4/
クロスは、監視塔の司令室で、一人、物思いにふけっていた。
見張りの任務はいつも憂鬱だ。何も起こりませんように。そう祈りながら、一日が過ぎる。
特に、今日は、そんな気持ちが大きかった。
『仙烈風』はここしばらく、止むことなく吹き続けている。備蓄があるから食料やエネルギーが尽きる心配はしないが、まったく止むことの無い風は心配だった。小規模な怨霊が現れることはしばし、それ以外に触れることの出来ない『瘴気』が発生するという事件まで起こっている。
何も起こりませんように。―――どうか平和が続きますように。
けれども、最前線基地であるところの『天涯境』にあっては、その祈りがむなしいということは、クロスが最もよく知っている。
眼を閉じなくても思い出せる。最愛の夫の、最期の姿を。
何故、彼があそこまで傷つく必要があったのだろう? あそこまで苦しみ、苛まれ、この世でもっとも無残とも思えるような最期を遂げなければならなかったのだろう?
それは彼が『ヤマト』だったからか。それだけの理由ではないだろうとクロスは思う。彼はこの幻次界を愛していた。この世界の平和を、なによりも尊いと信じていた。
おそらく、それは、ヤマト皇士が、過去の歴史に精通していたから。
屍を積み上げて土台は築かれた。亡骸の頂に平和は築かれる。英雄たちが果て、さらに多くの普通の天使や悪魔たちが消えていった。
死を抱く暗闇の上を渡り揺れる炎、それこそが命。戦禍の歴史がはるか過去に去っても、この幻次界に平穏は訪れない。『外』の世界から押し寄せる災禍は、繰り返しこの平和な世界をさいなみ、時にはいくつものエリアを砕き、無数の命を奪い去っていった。
彼は、願っていたのだ。自分がそれらの無数の災いの種を、たった一粒でもいいから、取り除ければと。
あの、二人の少年。
彼らは過去の英雄の名を出し、クロスに、ヤマト皇士のことを思い出させた。彼らはいったい何者なのだろうと思う。ただの天使ではなかったろう。彼らの手にあった小さな『星』は、たしかに不思議な理力を放っていた。
英雄? 違うだろう。英雄を必要とする時代は、災禍の時代だ。平穏の時代には英雄など必要ない。そして、この時代が災禍に飲まれることなど、クロスには想像もしたくなかった。
自分ひとりならば、災禍に果ててもいい。この力がそのために与えられたのなら、ヤマト皇士と同じように災禍に果てようがかまわない。けれど彼女は一人ではなかった。
……クシナダ。
あの長い黒髪。緑黒の瞳。あどけない笑顔。
あの屈託の無い動使には、戦いなど、知ってもらいたく、無い。
にもかかわらず、動使は力を望んでいる。どうすれば伝えられるだろう。いとしいものにだけは戦場を見せたくは無いというこの思いを。
動使には、平穏に、幸福に生きてもらいたいという、この願いを……
クロスが物思いにふけっているとき ―――監視塔のセンサーが、ふいに、反応した。
オペレーターの一人がそれに気づく。巨大な『虚』のエネルギー反応。それはこの近辺でも、もっとも大きな次元のほころびからのものだった。
「虚エネルギー値、概算7000!」
オペレーターの一人がセンサーを見て叫ぶ。クロスは、はっとわれに帰った。
「ポイントは!?」
「B3! エナジーポイント拡散、数え切れません! エネルギー値、8000、10000、13000……!!」
「モニター出してくださいですの!」
クロスは立ち上がる。オペレーターが答えてモニターを拡大する。全面の巨大なモニターに、ひとつの『次元の穴』が拡大されて映し出された。
そこは、漆黒。
―――虚無の闇から、何かが、這い出してくる。
まるで液体のように染み出した闇が、周囲を侵食していく。それが形を作る。何かの生物めいた形、爬虫の腕を。
「『虚獣』……!!」
クロスは、思わず、息を呑んだ。
ただの虚無ではなく、それらが何らかの『因子』を呑んで、生物の形を作るもの。それを『虚獣』という。
次元の向こうには、かつて、数億年の歴史の中で果てていった無数の天使や悪魔の因子がばらまかれている。虚無がそれらを呑んだとき、闇が何かの形を作る。それはただの闇よりも何倍も恐ろしい災禍だった。結晶化した虚無は、時に意志らしきものすら持つことがある。知恵を持ち、戦いを望むことがある。
―――かつて、ヤマト皇士が死んだときのように。
「クロス様!」
オペレーターの一人が叫んだ。クロスは我に帰った。
「す、すぐに第一線戦闘配備!」
彼女は手を伸ばす。傍らに置かれていた、聖十字砲を取った。彼女の武器。理力を圧縮し、浄化の光を放つための銃器。
「第一から第七までの部隊に出撃命令を! 第八、第九隊は待機! 私も出ますの!」
「了解!」
何人ものオペレーターの声が唱和する。同時に、サイレンが鳴らされ、耳をつんざくような音が、『天涯境』中に響いた。
そのとき、ピーターと一本釣は、与えられた部屋で、眠れぬ夜をすごしていた。
―――そのサイレンが、鳴り響くまでは。
がばり、とまず一本釣が起き上がった。ピーターが毛布を跳ね除けたのとほぼ同時。すさまじいサイレンが、『天涯境』全体に鳴り響いている。
「なんぜよ!?」
一本釣はあわてて廊下へと駆け出す。その瞬間、隣の部屋から飛び出してきた動使と鉢合わせした。
「あ、一本釣!」
「どうしたんだよ、動使!?」
やや遅れて、帽子をつかんで出てきたピーターに、動使は、動揺を隠せない表情で答えた。
「何か、次元の穴から出てきたんだ。……でも……」
ここは居住区だ。ついさっきまで静まり返っていたはずの廊下。けれど、あっという間にそこは騒乱の場に変わる。
戦士たちが、それぞれの部屋から飛び出し、どこかへと駆け出していく。それぞれの配備先を目指しているのだろう。武器を手にし、装備を固めたものも多い。それぞればらばらに駆け出していく。その様子を見た動使は、不安の色を隠しもしなかった。
「ここまですごい騒ぎになるのなんて、めったに無いよ……」
「……」
彼女の背中で、三つの勾玉が不安げに揺れる。
ピーターと一本釣は、顔を見合わせた。やがて、ピーターが表情を引き締める。尋ねた。
「……ボクたちに、出来ることは?」
「ない、と、思う……」
動使は、肩を落とした。
「子どもだから、こういうときは退避してろってクロスには言われてる……」
―――事実、彼らには、戦う力が無い。
ピーターは星氷剣を使えるし、一本釣には聖フックがある。けれども、彼らの武器はたったそれだけだ。戦闘訓練も受けない子どもが、それだけの装備で敵に挑むなど自殺行為もいいところだろう。おそらく、動使は誰よりもそれをよく悟っているのだろう。うつむいてかみ締める唇が赤かった。
一本釣は、しばらく、黙り込んで、考えていた。
「……監視塔へ、行こう」
ふいに、言い出す彼に、動使とピーターが顔を上げた。
「戦いを見届けるんぜよ。それくらいなら出来るはずやが」
きっぱりと、彼は言った。その眼にためらいは無い。
動使はそれでも、困惑したように立ちすくんでいた。その手を、ピーターがつかんだ。
「行こう」
はっきりと、言う。
「キミのお母さんの戦いを、見届けるんだ」
動使の緑黒の眼を見据えて、言う。
……動使は、ためらいながら、うなずいた。
「……うん」
にっこりとピーターは笑った。そして、言った。
「行こう!」
そして、子どもたちは、走り出した。―――監視塔へと。
虚空を引き裂く砂の風、それを切って、戦士たちが飛ぶ。
吹き荒れる砂は、むしろ、普段よりも薄くなっていた。けれど、代わりに周囲を満たすのは濃厚な瘴気だ。眼には見えないが体を苛む。一定以上の理力、魔力を持たぬものたちは、その時点で脱落せざるを得なかった。
クロスは、先陣を切って、飛んだ。
彼女の肩には、巨大な十字架状の形をした、聖十字砲が担がれていた。『魔』属性の相手には非常な威力を発揮する武器だが、あいにく、相手が天使の因子の持ち主だった場合は効果が無い。この場合は相手はどうなのだろう? ……おそらくは魔の力を持つものだろう、と彼女は唇をかむ。
目の前の巨大な穴から、『虚獣』が、這い出してくる。
誰かが、戦慄したように、つぶやいた。
「始祖ジュラ……!?」
それは伝説に現れる魔神の名。
その名にふさわしいほど、整った姿はしていない。爬虫を異常なパロディと化したような異様な姿。無数の四肢が長い胴から突き出し、顎や眼があちこちに開いている。けれども、それは確かに『知能』を持つものだった。闇から這い出し、闇から体を切り離した『それ』は、にごった声を発したのだ。
『……ここは、どこだ……?』
戦士たちの間に、戦慄が走った。
空間そのものを振動させるような異様な重低音。けれども、それは確かに『声』だった。意識を持ち、知能を持つということの証。
長い首をゆっくりと旋回させて、無数の眼であたりを見据えたその『虚獣』は、無数の口に、笑みを刻んだ。
『そうか、ここは…… 次界か……』
クロスは、唇を強くかんだ。
ここまで意識の明朗な『虚獣』など、記録をみても残っているか。―――いや、いた。
かつて、ヤマト皇士が果てた、あの争いの折に現れた『虚獣』。
轟、と風が吹く。長い紫の髪が、激しい風になびいた。
吹き飛ばされそうになりながらも、クロスは、自らの部隊に指令を下した。
「一斉砲撃、打て―――!!」
その瞬間、数百の火線が、空を灼いた。
クロス自身も聖十字砲を構える。射出口に理力が集中していく。クロスは叫んだ。
「聖純白光、バースト!」
白く灼ける。―――次の瞬間、純白の光が、空を切った。
無数の光の線を追い抜いて、それは、最もはじめに、『虚獣』の顔のひとつを、焼いた。
『――――!!!』
声にならない絶叫が、虚空を振るわせた。
クロスの聖純白光に焼かれた部分が、ごっそりと消失している。効いている! クロスは思わず唇に笑みを浮かべる。けれど、その次の瞬間、その傷跡だった部分が巨大な『眼』に変わり、ぎょろりと彼らを見据えた。
その眼が、確かに、クロスを、見た。
あまりに、大きい。
直径だけで数十メートルはありそうな眼。その縦に裂けた瞳孔。それが確かにクロスを見据えた。生理的に湧き上がる、魂が凍るほどの恐怖。
『貴様…… あのときの小娘天使か……』
「!?」
クロスは、思わず、息を呑んだ。
当然、このような『虚獣』など、知らない。
だが、『虚獣』は、たしかにクロスを見据えていた。そして、その眼には憎悪が燃え盛った。感情など持つはずも無い『虚獣』が、確かに、怨念を持って、クロスを見たのだ。
『おのれ…… 一度ならず二度までも…… 邪魔をするか……』
声が虚空を震わせる。ぶるり、と『虚獣』が身震いをした。体から闇がかげろうのように立ち昇る。
『今度こそ…… その翼もぎ取って…… はらわたを引きずり出してやろう……』
「クロス様!?」
部下の一人が悲鳴にも似た声を上げた。……次の瞬間、だった。
闇が、発光した。
いや、それは間違った表現だったろう。けれども、たしかに『闇が光った』とでもしか表現のしようのない現象が起こったのだ。
「―――!!」
クロスはとっさに聖十字砲で体をかばう。発動した理力のフィールドが彼女をかばった。だが、引きちぎられるようにして吹き散らされた髪の一部が消滅した。翼の先端が、闇に灼かれた。
眼を瞬間閉じていた。それを開いたとき、クロスは驚愕した。次々と堕ちていく。―――仲間たちが!!
「みんな!!」
天使属ならば、さらに、ダメージは大きい。悪魔属ならかろうじて耐えられもしただろうが、フィールドも張れずに直撃を受けたものたちのダメージは明らかだった。何人、何十人もの天使たちがまっしぐらに堕ちていく。闇から吹き付ける赤い風の奔流に呑まれる。
「くっ……!!」
クロスは、肩に、聖十字砲を担ぎなおした。
翼をはためかせ、大きく旋回する。仲間たちがそれに続く。あの『眼』に直視されてはいけない。その射撃範囲にいたら、次の『闇の光』に焼かれてしまう。けれども、彼らの展開を追うように、『虚獣』の表面に次々と新しい眼が生まれる。泡が水面に生じるように、次々と。
いっせいに、『闇の光』が放たれた。
黒い閃光が、全方位に放たれた。
「きゃあっ!?」
次は、フィールドの展開が間に合わなかった。とっさにかばった体ではなく、足が、焼かれた。
灼熱する痛みが、全身を焼いた。
「!!」
片足が、焼ける。
だが、クロスは歯を食いしばってそれに耐えた。足など要らない。翼さえ無事なら戦える。視界に入る髪が焼けていた。片手で乱暴に振り払い、クロスは聖十字砲を構える。放たれた聖純白光が目のひとつをつぶした。連続的に爆発が起こり、次々と眼をつぶしていく。けれど。
「クロス様、このままでは!」
部下の一人が叫んだ。彼もまた、剣から光を放って攻撃を加えている。けれど、新しく次々と眼が現れる。つぶしてもつぶしてもきりが無い。そして、『虚獣』自身の体は、今も膨張を続けている。
「わかってますの! コアをたたかないと!!」
クロスは叫び返す。インカムから、他の部隊へと指令を飛ばした。
「接近戦に持ち込むんですの! 『虚獣』を穴から引き剥がして! まだ、補給が続いてますの!!」
開いたままの虚無の穴から流れ出す闇が、『虚獣』の体を、膨張させていく。
あの穴をふさがなければ、勝ち目は無い。一時的に封印を加える能力を持った天使たち、悪魔たちが、穴のほうへと向かっていく。それを悟ったのか『虚獣』が向きを変え、彼らを灼こうとした。それを悟ったクロスは歯をかみ締める。……彼らを止めてはいけない!
「クロス様!?」
副官が悲鳴を上げた。クロスは、大きく翼をはためかせ、旋回したのだ。
前へと。風を切り、闇を切って、『虚獣』の正面へと。
もはや、ただのブラフであると理解していた。けれどもクロスは叫んだ。『虚獣』へと向かって。
「始祖ジュラ! 私はここですの!!」
―――そして、たしかに、『虚獣』は、反応を示した。
巨体をくねらせ、ゆっくりとこちらを向く。無数の眼がクロスを見据えた。顎が開いた。剣のように並んだ牙。漆黒の虚無へと続く喉。
『何故、一人なのだ、小娘天使……』
クロスは、思わず、息を呑んだ。
『あのときの天使どもは、どうした……?』
巨大な顎が、目の前に開いている。既視感。この光景は、どこかで見たことがある。
頭の中に、声が響いた。懐かしい声が。
瞬間、記憶が巻き戻される。現れる。懐かしい姿、懐かしい声が。
クロス。
虚無に全身を食われ、血まみれの凄惨な姿で、それでも、最期に手を差し伸べた、『彼』の姿。
クロス、無事で……
黒い顎が、笑った。
『もしや…… 死んだか……?』
その瞬間、クロスの頭の中で、何かが炸裂した。
「……う、うぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」
見開いた眼から、涙が、散った。
もはや、後先かまわない。全身に満ちるすべての理力を聖十字砲に注ぎ込む。びしり。音を立てて、聖十字砲の砲身にひびが入る。そのひびからも、純白の光があふれ出す。
彼女のすべての力に耐え切れず、聖十字砲が、内側から、暴発する。だが、圧倒的な光の奔流は、そのほとんどが砲身に叩き込まれた。光は分裂し、『虹』となった。眩しい虹の奔流が炸裂し、爆発となって、巨大な『虚獣』の顎の中へと叩き込まれる。
澄んだ音を立てて、聖十字砲の砲身が、砕け散った。
閃光を散らし、虹の雷光をまとって、砲撃が、『虚獣』の口内へと、撃ち込まれた。
『ぐぁぁぁぁぁぁ!!!』
『虚獣』の全身から、受け止めきれない虹の閃光が、あふれ出した。
あちこちの眼が、腕が、内側から炸裂する。『虚獣』は内側から弾ける。無数の眼が吹き飛び、顎が裂け、体が爆発した。
同時に、穴で、結界が作り出される。
闇の奔流が弱くなる。『虚獣』の膨張が遅くなる。もはや宙に浮いているのが精一杯だった。クロスは残骸となった聖十字砲を肩に乗せたまま、肩で息をしながら、『虚獣』を見据えた。
体をくねらせて、『虚獣』が、苦しんでいる。
これでしとめられればいい、とクロスは思った。もはや意識も切れ切れだった。このままでは帰還も危うい。戦う力はもう残されていない。
だが。
ふいに、びしり、という音と共に、黒い雷光が走った。
「!?」
『虚獣』の体が、内側から、ひび割れた。
表面からばらばらと何かが零れ落ちていく。内側から何者かが現れる。一回りほども小さくなった、けれど、やはり巨魁なもの。爬虫に似たもの。漆黒の獣。
大きな眼が、ふたたび、見開かれた。
その色は、黄金。
針の瞳孔をもつ、爬虫の眼。
力強く、翼が、羽ばたいた。
眼が、光った。
「―――!!!」
クロスはとっさに壊れた聖十字砲の砲身で顔をかばった。
だが、それもはかない抵抗だった。クロスは、光の直撃を受け、そのまま、背後に吹き飛ばされた。
全身を走り抜ける、灼熱の衝撃。
「……!!!」
武装が焼け、髪が、翼が、焼かれる。
あまりの痛みに声も出ない。けれどもクロスは見た。新しく現れた獣の放った光で、さらに多くの仲間たちが打ち落とされたのを。あちこちで火達磨になってもがいている影がある。小石のように落ちていく影がある。
直撃を受けて、かろうじて空にとどまれる自分のほうが例外だ。だが、もはや次撃には耐えられそうに無い。
とっさに、背後を見る。かなりの距離を吹き飛ばされた。もう、『天涯境』のすぐそばにまで来ていた。
『虚獣』が、哂った。
おそらく、意志などは無い。あれに宿っているのは、それの『因子』となった悪魔のなかに存在していた、凶暴な破壊本能だけ。
『虚獣』はただの影。凝った闇。その望みはただ破壊。もしもここであれを食い止められなければ、ふたたび散会して闇に返る。そして、破壊の風となって、幻次界を破壊するのだ。
……そんなことは、許されない!
「く……っ!!」
聖十字砲は、砲身が破裂している。もはやまともに光を放つことはかなうまい。けれど、ふたたび構えなおす。ここで食い止める。食い止めなくては、幻次界へと災厄を放つこととなる。
他の仲間たちも攻撃を加えているが、黒い光に、その爪に、牙に、次々と叩き落されていく。強い。これほど強い『虚獣』が、何故、現れる?
かすかな疑問。とたんに消し飛ぶ。ぶれる視界を必死に直そうとする。祈りに似た思い。思い出すのはいとしい夫。そして、娘。
……次は、私の番ですの?
死の予感。冷たく体の芯へと浸透する。けれども、退くわけには行かない。
守るべきものが、あるから。
『虚獣』が、ふたたびこちらをみる。
眼が開く。黒く光る。
また、あの『黒い光』が来る。
もはや耐えられまい。ならば相打ち覚悟で行くまでだ。生命の維持に必要な理力も、最後の一滴まで搾り出す。ここで聖純白光を放って相殺してみせる。
ヤマト皇士さん。
私も、この世界を、守りますの。
だが。
次の瞬間、クロスと『虚獣』の間に、何かが、割り込んだ。
「!?」
それは、虹の閃光。
「―――ッ!!!」
悲鳴にも似た少年の声と共に、黒い光が、弾けた。
虹と闇との相克の中に、クロスは見た。そこに立つ子どもたちを。
旋回する三つの宝珠の上に立ち、青い髪の少年が短剣をかざしている。そこから放たれる虹が、壁となって黒い光をさえぎっている。それを支えるのは三つの宝珠。激しく光りながらフィールドを放っている。だが、押されている。虹はぼろぼろと朽ち果てていく。星幻子ピーター。それに、動使クシナダ。何故、ここに!?
動使の長い黒髪が、激しいエネルギーの炸裂に吹き流されて、激しくはためいていた。まだあどけない横顔が、虹と闇との放つ光に照らし出されている。その横顔。
「逃げるですの!」
とっさに、クロスは、叫んでいた。
「だめ! あんな相手に……!!」
「いやだ!」
だが、クロスの声をさえぎるように、動使クシナダが、叫んだ。
瞬間、虹が、砕け散った。
「うわぁぁぁっ!!」
ピーターが吹き飛ばされた。だが、それは近くに待機していた一本釣のフックがすくいあげた。そこには、基地で待機していたはずの人員の姿がある。
そして、動使は。
動使は、クロスと『虚獣』の間に立ちはだかっていた。
服が裂け、髪が乱れ、『聖動光珠』の放つ光が、弱弱しく明滅していた。ピーターと力をあわせても、さっきの一撃をしのぐのが精一杯だったのだ。まだかぼそい体の少女だ。あんな化け物と互角に戦えるはずが無い。
けれども、動使の緑黒の眼からは、闘志が消えることは無い。まっすぐに『虚獣』をにらみつけている。
『虚獣』は、哂った。相手をかよわい少女と見て。
ふたたび眼が開く。黒く光が充填される。とっさにクロスは叫ぼうとした。
逃げて、と。
あの光の前だと、かよわい少女天使など、消し飛んでしまう!
だが、動使は、逃げなかった。
その手が懐から何かを取り出す。首につながる紐が切れる。……それは、ヤマト皇士の剣の、鍔だった。
「ぼくは……」
動使が、力を込めて、手をかざす。
「ぼくは、逃げない! ……守るため、戦う!!」
その瞬間だった。
光が、炸裂した。
手にした剣の鍔が、形を変える。
それは、星だった。
紫色に光る星。ちいさな星。
『紫動星』。
星が少女の手へと降りていく。
少女は眼を閉じる。長い黒髪が翼のように広がる。
虹の光が、彼女を包んだ。
クロスは、声すら出せなかった。
少女が光と化し、光は、一人の英雄へと姿を変える。
赤い甲冑。おなじく深紅のマントがたなびく。長く伸びた髪。額の宝冠。手には宝刀。
それは、緑黒の長い髪をなびかせた、精悍な青年の姿をした、一人の『英雄』だった。
「な……!!」
伝説にのみその名を語られる。
虹の一色として、風の彼方に散ったという。
神の時代の英雄―――
……聖Vヤマト。
その体の放つまばゆい光の前で、『虚獣』は哀れなほどにちっぽけな、ひとかけらの影となる。
意志すらも持たぬ、ただの残影。破壊を望む本能のみが残された混沌のかけら。
そのようなものが、真の英雄の前に立つことなど、許されるはずも無い。
『な…… に……?』
うめきが空を震わせるけれど、それはもはや、はかない抵抗でしかなかった。
深紅の甲冑の英雄は、その眼でまっすぐに『虚獣』を見据えると、まばゆい宝刀を振り上げた。
そして、裂帛の気合と共に、なぎ払う。
「―――果てろ!!」
斬撃は、まばゆい光となって、闇を引き裂いた。
すさまじい光はさながら地上へと降り立った陽光の輝き。光の斬撃の中に呑まれ、『虚獣』は消滅する。その体を飲み込んで、さらに広がった裂帛の光は、次元に開いた穴にまで到達した。
穴は、光に、飲まれた。
光の中で、闇が、消滅していく。
クロスは、ただ、呆然と、その様を見ているしかなかった。
光は砕け、光は散り、光は雨となって降り注ぐ。
降り注ぐ雨の中で、英雄はしずかに刀を下ろした。
……同時に、力を失ったように、ふっ、と空でバランスを崩す。
「!!」
思わず、クロスは、その体へと駆け寄った。
「ヤマトさん……!!」
抱きとめた体。その肉体。その体温。
彼は眼を開ける。かすかに笑みを浮かべる。手が伸ばされる。クロスの頬に触れた。
クロスの眼から、涙がこぼれた。聖Vヤマトの頬へと、ぱた、ぱた、と涙が落ちる。
彼は問いかけた。……懐かしい、あの声と、同じ声で。
「なんで泣いているの、エンジェル?」
涙が、止まらない。
震える声を叱咤して、クロスは、笑みを作った。
「ヤマトさんにまた会えて、うれしいからですの」
彼は微笑んだ。その笑みが、光に包まれて、消えていく。光の中へと還る。はるか過去へと還って行くように。
「また、キミを守れて、よかった―――」
それが、最期の、声。
たんぽぽの綿毛を吹き飛ばすように、風に、光が、吹き飛ばされた。
光の雨が、光のかけらが、風に、消えていく。
戦場に、光が、消える。
残された天使たち、悪魔たちは、みな、呆然とその様を眺めていた。かつて次元の穴があったところには、ただ、ちいさな虹のアーチが架かっている。闇などかけらも残されていない。
奇跡と共に降誕した英雄は、時空の裂け目すら、消し去ったのだ。
クロスは、傷ついた体で宙に浮きながら、ただ、ただ、微笑みながら、涙を流す。
その腕の中には、元の姿に戻った少女が、解けた髪もそのままに、意識を失って横たわっていた。
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