サリーのビー玉







あるところにサリーとアンという名の二人の少女がいる。
サリーは宝物であるビー玉を箱の中に隠し、部屋を出て行く。
アンがそれを取り出し、となりのかごの中へ移しておく。
そこへサリーが戻ってきて、ビー玉がどこにあるだろうかと思う。
彼女は箱とかご、どちらの中を探すだろうか。









「かごの中を探す!」
「……かごだ」
 おれたちはそう答える。ちがうでしょう、と優しくたしなめられる。
 なんで自分がいないところでアンがしたことを、サリーが分かるの。そう思ってもう一度考えてみて。
 でも、おれは思う。だって、覇王がおれの宝物をどこかへ隠してしまったなら、おれにはぜったいにそれがわかる。覇王もそうだと思う。だからおれたちはそう答える。
 おれたちは、毎日同じベットで目覚める。ならんで朝食を食べ、それから本を読み、潮風が枯れた草をしおからくする丘を歩き、本を読み、またものを食べ、そして、同じベットで抱き合って眠る。
 それはおれたちが生まれたときからずっとそう決まっていることで、たぶん、明日も明後日もそのつぎも、ずうっと同じだろうと思う。覇王はおれのたったひとりの兄弟だから。でも、どっちが兄で、どっちが弟なのかは分からない。教会のシスターはときどきはおれが兄だと言い、またときどきは弟だと言う。病院の人はどっちがどっちでもないって言う。
 おれたちは双子の兄弟で、そして、生まれたときから腰のところがくっついていて、離れることができない。









 俺たちは、ものごころついたころには、既に孤児院にいた。
 両親は、俺たちのような身体をした子どもを育てられないと思ったのだろう。俺たちはやっと歩けるようになったばかりの2つくらいのころ、冬の日に、並んで教会の前で待っているようにと言いつけられ、それから二度と誰かに迎えに来てもらうということがなかった。
 十代と俺は生まれつき腰の部分が繋がっていた。結合双生児、もっと俗っぽい言い方なら、シャム双子だということになる。俺たちの姿を遠くから見ると、精神鑑定のために使われるインクのしみの形に似ている。俺たちはそのまま孤児院の老シスターたちに育てられ、だいたい6歳くらいになるまでそこで育てられた。
 俺たちがシスターたちの手を離れた理由は簡単で、俺たちはそこで大人になるには不都合が多すぎたからだ。教会の長だった神父様は礼拝のたびに俺たちを人々に見せて、俺たちがこういう風に生まれたのは神の奇跡だといい、そして、それが非道徳なことだとテレビに責められ、姿を消した。それからシスターたちは俺たちを育てることが出来なくなり、代わりに俺たちは児童心理学だかなんだかを研究している教授に引き取られた。それからはずっと療育センターで暮らしている。ここには俺たちのような子どもがたくさんいる。ほかにいくところがなく、また、ここでなら生きているだけで、十分に自分で自分自身を養って行くことができる。
「僕たちは、今どき風のサーカスのフリークスってことだね」と悪趣味な冗談を楽しそうに言った男がいて、彼は俺たちが療育センターにはいって最初の誕生日に分厚い日記帳をくれた。俺たちは、思ったことを、これからはこの日記に別々に記述していくことにする。










 療育センターは、街から遠く離れた寒い場所にある。建物は石と漆喰でできていて、屋根の上には錆びた風見鶏がいる。海から吹く風に吹かれて、風見鶏はいつもぐるぐる回っている。おれは一日中でも風見鶏を見ていてもあきないけれど、口を開けているおれを見ると、覇王は、「十代がばかだと思われる」とおれのことを心配する。
 10分くらい歩くと、そこが海になっている。海辺は岩だらけ、しかも岩がぜんぶ海藻でぬるぬるしてて、歩いて降りてもあんまりたのしくない。でも、風が強い日にはいっぱいいろんなものが打ち寄せられて、見てるとすごく楽しい。プラスチックのびんとか、外国の字が印刷されたビニール袋とか、ほんとはぜんぶ集めておきたいけど、部屋がくさくなって困るから我慢する。おれたちは一日に一回は海まであるいていって、そこでいろんな話をして、それからセンターに戻ってくる。おやつの時間には冷たいミルクとビスケット、あるいは小さなケーキがもらえる。おれはしょうがの入ってる硬いクッキーが好きだけど、覇王は果物とお酒のはいってるケーキが好きみたいだ。
 センターにはシャワーのほかにおっきな風呂もある。それは動かせるベットごとはいれる特別な風呂で、たまにおれが職員の人にねだって使わせてもらう(覇王はそういう無駄なわがままは絶対いわない)。おれたちはお互いの頭とかをあらいっこして、それから肩を組んでお湯につかり、乾いたタオルで身体を拭く。センターの石鹸は教会でつかってたのとちがっていやな臭いがしない。きれいに頭をあらった日は、ベットで眠ると、となりの覇王の髪の毛からせっけんの匂いがする。











 センターは外界と隔絶されている。道は管理が悪く石ころだらけで、食料などの資材を運ぶための車や、ときおり別の病院などから検査にまわされてくる子どもがつれてこられてくることはあっても、歩いて脱出することは不可能に近い。このセンターに実際に生活の場を置いている患者ならなおのことだ。患者は皆未成年であり、さらに、それぞれに非常に稀有な疾患を身体に抱えている。ベットに寝たままでほとんど起きることもできないものも少なくない。
 結合双生児は確かに稀有だが、こうやって生活することが許されるほど稀有だろうかと俺は考える。その結果を医師に問いただしても返事ははかばかしくない。子どもを騙すような(実際子どもなわけだが)返事だけが返ってくる。だが、俺たちの身体についての大体の状態は把握することが出来、そこから推論らしきものを導き出すことはできる。
 俺たちの体は繋がっているが、生存に必要な臓器、それに四肢はワンセットそろっており、すくなくとも見た目上は分離することも可能だ。だが実際は十代のほうはいくつかの臓器に重篤な障害をかかえており、俺から切り離されることは、緩慢な意味での死を意味している。だが、十代の分まで臓器をフル回転させつづけていては、俺も大人になるまで生き延びることは出来ないだろう。俺たちはいつかお互いに切り離されなければいけない。けれどそれは、俺が十代を殺すことを、あるいは十代が己から死を選ぶことを意味する。
 俺たちは、そんな選択を目の前にぶらさげられたまま、大きくなっていく。その結果俺のあるいは十代の心がどういう形にねじれるのかを彼らは見たがっている。そういうゆがんだ発達過程は、この療育センターに出資しているうちの一人、発達心理学の学者の興味をいたく引いている。つまり、俺たちは実験動物なのだ。俺と十代は、生きて行くために必要なベットと屋根、すべての食事、そして、薬のための対価を、そういう形で支払っているということになる。












 センターにはあんまりいっぱいじゃないけど、おれたちと同じくらいの年の子どもがいた。仲がよくなったやつもいるし、そうでもないやつもいる。特におれたちに親切にしてくれたのは、年上の二人だった。いつも身体に管をつけてる亮さんと、手袋やコートを部屋の中でも着てる吹雪さん。
 二人はそれぞれ特別な病気で(亮さんは心臓が機械で出来てて、吹雪さんは身体が冷たすぎるから普通の人よりゆっくり歳を取るんだって)、やっぱりここに入院している。でもおれたちと違ってちゃんと父さんと母さん、それに兄弟もいるらしい。おれたちは二人でいれば別によかったけど、もっと別の場所も知ってる亮さんと吹雪さんは、おれたちももっと外の世界のことを知ったほうがいいって言う。
 覇王はあんまり乗り気じゃない。おれも、近くの海と、それから風と、覇王がいれば別にいいのにって思う。でも、亮さんが今度、おれたちにゲームを教えてくれるっていう。ゲームだったらトランプでもなんでもできるよっていうと、もっと面白くて、もっと重要なゲームだっていう。意味がよくわからないけど、わくわくする。おれが楽しみにしているのをみて、覇王はなんだか困ったような顔をしている。









 十代が親しくしている二人の患者、丸藤亮と天上院吹雪は、それぞれ、俺たちとはまた別の学者による研究対象とされている患者だ。二人は同年輩であり、共に、10代頭に当たる。
 生まれつき重篤な心疾患をかかえており、今は埋め込み式の人工心臓を埋め込まれている丸藤亮は、ストイックで、同時に少しばかりペシミスティックな風情をもっている。彼は自分にドナーからの心臓移植が行われることがないことを知っており、同時に、自分に埋め込まれた人工心臓が普通の人間のそれほど長持ちするものではないということを悟っている。彼は己の身体で人工心臓の性能と耐用を試験することを目的として生かされている。そして彼はその運命を受け入れているが、殉ずるつもりはまったくないようだ。
 特殊な低体温症を患っている天上院吹雪は、まったく陽気な性格の持ち主で、丸藤亮とは何からなにまで対象的に思える。彼は体温が常に常人よりも低く、時に25度を下回ることもある。そのせいで昏睡状態に近い状態になることすらある。そういった状態で通常の人間は生存できないが、しかし、彼は【冬眠】しているとき以外はまったくもって健康で快活に見える。
「僕らはフリークスなのさ。亮はフランケンシュタインの怪物で、僕はスノーマン。それに、シャム双子がいないフリーク・ショウなんて、ぜんぜん絵にならないよね」
 そう言って天上院吹雪が笑うのは、必ず丸藤亮のいないところで、それだけのことで、俺には彼が演じているような無神経な道化師ではないということが分かる。おそらく十代は何も分からず、いつも感心しながら彼の話を聞いている。彼は物事をよく知っており、また、親友である丸藤亮といつも何らかの共謀を図っている。彼らのことはいささか不安に思える。だが、彼ら二人の存在が、十代にとっては大きな影響を与えているというのも、また事実だ。










 覇王は頭がいい。でも、おれはそうじゃない。昔からわかってたことだけど、テストをしてそれがわかって、今日、ちょっと落ち込んだ。
 IQテストとか、絵を描くテストとか、なんかのインクのしみを見せられるテストとか、ここにいるといろんなテストをさせられて忙しい。(そういうテストをする先生はおれたちに親切にしてくれるけど、なんだかその親切はやな感じがする。どんな感じかはうまくいえないけど) で、頭の良さをしらべるテストをした結果、覇王はふつうの人の倍くらい頭がいいけど、おれはふつうよりもかなり頭が悪いらしいってことがわかった。
 ばかだって言われるのはいつものことだからあんまり気にしない。でも、実際に見せ付けられるとなんだかちょっと嫌になる。おれは覇王のお荷物なのかもしれないなぁって思う。おれも頭がよかったら、もしかしたら、覇王は偉い学者とか、すごい将軍とかになれるのかもしれないと思う。日記に書くだけで、実際に言ったりしないけど。
 でも亮さんは、おれたちはどっちもばかじゃない、って言う。おれたちはとくべつな双子で、だから、きっといろいろなものを半分に分け合っているんだろうって言う。たとえば覇王はふつうの倍も頭がいいけれど、おれはその代わりにふつうの倍も喜んだり楽しんだりできるという。半分にすればふたりとも普通になる。でも、おれたちはいつもふたりでくっついてるから、それぞれにいろいろ分け合って、それで、二人でやっと二人分になるんだっていう。
 亮さんと吹雪さんが、秘密のゲームについて教えてくれる。見たこともないカードがトランクいっぱいもあった。それをいろいろに集めて束にして、それをつかってゲームをする。
「センターでは吹雪のほかに相手がいなかったからな。お前たちにも付き合ってもらえるとありがたい」
 亮さんは、こうやってホンモノのカードでゲームをするほかにも、ネットを通じて世界中のあちこちの人ともゲームをしているらしい。センターにいてもいろんな人と知り合いになれる。そんなの、考えたこともなかった。すごくわくわくする。










 デュエルモンスターズ、聞いたことはある。テレビや雑誌などの報道でプロリーグについて聞くことも多い。だが、実物を見たのは初めてだった。
 丸藤亮の部屋へ行き、彼のベットに渡したテーブルの上にカードを並べ、十代は眼を輝かせてその話を聞いている。デッキを作るにはカードに対する知識、それにバランス感覚が必須だが、実際にゲームを運用するときに必要なのはとっさの判断能力、さらに、相手の手を読み、自分の数手先をも見ることができる力のようだった。まずはすでに構築されたデッキを使い、それからゲームを行う。十代は飲み込みが非常に早かった。先達である二人が、感心しながらも、舌を巻くほどに。
 十代は、愚か者でも、莫迦者でもない。俺は、そのことにこの二人も気づきつつあるらしいと思う。複雑な気持ち。十代を認めてもらいたい気持ちと、それと同時に、同じくらいに十代を独占しておきたいという気持ち。
 教会の孤児院にいたころ、俺たちは、檻の中の見世物(フリークス)だった。俺はそのことに気づいていたが、十代はそうではなかった。そうして俺は、そのことに、おそらくは違う境遇の誰にも想像ができないほどに、救われていた。
 珍奇なものをみる眼と、異常なものをみる眼。その眼があるからこそ生きていけるのだと知ってはいるにしろ、並みの人間らしい扱いを受けられないということに何も感じなかったというと嘘になる。俺たちはいつも同じベットで抱き合って眠ったが、俺たちの頭をなでる手も、この手を握ってくれる手も、他のどこにも存在しなかった。俺たちはこの世界で二人きりだった。
 十代は、あのころから変わらず、屈託なく笑い続けている。俺と並んで食事をし、肩を組んで海を見に行き、頭を寄せ合って眠る。十代の世界に俺だけがいる。だが、その十代の世界に、丸藤亮が、違うものを持ち込もうとしている。
 たったふたりきりで生きていけるつもりかい、と、天上院吹雪の眼が俺に問いかける。そんなつもりはないと俺は思う。そんなつもりはない。だが、俺は一人きりで生きていけるかもしれないが、十代はそうではないのだ。精神的な意味だけでなく、肉体的な意味においても。










 吹雪さんがおれにものすごい秘密を教えてくれる。亮さんと吹雪さんの秘密、それは、二人でDMのプロになって、センターを出ても暮らしていけるようになることなのだ。
 亮さんは匿名でオンラインデュエルに参加して、手当たり次第にあちこちの大会にアタックしている。戦績は悪くない、というよりも、かなりすごい。ジュニアであるという縛りのなかでやっているときはほとんどトップに近い。正体不明で、しかもむちゃくちゃ強い亮さんのことを、"カイザー"というニックネームで呼んでいる人たちもいるらしい。
「実際に、顔を見てデュエルをしなければ、本当の意味での実力はわからんがな……」
 亮さんは、そういう風に、悔しそうに言う。でも、これってすごいことだ。中には、小規模な大会なんかで、亮さんのことをわざわざシード権付きで招いてくれることもある。そういうのを見ているとすごいなぁと思う。亮さんはデュエルの世界だと機械の心臓を持った病気の子どもではなくて、"帝王"の名前で呼ばれる熟練の決闘者なのだ。
 おれも参加したいというと、吹雪さんに「ダメだよ」と言われる。吹雪さんは笑いながら、「自分で作らないデッキだと、すぐに手の中を誰かに見抜かれるよ」と言った。
「十代くんが今使ってるデッキは、たとえば、僕と亮が調整したものだよね。もしも大会とかで亮か僕とぶつかったらどうするのさ。どんな技を使うか、全部いっぱつで見抜かれてしまうよ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「作ってごらんよ。キミにぴったりのデッキをさ」
 言われて、おれは部屋に戻ってから、自分用のデッキをいっしょうけんめい考える。でも、おれは頭があんまりよくないから、上手にデッキがつくれない。どんなカードがあって、どういう風に応用できるかが頭にちゃんと入ってないからだ。
 おれが困っているのを、覇王が黙ってみている。おれじゃなくて覇王がデュエルをやればいいのにってちょっと思う。覇王はおれよりもずっと頭がいい。覇王だったら、きっと、ものすごい決闘者になれるのに。









 今日、十代を手伝ってデッキを構築した。十代はオンラインデュエルに手を出しはじめた。
 本名を名乗ることは望ましくないと天上院吹雪がいい、十代に【tian】というニックネームを付けてくれる。”ten”と掛けているのだろうが、「十代くんは天使みたいな子だから」と言われて、ようやく意味を把握する。【天】か…… 趣味はさほど良くない。だが、十代が気に入っているならばいいとする。
 俺は俺で、十代のデッキを見ているうちに思いついたことがあったため、デッキをもうひとつ構築する。だが、オンラインデュエルの場合、一つの端末から二人分のユーザー登録をすることが出来ない(『成りすまし』を避けるためにそういった制度が出来上がったのだそうだ)。だから、俺もオンラインでは十代と同じ【tian】という名の決闘者だということになる。別に、構わないはずだ。俺たちは二人で一人なのであり、けっしてそれ以外の何者でもない。






 
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