5.



『パシャへ げんきですか。わたし、バヤン、げんきです。バヤン、足がなおってきました。あるけないけど、NGOのひとしんせつです。ちかくでせんとうがありました。でんせんびょうがはやって、たくさん死にました。でも、わたし、げんきです。すこし字をたくさんかけるようになりました。パシャにあいたいです。パシャ、げんきですか?』



『パシャへ おどろいてください。バヤンがべつの国にいくことになりました。バヤンにあたらしいお父さんとお母さんができた。遠い国の人だそうです。バヤンはあたまがとてもいいからいいと思う、でも、わたしはさみしいです。
 おばあちゃんが死にました。弟と妹がいるから、わたしははたらきます。学校にいけなくなります。手紙がかけなくなるのは困ります。手紙はとどいていますか? とどいていないとおもいます。パシャはとてもとてもとおくにいる。でも、手紙を書くのはいいことです。パシャがそばにいるみたいです』


『パシャへ……』



 タタタ、タタタタ、と遠くから銃声が響いていた。遠く硝煙が立ち昇り、また、どこかで石壁が砕ける。ざわめく草の波がすべて『敵』を隠しているようで、頭がおかしくなりそうだった。パシャは銃を握り締めて震えていた。
「大丈夫か、パシャ」
「あ、ああ……」
 ガシャン、と音を立てて、バクーは銃に弾を充填した。
 地方の町だった。町はすでに蹂躙され、一般市民はほとんど残っていない。町に駐留しているのは政府軍だった。だが、地方に配属された部隊など、装備のレベルを考えても貧弱なものだ。
 パシャは覚悟を決めた。相手は敵だ。殺すしかない。けれど、怖い。飛び出したら殺されるかもしれない。
 物陰から外を見ると、さきほど外へと出て行った誰かが、地面に転がっていた。血溜りが広がっていく。もう助からないかもしれない。
 震えながら銃を抱きしめているパシャを見て、サウードは、しばらく、黙っていた。やがて、ガシャン、と音を立てて銃から弾を出す。
「手を出せ」
 サウードは、パシャの手の上に、薬莢を開けた。金属のような色をした火薬がこぼれる。
「これは?」
「飲め。飲んだら絶対に弾があたらなくなる。恐怖も無くなる」
 サウードはにやりと笑うと、自分もまた、手のひらに空けた火薬を一息に飲んだ。そうして、物陰を飛び出し、走っていく。地面に伏せて銃をうつ。タタタ、という軽い音が響いた。
 パシャは、思い切って火薬を飲んだ。ひどい味がした。そうして、サウードに続いて飛び出した。その瞬間、銃弾が肩のすぐそばを掠めた。
 前方に敵。野戦服を着た政府軍の兵士。だが、サウードの銃が火を噴くと、頭を抑えて前のめりに倒れた。それに続いてさらに銃弾が発射される。パシャは夢中で引き金を引いた。敵が慌てて体をかがめ、障害物の陰に隠れるのが見えた。
 パシャは走った。走りながら引き金を引いた。突き飛ばされるような反動。銃口が空を向く。これでは当たらない。必死で下を向ける。あばれまわる銃を押さえつける。そのうちに、やがて、頭がぼんやりとしてきた。
 足元がおぼつかない。奇妙に心が高揚する。恐怖など、いつのまにか、なくなっていた。タタタ、タタタタ、という音が奇妙に間延びして聞こえる。空が青い。青い空に吸い込まれそうになる。
 傍らで誰かが倒れた。誰だろう。味方だろうか。顔を知っているような気がするけれど思い出せない。弾が無くなる。物陰に転がり込み、斜めにかけた銃帯から弾を充填する。ついでに薬莢を開けてさらに火薬を飲む。さらに頭が高揚した。
「うわあああああ――――っ!!!」
 叫びながら駆け出した。目の前に、兵士の姿が現れた。驚愕したような表情が目に焼きついた。ためらいなく引き金を引いた。その顔が、ぱしゃんとはじけた。
 血が飛び散る。高揚感。初めて敵を倒したのだ。これで自分は一人前の戦士だ。そう思うとますます気分が高ぶっていく。どこかで誰かが叫んでいた。ばか、深追いするなと。だが、かまわない。パシャは地面に膝をつくと、逃げていく何人かの兵士の背中を狙った。
 タタタタ、と連発して弾を撃ち込むと、兵士たちは奇妙なダンスを踊った。遠くで爆発音が聞こえる。おそらく、この拠点が陥落しようとしているのだ。
 撃って、撃って、撃ちまくった。最後には何を撃っているのかも分からなくなった。パシャはふらふらと歩きながら、大きな声で笑っていた。破壊されつくされ、死体の散乱した町の中を歩きながら、ずっと。

 ―――それが、パシャの、初めての戦闘だった。









『パシャへ  どこにいますか』

 そうして、チェリは、ノートの裏に、そんな文字を書きつけた。
「チェリ、どうしたデスか?」
「あ、マリー。……パシャに手紙書いてんの」
 チェリはまぶしそうにマリーを見上げた。頭上の燃樹の枝から木漏れ日がこぼれている。白く乾いた地面の上に、ちいさな椅子を持ち出して、チェリは、その上でパシャへの手紙を書いていた。
 チェリは、短い鉛筆を指で支えながら、考え考え、文章を書いていく。
『NGOのだんたいから、本がたくさん、おくられてきました。あたらしいきょうかしょもあります。写真をもらいました。うみの写真です。その写真には……』
 チェリの鉛筆が、そこで止まった。
 そろりと、上目遣いに見上げると、マリーはまだにこにこしながらチェリの手元をのぞいている。チェリはため息をついた。問いかけた。
「あのさあ、『いるか』ってどうやって書くんだっけ」
「こうデスよ」
 マリーは指を伸ばし、埃っぽい地面にひとつづりの文字を書いた。「そうだった」とチェリはひとりごちた。
『イルカがうつっていました。ほんもののイルカをみたのははじめてで、とてもびっくりしました』
 パシャがいなくなって時間がたち、チェリは、かなり字が上達した。
 時間があれば、パシャに書く手紙の内容を考えているからだろう。昔は家の手伝いで勉強するヒマなどないと思っていたものだが、搾り出せば時間は出てくるものだ。いつも手紙の文面を考え、どういう文字を使えばいいのかと考えていれば、自然、字は上達していく。とはいえ、チェリたちに渡されているのは外国の教科書なので、読むほうが上達したかどうかは、いまひとつ分からないのだけれど。
 書き終えて、ていねいに紙をたたむと、チェリは、マリーに向かってそれを差し出す。
「じゃあ、今日もお願いね」
「ハイ」
 マリーはブラウスのボタンを空けると、胸――― マリーの胸は作り物で、鉄板でできた皮膚が剥き出しになっている――― を開いて、その中のスペースに丁寧に手紙を収めた。もう、何通もの手紙がたまっている。
「増えたなー」
 チェリがぼやくと、
「増えましたネー」
 とマリーが笑った。
 ……このキャンプには、もう何ヶ月も、郵便配達がおとずれていなかった。
 いつか、遠くからやってきた最後の郵便配達は、首都の機能が低下して、郵便がほとんど機能しなくなっているのだ、と言っていた。もとからこのキャンプから首都は遠いが、そういう状況になってしまえば、ほとんど、郵便物を届けるなどは不可能なのだろう。
 そうでなくとも、パシャがどこにいるかも分からない。民兵組織の中でも、『開放同盟』は大きな団体で、政府軍と戦うために部隊を移動させるため、今、パシャがどこにいるのかなんて分からなかった。自然、手紙はマリーの胸の中にたまっていく。
 家においておいたら、いつ、手紙を焚き付けにされてしまうかが分からないので、チェリは、ずっとマリーに手紙を預けていた。もとより教科書のたぐいしか置いてない学校には泥棒がはいる心配は無い。自分の家においているよりも、ずっと安全だということだ。
 鉛筆をジャンパースカートのポケットにしまうと、チェリは、「あーあ」とつぶやき、伸びをした。
「ねえマリー、今頃パシャ、なにやってんだろうね」
「どうなんでしょうネ。最近はぜんぜん外の話も入ってきませんシ」
 パシャが出て行ってから、もう、何ヶ月が経過しただろうか。
 雨季が過ぎ、乾季がふたたび訪れて、燃樹があざやかな色の花をつけ、また散っていった。
 状況は、良くなったとは、いえない。
 子どもたちが何人も伝染病で死んだ。大人も老人も死んだ。キャンプに協力していたNGO団体が引き上げてしまったので、配給の食糧の量が少なくなった。人々はとぼしい資産を金に換えては、近くの町へと食料を買いに行った。その最中で民兵の闘争に巻き込まれて死んだものもいた。
 パシャは、バヤンはどうしているのだろう。民兵になったパシャは、遠国へと貰われていったバヤンは。
 チェリは1才年をとった。もう、13才だ。友人たちはほとんど学校に来なくなり、通っているのはチェリ一人といったような状況だった。
 中には、近くの町へと出稼ぎに行ったり、亡命をほのめかしていたかと思うと姿を消したものもいた。遠くへ行った彼らがどうなったかをチェリは知らない。ただ、ここにいるよりはマシな生活をしているだろうなあと思うだけだ。
 寝転がって見上げると、空が青い。燃樹の枝はみずみずしく、木漏れ日をこぼしている。それだけは、いつになっても変わらない光景だ。
「ねえマリー、あたし、もうちょっとたったら働きに行きたいなあ」
「チェリはまだ13才でスヨ」
「13で働いてるヤツなんていっぱいいるじゃん。メイド程度だったらあたしにも務まると思うんだけど……」
「子どもが働くのは、良くないことデス」
 チェリは舌打ちをして、苦笑した。この話をすれば、マリーは、同じことしか言わなくなる。
 子どもには教育を受ける権利がある、自由に考える権利がある、働かないで保護される権利がある……
 題目は分からないでもないが、現実というものがあるだろうと思う。
「あーあ、なんでおんなじことしか言わないのかなー」
「ワタシは機械ですからしかたないデス。それに、チェリはとっても字が上手になりマシタ。もうちょっと勉強したほうがいいと思いマス」
「うん」
 チェリは照れくさく笑って、頷いた。
 パシャが、バヤンがいたころにはあまり身が入らなかった勉強だけれど、最近、字の読み書きができるようになるにしたがって、チェリの成績は向上した。算数や、地理の話も分かるようになってくる。
 できるものなら、もうちょっとしっかりと勉強をしたらどうだろうか、とチェリも考える。ただのメイドよりも、文字の読み書きができる家庭教師、あるいは事務所などで働いたほうが絶対に給与がいい。
 それに、勉強をすることは、楽しい。
「しかたないな、パシャが帰ってくるまで待とっかな。……きっと、あたしのほうがずっと頭が良くなってるね」
「パシャも勉強させてもらっていればよいのですガ」
「むつかしいと思うよー」
 民兵組織に学校が付属しているとはチェリには思えない。学んでくることといっても、せいぜいが銃の整備法がいいところと言ったものだろう。
 パシャが帰ってきたら、字を教えて、威張ってやるんだ。
 そうして、勝ち誇って言ってやるのだ。なんでマリーが勉強をしろと繰り返すのか、わかったよ、と。
「……あれ?」
 かあん、かあん、と音が聞こえてくる。チェリは、起き上がった。
「なんだろう?」
「なんでしょうネ」
 誰かが、町外れで鐘を鳴らしていた。火事でも起こったのだろうか。それとも、民兵との小競り合いか。
「やだなあ、なんか」
 チェリは、眉を寄せた。
 財産などなにもないこのキャンプが襲われるとは思いにくい、チェリは考えた。けれど、いちおう、何か危ないことが起こったときの合図が鳴っているのはたしかだ。チェリは立ち上がり、スカートをはたいた。
「ちょっと、家に帰る。マリー、手紙、大事にしといてね」
「わかりマシタ」
 チェリは、家へと続く道へと駆け出す。燃樹の木陰を出ると、むきだしの陽光が照りつけた。浅黒い素足が土ぼこりにまみれた。
 少しだけ振り返ると、マリーは、笑顔でチェリを見送っていた。
「じゃ、また明日ね」
 手を振ると、チェリは、走り出す。不吉な鐘が、かあん、かあん、と遠くで鳴っている中を。

 ……そして、チェリは、二度とマリーの顔を見ることは無かった。
 それどころか、次の手紙を書くこと、も。



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