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 モクバは一日でアカデミアを去った。夜、十代はずっと彼の部屋に泊まっていたようだったが、何を話していたのかは知らなかった。ただ翌朝になって十代はすぐに万丈目のところにいって謝っていた。「いろいろ逆キレしてて悪かった!」と、納豆を食べている万丈目の横で、大げさに謝る。
「もういいから、さっさと戻れ! お前がいるとうるさくて飯も食えん!」
「うー…… でもさあ、一通り謝り文句、聞いてくれねぇ?」
「聞かない。もう十分に聞いた。さっさと行け」
 しっしっ、と犬でもおいはらうような手付きをする。十代はしょぼんと肩を落として戻ってくるが、横からみえる万丈目の喉のあたりがすこし震えていた。笑ってるんだなあ、とヨハンは思った。
 テーブルに座って納豆をかき混ぜ、さらに生卵を割って、どんぶり盛りのご飯に放り込む。さらに醤油も入れている。うえー、という顔をしているヨハンを見て十代は笑い、それから、「あれ、なんでいるんだ?」という。
「んーと、十代が留守だったからさ、なんとなくお前の部屋泊まってたんだけど」
「ふーん」
 目の前の陶製のおわんをみると、梅干やらタクアンやらが満載されていた。路に迷った霧の日が開けたときには、これを死ぬほど食わされたのだ。……意外とおいしかった。白いご飯の上にどんどんタクアンや梅干を乗せながら、ヨハンは、十代の顔を盗み見る。
 目の周りが腫れていた…… 泣いたんだろうか、とぼんやりと思う。ヨハンは十代が泣いたところなんて、一度も見たことがなかった。まして目の周りが腫れてしまうほどに泣きじゃくることがあるなんて、想像すらもできないくらいだった。
「さっき万丈目に何言ってたんだ?」
「あ、そうだ! 探してた鍵があったんだよ!!」
 十代はいそいそと携帯端末を取り出してくる。ストラップらしい頑丈そうなチェーンの先に、銀の鍵がぶら下がっている。
「無くさないように、これからは身に着けとくことにしたんだ。部屋に隠しとくんじゃあ、いつ、誰かがまちがって捨てちゃったり、もってかえっちゃうかもしれないからなあ」
 これで大丈夫だろ、と笑顔でいう十代に、ヨハンはなんと言えばいいのかわからなかった。
 だから、代わりに。
「あのさ十代、前、霧の日にオレがたずねてきたって聞いたか?」
「へ? ううん、聞かない。なんでだ?」
「霧が薄い夜にはさ、ときどき、月に暈がかかるんだ。薄い虹のわっかみたいなのが」
「へええ!?」
 十代は身を乗り出してくる。ヨハンはごくまじめに答える。
「場合によっては星に暈がかかることもある。でも、これはそうとう眼がよくないと駄目だし、天気の条件も厳しいからさ…… でも、きっと十代なら見られるぜ」
「うんうんうん、見たい見たい見たい!」
「出たら教えてやるよ」
「へええー、ありがとうなあ、ヨハン!」
 満面の笑顔で答える十代に、ヨハンもつられて笑顔になる。けれど、胸の中のどこかで、小さな声が、つぶやく。

 ―――子どものころ、鍵のかかる箱と、その中身を見せることができる誰かが手に入らなかった子どもは、上手に大人になれない。

 いいよ、とヨハンは心の中の声を打ち消した。
 もしも自分がどちらにもなれなくても、ヨハンはきっと、十代のそばにいる。そうして十代のために、世界中のきれいなものを、十代の中の宝箱の中にしまえるよう、差し出してやるのだから。
「なんだかお前らは、デュエルの話をしなかったら、風や空のことばかり話してるな」
 万丈目があきれたように言った。ヨハンは体をひねって振り返り、「うらやましいんだろ?」と嘯いた。万丈目が当然のように怒鳴り返してくる。十代はけらけらと笑った。その笑顔が幸せそうだったから、ヨハンは、心から安堵し、そして、幸せだった



 



タイトルはさねよしいさ子の『風や空のことばかり』です。隠れた名曲。
なんだかヨハンがものすごくヘタレになってしまいました…… ごめんなさいリスタ様。これでいいんでしょうか?
いちおうモクバくんと十代は5つから6つ違いと計算しているので、この話のモクバくんは22〜24の範囲かな? なんとなくイメージなんですが、自分は仕事でいそがしくて大学とかまともに通わない分、社長はモクバくんにはやりたいように教育を受けさせてあげる気がします。
行ってる大学はやっぱりハーヴァードとかの海外一流大学で、しかも情報システム関係とかの博士号をいくつももってる気がします。小学生であれだけ賢いんだもんね。モクバくんは、絶対いい男になってると思われますv


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