6.




 情勢は、次々と、悪くなっていった。
 治安回復のために駐留していた外国の軍が次々と撤退し、NGOの団体も、政府からの嫌がらせや妨害に耐えかねて、撤退せざるをえなくなった。
 政府軍は、治安を維持するだけの能力が無くなり、物資を手に入れるために、町や村を略奪した。それは他の反政府団体も同じだった。村にもぐりこみ、銃を突きつけて住民を脅すと、空になった家にもぐりこみ、そこにある食料を食べ、食料がなくなると、次の町へと向かった。服を繕ったり洗濯する暇もなかった。奪った服を着て、奪ったもので腹を満たした。
 略奪されたキャンプや村をいくつも見た。奪えるだけのものを奪うと、痕跡をなくすように、建物に火を放ったから。焼け焦げて跡形も無くなった街をいくつも過ぎた。戦闘が繰り返された。パシャは、子どもたちは薬莢の中身を飲み、いくらでも人を殺した。
 空はいつでも晴れていて、硝煙は、青い空に吸い込まれていった。
 ―――そうして、あるとき、パシャたちは、皆で、高く茂った草原を歩いていた。
 草原は、パシャが胸で押すほどの高さで、長い草の穂が銀色に光っていた。空が高く晴れていた。青く青く高く高く、雲ひとつ無く、うつくしい空。
 パシャが最後に食事を取ったのは、もう、二日も前のことだった。
 次に村を見つけたら、住民から食料を奪って、はじめて腹を満たすことが出来るのだろう。疲れ果てた兵士たち、サウードたちも、無言だった。それぞれに自分の体で草を分けながら歩いていく。
 ただ黙々と歩きながら、パシャは、薬莢の中身を飲んだ。
 それを飲むと、頭に霧がかかったようになって、空腹を感じなくなる。けれど、最近、手足の先がしびれるような気がするのは何故だろう。
『ああ』
 ぼんやりと歩きながら、パシャは、なぜか、昔のことを思い出していた。
『そら、ってどういう字を書くんだっけ』
 パシャが兵士になってから、そのころには、もう、かなりの月日が過ぎていた。
 ずっと本も読まず、勉強もしていないから、もう、字を書くこともできないだろう。望んでも手紙も書けない。けれど、今、なぜか、無性に手紙が書きたい気分だった。
 たわいのない内容を、白い紙に、書きたい。皆、今はどうしているのか。足をなくしたバヤンはどうなったのか、チェリは今でも木登りが好きなのか、配給に並ぶのは大変なのかと、そういった内容を、手紙に書きたい。今の自分の状況についてなど、書きたくも無かった。
 今の自分は、いったい、なんなのだろう。
 殺されなければ殺される。戦う理由はそれだけだった。敵を見たら撃つ。撃たなければ撃たれるから。
 自分が望んだものは、こんなものだったのだろうか。自分が望んだことは、この国を助けることだ。腐った連中を根こそぎにしてしまえば、きっと、いい未来がやってくる。そう信じたから戦ったのだ。

 けれど、腐った連中とは、いったい誰のことだったのだろう。
 サウードに聞いてみたいような気がしたけれど、サウードは、硬く唇を引き結んで、銃を肩に背負い、だまって草の中を歩いていた。話しかけることはためらわれた。だいたい、兵士になりたいと望んだのは自分だ。こういう運命を望んだのは自分だったのだ。
 ―――もしも、あのままキャンプに残っていたら、どうだったろう。
『マリーさんから字を習って、毎日、チェリやバヤンと遊んで……』
 けれど、あのキャンプには、満足に腹を満たすだけの配給も無かった。雨季になればたちの悪い病気がはやり、ちかくの草原を歩くと、不発弾に体を吹き飛ばされた。男たちは年頃になると政府軍へと徴兵された。
『それくらいだったら、戦ったほうがまだマシだ』
 抵抗もしないで死んでいくのは嫌だ。守りたいものを守ることも出来ずに死んでいくのは嫌だ。人間らしく生きることも出来ず、死んでいくのは嫌だ。
 けれど、守りたいものとは、……人間らしい生き方とは、なんだろう?
 その瞬間だった。
 たん、と音がして、列の一人が、つきとばされたように倒れた。
 パシャは目を瞬いた。誰かが鋭く叫んだ。
「敵襲だ! 伏せろ!!」
 パシャは慌てて銃を肩から下ろした。伏せようとするとよろめいた。草の中に片膝をつく。すると、視界をさえぎられて、なにも見えなくなる。
 タタタ、タタタタ、と軽やかな銃声が響き、罵声と怒声が響いた。悲鳴が聞こえた。青く晴れ渡った空がそれを吸い取った。体中から、一気に、嫌な汗が吹き出した。
 草が動いた。敵だ、と思った瞬間、すでに手が動いていた。ショット。誰かの悲鳴。誰かが倒れる。地面に倒れて悲鳴を上げている。血なまぐさい匂いが、草の匂いに混じる。
 どこだ? 敵はどこにいる?
 風が吹いて、草原が風になびいた。銀の穂がうつくしく光り、走る獣の背のようにしなやかに動いた。その中に銃声が響いていた。戦いは、敵が満足に見えないうちに続いた。
 闇雲に撃ちこんでも、敵に当たらない。弾はむなしく草の間を走っていく。だが、立てば、撃たれる。けれど、立たなければどのみち死ぬ。頭の中が真っ白になった。その瞬間だった。誰かの悲鳴が響いた。
「ぐわっ!!」
 声と共に、血が、しぶいた。
「え?」
 聞き覚えのある、ありすぎる声。思わずパシャはぽかんと口をあけた。呆然としていたのは一瞬だった。パシャは慌てて這っていく。草を分けていくと。そこには。
「……サウード!!」
 サウードが、体を胎児のように丸めて、倒れていた。苦しげにゆがめられた顔には脂汗がにじんでいた。慌てて揺り起こそうとして…… ぬるり、手がすべる。パシャは呆然とした。手が、ペンキをぬりたくったように真っ赤に染まっている。
「母さん…… 母さん……」
 うわごとのように、サウードは、繰り返していた。げほ、と体を震わせると、大量の血が口から吐き出された。パシャは、頭の中が真っ白になっていくのを感じる。
 仲間たちはどうした。敵はどこ。何が起こったのだ。何も分からない。何も、何も。
 その瞬間、鋭い音が頭上を切った。草の穂が千切れて飛んだ。敵の銃撃。その瞬間、パシャは、反射的に立ち上がっていた。銃を構えて。何も考えていなかった。ただ敵を撃つ、その本能だけで。
 そうして、パシャは、見た。
 目の前に立っている少女を。
 パシャは、少女を見た。
 まだ、せいぜいが11か2ほどだろう、小柄な少女だった。
 きょとんと目を見開いて、おどろいたように、パシャを見ていた。長い髪がひとつに編まれて背中に垂れていた。浅黒い顔は活発そうで、二つのつぶらな瞳が、まっすぐにパシャを見ていた。
 パシャの唇から、思わず、言葉がこぼれた。
「……チェリ?」
 その瞬間、チェリに似た少女は、引き金を引いた。
 ぱあん、という音と共に、パシャの頭蓋は弾け散った。
 脳漿を撒き散らしながら、きょとんとした表情のままで、パシャは、後ろ向きに倒れ、そして…… その手から、銃が、落ちた。
 風が吹いていた。草原が揺れていた。空は青く、血の匂いも、銃声も、すべてを吸い取っていくようだった。
 最後にパシャが抱いたのは、たった一つの疑問だった。





 いったい、どこで間違ったんだろう?





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