今日、ちょっと興奮しすぎて、調子が悪くなった。たくさん薬を飲む。注射は痛いからちょっと嫌だ。
 でも、すごく楽しかった。はじめて参加した大会で、おれたちは、ベスト3にまで行くことができた。おれがずっとやってたんじゃなくて、途中でときどき覇王と交代っこしながらだったけど、それでもはじめてでこんなにやれるのはすごいって吹雪さんが褒めてくれた。亮さんが元気になったら聞いてもらいたいなと思う。
 おれと覇王のデッキはどっちも融合をメインで使うデッキで、ただ、使ってるモンスターの傾向がまるで違う。ひとりで複数のデッキを持つことは許可されてるし、大会の途中である程度デッキを調整することもOKだから、別にぜんぜん悪いことじゃない。ちょっとずるっこかなって気はした。でも、途中でそんなのどうでもよくなるくらい楽しくなった。むちゃくちゃ興奮した。
 デュエルって、次に何が起こるのかぜったいにわからない。次のドローで何が起こるか、それで何もかもがひっくり返ったり、ぐちゃぐちゃになったりする。それってすごいと思う。がんばればがんばるほどデッキが答えてくれるし、相手が一生懸命だとそれも分かる。そのくせ何もかもが思い通りになるんじゃないってのがいちばんすごい。思い通りにならないことが、こんなにおもしろかったことってほかにない。
 おれが気持ち悪くなっていっぱい薬を飲むと、覇王も副作用で熱を出したり、食べたものを吐いたりする。大会の次の日はふたりで一日何にも食べないで寝ていた。覇王に悪いなって思う。でもそういうと、「お前が楽しかったなら、いい」って覇王は言ってくれる。おれは目まいがひどくて返事もできなかったけど、覇王の髪の毛に頭をつっこんで眠るとちょっと楽になる気がする。覇王の髪からは、潮風に吹かれた枯れ草みたいな匂いがする。














 丸藤亮の調子が良くない。
 体中にたくさんの管をつけ、ベットに横になったまま、ほとんど動くこともできない。そばに行くと眼を動かしてこちらをみるけれど、それ以上はほとんど動く気力もないようだった。よくない傾向だと分かる。
 彼に埋め込まれた人工心臓は、彼がまだずっと身体の小さかったころの体力に対応したものだった。彼の身体が大きくなっていくにしたがって、機械の心臓は彼の身体を維持するには出力が足りなくなる。あたらしい人工心臓の埋め込みが検討されているらしいが、おそらくは実行されることはないだろう。彼にはその手術に耐えられる体力がない。
 幸い、十代はまだそのことに気づいていない。この療育センターには体調を崩している患者が常にいる。そして十代は、病状が悪化し、そして、療育センターを出て近くの病院へと行った患者たちが、「退院した」という嘘を信じ込んでいるのだ。それを信じさせているのは、俺でもある。悔やむようなことでもない。
 天上院吹雪は、耐えるような顔をしてじっと座っているが、俺たちが傍に行くと、笑って十代の頭を撫でる。それから俺の頭にも手を置く。彼の手は、とても冷たい。十代以外の誰かの手を心地よいと感じたことはないが、彼の手の冷たさは、俺にとっても快いものだと感じられる。












 ……結局、おれたちのはじめてのデュエルの結果を聞かないままで、亮さんが療育センターからどこかへ移ってしまった。
 仲良しの亮さんがいなくなって、吹雪さんもがっかりしている。がっかりしてる吹雪さんを見てるとなんだか哀しくなる。吹雪さんは「一生自分はここにいるとおもう」って言ってたから、たぶん、二度と亮さんと会えないのが寂しいんだろうなあと思う。慰めたいなと思って会いに行ったけど、会ってもらえなかった。ひとりのほうがいいんだって言ってた。
 ひとりのほうがいいって、どういう気持ちかおれには分からない。おれにはいつも覇王がいるし、覇王がいるから大丈夫なんだって思う。ばらばらになりたいなんて考えたこともないし、なれるって思ったこともない。すごく変な感じ。ひとりで起きて、ご飯を食べて、遊んで、歩いて、そうしてひとりで寝るって、いったいどんな気持ちなんだろう。
 ちょっと良かったこともある。今日、オンラインデュエルの相手を探していたら、【Johann】ってやつがおれに呼びかけてきてくれた。だれかなって思ったけど、よくよく考えたら大会のときに準決勝で戦った相手だった。あのときおれが負けて、そのあと【Johann】も負けてしまったんだけど、すごく楽しいデュエルだったのはおぼえてる。
 ちょっとだけ話をする。詳しい話じゃないけど、おれが亮さんの話をすると、【Johann】は、強い決闘者同士だったらどっかでまた会えるって言ってくれる。確かに【Johann】の言うとおりだ。そうおもって元気になった。また亮さんにあえて、それで、デュエルできるのがすごく楽しみになった。それまでがんばって、それで、強くなりたいなってすごく思った。











 天上院吹雪が、眠っていることが多くなった。単純に冬になって気温が落ちたせいもあるだろうが、精神的な落ち込みが病状に影響を及ぼした可能性が高い。十代がデュエルに夢中でさほど気にしていないことだけが救いだ。
 夜になると海が荒れ、海鳴りの音がものすごい。雪はまだ降らないが、雨がほとんど降らなくなり、かわりに砂糖粒のようなざらめが降るようになる。ぱらぱらと窓に当たる音が耳障りで、なかなか、眠ることができない。
 十代と会話する時間が、自然、短くなる。昼間十代は俺が居眠りをしている間、端末に向かってデュエルをしつづけている。俺は夜中に眼を覚まし、十代の寝顔を眺めながら、本を読んだり、ぼんやりと外を眺めたりしている。
 丸藤亮のデッキは今、俺の手元にある。正確には天上院吹雪が保管しているはずのものだが、彼は、自分が眠っている間、これを自由にしていいと俺に言った。理解に苦しむ。理解に苦しむというのなら、彼が俺に対して用意した手紙の内容もそうだった。
『人間は常にひとりでうまれて、ひとりで死ぬ。君たちがそれを理解して、そして、亮の遺志を継いでくれたらいいと思っている』
 手紙は、十代が見ていない隙を見て、職員用の灰皿で焼却した。彼は俺たちに何を背負わせたいと思っているのだろうか。












 【Johann】がよそで亮さんを見かけたって報告してくれた! 
 おれがぜんぜん知らない場所の大会だったけど、デッキの展開をみたら、たしかに亮さんらしい感じのデュエルをしていた。そのあと亮さんは当分デュエルはしないらしいことを言ってたみたいだけど、あんだけ強いんだったら二度とデュエルしないことなんて出来ないって【Johann】が言う。おれも同意見。とにかく、そのうちまた会えるっていう風におもっただけで、すごく気持ちがほっとした。
 吹雪さんにも教えてあげたいなとおもったけど、吹雪さんは最近いつも寝ていてぜんぜん話ができない。特別の部屋にいるけれども、中はすごく寒くなっていて、吹雪さんは真っ白な顔をして眠っている。ご飯も食べられないから身体に管をいっぱいつけている。なんだか亮さんがセンターを出て行った直前みたいでやな感じだ。
 ひさしぶりに外に出ると、風がものすごくつめたくて、肌がひりひりするくらいだった。一本のマフラーを覇王とふたりでいっしょに巻いた。海がごうごう言ってて少し怖い。でも、夕焼けがものすごかった。空全部がばら色になって、世界中が燃えてるみたいだった。口を開けてみとれていたけど、覇王はなんにもいわなかったって後で気づいた。昔は、ばかに見えるからって言われたんだけどな。
 夜中、【Johann】にその話をすると、うらやましいなぁっていう。【Johann】のいる国だと、今は夜がこなくて、一日中昼間が続いてるらしい。そこってどこなんだろうって覇王に聞いたけど知らなかったらしい。あとで本でしらべたら、ほとんど地球の裏側に、そういう国があるらしいって分かる。行ってみたいなあってすごく思った。











 再び、知能テストを受けた。ずいぶんと久しぶりだ。
 俺のIQが通常よりも高いことはともかく、十代のテストの値も大幅に伸びていたようだ。(ようだ、というのも、実際に結果を教えてもらったのではなく、俺が十代がテストを解いているのを見て、その結果を憶えておいたことによる) おそらく、外界からの刺激を受けたことが知能の伸びに繋がったのだろうという結果。情緒的なものもあわせれば、俺たちの知的能力はほぼ並んだということになる。俺たちは今では二人で一人分なのではなく、ただ、お互いにお互いの肉体に拘束されているだけの、ただの双子であるということになる。










 最近、目まいがひどくてあんまり外に出られない。好物のエビフライを食べてもあんまり美味しくなくて、半分残してしまった。すごくもったいなかった。がっかりした。
 でも、いいこともあった。【Johann】がジュニアのデュエルリーグに参加して、しかも、ベスト8にまで残ったのだ! DVDにとっておいてもらって後で見た。巻き戻して4回見た。【Johann】の相手は結局優勝したから、ベスト8でも仕方なかったのかなって思う。でも、そうじゃなかったら【Johann】は優勝してたかもしれない。そう思うくらいいいデュエルだった。
 テレビで見て、【Johann】がおれと同い年だっていうことがはじめてわかった。女の子みたいな顔だったけど、笑うとやっぱり男だって分かった。あんまり映らなかったけどテレビで見てたってあとで言ったらすごく喜んでくれた。それから、『【tian】の実力だったら、同じリーグに出られると思う』ってすごく熱心に誘ってくれた。
 【Johann】の本当の名前が分かったのも嬉しかった。【Johann】、は、【ヨハン】と読むのだ。【ヨハン・アンデルセン】っていうのが【Johann】の本当の名前だった。すごく嬉しい。なんでか分からないけど、むちゃくちゃ嬉しかった。はやく元気になって、それから、実際に【Johann】にあってデュエルしてもみたいと思う。すごくすごく思う。











 十代を見ていると、もどかしさが募っていることが分かる。あれ以来、【Johann】の姿を実際にテレビで見て以来だ。
 十代は、何故、疑問に思わなかったのだろう? 俺が【Johann】に感じたものは、ひどい隔意だった。彼は五体満足な、健康な少年だった。俺たちとはまるで違っている。
 まだ成長期前の手足には、伸びかけの枝のように不恰好な感じがした。けれどそれは、これから成長していくものだからこそ持ちうるたぐいの不恰好さだった。ほんのわずかに映ったカットには家族もいるようだった。力いっぱいに手をふる姿も、負けて泣きべそをかきそうになりながらフレームの外へと消える姿も、俺たちには持ちうることのないものだった。俺たちは絶対にひとりにはなれないし、遠くにいる大事な家族に手を振ってメッセージを送ることもできない。
 俺たちは次第に大きくなる。服の袖が短くなり、靴がきつくなる。同時に俺たちの体は、俺たち自身にとっても窮屈なものになる。ひどい目まいと吐き気、体のむくみ、頭痛、ひどい発疹。毎日の薬の量が増える。透析や点滴を受けなければいけないことも多くなる。
 もう、ずっとあの岬に行っていない。十代は屋根の上でからからと回る風見鶏を見上げることも、口をあけて夕焼けに見とれることもない。内心の、ひどい不安に悩まされる。俺たちは、自分自身の機械の心臓の限界を超えて大きくなってしまった丸藤亮のように、自分たちの体の窮屈さに耐えられなくなる日を迎えるのだろうか。
 十代が気づいていないのが唯一の救いだ。










 吹雪さんを泣かせてしまった。
 亮さんはほんとは死んじゃったんだって、吹雪さんは、泣きながら言った。
 覇王は、おれに、嘘をついていたんだ。












 十代と喧嘩をした。ただの喧嘩は幾度もあった。けれど、こんなに怒っている十代を見たのは、生まれてはじめてのことだった。
 俺が、彼のデッキと未使用の端末を使い、丸藤亮になりすましていたことが十代に分かってしまったのだ。十代は泣き喚いて怒り、俺を殴ろうとし、花瓶やコップを叩き割った。俺は額を縫う大怪我をした。途中で療育センターの職員が来て十代を取り押さえようとしたけれど、十代は泣きながら俺をののしり続けていた。
「うそつき! ……覇王なんて、死んじまえ!」

 その通りだと、思う。
 俺がいなければ十代は自由だ。どこへでもいける。【Johann】と出会い、デュエルをすることも、そうして、岬へ行って美しい夕焼けに見とれることも。











 あたまがいたい。きもちがわるい。
 なにもかんがえられない。

  ……りょうさんと、ヨハンに、あいたい。

 どうしてはおうはうそをついたんだろう。

 どうして? どうして?











  ―――恐れていた日がやってきた。

 あれ以来、十代とは満足に会話もできなかった。十代の怒りと哀しみがおさまっていないということもあるが、実際は、俺たちの病状がひどく悪化していたということのほうが理由として大きい。十代はほとんど一日中眼を覚まさず、ものを食べることも出来ない。俺にまで十代に投与される薬の副作用が現れ、爪が割れ、ひどい発疹が体中に出来、鏡を見ると毛細血管が切れて白目が真っ赤になっている。
 ひどい熱に浮かされた数日が過ぎた後、知らない医師が訪れて、俺たちの元を尋ねてきた。彼は言った。俺たちを引き取っていた医師は、俺たちの扱いに対する倫理的な問題から、療育センターの運営から外されたのだと。そして、俺たちの病状から考えると、俺たちを切り離す手術をするほかに、俺たちの命を救う方法はないのだと。
「―――俺が死ぬのですか」
「違う。君の身体は、まだ、十分に健康だ。臓器にも異常はない。ただ、十代くんの身体の分の負担まで君の身体にかかってしまっているんだよ。このままではもう限界だ」
「ならば、俺の臓器を移植して、十代を助けてください」
「……それは、無理だ。辛い決断だとは思うけれど……」
 辛い決断だと? どういう意味だ?
 俺たちがどんな思いで生きてきたかが、一体誰に分かるというんだ? 俺たちと同じ身の上になったもの以外の、一体誰に?
 俺は医者を追い返したが、夜中、またナースコールが鳴らされると、同じ医者が現れた。彼が看護師たちに指示を与えている間、俺は錯乱して何かをわめきちらしていた。何を言ったのかは覚えていない。大量の血を吐いた十代は、血まみれになって、震えていた。吐いたものには何かが混じっていた。たぶん内臓の破片だと思った。
 うわごとで、十代は、いろいろな名前を呼んでいたが、誰の名前だったのかは分からなかった。ひどく苦しそうだったが、どれだけ苦しいのかも分からなかった。何を思っているのかすら分からなかった。










 俺は初めて知った。俺は、十代ではなかった。
 俺たちは、今まで一度も、二人で一人などでは無かったのだ。








 

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