4.


 その夜、パシャは、一人でキャンプを抜け出した。
 空には無数の星が出ていた。灯りの少ないこのキャンプでは、空の明かりをさえぎるものなど何も無い。雨季の雨に洗い流された空には、砕いたガラスをばら撒いたような星がきらめく。
 ちいさなパシャが胸で押して歩く草原を、長い時間、一人で歩いた。草原からは青臭い匂いがした。ときおり虫や鳥が飛び立った。ラウの村の跡は、キャンプからそう遠くない場所にあった。
 近づくと、明かりが灯り、男たちの笑い声が聞こえてくる。細い煙が星空へと立ち昇っていた。パシャは立ち止まる――― ぐっと、奥歯をかみ締める。
「おおい!」
 叫ぶと、男たちの声が、一瞬で途切れた。
 ただ、炎のゆらめきだけが遠く見える。決意を決め、パシャは、ゆっくりと歩いていった。やがて、廃墟の中に、男たちの姿が見えてくる。
 男たちは、銃を構えていた。中にはナイフを持ったものの姿も見られる。銃口はパシャのほうを向いていた。けれど、男たちの中にサウードの姿を見つけ、じっと見つめると、驚いたように銃口を下ろす。
「昼間のチビじゃないか」
 隣に座っていた男が、驚いたように聞いた。
「なんだ、サウード。知り合いか?」
 男たちは銃を下ろした。パシャは唇をかみ締め、ゆっくりと炎の前に歩み出る。やせこけた膝や、汚れた服が、ゆらめく炎に照らし出される。
「何しに来たんだ、チビ」
「チビじゃない。パシャだ」
 パシャは、男たちを見回した。
「オレを仲間にいれてくれないか」
 男たちは顔を見合わせた。
「なんだ、それは!」
 大声を上げ、笑い出したのは、ひときわ大柄な一人の男だった。
「お前みたいなチビに、戦争なんかできるもんか。お前、戦争ってのがどういうことか分かってんのか? 戦争ごっこじゃないんだぞ?」
「オレの父さんは、戦争に行って死んだ」
 パシャは、辛抱強く繰り返した。
「知ってる。あんたたちのやってることも聞いた。あんたたちはこの腐った国を叩きなおして、平和を取り戻そうとしてるんだって。今も、オレたちのキャンプを守るために、戦ってくれてるんだって。サウードはオレと5歳しか違わないのに、今のオレよりも若いころから、ずっと、この国のために戦ってるんだって」
 男たちは顔を見合わせた。パシャはじっと待った。サウードはパシャを見つめていた。……やがて、言った。
「……お前、親父は死んだって言ったな」
「ああ」
「お袋はどうした?」
「生きてる」
「お袋はどうするんだ? さっき一緒にいた女は? 足をふっとばされたガキはどうするんだ?」
 パシャは一瞬言葉に詰まった。
 ……頭の中を、またたきの間に、さまざまなものがよぎった。
 やせて疲れた顔をした母親。ベットの上に横たわった、小さな体になってしまったバヤン。ほかの少年たち。共に学ぶちいさな子どもたち。優しい祖母。まだ幼い弟妹。
 
 ―――燃樹の木の上で笑うチェリ。浅黒い肌の、長いお下げ髪の、大きく口を開けた笑顔。

「手紙を、書く」
 パシャは、ぽつりと言った。
「手紙を書いてやる。あいつらもきっとオレに手紙を書いてくれる。母さんは字が読めないけど、代わりにチェリかバヤンが書く。だから、平気だ」
 サウードは、瞬間、ひどく複雑な表情を見せた。
「……お前、字が書けるのか?」
「そんなに、たくさんは書けないけど」
 サウードは黙り込んだ。代わりに笑い出したのは、先ほどの大男だった。
「なるほどな、覚悟は決まってるってわけか。……そうだなあ、皆、どうする?」
 男たちはがやがやと話し始める。まだガキじゃないか。でも、人手は足りない。俺はあれくらいのころには兵士になってた。危ないんじゃないか。危ないのは、どこにいたって同じだ……
 やがて、男たちの意見が一致しだすと、大男は、大きく頷いた。そうして、手にしていたブリキのカップに、何か、透明なものを注ぐ。
「……飲め、パシャ」
 パシャは緊張しながらそれを受け取った。中身がなんなのか分からない。けれど、ぎゅっと目を閉じて、思い切って、中身を一気に喉の奥へと注ぎ込んだ。
 その瞬間、胃の腑の中で、花火がはじけた。
 まるで火を飲み下したよう。パシャはひどくむせ返る。けれど、吐き出さないように必死で我慢する。げほ、げほ、と激しく咳き込むパシャに皆が笑った。男はパシャの肩を、大きな手で、ばんばんと叩いた。
「ようし、飲んだ、飲んだ。これでお前は俺たち解放同盟の戦士だ。共に戦い、この国の未来を開こう」
 パシャは、うなずこうとした。だが、出てきたのはむせ返った咳だけだった。男たちは笑った。サウードも笑った。火の影が、廃墟となった建物の影に揺らめいていた。



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