【GXメールゲーム!】
TUAN-3 被害者の名にかけて!



 2:展望室 《吹雪》

 史上最大のピンチ。
 なんでか知らないが、吹雪の頭の中をよぎったのは、そんな言葉だった。
 目の前だと明日香(だろう、たぶん。そのはずだ)がなんともしゅんとした感じで肩を落としていて、とりあえず近くに座った吹雪は、背中がざわざわするような違和感を押さえられない。なんといっても明日香なのだ。あの、勝気で頭のいい、男前な妹なのだ。美人なんだからちょっとは女の子らしい感じにすればいいのに、などと普段から口にしている吹雪だったが、実際にそうなられてみると……
(こ、これは、かなり困るな……)
 だが、そこで動揺を顔に出さないのが、吹雪という人間だった。とっさに頭を切り替えて、すぐさま、いかにも真面目な顔をつくる。明日香が着ているのは見覚えの無いデザインのワンピース。だが、白い生地は薄く、いかにも肌寒そうだった。吹雪は制服の長いジャケットを脱いで、そっと、明日香の肩にかぶせる。
「どうしたんだか知らないけど、そんな格好だと風邪を引くよ、明日香。これを着て」
「あ……」
「女の子はあったかくしてないとね?」
 ぱちんと片眼をつぶって見せると、明日香は、ちょっと困惑した風に眼をさまよわせる。獲物がかるく針をつついた感覚が、釣竿に伝わる感じ。吹雪はさりげなく側に腰を下ろした。
「明日香…… いや、明日香って呼んでもいいよね。キミが誰だったとしても、その姿は、僕の明日香だもの」
「あなたは、その、この方の」
 兄、と言おうかと思いかけて、吹雪はすぐにすばやく進路を切り替えた。哀しそうな顔、レベル3くらい。そっとさりげなく肩に手を置く。
「僕が、分からないのか、明日香」
 困惑の表情がますます深くなった。吹雪の背中のざわざわもますます大きくなった。お願いだから、僕の顔を平手ではりとばしたりしてくれよ! 今だったら怒らないから!
「…こんなにキミのことを愛している恋人のことを、忘れてしまったの?」
 だがしかし、明日香は、吹雪のことをひっぱたいたりも、いかにもわざとらしい台詞に可愛い顔をしかめることも無かった。
 それどころか、露骨に動揺した。
「ごめんなさい、わたし、違うんです」
 か細い声でそういって、吹雪の手を離そうとする。吹雪は手を離した。うつむいた表情がいかにも可憐だった。いや明日香は普段から可愛いけど… 明日香の可愛さはこんな種類の可愛さじゃない。これ、絶対に明日香の演技とかじゃないよ!
 何かを言いかけて声を詰まらせて、その瞬間、大きな目からぼろりと涙がこぼれた。あわてて手で眼をこする。吹雪は手をのばして、「目が腫れちゃうよ」とその手を押さえた。
「キミが誰だか知らないけれど、その身体は僕の明日香のものなんだ。…大丈夫、怒らないよ。でも、明日香のことを傷つけたりしないって約束して欲しいんだ」
 たぶん、明日香本人が聞いたら、平手じゃなくて裏拳でほっぺたを殴り飛ばすような、大量の砂糖を吐きそうな台詞だった。歯の浮くようなとはこのことだ。
 しかし、明日香じゃない誰かさんは、ずっと素直で真面目な性格らしく、「はい」とおとなしく頷く。
「あの、ご親切にありがとうございます。わたしは、あなたの大切な方に、迷惑をおかけしているのに」
「うん、それは確かに、そのとおりだけど」
 でも、と吹雪はさりげなく言葉をつなげる。
「でもキミは、ずいぶん困っているみたいに見えるから…… その顔でそういう表情をされると、僕のほうが困ってしまうんだ。だから、もしも僕でよかったら、相談してくれるとうれしいんだけどな」
 何があったんだい?
 ぎゅっとスカートの裾を握った明日香は、硬い表情でうつむいた。「言えません」とか細い声でつぶやく。
「ごめんなさい……」
「そうか」
 吹雪は、あっさりと、前言を翻す。おどろいたように顔を上げる明日香。吹雪は、確実に獲物が針にかかった、と感じる。
 大事なのは、結論を急ぐことよりも、しっかりと獲物を食いつかせること。しっかりと獲物がかかってから、時間をかけて、相手との駆け引きを有利に進めないといけない。大事なのは気を長く持つことと、したたかに相手の裏をかくこと。そして自分の本気も駆け引きの大事なえさになる。明日香のことが心配なのはまぎれもない本当だし、相手が可愛いなと思ったのも本当だ。こちらには有利なカードが何枚もある。大丈夫、いけるはずだ、と吹雪は自分に言い聞かせる。
 しかし、同時に思う… こんなことやってるの、もしも本当の明日香にバレたら、ものすごく怒られる。きっと、たぶん、絶対に。
「怒らないでね。いや、たぶん、怒るのは僕じゃなくって、キミのほうのはずなんだ」
 そうやって思ったことすらすらすらと口から嘘になって出てくる。バレたら渾身の裏拳確実だな、と吹雪は頭の中で覚悟を決めた。
「これはただの予想だけれど、キミは困っている…… すごく困ってる。だから、明日香の力を借りないといけなかった。きっと僕が余計な邪魔をしたりしたら、排除しないといけないはずなんだ。でも、心の優しいキミはきっとそんなことしたくない。やりたくないことをキミにさせてしまう僕は、だから、ものすごく悪いことをしているんだろうね……」
「いえ、そんなこと、ありません!」
 明日香は、とても真剣な顔で言う。吹雪が思わず驚くくらいだった。
「大切な方のことを心配するのは、当たり前です。悪いことであるはずがありません」
 あくまで生真面目にこちらへと語りかけてくる彼女は、いったい何を思ったのか。だが、どこかしらが彼女の心の琴線に触れたのは間違いないようだった。まるで押し殺していた何かを吐き出そうとするように、つらそうな顔で、うったえかけてくる。
「わたしは優しくなんてありません…… わたしのわがままで大切な方にまで迷惑をかけてしまっている。あなたや、この、明日香さんという方にまで。あなたのように大切な人のことをいちばんに思うことすらできていないんです」
「何があったの?」
 吹雪はおもわず手を伸ばし、明日香の目元をぬぐってやる。妹にたいして何度もやってきた仕草だから自然に手が出てしまったのだ。だが、彼女ははっとしたように顔を上げる。涙ぐんでいることにやっと気が付いたらしく、泣き笑いのような顔になった。
「あなたは不思議な方ですね」
 ―――彼女、明日香の中にいる誰かは、寂しそうに微笑む。
「やさしい方…… 誰かに少し似ているみたい。大切な人だけじゃなくって、そばにいる人が哀しんでいたら、きっと気遣ってくださるんです。レッドアイズのマスターって、みんなそういう方なのかしら」
《みゅー……?》
 ちょこんと吹雪の横にすわっていた雛が、大きな眼をくりくりさせる。吹雪はさすがにいぶかしんだ。レッドアイズのマスターだったら? 誰のことなんだろう?
 レッドアイズの使い手は、実際、ほとんど数がいない。レアカードだということもあるが、やはり、伝説の一角に数えられるモンスターだというネームバリューが重圧になるという部分が大きいだろう。素人レベルでファンデッキを組むデュエリストは多いだろうが、正面を切ってレッドアイズの正統派のデッキを組む、しかもそれをメインデッキとして戦う、というスタイルは、やはり、とてもレアなものなのだ。実際、吹雪のレッドアイズを見て、そこまでレッドアイズをしたがえている決闘者はほとんどいない、オレも実際に戦ったのは初めてだ、と親友に言われたことがある。
 じゃあ、彼女の言っている、別の《レッドアイズのマスター》って誰なんだ。
「僕以外に、レッドアイズ使いを知っているのかな、キミは?」
「ええ」
 彼女は、こくりとうなずいた。
「とても、強い方です。決闘だけでなく、心もとても…… すばらしい方です。あの方と決闘ができたということは、わたしの誇りの一つです」
「キミは決闘者なの?」
「いいえ」
 明日香の顔で、見知らぬ女性はふるふると首を横に振る。さらりと長い髪がゆれた。
 決闘者ではない。けれど、デュエルをしたことはある。レッドアイズ使いとの決闘の経験もある。
 その流れから、吹雪は、うすうす感じていた内容に、とうとう結論を出した。
「キミは精霊だね?」
 彼女は、観念したらしい。素直に頷いた。
「―――はい」
「明日香の身体を使っている…… 明日香と相性がよかったのか」
「ええ」
 彼女は、ふたたび頷いた。そして顔を上げたとき、うかんでいた表情はなんとも罰の悪そうな、情けなさそうなもの。いまにも泣きべそをかきそうで、吹雪のほうがあわててしまう。あわててぱたぱたと手を振った。
「いや、僕はむりやり事情を聞きだしたりしないよ! でも、役に立てることがあるんだったら、言ってくれないかな。明日香の顔でそんな顔をされると、僕のほうが困ってしまうんだから」
「あの…… その、わたし」
 細い声でいうと、顔を赤くする。いかにも困惑してる感じ。吹雪は不覚にも、あ、かわいい、と思ってしまった。
 明日香はかわいい。当然だ、僕と似てるんだから。でも、普段は凛々しくってまっすぐなところが目立ってる。だからこういう、なんていうか、しおらしくて可愛い感じのところを見せられると、妙な気分になってくる。いやまて、落ち着け。吹雪は思わず自分にツッコミをいれる。自重しろ、僕! 身体は妹で中身は精霊だ。どう考えてもこれは口説いていい相手じゃないだろう。
 だがしかし、彼女は、吹雪の内心の葛藤になど、まるで気付かない。
「わたし…… 家出してきたんです……」
 蚊の鳴くような声でいうと、明日香の身体を借りた可憐な精霊は、とうとう、真っ赤になってうつむいてしまった。吹雪は決心を決めた。大真面目な顔で、明日香の手を取り、ぎゅっと両手でにぎりしめる。
「キミみたいな人をそこまで追い詰めるなんて、いったい何があったの?」
 吹雪は、自重しないことに決めた。



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