24




 ―――気づいた時、僕は、焼け跡に立っていた。
 
 見回すと、はるか彼方まで視界が開けている。ほとんど視界をさえぎるものの無い一面の廃墟。足元でじゃり、と音を立てて炭化した瓦礫が崩れる。焦げ臭い匂いの風が吹いて、僕の髪をゆらした。
 僕は、いつのまにか、いつかどこかで見たことがあるような服装をしていた。プラスチックの髪留め。小花模様の古ぼけたワンピース。安っぽいスニーカー。
 地平線が奇妙に湾曲している。どことなく視界が奇妙にゆがんでいるように思えるのはそのせいか。一面の焼け跡。焼け落ちた梁や、瓦礫となった壁、熱にゆがんで丸まった窓ガラスなどが、地平線の果てまでを埋め尽くしている。
 空は青い。奇妙な青さだ。雲ひとつなく、それどころか太陽すらない。フラットな青さの空の下、けれど、感じるのは真昼の明るさだった。けれど足元には影が無い。奇妙な明るさ。
「……ねーねー」
 ふいに、声が聞こえた。僕は振り返った。すると、瓦礫の上に、一人の少年が、片膝を立てて座っていた。
 日焼けした肌。潮焼けした髪。黒糖のような瞳に、あきらめに似た感情を込めて、こちらを見ている。短パンにTシャツ姿の少年。麦藁帽子を背中に下げて。
 絵葉書の中の、少年。
「とうとうここまで来ちまったんだな」
「……」
 僕は黙って彼を見つめた。
「ここは夢の一番底。ここから先に、もう、夢は無い」
 真剣なまなざしでいう彼に、僕もまた、頷いた。彼はそれを確認して続けた。
「今ならまだ帰れる。ねーねーの記憶を消して、『島』に戻せる…… って言っても、そうしろとは言わねーだろうな」
「うん」
「そのほうが絶対に『幸せ』だって分かってても?」
 僕は短く沈黙した。
 『幸せ』とは、なんだろう―――?
 何も知らず、うつくしい島で暮らしてきた、長い、長い日々。それを思い出す。はたしてそれは幸せだっただろうかと思い出す。
 幸せだった。
 断言できる。
 僕は『弟』の姿をしていて、何も悩むことはなく、友人にも恵まれて、両親に愛されて暮らしていた。島は自然が豊かで、何もかもが満ちたりていて、夢のように美しかった。何一つ欠けることのない幸福。それに満たされた場所。
 ただ、それが偽りである、という一点を覗いては、何一つとして欠けるものの無い場所。
「僕は、ほんとうのことが、知りたい」
 僕の返事に、彼は、沈黙した。
 やがて、瓦礫から身軽に飛び降りると、こちらまで歩いてくる。サンダルの下で瓦礫が砕ける。
 目の前に立ってみると、彼は、僕よりも頭半分ほど背が低かった。手をさしだす。その手の中にはレンズがあった。熱にゆがんだレンズ。マインド・ミラー。
「これが、『ほんとう』だ」
 彼は言うと、笑った。どこか痛みをこらえているような笑みだった。僕はレンズを受け取り、問いかけた。
「僕の『弟』はどこにいるの?」
「あいつのところまで送るよ」
 言って、彼は歩き出す。ついてくるようにと眼で促す。僕は後に続いた。足元で、炭化した何かが砕ける。僕らは歩き出した。
 焼け跡はどこまでも続いている。どれだけの火事があれば、これだけの焼け跡ができるのか。どれだけの炎に焼かれればこれほど徹底的に地上が滅びることが出来るのか。そこは本当に何も無い空間だった。
 歩きながら、彼が問いかけた。
「ねーねーは、どこまで分かってるんだ?」
「……僕たちのことについて?」
「うん」
 僕は歩きながらしばらく考えた。ざくざくと規則正しい音を立てて、足元で何かが崩れる。
「名前は思い出せない。僕たちは、たぶん、姉弟だった」
 『レンズの階層』で見た映像を元に思い出し、記憶を再構成する。それはまるで他人事のような記憶、自分で体験したことが無い記憶という、ひどく奇妙なものだったのだけれど。
「まだほんの子供の頃に、なにかの理由で親に捨てられて、『ふたば園』に引き取られた。そこで二人で仲良く暮らしてた…… あの男が現れるまで」
「うん」
 彼が頷く。僕は少し考える。
「僕はあの男にひどいことを色々と強要されて、結局、精神を病んだ。だから、弟はあの男を殺そうとした。あの男が園に泊まった日を見計らって、ドアをふさいで、園に放火した」
 けれど僕はそのことに対して何も思わないのだ。弟が放火したことについて。弟がそこまで追い詰められていたということについて。
 僕が陵辱され、しまいには精神を病み、自らを傷つけた、ということに関しては、胸が締め付けられるような思いを覚える。でも、そう思うんだったら、姉が陵辱される様を目の前に見せ付けられて、追い詰められ、最後には放火にまで至った弟に対しても、せめて同情くらいはしてもいいんじゃないかと思うのだ。けれどひとかけらの同情すらも感じない。まるで関心の無い映画の登場人物が殺されたのを見る程度の気持ちにしかならない。
「あの男が何者だか教えてやろうか」
 ざくざくと瓦礫をふみ、歩きながら、彼が言った。
「あいつは『ふたば園』の責任者。どっかの大学のお偉い教授で、園の出資者でもある人間だよ」
 教育かなんか専攻してる学者だったっけ、と彼は言う。
「でも、本質はアレ。ペドフィリアで、サディストの、どうしようもない変態。それがある日、自分があずかってる施設の中に、自分好みのすごい美少女を見つけた。それがあんた」
「……」
「あいつは始め、あんた一人を連れ出して、関係を迫った。当然あんたは拒絶した。でもあいつは言ったんだ。あんたが抵抗したら、弟はどうなるか、ってね」
 彼は淡々と言った。なんでもないことのように。
「翌日、あんたの弟は妙な食中毒を起こした。食べたものを全部吐き出して、ものすごい腹痛にのた打ち回って苦しんだ。まあ、死ななかったけどね。原因も結局不明だったし」
「それって……」
「その次に園からあんたを連れ出した時、あいつはねーねーに言ったわけさ」
 彼は皮肉っぽく言った。
「パラコートって知ってるか、って」
 農薬の、パラコート。猛毒。飲んだものは長い期間苦しみぬいた末に死んでいく。そう聞かされた。はっきりと覚えていた。
「あんたは弟がなんで腹痛を起こしたのかをそれで知った。理由は分からないが、あの男に、弟にそれを飲ませる力があるってこともね。だから仕方なくあの男に従った。でもあんたは知らなかった―――」

 そのとき、あんたの弟が、同じ部屋のロッカーの中にいたってことを。

 僕は――― なぜか、驚かなかった。
 そんな僕を横目でちらりと見ると、彼は、淡々と続けた。
「さんざん弄んだあんたを帰らせた後、あの男は今度は弟のほうに言い聞かせた。おまえの姉がこんなひどい目にあうのはお前のせいだ。お前がいるから姉がひどい目にあう。もしも誰かにこのことを話したりしたら、お前はパラコートを飲まされることになるし、姉はもっとずっとひどい目にあわされることになるぞ、ってね。大好きなおねえちゃんが想像もできない拷問にかけられてる姿にすっかりビビってた弟は、あっさりその言葉を信じ込んで、誰にも話さないと誓っちまった。……ま、あの男なりのユーモアだったのかもしれないな。一種の姉弟丼でも楽しんでる気分だったのかもしれねぇな」
 あの男は、間違いなく、真性のサディストだった、と彼はつぶやく。
「あんたがメインディッシュだったら、弟はデザートだった。あいつにとって、あんたを帰した後、弟の口からその日の自分の行状を逐一説明させるってのも、あいつにとってはオマケの楽しみだった。もしも眼をつぶってて見てなかったら今度はお仕置き。男の子は好みじゃなかったらしいから、たいしたお仕置きじゃなかったみたいだけどな」
 まるで豊饒なワインでも楽しむように、人の苦痛を味わい、楽しむ。その行為による純粋な苦痛と絶望だけではなく、誰にもいえないという苦悩も、この世に二人きり、固く結びついた姉弟の間に芽吹いていく新しい感情もまた、ワインに含まれたアロマの一種のように感じられたことだろう。
 新しい感情とは、憎しみと、後悔。
 もしも弟がいなければ、という憎悪と、もしも自分がいなければ、という絶望的な後悔。
「もしも弟がいなければ、あんたはあのサディストに従う必要なんて無かったかもしれない。さんざん弄ばれた末に精神を病むなんて結果に至らなくても済んだかもしれない。……もしも、だけどな」
 まあ結局あの園の連中はあの男の言いなりだったわけだし、と彼はつぶやく。僕は驚く。そんな僕に、彼は、皮肉げに唇を吊り上げた。
「決まった姉弟だけが頻繁に園から連れ出されるんだぜ? 変だと思わないわけがないだろ。なのに何も言わなかったってことは、つまり、黙って見過ごしてたってことだろ。それに弟の飯に何かを混ぜたヤツが施設にいたってことも分かってた。そいつにやらかしたことがバレたら何されるかわからない…… そんだけ周到な仕掛けしてるってことは、まあ、あの男のことだから、以前にも似たようなことがあったって驚かねーけどな」
 それが分かっていたから、あんたは誰にも頼れなかった、と言う。
「それどころか、あんたは、弟が自分の痴態を見ているってことすら知らなかった。だから精神が擦り切れてボロボロになっていく様を見せないように、弟の前だと必死で笑顔で取り繕った。弟は弟で、もしも姉がそれを知ったら、恥辱のあまり死を選ぶかもしれないって言われていた。まあ、なんとなく分かってはいただろうな。実の弟にそんな痴態を見られちゃあ、生きてなんていられないってことぐらい」
「……」
 この世で唯一の身内である、おさない弟。
 弟にくらいは、自分は頼れる姉であると振舞いたかったろう。汚れなく、頼れる、愛される姉であると思いたかっただろう。それは彼女にとって最後の礎となったはずだ。それすら崩れてしまった時何が起こるのか。
 けれど、それは、ある日、崩れてしまった。
 心の傷に耐え切れず、自ら体に傷を付けるという行為を、目撃されることによって。
「あんたは壊れた」
 彼は、短く言った。
 僕はぼんやりと何かを思い出したように感じる。何かを。壊れていく自分の姿を。
 絶叫し、ありとあらゆるものに対して怯え、窓ガラスを割り、そのガラスの欠片を握り締めて、必死で身を守ろうとする少女の姿を。キラキラと光るガラスの欠片の中に座り、真っ赤な血で彩られた少女の姿。彼女は泣き叫んでいた。絶叫していた。なんで僕だけが、と。
 なんで僕だけがこんな目に、と。
 ―――ぼんやりと、記憶のようなものが蘇る。
 それはレンズで見たものではない。だから、なぜそんな光景が記憶に残っているのかは分からなかった。それは確かに弟の目線での記憶だ。だって、その視線の中には、血まみれになった両手を持つ僕のすがたがあるのだから。
 ガラスのかけらを握り締めたせいで、血まみれになった手。
 乱れた髪の間から覗く、何も見ない眼。
 けれど、彼女はあの男の名を呼ばなかった。そこまで壊れ果てても、あの男の名を呼ぶことが禁忌だと知っていたのだ。周りを取り巻いてなすすべも無い他の生徒たちの前で、弟は彼女に駆け寄った。だが、何も出来なかった。彼女は弟を拒絶した。弟が近づいても、悲鳴を上げて、髪をかきむしるだけだった。
 弟は見た。
 姉の目に、たしかに、憎悪を、見たのだ。
 弟は、世界が崩落していくような衝撃と共に、思った。

 ……おねえちゃんは、僕を、憎んでいる。
 
 どうして知ったんだろう。僕の沈黙に、彼は、僕が何を思ったのかを悟ったようだった。その後を継ぐように、淡々とつぶやいた。
「そうなったら、あいつには失うものはもう無かった。だからあいつはすべてを消そうとした。だからこの世界はこうなった、ってわけ」
「……?」
「この世界はなんだと思う?」
 彼は笑い、片手でぐるりを周囲を示す。湾曲した地平線と、フラットな青さの空を。
「あいつの『こころ』の中だよ。ほんとは会いに行く必要なんて無い。この世界そのものが『あいつ』なんだから」
 僕は釣られるように周囲を見回した。視界をさえぎるものは何も無い。かといって、視線を捕らえるようなものも何も無い。大地震、さもなければ大爆撃の後のような、徹底的に破壊されつくされた世界。
 この、焼き尽くされた世界が、『こころ』?
「人間は、誰も、自分の中にもうひとつの世界を持つ」
 彼は言った。髪が軽く風になびき、日焼けした額にゆれた。
「夜に夢を見る。それはもう一つの世界があるからさ。海を見て記憶する、そこに触れる、潮水を味わう、そうするとトレースされた『海』が、そいつの心の中に生まれる。そうして誰もが自分の中にもう一つの世界を作り上げていく」
「……ロマンチックな話だね」
 かるく皮肉をにじませると、「まさか」と彼は笑った。すぐに真顔になった。
「これはとても現実的な話さ」
「……?」
「たとえば行動する時…… そうだな、ねーねー、海に行きたいと思ったとき、一度行ったことがあるんだったら、何を持っていけばいいかが分かるだろう。水着が要る、サンダルが要る、日傘が要る、もちろん、日焼け止めも要る…… ああ、風が強いかもしれない。雨が降るかもしれない。そういう風に考えられるのはどうしてだと思う? ねーねー自身の中に、現実からトレースされた『海』があって、それから引き出したデータを元に対応を考えているからさ」
 それが、体験を元にしないデータだったなら、その像はひどくあやふやで非現実的なものになるかもしれない。
 逆に、日常的に体験している場面だったならば、データは非常に明確で、現実に似たものとなる。
 そうやって人は自らの中に世界を取り込み、それを元に世界を認識する。記憶されトレースされた『世界』があるからこそ、人は現実の中で適切に行動することが出来る。学習された知識は二次元に平面化されたものではない。五感を伴う立体的な像として、その人自身のなかに取り込まれるものなのだ。
 無論、そのデータは固定的なものではない。非常にフレキシブルに変容しうるもの、現実がどう変化するかを想像するにしたがって自在に姿を変えるものだ。だから夢の中には様々なイメージがミックスされた奇妙な世界が現れたりもする。けれど、人の内部には、そうして体験された様々な世界のデータが、フィルムを幾重にも重ね合わせたもののように、重層的な形で存在している。
「でも、これは、周りの環境に対してだけ作動する機構じゃない」
 分かるか、と彼は問いかける。頭が混乱していた。僕はあいまいに返事を返す。
「うん……?」
 彼が言うことは、何か、とても重要なこと。
 『僕たち』の存在そのものに、かかわりあうもの。
 そう悟ったことを理解したのだろう。彼はにっと笑った。いたずらっぽい笑み。それこそが、『そうであろう』と彼自身が『創造』されていた笑みだった。
「人間は、他者の存在も『トレース』する」
 ……予想していた通りだった。
 歩きながら、彼は笑う。どこか複雑なニュアンスを含んだ笑みだった。彼は自分のTシャツのすそをつまみ上げて見せる。日焼けしたわき腹が見えた。
「たとえばねーねーがいつも会ってる友人に出会う。おはよう、声をかけられる。ねーねーは反応を考える。普通におはようと挨拶する? それとも『こんばんは』とでも帰したら笑ってくれるか? ねーねーは友人の考え方を頭の中でシミュレートしてみる。でも、そうやってシミュレーションされているのはいったい『誰』なんだ? ねーねーの頭のなかで、『誰』が『友人』の反応を予想してくれている?」
 『人間』を『トレース』する。
「それは、自分の中に、誰か他人の行動パターンをシミュレートする…… その存在のコピーを作り出すということ?」
 彼は笑った。満足げな笑みだった。
「人間はとても多面的、多層的な存在。瞬間瞬間の行動の総体というのがその人の本質。でも、人間はその行動の中にパターンを見つけ出そうとする。あの人はやさしい、あの人はちょっと怖い、あの人はいじわる、あの人は暗い…… そうやって、自分の中に相手のコピーを作り出し、それと対話する。相手がいないときであってもコピーと対話することは出来る。あの人だったらきっとこう考えるだろう、と予測したりする。あの人だったらこんなプレゼントを喜ぶだろうと考えたり、あの人だったらこんな晩御飯を食べたいだろうと考えたりするそのとき、ねーねーの中では、その人のコピーが稼動して、実際にその人物の思考を模した思考を動かしているんだ」
「つまり、誰かと対話するということは、相手をトレースし、自分の中に取り込むということでもある……」
「正解。だから、人はいつでも一人じゃないっていうのはある意味だと正解だよな。誰だって自分の中に無数のコピーを持っている。その中には『自分自身のコピー』すら存在する」
 自分自身のコピー。その言葉は、すこしの思案を必要とした。
 その瞬間ごとの気まぐれな行動の総体でしかない人間に、ルールを規定するもの。それがコピー。一種の行動パターンの計算式。
 自分自身の行動パターンの計算式…… それは、『自分らしい自分』のイメージに他ならない。
 そう結論に達した僕に、彼は、再び笑いかける。
「ねーねーなかなか優秀だよ」
「年下に言われたくないな」
 僕が憮然と答えると、彼は声を上げて笑った。
「そもそも、君まだ小学生じゃないの?」
「そう見えるか? そもそもおれは、『何に見える』?」
 僕は――― 答えに詰まった。
 彼の正体は、すでに、推測がついていた。
 彼は、『存在しない』存在。
 僕がクリスマスに弟に送った、絵葉書の中の少年。
 でも、弟は彼のことを本当の友達のように考えていた。想像の中の友達。彼だったらどう考えるだろうか、彼だったらどう行動するか、彼はどんなものが好きで、どんなものが嫌いか、そんなことをいつも考えていた。
 彼は言っていた。『体験を元にしないデータも存在する』と。
 人間の心的世界においては、一緒に暮らす家族も、すれ違っただけの他人も、テレビの中のスーパースターも、フィクションの中の登場人物も、同じようにトレースされ、コピーを作られる。彼だったならどう考えるか、彼女だったらどう考えるか、実際に会ったことのない相手に対してそう考えることも実際には珍しいことではない。歴史上の偉人だったらこのときどう考えたか? そう誰かが考えた時、その人の中で演算されているのは、想像上の『歴史上の偉人』の行動パターンだ。
「君は……」
 僕はためらいながら言葉を選んだ。それがもしも間違いだったなら、彼を傷つける。そう思ったから。
 でも彼はまっすぐに僕を見ていた。どんな返事でも受け入れるとその眼が言っていた。だから僕は答えた。
「ここは、僕の弟の心の中の世界で――― 君は、弟によって『創造』されたキャラクター?」
「―――その通り」
 彼は軽く笑った。透明な笑みだった。
「おれはオリジナル人格を持たない。だから、どんな風にでもフレキシブルに変化できる。だから、『こいつ』の持っているすべての機能に、知識に、知能に、アクセスができる。それがおれがこの世界の代表者として振舞っている理由の一つ」
「『ひとつ』ってことは…… ほかにもあるの?」
「ある」
 彼は答えた。そして、足元を示した。
「他の『やつら』は、みんな、『死んだ』から」
 僕は足元を見て…… 内臓を氷剣に貫かれたようなショックを感じた。
 黒くすすけていて、分からなかった。
 だが、足元の瓦礫の間からかすかに見え隠れしているもの、それは、黒く炭化するまで焼け焦げた、人間の屍骸に他ならなかったのだ。
 僕は気づく。だまし絵のなかに隠された絵を示されて、そして、二度とそれが元通りの無意味なパターンには見えなくなるように、一度示されてしまった事実は、決定的なものとして認識されてしまう。
 僕たちは、屍骸の上を歩いている。
 ほら、あそこの瓦礫の下に、何本もの炭化した手が突き出されている。ほら、あそこに見える丸みは頭蓋骨の形。ほら、あそこに見えるのは、真っ黒に焦げてしまった人間の胴体……
 ひ、と短く息を詰める僕を、彼は笑った。さめた眼で。
「みんな、あいつが『殺した』」
「ど、して」
「逆も言える。みんながあいつを『殺した』。助けを求めても誰も答えない。あいつはそう思って絶望した。そのとき、やつのなかで一人、また一人と、コピーたちが死んでいった」
 あの人はぼくを助けてはくれない。
 あの人もぼくを見捨てた。
 あの人も、ぼくたちの苦しみを見過ごした。
 僕は思い出す。ガラスを割り、壊れはて、絶叫する『彼女』を見ている他の子供たちの目を。彼らは、彼女らは、彼女を助ける力を持たなかった。見ているだけだった。
 そうして、弟は、ひとりひとりの相手に対して絶望していった。
 そして、心の中でその相手に対して期待することをやめた。絶望された相手は、もはや、コミュニケーションの相手として満足に働かない。そして僕は理解する。つまり、廃棄された無数のコピーが、こうして、この場所に集まっているということだったのだ。
「『世界』のコピーもそれと同じ。あそこはもう安全じゃない。あそこは怖い。あそこは嫌だ。そうやってひとつひとつに絶望していく。そのたびにあいつのなかで全部が瓦礫に変わった」
 まあ、それも象徴的なことだけどな、と彼は軽く付け加えた。
「実際には全部の計算アルゴリズムは生きてる。必要な時には取り出される。でも、象徴的にはこのとおりの惨状ってわけだ。あいつの中で正しく機能し続けてる『コピー』は、『島の階層』や『病院の階層』のモブたちをのぞいたら、もう、三つしかない」
 三つ。
 彼と、弟と、最後の一人は、誰だ?
「……まあ、正確に言うと、『ふたつ』かな」
 彼はつぶやいた。そして足を止めた。



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