リスタ様より5000HITリクエスト作品
ヨハ十+モクバ








風や空のことばかり





 なあ、十代、これをやるよ。入学祝だ。
 オレに出す手紙には、少しづつデュエルのことじゃないことを書いてくれよ。あと、こっちは辞書。わからない字はちゃんと調べるんだぜ?

 ―――約束だからな。

 ほら、ゆびきり、げんまん。
 うそついたら、はりせんぼん、のーます。




 
 


 他人の部屋に勝手に上がりこんで、勝手にモノをとったり、DVDを借りていったり、冷蔵庫のモノを食べたり。
 そういうプライベートのかけらもない生活って、正直、ほんとうにいいのかなあと思っていたヨハンだったが、一ヶ月もしないうちにすぐなれた。十代の寝泊りしている狭苦しいレッド寮の一室は、行けばかならず誰かしらがいる場所だ。翔や剣山は確実として、吹雪や万丈目がいることも珍しくなく、場合によっては短いスカートをはいた明日香が男どもに混じって真剣にデュエル議論で盛り上がっていたりする。十代の部屋に鍵はない。ドアはいつだって開いていた。誰が入ってきてもかまわないし、どれだけ散らかしてもかまわない。そんな開けっぴろげな様がどことなく部屋の持ち主の人となりに似ている気がすると言ったのは、たしか、万丈目だったような気がした。
 とにかく、十代の部屋には鍵なんてない。夜中だろうと朝だろうと、遊びに行けば、必ずドアが開いている。不用意だと思うのは十代という人間をしらないやつだけだ。十代にとって、他人の手に触られたくないほど大事なものは、カードホルダーに入れて常に腰にぶらさげているデッキくらいのものなのだから。
 だから。
「Hey,十代! ……いないのか? 勝手にあがるぞ?」
 ―――ひどい霧の日、さまよい疲れたヨハンをジムが担ぎ込んだときも、やっぱり、十代の部屋のドアは開きっぱなしだったのだ。
 歩きつかれたヨハンが、「疲れた…」と床にひっくりかえっても、誰の返事も帰ってこない。ジムは部屋の中を見回す。どうやら十代は留守だった。閉じた窓の向こうには濃密な霧が立ち込め、ミルク色の薄暗がりの中に、ぼんやりと木々のこずえだけが緑色に浮かんでいる。
「とんだ散歩だったな、ヨハン」
「うぅ……」
 ぴょこん、ぴょこん、と歩いてきたルビーが、心配そうにヨハンの顔を覗き込む。へたりこんだヨハンは声もない。……当たり前である。昨晩、レッド寮へ行こうと思い立ち、ブルー寮を出てからいままで、ひと時もあかさず歩き詰めだったのだから。
 そもそも、問題だったのは、昨日から今日にかけての気候だった。
 霧が、出たのだ。
 南方の島であるアカデミアの気候はあかるく、朝夕に霧がただようことはあっても、濃密な霧が島全体に立ち込めることなどめったにない。そして、昨日の夜がその"めったにない"夜だったのだ。
 うすく霧の出る夜、あかるく光る月や星には、薄い虹の輪がかかる。
 日輪に比して、"月輪"と呼ばれることもあるものは、ヨハンにして、めったに見たことがないくらい珍しくうつくしいものだった。だからきっと十代が喜ぶだろうな、気づいているかな、という何も考えない行動の結果がこれだった。レッド寮へいくだけというほんの十数分の道のはずが、気づけば、霧に巻かれたヨハンは、自分がどこにいるのかもわからなくなっていたのだ。
 飲まず食わずでまる一晩。さらに、今は昼過ぎ。歩き続けることは苦にならないが、視界をふさがれた上に、不案内なアカデミアというのがまずかった。べったりと床に倒れて動かないヨハンに、「やれやれ」とジムが笑う。ヨハンは子供くさく頬を膨らませた。
「仕方ないだろっ。あんなに目の前が真っ白になっちまったんだ。どっちに行きゃいいかなんてわからないぜ!」
「やれやれ。だったら、どうして座ったまま誰かが来るのを待たなかったんだ」
「だって…… そんなの、待ってたって誰か来るかわからないし、それに、こっちに行けば絶対にレッド寮だと思ったから……」
 言いながらヨハンの声が小さくなる。自己嫌悪、というよりも、どこまでいっても治らない癖にうんざりした気分。盛大にため息をついて倒れるヨハンに、とうとうジムが、声を上げて笑った。
「とにかく、お疲れ様。何かDrinkでももらってくるか。それに、食べ物も」
 レッド寮にあるかどうかわからんがなあ、といいながら、ジムは十代がいつもおやつをいれている棚を空ける。あいにく、何も入っていない。ちょっとした棚ほどしかない、ちっとも冷えない冷蔵庫も空っぽだ。部屋を見回して、ちらかった様子を見て、「昨晩はたぶんデュエル大会だろうなあ」と笑う。
 そこらに放り出されているものは座布団やら、空き缶やら、開けて捨てたブースターパックのパッケージやら。たぶん、昨晩は誰かが来て、ここで十代とデュエルをしていったのだ。それも複数の、大人数が。
 ヨハンは、「うーがー」とうめきながら、ごろりと床に転げる。
「ちくしょーっ。なんで昨日のうちにここまで来られなかったんだ、俺!」
「これだけひどいFogだ、外出しちまったんだからしょうがないさ」
「……」
 ジムからして、ヨハンが霧の中外出すれば、絶対に目的地にたどり着けないと、てんからきめつけている。
 しかしまったく言い返せなくて、無言でぺたんこのざぶとんに顔をうずめるヨハンに、ジムが可笑しそうに笑う。「下に行って、何かないか聞いてこよう」と言った。
「まあ、レッド寮だからな…… あっても、なんだ。あのJapanese Radishの黄色いPicklesくらいだろうが、何もないよりはマシだろう」
「オレも行く……」
「いや、来るな。また迷ったらやっかいだ」
「迷うかっ。下へ降りるだけだろっ!?」
 やけになって怒鳴るヨハンに、こんどこそジムは、声を上げて笑った。そのままドアを開けて部屋を出て行く。あとにはヨハン一人が残された。
 ジャパニーズラディッシュの黄色いピクルスってなんだろうか。そういう食べ物があった記憶はあるが、ジムの言われ方だと何のことだかさっぱりわからない。ずるずると寝転がったままヨハンは考え込む。どういう食べ物だったっけ、さて?
「ええと…… なんだっけ、タクサン、タクワン、タクアン……?」
 どっちにしろ、あれだけで腹をいっぱいにするっていうのは、ぞっとしないなぁと思う。ごろりとうつぶせになったヨハンは、腕の上にあごを乗せた。
 近くの窓から、霧に覆われた世界が見える。
 真っ白に覆われた世界で、ただ、ぼんやりと空に太陽だけがひかる。普段なら決して直視することができない太陽というもの。それが、霧に覆われた世界の中で、ひとつぶのおおきなオパールの粒に変わる。真っ白な光の中に、この世界にあるすべての色彩の母になる、妙なるうつくしさが憩っている。
 ぬれて静まる木々の緑も、草からたちのぼる香りも、海からゆっくりとやってくる霧の重たげなやわらかさも、ぜんぶ、ぜんぶ、おもしろい。迷子の癖に散歩好きのヨハンにとって、こういう天気は災難の元であると同時に、とても気持ちのいいものだったのだ。
 ―――なのに、肝心の十代が、いないなんてなぁ。
 ヨハンはざぶとんを抱いたままため息をつく。しかも、これから黄色いピクルスでおなかをいっぱいにして、ちっちゃな子供よろしくジムに手を引かれて(大げさかもしれないが、そこまでしないと、やっぱりヨハンは迷うのだ)、ブルー寮にまで帰らないといけない。まったくつまらない。こんなについてない話ってない。
 だから。
《るーびっ》
 ルビーにそうやってちょいちょいと頬の辺りを掻かれたときのヨハンは、ちょっとばかり機嫌が悪く、まともな頭でもなかったのだ。
「どうしたんだ、ルビー?」
《るーびっ、るびーっ、るび〜っ》
 ぴょんぴょんとはねるようにかけていった精霊が、小さな前足で、十代の机をひっかく。なんだろうと顔を上げたヨハンが見つけたのは、棚の隙間にひっかかった封筒だった。なんだろうと思ってなにげなく拾うと思ったよりも重さがある。
 ひっくり返すと、中から出てきたのは、銀色の鍵だった。
「なんだ、これ?」
 光物が大好きなルビーが、興奮してじゃれついてくるのを避けながら、ヨハンはしげしげと鍵を見る。
 アクセサリーとかに使うような、古い鍵だ、とヨハンは思う。実際はどの程度古いのかわからない。けれど、黒っぽくなった古い銀の鍵の頭には、青っぽいちいさな石が埋まっていた。ルビーはこれに反応していたのだろう。偽物のガラス玉じゃない、ほんとうの宝石だ。
 十代のものじゃないよなあ…… とヨハンは思う。
 ヨハンが知っている限り、十代の部屋には鍵はない。それに、こんなきれいな鍵が、無造作に封筒に入れられてほうりだされているのも、なんとなく変な気がした。こういうものを持っていそうなのは明日香だとか、吹雪だとか、あるいはその二人に関連してプレゼントを準備している万丈目だとか。……じゃあ、忘れ物なのだろうか。それをなくさないように封筒に入れておいて、返すのを忘れてしまったとか。十代だったらありそうな気がした。
 だから。
「おい、ヨハン!」
 窓の下から大声でよばれて、ヨハンはおもわず、鍵を握ったまま、外を見てしまったのだ。
「なんかあったのか!?」
「よろこべ、Japanese Radishだけじゃなくて、PlumのPicklesもあるらしいぜ!」
 プラムのピクルス…… プラム?
「なんだ、そりゃ!」
 怒鳴りながら、ヨハンは急いで窓を閉める。とにかく腹が減っていた。プラムだろうがリンゴだろうがなんでもいい。あわてて靴を履き、あわただしく部屋を出る。手をとっさにポケットに突っ込んでいたということに、ヨハン自身すら、気づかなかった。







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