9


 
 『青蜥蜴の塔』がその名で呼ばれるには理由がある、とエウリィは言った。
「昔からブルー・ドラゴンが住んどるんじゃ。んー、ドラゴン言うよりワイバーンかもしれん。前足の生えてないけえ」
「へえー……」
「昔はぎょうさんいたけど、今はあんまり住んどらんらしいで。ウチもあまり会わんけえ、どんどんよそに行ってしまったんかもしれん」
「……」
 エウリィはすたすたと先を歩いていくが、ヨタカはそれどころではない。二日酔いである。
 頭がガンガン痛むに加えて、なんだかさっきから吐き気が酷い。朝食もまともに食べられなかったから足元もふらふらだ。彫刻の施された柱に手をついてうつむいていると、「どうしたん?」とエウリィが心配そうに声をかける。
「病気なん?」
「……いや、二日酔い」
「フツカヨイ?」
 そうか、魔物は二日酔いにならないのか、となんとなくヨタカは遠い目になった。
 黒鳥城は、とても、広い。
 蜂の巣のように何層にも重なり合った階層が、それぞれ有機的な結合をなしながら、次第に成長を遂げているのだという。その成長は数百年単位で進むものだから、ぱっと見で気づくようなものではないが、たしかに古文書に残された姿を見れば、黒鳥城はいまよりもずっと小さな姿をしている。内部のでたらめな間取りもそのせいだ。廊下や回廊が曲がりくねり、様々な部屋が蜂の巣のように融合しあい、あちらこちらからは植物の芽が伸びるように塔が伸び、バルコニーが張り出す。
 『青蜥蜴の塔』と呼ばれる塔がどれなのかはヨタカには分からなかったが、けっして近い場所ではないということは理解が出来た。だから出発前には存分に準備をした。
 エウリィとドウムの暮らす『巣』には、様々なものが溜め込まれていた。それは宝物の類だけではなく、冒険者たちから略奪した、あるいは拾ってきたのだろうと思う装備も存在している。なんとかヨタカはその中から防具の類をより集めて格好をつけ、最低限身を守るためのダガーと、盗賊ならば身に着けていないと落ち着かない鍵開けやトラップ解除のための器具類を探し出した。
 そうしてなんとか格好をつけたヨタカに対し、エウリィは昨日と同じ服装だ。手足には無数の金銀の環を飾り、首には大粒のエメラルドのトルク、簡素なデザインの貫頭衣。足だって素足に簡素なサンダルだ。けれど、今ではそれが決して軽装であるということを意味しているのではないとヨタカには分かる。エウリィの身に着けている無数の宝飾品は、どれ一つを取ってみても、ただの宝飾品ではないということが分かるからだ。
「今日は何しに行くんだ?」
「ううん、よう分からんのよ。やけど、ダークエルフの衆がウチに用がある言うけえ、何か運んで欲しいもんでもあるのかもしれん。頼まれたらウチはなんでもやるけえ」
 明るい口調で言うエウリィに、ヨタカは苦笑した。『なんでも』だって?
「おまえ、何でも屋なんだ」
「うん」
 エウリィはくすりと笑う。
「ウチ半端もんじゃけど、黒鳥城ンなかやったらどこでもいかれるけえ。ここに住んどる衆ンなかにはお互い顔の見られん衆も多いんよ。そういう間を取り持つのがウチの仕事じゃ」
「見られない?」
「カトブレパスのおじいとか、バジリスクとか、ゴルゴンとか、あと、仲の悪い連中もようけおるよ。みんな上手いこと住み分けとるけど、たまに食ったり食われたりしとる」
「……」
 さすが魔物。とてもワイルドだ。
『ってゆーかカトブレパス……』
 カトブレパス。石化能力を持つ魔物のなかでも非常にレベルが高いモンスターの一つ。
 動きは鈍重で、毒のある沼地などの土地にしかすまないため、遭遇することはめったに無い。だが、カトブレパスの持つ石化能力は無比のもので、その重いまぶたを持ち上げた瞬間、ありとあらゆるものが石を化す。カトブレパス自身の放つ瘴気に当てられただけでも石化を起こすこともあるため、稀に、水源などにカトブレパスが住んだという理由で退治を目的としたクエストが組まれることもある。が、できれば対応したくのない種類のモンスターの一種類だ。
 けれど、昨晩、その名前が出てなかったか?
「ほれ」
 ヨタカが悶々とそういうことを考えていると、ふいに、ぽいと腕輪がほうられた。
「わ?」
「付けときー。石化を防ぐけえ、気晴らしにはなるかもしれん」
「き、気晴らし?」
 エウリィは壁にあいた穴に半分体を押し込みながら、あっさりといった。
「これから近道でカトブレパスのおじいの穴を通るけえ」
「……!!」
「おじいは親切で大人しいけえ、なんも難しいこと無いよー。ただ、あんまり騒ぐと悪いけえ、びゃーびゃー言うたらいけんよ?」
 言うなり、エウリィは横穴にもぐりこんでいく。ヨタカは心の中で絶叫した。見たくない。そんなの絶対に見たく無い。けれども。
「ま、待っ……!!」
 エウリィのおしりが穴の奥に消えていくのが見えなくなりかけた瞬間、背後でなにやら不吉な鳴き声が聞こえてくる。ギャーギャーと鳴き叫びあう声。なんだか分からないがモンスターであることには間違いない。エウリィ無しでモンスターと渡り合うか。エウリィありでカトブレパスと出会うか。究極の選択だったが、選ぶ道は片方しかなかった。
 ヨタカは慌てて腕輪を嵌め、穴にもぐりこむ。そのヨタカのつま先が消えた頃、同時に、道の背後に長い尾を引きずるモンスターの姿が現れる。
 横穴は、おそらく、何らかの通気口だったのだろう。あまり広くはなく、きれいでもなかった。膝が汚れる。しかもしばらく進むと、硫黄のような、重油のような、異様な臭いが漂い始める。
「カトブレパスのおじい!」
 先にエウリィのお尻が消えた。ぽんと飛び降りた先で、なにやら泥を踏み散らかすようなべちゃりという音がした。ヨタカは恐る恐る顔を覗かせる。
 ―――暗い。
 地面には汚泥が積もり、ちょろちょろと水が流れる音がかすかにした。硫黄と重油、それに鉱泉の臭い。膝まで泥に漬かってエウリィがあるいていく。その先で何かが身じろぎした。
「ひ……!!」
 それは、奇妙な姿の獣だった。
 牛に似ている。けれど、それは車輪で動く車を何かにたとえようとしたとき、苦労をして虫にたとえるようなものだ。なんとも形容のしがたい姿。泥にまみれた背中の毛が長く、背骨の突起の浮いた背中にべったりと張り付いている。そして首は奇妙に細く長い。大きな頭が泥に漬かっていた。わずかに角が、そして、閉じられた重たげなまぶたが見えた。エウリィは泥をかきわけて獣のほうへと歩いていく。そして、その背中をごしごしと撫でた。
「……エウリィ、か……」
 獣が低い声で呻く。エウリィは笑った。
「ひさしぶり、おじい。元気にしとったかのー?」
「まあ…… 元気と…… 言えんこともない……」
 濁った息の間から、かろうじて声を吐き出すような調子。ヨタカは動けない。これが、カトブレパスというものか。
「今日は近道で通るだけじゃけえ、邪魔して悪かねえ。あんまり騒がしくてすまんのう」
「最近は…… いつも騒がしい…… 気にすることではない……」
 カトブレパスがわずかにまぶたを持ち上げた。形容のしがたい濁った色彩の眼。ヨタカはゾッとする。だが、痺れを感じたのは一瞬だった。アイテムが石化効果を中和してくれたらしい。
「そっちの…… 男は……?」
「ヨタカ言うん。ウチの…… えーと、友達?」
「うん、友達……」
 とりあえずそうとでも言っておくしかない。敵だとでも思われたらことである。カトブレパスは重たそうなまぶたを持ち上げてしばらくこちらを見ていたが、やがて、疲れ果てたようにまぶたを下ろす。
「まあ…… いい…… 人間は…… めんどうくさい……」
「冒険者でも来たんかのー?」
「来た…… かもしれない……」
 ヨタカは泥の中をあるいていて、何かが足にぶつかるのを感じる。石の塊のようだった。その正体を確かめることは、おそろしくて、とてもできない。
 エウリィは手を伸ばしてカトブレパスの背中をごりごりと掻いてやっている。カトブレパスはいかにも気持ちがよさそうに目を閉じていた。
「エウリィ…… 気をつけなさい…… 最近は…… とても人間が多い……」
「ウチは人間じゃけえ、平気じゃと思うけど…… うん、気をつける」
「なんでだろうか…… こんなに多いのは…… 不思議だ……」
 カトブレパスの言葉に、少し、ヨタカは複雑な気持ちになった。こんなモンスターですら気づいている。それくらい冒険者が増えている。
 おそらく、モンスターたちにとっては、冒険者というのは迷惑以外の何者でもないのだろう。それはそうだ。彼らはモンスターの住処に入り込み、時に彼らを退治し、アイテムを持ち去る。おなじことをされたらたいていの人間は腹を立てるだろう。しかし、逆もその通りなのだ。モンスターたちは人間の住処に入り込み、人間を喰らい、宝物を奪い去る。どちらがどう悪いのか。なんとも判断が付きかねる。
 泥だらけの背中を掻いてやると、エウリィは見事に泥だらけになった。硫黄と重油の臭いにまみれた泥だが、気にする様子も見えない。カトブレパスが爪の無い前脚を持ち上げる。エウリィの手に前脚を重ねる。エウリィは嬉しそうに笑った。
「おじい、今度美味い草を持ってきてやるけえ、楽しみにしときー」
「それは…… 楽しみだな……」
「おじいは泥につけてしおれさせた草が好きなんじゃ。おじいは年寄りじゃけえ、あんまり動くのは億劫なんじゃ」
「そ、そうなんだ」
「ほっとくと何も食わんけえ、しかたない人じゃー」
 ちょっと口を尖らせるエウリィは、けれども、まんざらでも無い様子だ。カトブレパスも少し可笑しそうに答える。
「わしは…… 何も食べなくても…… 困らない……」
「ウチが困るんよう。おじいが腹ペコじゃったら、ぐーぐー気になって目の前を通れんもん」
 ぽん、と泥まみれの背中を叩くと、「さ、行こか」とヨタカに声をかける。ヨタカははっと我に帰った。
「じゃあな、おじい、また来るけえ」
「まって…… いるぞ……」
 泥まみれの大きな頭にほお擦りをすると、「行こか」とヨタカに声をかける。そのままエウリィは泥の中を歩き出す。ヨタカも慌てて後を追いかけた。
 重く、硫黄と重油の臭いがし、ときおり泡をうかびあがらせる泥のなかをしばらく歩いていくと、目の前にふたたび通気口らしきものが現れた。エウリィがさっさと先に行こうとするのを、ヨタカが慌てて呼び止める。
「ちょ、待って」
「なん?」
「この先、一本道?」
「そうやけど…… なんで?」
「俺が先に行く」
 はあ、などとエウリィが間の抜けた返事を返すのに、ヨタカはさっさと穴にもぐりこむ。なぜなら、さっきの穴の中のことを思い出したのだ。
 穴は狭く、コケが生えてどことなくぬるぬるした。夜光苔や光る胞子が舞っているため視界には困らないが、それでも、曲がりくねった道を進むとなんともいえず不安になる。構わない。ヨタカは半分やけくそで先に進む。
 なぜエウリィを先に行かせないか。理由は簡単だ。―――さっき、穴の中を先に行くエウリィを見ていて、その白いふとももが見え隠れするのにひどく困惑させられたからだ。
 役得だと思っておけばいいんだけどなあ、とヨタカは半分なんといったらいいのか分からない気持ちで思う。普段の自分ならそうする。同じパーティの魔法使いの少女相手だったらきっとそうした。しかし、エウリィはなんといっても無防備すぎるのだ。あまりに無防備にご開帳されると、今度はこっちがやましい気持ちでいるのが妙に恥かしいような気持ちにさせられる。
『全裸も見ちゃったし……』
 見ただけではない。見られた。ああ恥かしい。一生の恥だ。もうお婿に行けない。
『下も白いとか言われたし……』
 そう考え出すと、自分の真っ白い髪の毛をバリバリとかきむしりたくなる。耳がしょんぼりと垂れそうになる。ああもう考えたくも無い。初対面の女の子に全裸を見られ、その上下の毛についてまで言及されてしまうなんて。
 そもそも、エウリィと自分は一体なんなんだろう? 曲がりくねった隘路を進みながらヨタカは考える。
 自分はそもそもこの黒鳥城へのクエストに来てから、延々と状況に流されてばっかりだ。オークに食われかけたところを救われ、灰色トロールに食われかけたところを救われ、ラミアに食われそうになったところを救われる。それもすべて『なんとなく助けちゃったから』というエウリィの漠然とした好意に基づいたものであるにすぎない。
 何も延々とこういう状況を続けるわけには行かないだろう。それくらいヨタカにもわかる。どこかで自主的に動き始めないと、この状況を打破できない。とにもかくにも黒鳥城から逃げ出さなければ話にならない。しかし、どうすればこの巨大ダンジョンから逃げられるのかというと、その方法はヨタカにはまったく見当も付かなかった。
 目の前に丸い灯りが見えた。出口だ。隘路はなんとなく上向きになっていて、足元が湿った苔でつるつると滑って、進むのに多少苦労した。なんとかして這い上がると、目の前に明るいテラスが現れる。出口だ。なんとかして這い上がり、下から昇ってこようとしているエウリィへと手を差し出す―――
 その、瞬間。
「動くな!」
 鋭い声と共に、ひやり、としたものが首に触れた。
 穴から顔を出したエウリィが、きょとんとした顔でこちらを見ている。首に触れているものの正体に気づく。サーベルだった。気づいた瞬間、背中の毛がそそけだつような感覚を憶える。
 ヨタカはそろそろと顔を上げた。

BACK NEXT
TOP