亡くしている。あたりまえのことじゃないか」
 なのに、なんでわざわざ忘れたふりをする、と万丈目は吐き捨てる。
「誰だってそうなんだから、自分ひとりが隠す必要なんて無い。自分だけ影のないふりをする。……卑怯者だ、十代は」
 万丈目はもう歩いていない。立ち止まっている。握り締めた拳を、うつむいた顔を、ほの白い月光だけが照らしていた。遠く聞こえる潮騒。ヨハンもまた、視線を落とす。地面に自分の影が映っている。
 あたりまえのこと。
 誰だってそうだ。あれはただの絵本であって、自分が誰かと違う、誰かよりも劣っている、そんなコンプレックスは当たり前に誰もが持っている。ヨハンにだってそんな記憶くらいはある。
「……オレに、十代を助けてもらいたいのか、万丈目」
 ヨハンが言うと、万丈目は弾かれたように顔を上げた。怒鳴る。
「何を莫迦な……ッ!!」
「だって、さっきから、そう言ってるようにしかきこえない」
 ヨハンは淡々と答えた。万丈目の目を、正面から見据えながら。
「十代がどこかで欠落をかかえているように思える、けれど十代は誰にもそれを見せない、お前は遠まわしにオレにそのことを伝える……」
「……」
 万丈目は食って掛かろうとするように口を開きかけ、また、閉じた。目が揺れた。そこに何かが滲んでいた。
 ヨハンはぼんやりと思う。髪を撫でる夜の風に、潮騒の苦さを感じながら。
 十代は、誰もがアカデミアを出る時期になっても、家に帰らない――― 両親と顔をあわせない。
 それはここに残った誰もが同じだ。誰もが自立のため、あるいは親を失ったため、帰る場所を持ち合わせない。ヨハンの場合はあえて捨てた。一度巣離れをした鳥は、二度とは、その巣に帰らない。親子が他人である以上、かならず別れは訪れる。どちらが先にどちらを捨てるか、問題は、その一点だけだ。
 では、十代はどちらなのだろう。
 自ら親を捨てたのだろうか、それとも親に捨てられたのだろうか。
 
 それとも。

「あの絵本、持ってるんだろう、万丈目」
 ヨハンが言うと、万丈目の肩が、かすかに震えたようだった。
「オレに預けてくれないか」
「……どうしてそんなことをする義理がある」
「ないよ。でも、おまえは一回、オレにあの本を渡した」
 ぐっ、と万丈目は黙り込む。
 素直じゃない…… とヨハンは思う。彼は、十代のことを大切に思っているのに、それを外に出せない。出そうとしない。あるいは、すでに幾度も試みて、諦めているのだろうか。十代は明るく無邪気に見えて、けれど、他人の差し出す助けの手を、笑って拒むようなところがある、とヨハンは思う。
 万丈目はしばらく悔しそうに唇をゆがめていた。だが、鞄に手を入れ、何かを取り出す。手垢にまみれた古い絵本を。
「ヨハン・アンデルセン。貴様はいやな男だ」
「ほめ言葉だと思っとくぜ」
 ―――優しすぎて何も出来ない自分を悔やんでいるのは、たぶん、万丈目だから。
「じゃあオレ、戻るよ。ジムと十代はあそこに泊まるみたいだから、オレも混ぜてもらう」
「……勝手にしろ」
 吐き捨てる。そうして、きびすを返し、大またに歩いていく。
 ヨハンが見送っていると、その背後にふっと小さな幻影が浮かび、なにやら万丈目へと話しかけている。彼を慕う精霊たちだろう。
 万丈目は、優しい。
 だから精霊たちにもああして慕われ、愛されている。
 けれど、その優しさにも、出来ないことがあるとしたら。
 ヨハンは、手の中の薄い絵本を、しずかに見下ろした。





 部屋に戻ると、十代が、腹に毛布をかけて眠っていた。
「おいおい、ずいぶん早いな」
 呆れ顔で言うヨハンに、部屋の隅で座ってルールブックを読んでいたジムが笑う。「疲れたんだろう」と言った。
「幸せそうにしているから、いいじゃないか」
「……」
 シーツがくしゃくしゃになった敷布団の上で、二つ折りの座布団を枕に寝ている十代は、たしかに、すこし笑っているようだった。ヨハンはため息をついて座り込む。手にした本を見た。
「『たった一羽だけ白い鳥』か……」
「ここの生徒たちは、みんな、white-birdsだ」
 ジムが答える。ヨハンは振り返る。
「ここにいれば、十代は泥で羽を汚す必要がない。爪のない足で地面をひっかいて血まみれになることも、高く透る声を無理に押し殺す必要も、無い」
 ヨハンは思わず、まじまじとジムをみた。ジムは少し笑った。
「昼間、もって来てくれただろう、その本を」
「ああ……」
「たぶん十代のものだろうと思った。当たっているか?」
 ヨハンは苦笑するしかない。足を引き寄せて、座りなおす。
「……鋭すぎて、ときどき、ジムが怖くなることがあるぜ」
「Of course not!」
 ジムは大げさに肩をすくめた。
「オレがなんだって? どこにでもいるただの若造さ。人の哀しみなんて分かるわけが無い」
 けれどヨハンは何も答えない。ただジムの顔を見つめ、それから、十代の寝顔に視線を移す。幸せそうに笑みを浮かべ、身体を横に丸めた姿。
「人の哀しみ、か……」
 いつだかの会話を思い出す。十代は言っていた。哀しいことなんてなにもない、全部わすれた、と。
 手垢にまみれた絵本のページをめくると、最後のページは、たった一枚だけ、羽根が落ちている絵がかかれている。土にまみれて茶色くなった羽根。本来なら、まぶしいほどに白かったはずの羽根。
 哀しいことを、当たり前だと、思ってもらいたくなかった。
 ―――人のことを愛しても、愛されることを拒むのは、哀しいことだ。
 絵本の中の白い鳥は、愛されようとしなかった。白い大きな羽根を、高く透る声を、これが自分なのだよと、仲間たちに見せようとしなかった。それが怯懦だったのかどうかをヨハンは知らない。けれど、白い鳥は泥にまみれてまで仲間たちと共に居ようとして、結果、一度も本来の自分に気付かぬまま、死んでいった。
 十代は、どのような思いで、こんな愚かな物語を、読んだのだろう?
 ひどく痛んだ様子をみれば、ずっと、ずっと、大切にしてきたのだと分かる。何を思ってこのような本を大切にしたのだろう。
 聞きたかった。あのとび色の目を正面から見つめ、肩を掴み、問いただしたかった。お前はいったい何を哀しんだのか、と。
 けれど十代は答えるだろうか。
 いつものように少し申し訳のなさそうな笑みを浮かべて、何時ものように答えるだけじゃないのか。

《……ごめん、よくわかんねぇ。ほんと、ごめんな》

 ―――何かが、胸の奥から、ぐうっとせりあがってくるように感じる。
 ヨハンは、なかば意識もしないまま、手を伸ばしていた。震える指が十代の髪に触れた。少し硬い髪だった。その瞬間、堰が切れたように、我慢が出来なくなる。
 伸ばした腕が、硬く、十代を、抱きしめた。
「……ふぁ、……ん? よはん……?」
 寝ぼけ声が漏れる。眼を醒ました十代が、半ば眠ったように、半ば驚いたように、ヨハンを見る。自分のことをきつく、硬く抱きしめているヨハンを。
「なんなんだよぉ…… 苦し……」
 言いかけて、声が途切れる。
 十代はヨハンを見た。その表情を。
 ……寝起きを起こされて、不機嫌だった顔が、ふと、やわらかく緩んだ。
「どうしたんだよぉ、ヨハン……」
 彷徨っていた腕があがり、ヨハンの背中に回される。もう片方の手が、ぽん、ぽん、と背中をやわらかく叩いた。
「なんか怖い夢でもみたのか……? 大丈夫だよ。おれがそばにいるよ。怖いことなんて、なんにもないよ」
 違う、と言いたかった。
 怖いのも、哀しいのも、自分じゃない。そう言いたかった。声が詰まっていえなかった。
 部屋の隅で静かに見ていたジムは、わずかに哀しそうな顔をした。けれど表情はすぐにゆるむ。「十代」と呼びかける。
「ヨハンは、今夜、お前といっしょに寝たいとさ」
「ん? そっかぁ。……じゃあ、いっしょにねよう。あと、ジムもいっしょに寝よう」
 寝起きのやわらかい表情で、微笑みかける。ジムはかるく肩をすくめた。
「Well……」
 ジムが立ち上がる。こちらへやってくる。近くに積まれていたタオルケットをもちあげて、ばさり、と二人にかける。
「わあ」
 十代がくすぐったそうに笑った。うれしそうな顔。洗い立てのタオルケットのお日様の匂いとせっけんの匂い。
 何も言わないヨハンをどう思ったんだろう。十代はやさしく笑う。ヨハンのやわらかい翠緑の髪をくしゃりと撫でた。
「じゃあ、みんなでいっしょに寝よ。それから明日はまたゲームしよ。な?」
「……」
 ヨハンは、黙り込む。十代がいぶかしげな顔をする。タオルケットの影に隠れて、ぎゅう、と抱きしめる。耳元にささやいた。
「十代、幸せか?」
 十代は瞬間、きょとんとした顔をする。それから満面の笑顔になると、「ああ」とうなずいた。
「幸せ。すごく幸せ。あたりまえ、だろ?」
 


 ―――幸せだったのだ。
 白い羽根を泥で汚した鳥も、仲間たちに囲まれて、幸せだったのだ。己自身を知らぬままに。



「……泣いてるのか?」
 ふいに、十代が、不安げな顔をする。ヨハンはすぐに顔を上げた。そうして、「なんでもない」と答え、泣きそうに笑いながら、ぐしゃぐしゃと十代の頭を撫でた。










十代の家族についてって、原作だとまったく語られないですね……
子どもの頃の十代はいい服を着ているし、言葉遣いもきれいだから、たぶんいい家の子なんだと思うんですけれども、せいぜいたった7つか8つの子どもを家で留守番させるってどういうことなんでしょう? 学童なり保育園になりに入れなきゃダメでしょう? などと邪推してしまいます。
あの年できちんとデッキを組んでデュエルできたんだから、カードは買い与えてもらっていて、頭のいい子でもあったんでしょうが…… なんだか、必要以上に可哀想で寂しい過去を想像してしまいます。

ところでアカデミアの夏休みって、どうなってるんでしょーか。(一番の謎)



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