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盗賊ヨタカは、そのとき、人生最大のピンチに見舞われていた。
「や、やめてくれえっ!! おねがいだから!! 俺なんてどこにも食うところなんてない!! 食っても美味くない!! しかも俺はダークエルフだぞ!? 魔物が魔物喰うなんて、そんな人道に反したことをしてもいいと思ってるのか!?」
さっきから必死の声を振り絞って哀願したり恫喝したり、さまざまを繰り返しているが、あいにく、腹を減らしたオークたちには何の効果も無いらしい。傍らには大きな鍋が火にかけられ、風呂ほどもありそうな鉄鍋のなかに、どんどん切った野菜が放り込まれている。奇妙な匂いのするさまざまな種類の香草、この洞窟の中で育ったらしい巨大なキノコ、それに眼のない魚のたぐい。そしてその横の大きな板にはグレートソードほどもある巨大な包丁が置かれ、天上からはお玉杓子やフライ返しや様々なものがつるされている。洞窟のなか全体にこもった奇妙だが香ばしい匂い…… オークたちの厨房は、今、今日の晩御飯の準備で大忙しだ。
子供のオークが走り回ってはつまみ食いをして女のオークに怒られ、姑らしいオークが嫁らしいオークにいやみを言って泣きべそをかかせている。男のオークはテーブルのほうでご飯を待つのに忙しい。オークにだって女子供は居るし、家族の中には嫁姑の確執から夫婦の絆までありとあらゆるものが存在する。そんなものを監察できるというのはある意味すばらしい文化観察のチャンスともいえたが、ヨタカにとってはそれどころの騒ぎではない。
すばらしい香りの立ちこめた厨房で、人々が仲良くあるいはいさかいながら立ち働いていて、そんなほのぼのとした場面においてまったく和むことができない存在とは何者か? 答えは簡単だ。食材である。
ヨタカは今、両手両足をしばりつけられて、天井からさかさまにつるされている。服も装備もすべて剥ぎ取られて、今となってはパンツすらも身に着けていない。みっともない姿だがそれどころの騒ぎではない。料理されるために鱗をはがされた魚がそれを恥ずかしがるか? 恥ずかしがらないだろう。それ以前に命の危険を感じる。ヨタカがいるのはまさしくそういう状況である。
「助けてェェェェ!!! 誰かァァァァ!!!」
泣きながらヨタカはわめき散らす。けれども、それを聞いてもそそられるのは食欲程度であるらしく、オークのちいさな女の子(リボンをつけてるからそうだと思う)が、いかにも物欲しそうに指をくわえて自分を見上げ、だらだらとよだれを垂らしていることに気づいて、ヨタカは気絶しそうになる。
―――なんでこんな目にあわなきゃならないんだ―――
話は全て、一日ほど前にさかのぼる。
彼の名前はヨタカ。姓は無い。職業は盗賊。けれど、俗に言うこそ泥まがいのアレではなく、ヨタカの盗賊とは『シーフ』、つまり冒険者たちに混じってダンジョンを冒険するようなアレというヤツであった。
そもそもヨタカがなぜそんな因果な商売を選ばなければならなかったのかというと、すべては彼の生まれに帰着する。ヨタカは人間ではなかったのだ。かといって、他の種族とも言い切れない。彼はハーフエルフ…… それも珍しいことにダークエルフと人間のハーフという生まれだったのだ。
肌はダークエルフの漆黒には及ばないにしても黒く、瞳の色だけはそれなりに平凡な紫灰色だったが、髪の毛に至っては生まれたときから綿のように真っ白だった。耳だってそれほどではないが尖っていた。ついでいうと自分の意思で自由に前後左右に動かせた。聴力はかなり良かった。暗いところで目が見えた。明るいところは逆に苦手だ。あきらかに人間ではない。
そんな生まれのヨタカは、しかし、そこまで苦労する人生を送ってきたわけでもない。
ダークエルフ女に騙されて子供を押し付けられた父親は、それでも割りと親切に、自分の面倒をなにくれと見てくれた。ダークエルフ女に騙されて子供まで押し付けられたという事実が恥ずかしく、少しは埋め合わせをしたいという気持ちもあったのかもしれない。だからヨタカの場合は父親が人間だった。これはとても珍しいことだ。ダークエルフによって陵辱された女がハーフを生むことはあっても、ダークエルフ女がわざわざハーフをこの世に生まれさせてやるということ自身がとても珍しいからだ。
けれど、田舎の鍛冶屋だった父親は、ヨタカが30歳になったときに死んだ。ヨタカは異種族とのハーフの例に漏れず老化も成長も遅かったから、そのとき人間で言うと実際にはだいたい15歳ぐらいだった。
田舎の教会で父親の葬式を出してやったヨタカは、そこではたと自分の行く末について考えて、悩んでしまった。
ダークエルフ・ハーフという生まれの割に、ヨタカは決して嫌われていたわけではないが、それにしたって幼馴染たちはみんなとっくに大人になって、子供なぞをこさえてしまっている。自分ひとりが30年も生きてまだ子供だ。このまま村に残って暮らしていても、気づけば自分ひとりが長生きしてしまい、嫌わないにはしても遠巻きにこちらを眺めるような村人たちの中に取り残されることになる。それはさすがに嫌だった。
ヨタカの父親は鍛冶屋であると同時に、腕扱きの錠前師だった。ときには遠方から錠前の製作を依頼しにくる人もいるほどだった。そして、ヨタカもまたその腕を受け継いで、たいていの錠前だったら簡単に開けられるし閉じられた。この特技を生かそう。そう思って都会に出てきたヨタカを迎えたのは、鍛冶屋ギルドではなく――― 盗賊ギルドだった。
ダークエルフ・ハーフ、その上錠前に詳しい。ならば盗賊になるべきである。なぜか? 彼がダークエルフ・ハーフだからである。
偏見だった。
しかし、故郷の村を出たとたん、自分の黒い肌や尖った耳、白い髪が人に対してどのような恐怖心を抱かせるかに気づきつつあるヨタカだったから、それが仕方のないことであるということも了解した。ヨタカは鍛冶屋の親方に払うために持ってきた父の遺産を盗賊ギルドにつぎ込んで、盗賊として必要な技能をさまざま教えてもらった。その間2年。ヨタカは(外見年齢)16才になった。
そしてヨタカは冒険者になった―――
あちらこちらのダンジョンをめぐり、北にモンスターが出たと聞いたら退治しにいき、南に冒険商人が無謀な賭けに挑むと聞いたらその護衛を引き受けに行った。パーティは二三回ほど変わったが、それでも大体は自分の実力に見合ったクエストをこなしていくことができた。
この、黒鳥城にやってくるまでは。
もうもうと立ちこめる湯気は天井当たりに溜まり、サウナ状態に陥ったヨタカは半分意識が朦朧としてきた。頭に血が上っているということもあった。ヨタカはぶつぶつとつぶやき始める。それはいまさらいっても仕方のない愚痴ばかりだったのだけれど。
「そうだよ…… 黒鳥城だなんて場所に来るのがそもそも間違いだったんだ…… 高レベルダンジョンだし…… 俺たち程度で黒鳥城が踏破できるはずが無かったんだ……」
ヨタカは、共にこの黒鳥城に挑んだ仲間たちがどうなったのかを知らない。
罠にかかってパーティから分断されてしまったからである。
現れたモンスターと戦っているときに、あやまって巨大地グモの掘った穴におっこちたのだ。幸いその穴の主はすでに留守だったが、そこにひっかかる得物を定期的に探しに来るオークたちがいたのがいけなかった。
その結果、戦闘能力のたりないヨタカは奮闘するも敗戦。オークたちはヨタカから文字通り身包み剥いで、中身は今晩の晩御飯のオカズにすることに決定した。そして今に至る。
ああ…… あいつらどうしてるかな…… 罠とかが解除できなくて困ってるかな……
もはや視界に半分お花畑の見え始めたヨタカは、はぐれた仲間の顔を順番に思い出す。パーティを組んでまだ数ヶ月程度の仲間たちだったが、冒険者らしく陽気で気楽な人々だった。ダークエルフ・ハーフであるヨタカにも分け隔てなく接してくれた。
しかし、ここまで助けに来てくれないところを見ると、彼らもまた黒鳥城のレベルの高さに負けて遁走したのか。どっちにしろオークだらけのこの巣穴まで探しに来てくれというのが無理な話である。
ダークエルフと人間のハーフとして生まれ、錠前屋として育ち、冒険者になって、最期はオークのシチューの具になって終わる。数奇な人生だった…… いいことと悪いことのどっちが多かったかというと、どっちともいえないような人生。半端モノのハーフとしてはそれなりの人生だったと言えるだろうか。
「なあ」
そう考えて、とうとう諦念の境地に達しようとしていたヨタカに、ふいに、声がかけられた。
「何しとるん?」
オークの声じゃ、なかった。
ヨタカは目を開けた。そして、そこに、ありえないものをみた。
人間がいた。
「に、に、に、……人間!?」
「兄ちゃん、股間は隠しといたほうがええと思う」
少女は冷静に指摘するが、隠したいけど隠せない。そこが辛いところだ。
「髪の毛が白い人って、下の毛も白いんじゃね」
……ひどいセクハラ発言をされたような気がするがそれはいい。なぜ、こんなところに人間がいるのだ!?
それは、年のころなら16・7歳ほどの少女だった。
琥珀色の髪を背中に流し、瞳は夏の木の葉のように鮮やかな緑色だった。可愛らしい顔立ちをしていて、シンプルな貫頭衣からすらりとした手足が伸びている。その手足には無数の金銀の環が飾られ、首にも大きなエメラルドのついたトルクを嵌めていた。防具らしきものは装備していない。武器らしきものは腰の後ろにさしている大型ナイフくらいのものか。どちらにしろ、とてもではないが最凶の名の高いダンジョンに現れるようないでたちではなかった。
彼女は肩に担いでいた荷物を降ろし、オークの一人に手渡した。オークは中身を確認する。
「コレ、粒が大きいアルね。もっと細かいのがよかったアルよ」
「岩塩は粒が大きいほうが旨みがでるんじゃ。騙されたと思って使ってみ?」
「まあ、たまにはいいアルね」
「ところでアレ誰なんね?」
少女はヨタカを指差す。ヨタカはハッとした。もしかしたら、これは助けの手かもしれない!!
「たっ、助けて、助けてっ!! 俺今食われそうになってるんだよっ!! もうすぐぶつ切りにされて鍋に放り込まれちまうんだよお!!」
じたばたともがくと、体が激しく前後左右に揺れて、固定されている手首が抜けそうになる。少女は不思議そうにヨタカを見つめていた。
「あんた誰なん? このあたりじゃ見いへん顔じゃね」
「お、俺は……」
「あんたダークエルフなん? どげんしてこんな場所に迷い込んだんじゃ」
「ダークエルフ違うアルよ。人間の匂いプンプンね」
少女の言葉には奇妙な訛りがあった。そこに割り込むオークの口調も負けないくらい個性的だったが。
「地グモの穴にはまってたから拾ってきたアルね。今晩の晩御飯は人間のシチューアル」
「へぇぇ」
止めてくれないかもしれない。
どうやら少女は理由は知らないがオークたちと顔見知りらしい。このままほうっておくと普通に食材としてしか見てもらえない。とっさにヨタカは叫んだ。
「お、俺ヨタカ!! ダークエルフ!! お前の名前は?」
いきなり話しかけられた少女は、目をきょとんと瞬いた。
「ウチの名前はエウリュアレーじゃ。長い名前じゃけえ、普通はエウリィってよばれとる」
「そ、そっか。あのさ、俺、このダンジョンに住んでるダークエルフなんだけど、間違って穴にハマっちゃったんだ!!」
ウチに帰りたいんだ、とヨタカは涙ながらに訴える。涙は本物だった。普通泣くしかない場面だから、涙は出血大サービスだ。
「このままダークエルフのシチューにされちゃったら、俺の年老いた母さんと10人の弟や妹たちはどうすりゃいいんだよ〜。俺だけが稼ぎ頭なんだ。俺がここでシチューにされちまったら、一家で心中するしかなくなっちまうんだよ!!」
「そら…… 困ったねぇ」
「うんうんうん!!」
少女はどうやらヨタカがダークエルフだということを信じかけているらしい。だが、オークたちのほうは半信半疑の様子だ。そこにヨタカは思い切って後押しをする。
「それに、人間と違ってダークエルフは肉食だから灰汁が多くて肉が渋くて堅くて筋張ってて不味いんだぞ!? 知らないのか!? せっかくのシチューが台無しになっちまうぞ!!」
ダークエルフなんて食ったことがないから口からでまかせだった。けれど、それはオークたちの気持ちをかなり動かしたようだった。
向こうのほうで、姑らしいオークが、そんな変な食材なんて…… とつぶやいている。最近の若い女は食材の質も分かってない、だから嫁にはもっとちゃんとしたところの家の娘を選べばよかったんだ。言われた嫁のオークがエプロンをかみ締めて涙する。何か修羅場のような気がするがヨタカには関係ない。
厨房のリーダー格らしい女オークが、腕を組んで考え込む。あとは頼りになるのは、と思って、ヨタカは少女の方を必死の覚悟で見つめた。
「な、おばさん」
そして、果たして意思は、天に通じたようだった。
「この人、あんまり美味そうじゃないけえ、今晩は別のもんにしたらええんじゃなか?」
「新しいオカズ、買いに行くお金ないアルよ」
「だったらウチが買うちゃるき、これじゃあかん?」
少女はいいながら腕輪をひとつ外す。どうやら金のようだった。柘榴石がいくつもはめ込まれてきらきらと光っている。オーク女の目が輝いた。
「それ、可愛いアルね!」
「うん、魔よけのお守りじゃけえ、役に立つと思う」
「分かった。じゃ、そのダークエルフはあげるアル」
誰かが鉤によじ登り、縄を外した。そのままヨタカはどすんと地面に落ちる。そこに手を伸ばした少女は、ナイフで縄を切ってくれた。
「やったら、晩御飯のおかず譲ってくれてありがとう」
「こっちも腕輪もらえて嬉しいアル。五分五分ね」
ヨタカは股間を手で押さえて立ち上がる。少女はそのまましばらくオークと歓談していたが、そのうち、手を振って笑顔で別れた。その後ろだと相変わらずオークの若い嫁が泣いている。
他に救いの手は無い。ヨタカは全裸のまま、慌てて少女を追いかけた。
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