1:母親の物語 ―――いちばん初めに、ひとつだけ、言わせてください。私はあの子を本当に愛していたのです。 私があの子を妊娠したのは、もう、40も越えようというころ。夫と結ばれてから、もう、長い長い時間が経ったころの話でした。 あのころ私たちはもう子どもを持つこともあきらめて、不妊治療すらもやめていました。だから、私があの子を身ごもったのは、ほんの偶然でした。私たちはもう、半ば、子どもを持たない人生をおくるという路を、受け入れかけていたのです。 25日の夜に届いたクリスマスプレゼントのような、少しタイミングはずれなこの神様の贈り物は、たくさんの喜びと共に、同じくらいの困惑を私たちにもたらしました。私たちの人生設計には、二人きりで送る長くておだやかな人生という図はあっても、こんな歳になってさずかった子どもを育てるという選択肢なんて、あるはずがなかったのです。私も夫もいまや会社では重要な立場にあり、それぞれの仕事の上での成功が私たちの喜びであり、また、誇りでもありました。そして、すでに体力の衰えを感じ始めていた40過ぎの私は、妊娠初期からのひどいつわりや目まいをもてあまし、本当に私たちに子どもが産めるのかしら、育てられるのかしら、と不安にならずにはいられなかったのです。 それでも、最期には、私はあの子を産むことを選びました。子どもは、神様からの贈り物。こうのとりがほんの少しばかり寄り道をして、私たちのところに来るのが遅れたからって、それがなんだっていうのでしょう。授かった以上、生まれてくる子どもは、私たちの宝物。誰よりも愛して、誰よりも大切に育てよう。そう私たちは決めたのです。生まれてくる子どもは、世界一、幸せにしてあげようと。 なのに、私たちは、どこでボタンを掛け違ってしまったのでしょうか。 子どもを育てるということは、想像しているよりも、ずっとずっと大変なことでした。赤ん坊は白いおくるみに包まった天使などではなく、ものを食べ、泣き、眠れないときにはぐずり、時には真夜中にだって高熱を出して泣き叫ぶ、何もできない生き物でした。翌日に会議をひかえているとき、重要なプロジェクトが佳境にさしかかっているときでも、私たちは真夜中に起きだして、理由も分からずに号泣している息子をなだめてやらなくてはなりませんでした。 息子は、体はとても健康な、愛らしい赤ん坊でしたが、奇妙なところも多く持っていました。まるで何もないときに、突然、ひきつけでも起こしたように泣き出すことがよくありました。私たちにはその理由はまるで分かりませんでした。そして、それと同じくらいに良く、何も見えないはずの空中を見つめて、誰か親切な親戚が会いに来てくれたとでもいうように、にこにこと嬉しそうに笑いながら一人遊びをしていることもよくありました。検診では、息子を専門の医者に見せることをそれとなく示唆されたこともあります。あの子が言葉をしゃべりだすようになるのが、ほかの子どもたちよりも遅かった、というのも理由のひとつだったのでしょうが。 不安に思いながら、それでも私たちは、一生懸命にお互いを慰めあいました。3歳になって保育園に入れば、6歳になって小学校に入学すれば、息子もきっとほかの子どもたちと何も変わらない普通の子になると。私たちはよくお互いにたいしてそう言いあっていました。そういうことをいうこと自体が、おそろしい不安を遠ざけるためだということに、気づいていないわけではなかったのですが。 けれど時間がすぎるにつれて、問題は解決するどころか、ますます複雑で深刻な、そして、理解のしがたいものへとなっていきました。 息子は5歳になるころには、にこにこと明るくて人懐っこく、いかにも人好きのする風の子どもへと成長していました。怖いものなど何もないのかと思うくらい、小さなころの奇妙なおびえが嘘のように消えて、息子はとても元気のよい子に育っていました。年長の私たちが育てたからでしょうか。特にあの子は年上のお兄さんやお姉さんたちに可愛がられ、保育園でも、同い年の子どもたちと鬼ごっこやかくれんぼをして遊ぶよりも、学年の違う年上の子どもたちと、さまざまなゲームをして遊ぶことを好むようになっていました。特にトランプなどのカードゲームが大のお気に入りで、小さな手なのに不思議なくらいの器用さでカードをさばき、たった5歳の子どもがポーカーなんかを覚えて楽しんでいるということが、私たちには嬉しくも不思議でなりませんでした。そのほかの事に関しては、けっして物覚えのいい子ではなかったのですけれど…… 小さなころから習わせていた英語や算数などはなかなか身につかないのに、ゲームのルールや、テレビのヒーロー番組に出てくる怪獣の名前なんかは、ほかの誰もが驚くくらいによく覚えている子でした。息子はほんとうに明るくて元気のいい、よい子だったのです。誰からも愛される、みんなの弟のような子でした。 ―――たったひとつのことを除いては。 あの日、私も夫も、ひどく疲れ果てて、いらだっていました。真夜中でした。時計の針はとうに12時をまわり、私は明日の早朝の会議のために早出をしなければいけないということが分かっていたのに、眠ることができませんでした。夫が帰ってくるのを待ち、二人で話をするには、こんな時間まで待たなければならなかったのです。けれど、私たちの頭を悩ます問題に比べれば、そんなことも些細なこと…… 私たちの頭は、息子のことでいっぱいでした。 息子は、その日、保育園をやめさせられたのです。 理由はひどく不可解なものでした。……保育士の一人が、息子の面倒を見ることを拒否したというのです。それも、ひどくヒステリックな様子で、もしもこれ以上息子につき合わされるのなら、保育園をやめる、二度と保育士の仕事などしない、という剣幕でした。 無論、たったひとりの保育士に嫌われたくらいで、園をやめなければいけないという理由にはなりません。けれどその恐怖はほかの保育士の人たちにも伝染し、皆が息子のことを気味悪がっているということを、わざわざ会社帰りの私を待ち構えていた園長に、それとなくほのめかされました。そんな環境に息子をおき続けるのがいいとはとても思えず、私たちは、息子に園をやめさせるという選択肢を取らざるを得ませんでした。私たちは今後息子をどうするのかを決めなくてはなりませんでした。どのみち小学校へあがるまであと一年未満、ほかの園を探すには、あまりに半端な頃合でした。けれど、そんなことよりも、息子があの園の保育士たちから受けた扱いのほうが、ずっと私たちには不可解で、また、悩ましいものでした。私たちの言い合いはそのことに終始し、しまいには言い争いといっていいほどのものとなっていました。とっくに息子が自分の部屋で寝ている時間でなくては、私たちは、あんな大人げの無い諍いをするなんて、とうていできなかったでしょう。 夫の意見は、まったくひとつのものに終始していました…… 「あの子は、あの園の従業員たちの人間関係トラブルのだしにされたんだ」 夫はひどく憤慨していました。 「あの子がいくつだと思っている。たった6つだぞ。たった6歳の子どもに、大人の男と女のことが、分かるわけが無いだろう!」 そう――― 息子が、担当の保育士にヒステリーを起こさせた理由。 それは息子が、その保育士が、園で面倒を見ている園児の保護者の一人と、ふさわしからぬ関係を持っているということを、当の本人へと言ってしまったことが、原因だったのです。 ふさわしからぬ、と言っても、それはまだ不倫と責めるのが気の毒なくらい、ささやかで浅い関係だったようです。ですが問題だったのは、その当の保育士が男性であり、一人の保護者だけではなく、たくさんの母親たちと、同じような関係を同時並行で持っていた、ということにありました。 先生がほんとうにアイしてるのは、誰のおかあさんなの……? なんで、たった6つの子どもに、そんな事情が分かったのでしょう。ましてその保育士がやっていることは、ほかの保育士たちや、保護者たちにも気づかれないくらいに、ひっそりと隠されたものだったのです。どうして息子がそんなことを口にしたのかは謎に満ちていました。 ―――ですが、こんなことが起こったのは、初めてのことでは無かったのです。 ……ちゃんの家のね、お兄ちゃんはね、……ちゃんみたいにご飯をもらえないで、ずうっと押入れに閉じ込められているの。可哀想だよ。助けてあげてよ。 どうして……ちゃんの家のおかあさんは、ほかのおかあさんのカバンの中を覗いても、怒られないの? だあれも見てなかったら、誰かのカバンの中を勝手に覗いてもいいの? 息子は、とうてい普通の子どもなら、いえ、大人であっても知るはずが無いことを、突然に口にする子どもでした。そして、それはただの子どもの嘘でも作り話でもなく、どれもがまぎれもなく本当のことだったのです。息子の言葉から、息子と同じクラスの生徒の家では上の子どもがひどいネグレクトを受けており、同級生の母親には病的な覗き癖があるということが分かりました。夫はそれもすべて何らかの理由があるに違いないと主張しておりました。誰かが息子にそんな事柄を吹き込み、言いにくいことを言わせているのだと。息子は被害者だと夫は言いました。 「あんな園、やめさせられて逆によかったんだ。みんながあの子が妙なことを言い出す子だと思い込んで、言いにくいことを言わせるための吐け口にしてしまった。あそこを離れれば、きっと、もう二度と妙なことなんていわなくなるに決まっている!」 夫は理知的な人でした。言うことも分からないわけではありません。けれど私には、どうしても、納得がいきませんでした。夫の言うことだけでは、息子の言動は、どうしても説明がつかない。母親だから分かったのです。 「でも、あの子、やっぱりどこか変よ…… きちんとした検査を受けさせて、どこか悪いところがあるんじゃないか、調べたほうがいい」 「君は自分の息子が病気だって言いたいのか?」 夫の声は硬く尖っていました。けれど、私にも、引くことのできない理由くらいあったのです。私は夫に怒鳴り返しました。 「だって、おかしいじゃない! なんであの子、いつも空中に向かって話しかけてばかりいるのよ! 幻覚か何かが見えてるのかもしれないじゃない!」 見えないお友達…… あの年頃の子どもだったら、おかしいことではないのかもしれません。けれど、息子の症状は、母親の私から見て、あきらかにただの一過性というレベルを超えているように思えました。 とりとめのない、支離滅裂な作り話をする子どもなんて、いくらでもいます。作り話が好きな子も、独り言が好きな子も、同じ保育園にだっていくらでもいました。ですが、息子の話は奇妙に筋が通っていて、しかも、現実に根ざしている。そこが何よりも私には恐ろしかったのです。 にこにこと無邪気な笑みを浮かべて、「友達に見てきてもらったの」と言うあの子を、私は何回もきつく叱り付けました。大人気ないと言われるかもしれません。けれど、私には不安だったのです。あの子が現実離れした空想の世界へとひたりすぎて、世の中へうまく適応できなくなってしまうことが。その結果、あの子は私たちの前で、そんな話をすることがなくなりました。 けれどあの子は、そういう奇妙でよじれた世界と、完全に縁を切ったわけではない…… 暗がりから人のやっていることをじっと見つめているような、奇妙な存在たちと、今も『お友達』でいる…… そんな妄想じみた空想までが頭に浮かび、私は頭がおかしくなりそうでした。 「ねえ、やっぱり高齢出産だったから、もしかしたら脳とかに、障害があるのかもしれないじゃない…… 本を読んだら、小児性の統合失調症で幻覚が見えたり、幻聴が聞こえることもあるって……」 「なんで君はそういう風に悪いことばかり考えるんだ。あの子は普通の子だ。どこにでもいる、ちょっと空想好きなだけの子どもじゃないか」 「どうしてあなたは真面目に考えてくれないの!? だって、どう考えても、おかしいじゃない! 6歳の子どもが、大人でも気づかないようなことばっかり知ってるなんて!」 ―――あきらかに、ただの言い訳でしかありません。けれど、あのときの私は、あきらかに興奮しすぎて、正気ではなかったのです。 「あんな異常な…… 生まれる前に分かってたら、ちゃんとしてたのに」 「異常って、どういう意味だ」 「だって話したじゃない、私たち…… もしも障害がある子とかだったら、きちんと育てられる環境に無いから、無理に産んで不幸にしたりしないって……」 私は、言ってしまったのです。 「あんな子だってはじめから分かってたら、堕ろしたほうがよかったのかも……」 夫は私をまじまじと見ました。責められる覚悟はしていました。私は、とてもひどいことを言ったのです。 体を硬くして、私は、夫に叩かれるのを待ちました。一度も私に手を上げたことの無い夫でしたが、あのときだけは、どんな暴力を振るわれようとしかたがないと、覚悟していたのです。 ですが、夫は、手を上げませんでした。 「君は疲れているんだ」 夫はぽつりとつぶやきました。椅子がガタンと音を立て、下を向いていても、夫が立ち上がったのだと分かりました。 「もう、明日にしよう…… 保育園のことも、病院のことも、また今度考えよう」 夫は無感情な声でそう言い、居間を出て行きました。私一人がひどく打ちのめされた気分で、食卓に残されました。 時計の針がカチカチと時を刻む音が聞こえ、私は、二人でローンを決めて買った家の中、ひとりぼっちでした。 夫と二人で、二人きりで暮らす終の棲家にしようと、買った家でした。 授からないとあきらめたころに神様から届けられた、少し遅めのクリスマスプレゼント。私たちの大切な息子。 そのはずが、あの子のせいで、私たち夫婦はめちゃくちゃでした。穏やかで友愛に満ちていたはずの私と夫の間には致命的な亀裂が入り、穏やかさと理性で割り切るはずだった人生には、わけのわからない混乱が、真っ黒な影を落とし始めていました。 私はあの子を愛しているんだ…… 私は自分にひっしでそう言い聞かせました。 事実、私は息子を愛していました。息子は明るくて優しい子で、いつも保育園にあずけきり、さもないと家に一人で留守番をさせているにもかかわらず、せいいっぱい私たちを慕ってくれました。誕生日にプレゼントしたクレヨンで、息子が私たち三人の絵を書いて、「ここがぼくのうち」とその上に屋根を書いてくれたとき、どれだけ幸せだったことか。息子は私が疲れきって家に帰ったとき、「おかあさん、ジュース飲む?」と、背伸びをして冷蔵庫を開けてくれる優しい子でした。なのに、優しいあの子の上に、何か、わけのわからないものが影を落としている。あの子の影の中に、なにか悪魔のようなものがいて、私たちから息子を奪おうとしている。 私は長い時間が経ち、ふらふらと立ち上がりました。息子の顔を見て、頭を冷やそうと思ったのです。 仕事と育児で疲れきり、決していい母親ではいられなかったあの子が生まれたばかりのころも、あの子の寝顔を見れば、私はいつでも優しい気持ちになれました。穏やかに眠っているあの子はまるで天使のようで、私は疲れも忘れ、いつまでもその寝顔を見つめていたものです。あの子は宝物。ほんの少し遅れて届けられた、神様からのクリスマスプレゼントでした。 二階へあがり、私は、息子の部屋のドアをそっと開けました。もっと大きくなってからもずっと使えるようにと買ってきたベットの中で、息子が眠っているはずでした。もう時間は深夜を回り、丸い月が、西に傾いて息子の部屋の窓から、白々とした光を投げかけていました。 なのに。 息子は、眠っていなかったのです。 息子はベットの中心に座り、途方にくれたような顔をして、私を見ました。そして、立ちすくむ私に向かって、「おかあさん……」といいました。 大きくて丸いとび色の目。まるで子犬のように愛らしい目。それが、私たちの息子の目のはずでした。 そのはずが。 息子はベットを降り、こちらへ向かって歩いてきました。そして、私を見上げて、「おかあさん」ともう一度言いました。 「おかあさん、ぼく本当は、生まれないはずだったの……?」 舌が乾いて、口の中に張り付きました。私は返事ができませんでした。 息子は眠っているはずでした。きちんと確かめたのです。あの子はもうベットに入ったと。そう確かめないで、あんな会話をするはずがなかったのですから。 なんでそんなことを言うの…… 私はそんな風なことを言ったと思います。息子は涙ひとつ浮かべずに私を見上げていました。 「だってユベルが言ったんだ。『オロス』って、生まれる前に、殺してしまうことだって」 その瞳は、人間に在らざる色――― まるで、登り初めた月のような、金色をしていました。 「おかあさん、おかあさんはぼくのこと、生まれる前に、殺してしまいたかったの?」 ―――私は、悲鳴を上げながら、息子を突き飛ばしていました。 私はそのまま、息子の部屋から逃げ出しました。恐怖にとらわれて。そこにいたのが、自分の愛する息子であったということすら、忘れ果てて。 それでも、みなさんには誤解しないでいただきたいのです。私は本当に、息子のことを愛していたのです。 けれど、私の息子は、私の可愛い十代は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう? この怖いお話の中で、私の本当の息子は、ページとページの隙間、行と行の間、文字と文字の間隙の、どこへ消えてしまったのでしょうか? 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