雨が降っていた。あのとき。
 どこから降ってくるのかよく分からない、春先の小ぬか雨によく似た、やわらかい銀色の細い雨が降っていた。おれたちは、物陰で雨宿りをしていた。おれはぼんやりと雨の向こうに眼をやって、巨大な岩の塊の合間から、ほの青い焔のように立ち上る光に見とれていた。
 地面が壊れて、そこから、大地の精髄があふれだしている。そういう場所なんだとクラウドに聞いた。でも、おれがいた場所だと地面の下にながれているものは、そんなものではなかった。ここはどこなのか。そう考えると幸福な気持ちになる。ここはどこでもない。そういうのが、おれの性にすごくあってた。
 見とれているうちに眠気が差して、こっくり、こっくりと、首が揺れるようになってくる。おれはあわててこぶしで目をこすり、枝切れの先でくすぶる焚き火をつっつく。火のむこうでジタンが丸くなって眠っていた。なんだか、動物みたいだった。顔の横にこぶしをくっつけた寝姿があどけない。
「眠れないの?」
 おれは、振り返らないで、そうささやいた。背後から息を呑む気配が聞こえた。おれは、少し笑った。ぶきっちょで無愛想な、かわいいスコール。
「まぁな、ここは落ち着かない。やたら明るいし。でも、横になってろよ。それだけでもかなり違うぜ?」
 それとも――― とおれはからかうような口ぶりになる。
「なんか、歌ってやろうか。子守唄とかさ」
「……莫迦を言うな」
 低い声が返ってきた。ほんの少し震えているようだった。しかたないよな、とおれは思う。この場所には人を不安にさせる何かがある。世界が壊れている場所。そこから、何かが零れ落ち、滴っていく場所。
 足元の分厚い岩盤を隔てて、轟々と星の命が流れていた。まるで血管のなかを血が流れるよう。おれたちはまるで、何万年も目覚めることの無いけものの背中で、ひっそりと体を寄せ合う小動物のよう。
「ならさ、昔話でもしてやろうか」
 スコールは、岩が入り組んだくぼみの奥に、寄りかかるような姿で横たわっていた。簡単に横になったりしないのは、何かがあったらすぐに立ち上がれるようになんだろう。元から敏捷なジタンはともかく、体が重いスコールでは、完全に油断をしてしまうと飛び出しが遅くなる。
 ―――そんなことを心配しているのだろうか? ちゃんと、おれがおきて、見ててやってるっていうのに。
「おれにはな、仲間がいて。……ボコのことじゃないよ? 女の子。可愛いんだけどむちゃくちゃしっかりしてて、たまに、すっげぇきついことも言ってくれるようなコだった」
 思い出す。彼女。おれの仲間。雨を、川を、海を、……すべての水の心を知っている少女。
「普段はやさしいコだったよ? でも、こっちのこと思っているから、きついことでもちゃんという、って感じだったのかな。それで一度、そいつに言われたことがあるわけ」
 どんなときだったか、どういう理由だったのか、どうしても思い出せない。心の奥の、いちばん深い場所に、うずもれてしまっている。
 でもスコールを見ていたら、あのとき言われた言葉が、胸の奥から浮かび上がってきた。
 ……バッツって。
「ひとりぼっちでも平気な、強さを持ってるんだね、って言われたんだよ」
 闇の奥で、スコールが小さく息を詰めるのを感じた。その言葉が何かのカケラのようにスコールの心に食い込む。本当はだれよりもまだやわらかいままの心に。
「でも、それって逆なんだ。本当は、《ひとりぼっちが平気な弱さ》ってものもあって、そいつが、おれのどうしようもない弱点だって」
 そう言われたとき、まるで、素足でガラスでも、踏んだような気持ちがした。
 ざっくりと心に食い込んだ、その言葉。
「逆の逆もあるんだぜ、スコール。それって要するに、《ひとりぼっちに耐えられない弱さ》ってもんは、《ひとりぼっちに耐えられない強さ》の裏返しってことなんだと思うって、そいつは言ってた」
「……わけが、わからない」
 スコールの声は掠れていた。震えていたかもしれなかった。おれは、もっていた枝を折り、火にくべる。音を立てて熾が崩れる。
「うん。おれにもわかんない」
 突き刺さるように感じた言葉だった。なのに、意味が分からなかった。
 それが不可解で。耐え難くて。
「スコール、お前はまだ弱いよ。ひとりぼっちでいられなくってさ」
 ときおりこちらを振り返る。その目がふとすがるような色をちらつかせる。
 まだ、17歳。子どもめいてやわらかい心。
 そのころのおれはどんなだったか。他の誰かから見たら、どんな風にみえるおれだったのか。
 そんなことわかりっこない。だって、あのころおれは誰とも一緒にいなかった。自分から、《ひとりぼっち》を選んでしまったのだから。
 それが、おれの、《弱さ》だったのだから。
「でも、お前は弱いけど、強い。《ひとりぼっちでいられない》から、強いんだと思うな」
 スコール、とおれは呼びかけた。
 振り返ると、暗がりの中で、ふたつの目がこっちを見ていた。二粒の瑠璃のような目。
「だからさ、気にすんなよ。フツーにしろって言うの、逆に難しいとは思うけど、お前は今のままで十分強いよ。頼りになるし、それに、いい子だと思う」
「子ども扱い、するな」
「子どもじゃんか。おれより三つも年下だろ」
 誰かを護りたい。誰からも護られたくない。ひとりでも生きて生きたい。ひとりは怖い。
 矛盾にまみれたスコールの未熟さを見ていると、なんだかたまに、泣きたくなる様な気持ちになる。
 ああ、とふと、おれは気付いた。棘がすっと抜けるみたいに。
 この気持ちは、なんて、呼んだらいいのか。
「おれはお前が好きだよ。おれの、スコール」
 だから。
「簡単に、お前を嫌いになったりなんてしないよ。だからもっと頼れよ。おれたちのこと。おんなじくらい、おれはスコールのこと頼りにしてるんだからさ。だから……」
 

 だから。
 だから、どうしたら、良かったんだろう?





 おれたちの時間は、穏やかになんて流れない。優しい未来なんて、絶対に訪れない。
 おれたちが出会うことが出来たのは、ここが戦場だからだった。戦うためにおれたちは集められた。これは戦争。戦いが終わった先は見えない。たとえいつか戦いが終わったとしても、そこに、おれたちが一緒にいることのできる未来は無い。
 そのことに気付いているのは、おれたちの中でもほんの一握りだけだったと思う。美しいコスモスは、ときおりとても哀しそうな、切なそうな目をしておれたちのことを見た。リーダーは、気付いていたんだろうか。気付いていたのかもしれない。あの人の強さは、やっぱり、おれには良く分からない種類のものだったけれど。
 豪快で、物事にかまわなくて、がさつで、でも、底抜けに陽気なジェクト。おれはあの人が大好きだった。でも、いつあの人と仲間だったのか、お互いにくだらない冗談を言って笑いあったのか、思い出せなかった。ジェクトと敵として向かい合ったとき、おれは、ひどく混乱した。あんたは敵じゃないだろ? って。これは模擬戦か、そうじゃなきゃ冗談だろ? じゃなくちゃ、あんたと戦う理由がないよ。
「なんでなんだよ?」
 おれは、ジェクトと向かい合う。剣先が定まらない。本気で、斬ることなんて出来ない。だってあんたは仲間じゃないか。あんたのこと、おれは、大好きだっていうのに。
「なんであんたが、敵なんだよ!」
「……何、言ってんだ、お前」
「これって冗談かなんかだろ? あんたと戦う理由は無いよ! なんでジェクトがそっちにいるんだよ!」
 傷だらけになった厳つい顔に、ふいに、理解と戸惑いが、ない交ぜになってよぎった。「バッツ!」 誰かに叫ぶように名前を呼ばれた。でも分からない。とっさに複製した分厚い刃の大剣が、腕が定まらないほどに重たい。
「バッツ、お前、そういう…… そういうことか。そんな見てくれ、してると思ったら」
 おれの手の中にあるのは、ジェクトの持っている大剣だった。文様を焼入れした刃が黒く、分厚い。そして持ちきれないほどに重い。でもおれがこの剣を持てるっていうのは、ジェクトがおれの仲間である証拠だ。だっておれが借りることが出来る武器は、《仲間》のものだけだったんだから。
「どうしたンだよ、その緑色の頭はよぉ」
「これが地だって言っただろ。染めてるだけなんだって」
「そうか。うちのガキと、同じだったな。……ちくしょう。なんで、こんなことになるんだろうなぁ」
 畜生、ちくしょうと、ジェクトは顔をくしゃくしゃにして吐き棄て、笑った。まるで泣いてるみたいだった。
 次の瞬間、おれの立っていた場所の地面が、木っ端微塵に砕け散った。まるで炸薬でもたたきつけられたみたいだった。でも違う。そこに突き立てられているものは、生身の人間の手に携えられた、まるで、金属の塊のような、一本の剣だった。
「ッ……!! ジェクトっ!」
「ああ、そうかい。あの野郎がぴぃぴぃ言ってたのは、お前さんのことだったのか。複製エラーだとかなんとか…… バッツ!」
「意味、わかんねぇよ、っ!」
 ごうん、と音がして、金属の塊が空を凪ぐ。おれはとっさに剣でそれを受けようとした。無理だった。音を立てておれの手から大剣が弾き飛ばされ、剣ごと持っていかれた体が勢いよく柱にたたきつけられる。肺からすべての空気がしぼりだされた。背中から衝撃が全身を貫いた。一瞬、意識が白くスパークする。
「すまねぇなぁ、バッツ。本当に、すまねぇ」
 衝撃のあまりほとんど意識も無いおれに、ジェクトが、言う。じゃら、と鎖が音を立てた。喉に詰まった塊を吐き出そうと咳き込むと、地面に赤いものが散った。涙で視界がにじんだ。
 なんで戦わないといけない。ジェクト、おれはあんたが大好きなのに。ちょっとだけおれの父さんに、似ているようなあんたが。
「取り戻してぇもんがある。お前らと一緒じゃあ、そいつに届かない。だから、おれはお前らと戦わないといけない。あいつに渡すよか、俺がやっちまったほうがいい。……すまねぇ、バッツ」
 取り戻したいものが。
 おれの脳裏で、一瞬、きらきらと太陽みたいに笑う声が再生された。ほんの一瞬だった。錯覚だ。でも、おれにはジェクトのやりたいことが、すべてわかった気がした。
 ああ、仕方ないな。あんた、いい父さんだから。ティーダのことが何より大事なんだ。仕方ないよ。それが、理由だったら。
 朦朧とした意識の中で立ち上がる。おれは、顎に滴る血をこぶしでぬぐった。とっさに手元に呼び出した剣は、おれ自身のもの。でもこんな小さな刃物でジェクトの一撃に耐えられるわけが無い。でも膝が定まらなくて、走れない。逃げられない。
 振り上げられる大剣を、おれは見た。これで今回のエンドか。でもこれじゃ、あんたに悪いよ、ジェクト。おれをつぶしてティーダを取り返したって、あんた、あいつに顔向けできないじゃんか。
「―――ッバッツ!!」
 けれど。
 その瞬間、鈍い金属音が響き渡り、おれの視界を、銀光が貫いた。
 目を見開く。それは、スコール。ジェクトの大剣を横なぎにたたき、剣筋を無理やりにねじまげた。炸薬の臭いを感じた。薬きょうが地面に跳ね、澄んだ音を立てる。
「逃げろ、バッツっ!!」
「ス、」
「逃げろッ―――……!!」
 たたきつけられるように、声が響く。連続して鈍い音が響いた。打ち合う二本の剣。どちらもまるで、金属の塊のように巨大な剣。
 ギィン、とすさまじい音が響いた。その音が、振り下ろされる鞭の音に聞こえた。おれは一瞬にして我にかえる。そして、弾かれたように走り出した。
 まだ頭が朦朧としている。考えがまとまらない。複製エラーってどういう意味なんだ? なんでジェクトが敵になっている? 何かが可笑しい。何が、おかしい。どうしてこんなことに。
 ジタンと合流して。それから。でも、それからどうする。戦う。何と、誰と? 髪のはしが目に入る。草色の髪。涙がにじむ。息が乱れる。そして。
 次の瞬間、鈍い音と共に、おれの体は、地面にたたきつけられた。
「が……ッ!?」
 銀の――― 雨。
 走れない。足が、動かなかった。おれはつぶれた虫のように地面にたたきつけられたまま、視界の端で見た。周囲に突き立てられた無数の銀の矢を見た。氷柱。まるで巨大な針。人間の腕ほどもあるような。それが、地面に、林立している。
 その一本が、おれの腿を貫き通し、おれを地面にはりつけにしている。
 痛い。真っ赤に焼けた鉄で、脳髄をかきまわされるような痛み。おれは、動けないままに絶叫する。目の前にふわりと何かが降り立つ。
「なぁんだ、本当に、脆いんだねぇ。吃驚したよ。話には聞いてたけど、ここまでとはね」
 おれは目を上げる。ゆっくりと、一枚の羽みたいに、ふわりと降りてくる姿を見る。銀色の鳥。とても野生には生きられないような、長く美しい羽をした啼き鳥。ジタンの兄貴。
「クジャ……?」
「おやおや、記憶だけは一人前か。でも、そちらのほうが都合がいいだろう。見てくれほど悪くは無いよ、君の声はね」
 腰まである透き通るような髪が、重さをもっていないような独特の動作が、雪白の膚が、まるで、女の子みたいに見えた。お姫様みたいだ。塔の中に閉じ込められ、鎖で足をつながれた、かわいそうなお姫様。
「お前、…何を」
「何も知らないんだね、まがい物。仕方ないね。今回はエラーが多すぎた」
 天使も死んだ。少女は堕ちた。クジャはさえずるようにそう言う。おれは、呆然とその声を聞くことしかできない。
「いくらなんでも穴だらけだ。ひどい舞台だったねぇ! でも、僕にとってはそう悪くも無かったみたいだ。最後にお前を手に入れられたんだもの」
 くすくすと笑う…… その表情。
「これでいい。これで、最後にたっぷりとジタンに歌ってもらえれば、僕は十分満足さ」
「……」
「さあ、どういう風にやったらいいかな。どういう風に演出したら、ジタンは一番喜んでくれると思う。ねぇ、"まがい物"?」
 すっと細めた目に、酷薄な喜びが、けざやかな狂気が、きらめいた。おれはようやく悟る。罠に、かかったんだと。最初からクジャはこのつもりだった。
 おれを捕らえて、ジタンを苦しませるための、道具に使うつもりだったんだ。ジェクトが最初から本気でかかってきたのは、クジャではなく、自分が手を下すほうが、まだマシだと知っていたからなんだ。
 そしておれは、




 おれは。