10
そこには――― 一人の男が立っていた。
肩から流れ落ちる、何本かに別けて編まれた綿白の髪。つりあがった目は銀色。尖った耳は緊張をあらわしてピンと立ち、そして、肌は磨いた黒檀のような漆黒だった。凛々しくも少女のように愛らしい顔立ちだったが、声は確かに男のものだ。
「ワームウッド!」
穴から身を乗り出したエウリィが叫ぶ。
「ヨタカは冒険者と違う! やけえ、なんもせんときー!」
「エウリュアレー……?」
男はその声にわずかにサーベルを下げる。そして、不審の目でヨタカを見た。ヨタカも男を見た。驚きに声が出なかった。―――ダークエルフだった。
浅黒い肌をしたヨタカとは違う。かるく尖っただけの耳のヨタカとも違う。黒檀を磨いたような青光りするほどに黒い肌、そして、耳朶が薄くピンと立った、異国の貝のような耳。その耳には透き通った虫の羽の耳飾が飾られ、体は鍛え上げられているが痩身だった。身長はわずかに低い。そして、綿のような純白の髪。
本物のダークエルフ。はじめて見た。
よっ、と声をかけて穴から這い上がったエウリィは、嬉しそうに手を振った。
「ひさしぶりじゃねえ、ワームウッド。どうしたん?」
「どうした、ではない。エウリュアレー…… この男は何だ?」
「ハーフ・ヒューマンのヨタカ」
「ハーフ・ヒューマンだと?」
男は眉を寄せ、ヨタカの姿をじろじろと見た。
小柄なヨタカよりは幾分か男のほうが長身か。年のころも、人間で言えば30近いほどかと思えた。けれど、整った顔立ちにはどことなく人形的な端正さと冷たさが漂う。エルフに似ている、とヨタカは思う――― ダークエルフ、エルフ、共に近い関係にある亜人類だ。似ていても当たり前だということなのか。
「この人、ダークエルフの部族のワームウッドて言う人じゃ。ウチとも面識があるんよ」
説明してくれるエウリィに、ヨタカは思わずじっと男を見つめてしまった。生まれてはじめてみる自分の半身の同種族。
男はしばらくヨタカを見ていたが、やがて、嫌悪感を感じたように顔をしかめた。
「半人か」
吐き捨てるように言うと、しぶしぶとサーベルを腰の鞘に収めた。
「そのようなものが見つかるとは世も末だ。……エウリュアレー、なぜそのようなものを飼っている」
「飼っているゆうより、うーん、なんていうか、成り行き?」
エウリィは困ったように頭をかく。けれど、彼女らしく、すぐに頭を切り替えたようだった。
「それよりどうしたん、ワームウッド。ずいぶんものものしかねえ」
穴から這い出してみたそこは、広いテラスの一角だった。
外から這い上がってきた蔦植物がテラスの内側にまで入り込み、壁を幾重にも覆って、鮮やかな緑の葉のそこかしこに、紫や黄の小さな花を宝石のように煌めかせている。見回すと、こちらの様子に気づいたらしい幾人かの人影が遠巻きに様子を伺っていた。同じく黒い肌、尖った耳に、筋肉質で小柄な痩身。服装も似たようなものだった。文様を織り込んだチュニックに、防具なのだろうなめした革のマント。それぞれに髪を編みこんで、きらめく虫の甲や羽などを飾っている。
ダークエルフ。それが何人も。
聞かされていた話ではある。けれども、ヨタカは、なんともいえず身の置き所の無いような気持ちになる。
彼らはヨタカをまじまじと見ていた。金や銀、赤や紫の瞳。ハーフであるヨタカの容姿は、人間のものと異なっているのと同じくらい、ダークエルフたちのものとも隔たっている。肌は濃い褐色だが黒檀の黒には程遠く、瞳は彼らのような金属光沢を持たない淡い灰紫色だった。そして、どちらかというと小さめの耳。
「そうだ。お前に用があったのだ。長が呼んでいる」
「リコリスが?」
「ああ。―――モロスのことで話があるそうだ」
傍らから聞いていても話は読めない。ヨタカは居心地の悪さを感じながら黙っている。背中にちくちくと視線が刺さる。ダークエルフたちの不審の目だ。
そんなヨタカの背中を、エウリィが、ぽん、と叩いてくれた。
「リコリス言うんはダークエルフの衆の長なんじゃ」
「あ…… う、うん」
「怖うないよ。でも、何の用なんかなぁ?」
エウリィはのんびりとした口調で言う。エウリィの『怖うない』はちっとも頼りにならないと分かっているので恨めしげな横目でにらむ。けれども、その一言で少しだけ気持ちが緩んだ。
「こっちだ。気をつけろ」
まるで戦場の兵士のように油断無い様子で周囲を見回す男――― ワームウッド。何をそれほど恐れているのかとヨタカは目をまたたく。
『青蜥蜴の塔』は、明るく、美しい場所だった。
よほど建物が古いのか、それとも日当たりがいいのか、建物の内部のほとんどが植物で占められていた。塔それ自体が半ば一本の巨大な樹と一体化している。なんという名の樹なのだろう。太い縄をよじり合わせたような幹からは乳のように気根が垂れ下がり、葉は大きく広がって太陽の光を透かしている。
小さな虫や、白い羽の蛾が飛び回り、建物の中はあおい匂いで占められていた。喉のすっとするような樹の匂い。壁は蔦や根に覆われて、足元を舗装した石が盛り上がっては歪む。場所によっては腰ほどの高さまで無数の若芽が伸びたところもあり、ダークエルフたちは、木々の枝葉を伝うようにして塔を下っていく。
その最中に、ヨタカはふと、奇妙な痕を壁に見つける。
壁が凹レンズ状にへこみ、黒くすすけていた。焼けただれ引きちぎれた枝。何の痕跡なのか。それを見定めるよりも早く、エウリィとダークエルフたちはそこを通り過ぎた。ヨタカは慌てて後を追い、その痕のことだけがわずかなひっかかりとなって頭の中に残った。
―――やがて。
天井から無数の細い根が下がった場所を歩いているときだった。足元には浅く透明な水が溜まり、ゆるやかな流れにちいさな朽ち葉が流れていく。天井からは水が滴る。ぱしゃり、ぱしゃり、と静かな水音が響く中進んでいく。そのときだった。ふいに、ぱしゃん、と音がした。
「……!!」
ダークエルフたちが、手を伸ばして腰のサーベルやレイピアに手をやる。弓を取るものもいる。エウリィもはっとしたように腰の後ろにつるした短剣の柄を掴んだ。ヨタカ一人が驚いて反応が遅れる。
けれど。
現れたのは、敵では、無かった。
「ヘムロック?」
角を曲がって、一人の子供が現れる。一行を見つけて驚いたように目を見開いた。尖った耳がつんと立つ。
けれど、すぐに相手が自分の仲間だと気づいたようだった。そうだ、仲間だった。それは、ダークエルフの子供だった。
「ワームウッドさん!」
真っ赤な眼をした、銀色の髪の、ダークエルフの子供。まだ平たい胸をした少女。文様を織り込んだ布を体に巻きつけ、斜めに垂らした布を腰の革帯で留めていた。ワームウッドは一瞬安堵したような顔を見せ、けれど、すぐにキリリと表情を引き締める。
「どうしたんだ、ヘムロック。誰が里を出ていいと言った」
「あの、ごめんなさい、……えっと」
尖った耳の先端が、困惑したようにぴくぴくと上下に動く。金属光沢を持った甲虫の殻の耳飾が揺れた。
「でも、そのあたし、リコリス様が心配で、だから、ワームウッドさんに来て欲しくって……」
「リコリスが?」
ワームウッドは、わずかに目を細めた。ほかのダークエルフたちもそれぞれ顔を見合わせる。ヘムロックは早口に叫んだ。
「その、大変なの、リコリス様が。……陣痛が始まったの!」
……陣痛だって!?
「な、なんだよ、それ!?」
思わず大声を上げてしまったヨタカに、ヘムロックがぎょっとしたような眼をむける。ひとり冷静なのはエウリィだった。
「やったら、早う戻らないと」
リコリス。さっき、長だと言わなかったか? それがよりにもよって『陣痛』? 何のことだ?
ヨタカには、何がなんだか分からなかった。
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