5
黒鳥城の内部は、異様な美しさに満ちている。
昆虫の殻のように有機的なラインを描いた壁の模様や天井の漆喰模様、床には宝石を砕いたようなタイルが敷き詰められ、あるいはモザイクが異様な文様を作り出す。虹色を宿した硝子や金属色彩の奇妙な素材を多用した廊下に、まるで人体の開口部のような壁の壁龕に飾られる彫像の様子。そんなすべてを照らし出すのは、高いところに飾られた水晶ランプの、炎ならざる奇妙な明かり。赤やオレンジ、青や緑、いずれも奇怪な鮮やかさを宿した素材ばかり。タイルモザイクで作り上げられた蜥蜴や蜻蛉、青や赤の硝子玉の眼をした怪物が、天井の暗がりからヨタカを見下ろしている。
すっぱだかのまま股間を押さえて歩かされているのがどうにもみっともなくて仕方がない。先をすたすたと歩いていく裸足のエウリィを追いかけていくが、そもそも彼女はヨタカのことを気にかけてくれているのかどうか。だが、ときおり様々な魔物の影がよぎるたび、エウリィは足を止めてヨタカを振り返ってくれる。どうやら忘れられてはいないらしい。
何度目かに、奇怪な叫び声が、耳をつんざく。
壁にあいた洋ナシ形の窓の向こう、バルコニーを何匹かのグリフォンが駆け抜けていった。どうやら雛らしいふわふわの綿毛に包まれたグリフォンにヨタカは思わず瞠目する。グリフォンの雛だって? そんなものは見たことも聞いたこともない!!
「今、子育ての時期じゃけえ」
そんなヨタカにくすりと笑って、エウリィが言った。さっき別れてからはじめて聞く声だった。
「グリフォンはみんな気が立っとるんよ。そろそろ巣立ちの時期じゃけえ。邪魔したらいけんし、回り道してこ」
「あ、あの……」
「ん?」
振り返ったエウリィは、どこからどう見ても、可愛らしい顔立ちの少女にしか見えなかった。
薄暗い黒鳥城で暮らしているせいか色は白いが、わずかに癖のある髪は琥珀か蜂蜜のように甘みのある色合いで、瞳は鮮やかな若葉の色だった。見覚えのある顔立ちだ。この子が、と思って、まさか、とすぐに否定する。名前だって違う。とにかく彼女が何者かを知るのが先決だ。
「どこへ行くつもりなの?」
「『青蜥蜴の塔』と違うの?」
「どこ、そこ」
「ダークエルフのみんなの住んでるところじゃ」
ヨタカは慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違う違う!! 俺はダークエルフじゃない!!」
「え?」
エウリィはぱちくりと眼を瞬く。ヨタカは必死で弁明する。
「さっきオークに言ってたのは、なんていうか方便で、その…… 俺半分はダークエルフだけど、人間なんだよ。君と同じ」
「えええ?」
エウリィは、その言葉を聴いた瞬間、ずさささっ、と後ずさった。
手が腰の後ろのナイフにかかっている。ヨタカは焦る。慌ててパタパタと手を振ろうとして、そうすると股間が丸出しになることに気づく。せめてパンツが欲しい。
「あんた、したら…… 何者なん!? ハーフ・ヒューマン!?」
そんな言われ方は初めてだ。
「お、俺その、この黒鳥城にクエストに来た冒険者で、シーフのヨタカ。ダークエルフ・ハーフのヨタカ」
「冒険者ぁ!?」
素っ頓狂な声をあげて、エウリィはさらに後ずさった。そのまま怯えた表情で逃げていこうとする。ヨタカは慌てて手を伸ばす。エウリィの服を掴む。全裸だろうがなんだろうが、もう、いまさら構っていられない。エウリィとはぐれたら今度こそグリフォンのおやつである。
「離しぃ! ウチは経験値にはならしゃーへんもん!!」
「しないしないしない!! アンタを倒したりしない!! アンタは命の恩人だし!!」
「やられてもお金は落としゃーへんもん!!」
「そういう目的じゃないってば!!」
発言を聞いてると冒険者というと怖いものとてんから決めてかかっているように思える。この子…… もしかしてモンスター?
だが、人間によく似たモンスター、人間に化けるモンスターは多いが、彼女は違うようにヨタカには思えた。ダークエルフの血が半分流れているおかげかヨタカはそういう嗅覚がよく利く。
「分かった! 分かった俺もう冒険者じゃない!! ただのダークエルフ・ハーフのヨタカだ! だからちょっと俺を助けてくれ!」
ヨタカがそう叫ぶと、エウリィがぴたりと動きを止めた。
緑色の眼に不審の色はあるが、しげしげとヨタカのほうを見る。あんまり見ないで欲しい。全裸だから。それはもういい。
「こんなところに一人で置き去りにされたら、俺、モンスターの餌にされちまう。お願いだから、どっか安全なところまで連れてってくれないか? 頼む!!」
ヨタカは必死で懇願する。
「装備も全部オークに剥がされちまったし、それに、こんなモンスターだらけのところを素っ裸でなんて歩けねぇよ! アンタだけが頼りなんだ!!」
「……」
エウリィは眉を寄せてヨタカのことをじっと見た。ヨタカもエウリィを必死で見た。
……やがて、エウリィは、ため息をついた。
「しゃーないな。……ウチん家、来ぃ」
「え、アンタ」
どこに住んでるんだ?
「第七階層の西翼に住んどるんよ」
って、まさか。
「ウチ、ここのお城の住人じゃけぇ」
ヨタカは、眼が、こぼれおちるかと思った。
そもそも、『黒鳥城』は、冒険者たちの中だとその名を知られた巨大ダンジョンの一つだ。
『歪曲塔』や『鉛の奥都城』などと並んで、何千年も以前から存在し、無数のモンスターたちの住処であり、現世にありながら一種の魔界と化している場所として有名である。特に『黒鳥城』はそれらのダンジョンの中では比較的分かりやすい場所にあり、それゆえに一種の鬼門として恐れられる場所でもある。なぜならまだ経験の浅い初心者がうかつに踏み込んで、命を落とすことがありがちだとされているからだ。
『黒鳥城』の周囲は瘴気を受けて異形化した木々の樹海によって囲まれ、その名も『黒の樹海』として恐れられる。そこもすでに無数のモンスターたちの暮らす魔界だが、それを踏破して『黒鳥城』へとたどり着いたものとて、無事に下界へと帰りつけるわけではない。『黒鳥城』は自ら成長を続ける呪われた城塁であり、そこには無数の強力なモンスターや魔族が暮らしているからだ。ダークエルフやゴブリン、オークといったヒューマノイドに加えて、キメラやケルベロス、バジリスクにマンティコラ、ミノタウルス、カトブレパス、さらには悪魔やドラゴンの類に至るまで、『いないものがいない』とまで言われるモンスターだらけの動物園であると噂される。
そして、その頂点に君臨するのが、冥王竜ダーク・ドラゴンだというのだから、そこに来て、『黒鳥城』の恐怖には決定打が打たれる。
未だかつて、どのような英雄であっても踏破したことがないと言われる伝説のダンジョンの一つ。それが『黒鳥城』。足を踏み入れるならば死を覚悟しなければならぬと言われる魔界城。それが『黒鳥城』である。
―――そのはずなのだが。
「とりあえずそこ座りー。今、お茶入れるけぇ」
エウリィに案内された場所は、城の上層部の一部にある、大きな部屋の一つだった。
「これ着ー。素っ裸でん寒いけー」
まず、ぽいと投げてよこされたのは、何かの布のようなものだった。何はともあれありがたい。体に巻きつけてなんとか格好をつける。ようやく全裸から開放された。エウリィは奥のほうでなにやらごそごそと動き回っている。その間、ヨタカは、呆然と部屋の中を見回していた。
黒鳥城はある種の城の奇妙なパロディとしての構成を持つ。無数の部屋や廊下、塔やテラスが有機的に融合しあって作り上げられている城なのだが、その部屋はどうやら、ある種の礼拝堂だったものが変貌した場所のようだった。大きな部屋は奥へ向かって狭まり、いくつもの長いすが壁際に寄せられ、最奥には薔薇窓に似た飾りが燦然と光を放っている。外へ続く窓かと思えば、内側から光る水晶が寄り集まって作り上げたモザイクらしい。そんな場所に無数のがらくたが積み上げられ、寝床らしき場所を作り上げ、その部屋は構成されていた。
―――生活空間である。
なぜ、ダンジョンの中に、生活空間があるのだ?
仮にもベットらしきものがあり、部屋の中がいくつかに区切られ、いくつもの櫃から布や宝飾品があふれ出している。ちぃちぃと鳴きながら足元を駆けて行ったのは六本足の蜥蜴。「あー! かじられとー!!」となにやらエウリィが悲鳴を上げるのは、どうやらチーズでもねずみに齧られたおかみさんの声に似ていた。
「すまんねぇ、とっといた干し肉、つまみ食いされとったみたいなん。お茶だけでよかと?」
エウリィはそんな風に弁解しながら、モチーフのばらばらのカップをいくつか運んでくる。カップからは湯気が立ち薬草の匂いがした。胸元にかかえた碗には木の実が盛られていた。
くらり、とめまいを覚える。自分がいるのは最悪最凶のダンジョンの中ではなかったのか? なぜ、自分はそんな場所で知らない女の子にお茶をご馳走になっているのだ?
「アンタ…… ここに住んでんのか?」
「うん」
ヨタカの隣に座り込んだエウリィは、さっそくポリポリと木の実を齧り始める。こともなげに頷いた。
「え? どうして? アンタ、まさかアンデットとか邪術師かなんか……」
「ううん、ウチはふつーのヒューマンじゃ。そういうのも近所に住んでるけど、会いたいん? そういう用事だったん?」
ヨタカは慌てて首をぶんぶん横に振った。
「ここじゃあヒューマンはめずらしいき、驚かれてもしゃーないなぁ」
エウリィはなんとも恥ずかしいことを告白するようにぼそりと言って、照れたように笑った。照れることなのだろうか。恥ずかしいことなのだろうか。ヨタカにはさっぱり分からない。
「ウチ、届け屋して暮らしてるんじゃ。あっちゃこっちゃにモノ届けて、それで色々便宜図ってもらっとるん。じゃけ、オークの衆の所にも行っとったんよ」
言いながらエウリィは薬草茶を飲む。つられてヨタカも飲んだ。なんだかやたらと甘かった。そういう薬草でも入っているのか。
「アンタ、冒険者なのか?」
思わずヨタカが聞くと、「そんなわけなかー!」とエウリィは憤慨する。
「ウチがあんな失礼な商売しとーよーにみえっと!?」
「し、失礼!?」
「失礼じゃなか!? 人の暮らしとるところに勝手に踏み込んでモノ取っとくんじゃけぇ、強盗じゃ!」
強盗。
……自分は確かにシーフだが、強盗を働いたことはあっただろうか。頭がくらりとゆらいだ気がした。どうやらこの娘は根本的にこっちと価値観が違う。そろりとヨタカは問いかける。
「なんでアンタ、モンスターに襲われないんだ?」
「んー、襲われることもあるけ、じゃけぇ、逃げりゃえーことじゃけぇ」
「……逃げられるのか?」
「逃げられるよ?」
エウリィは笑い、パン、と自分の足を叩いた。
「ウチ、逃げ足にゃ自信があるんよ」
そういう問題ではない。
石化能力を持つバジリスクや、毒のブレスを吐くカトブレパスなどのモンスターに出会えば、逃げたくても逃げられないほうが普通だ。ましてやエウリィは一人でこのダンジョンをうろつきまわっているらしい。仲間が敵を引き受けてくれている間に逃げ出すとか、そういう小手先の術を弄することも出来ない。
ヨタカは注意深くエウリィを見た。今度は、正確には、その手足を飾る無数の宝飾品を。
手首にも足首にも金銀の環が光り、綴られた宝石が輝いていた。首には黄金作りの大粒のエメラルドのトルク。だが、普通のアクセサリーではないだろう。そのモチーフの奇妙さがそれを知らせる。ヨタカはあまり詳しくはないが、それでも魔法文字と分かるものが、宝飾品のそこここに光っていた。
黒鳥城に秘蔵されるというマジックアイテムの数々や、財宝については、この『黒鳥城』へと来る前に仲間たちと話し合っていた。けれども、実際に目の当たりにしたのはこれが始めてだ。どれも酷く古そうで、けれど、損なわれもいないし、古い銀が黒ずむことすらもない。それこそが宝飾品に秘められた魔力の証に他ならない。マジックアイテムには、体の動きをすばやくする魔力を持ったものや、石化や毒を防ぐものもある。
だが、なぜエウリィがそれを持っているのだろう? そして、なぜ彼女はこんなところで一人で暮らしているのか?
「一人じゃなかよ」
それを問いかけると、エウリィはあっさりと答えた。
「おとんがおるし、それに、一緒には暮らしてへんけど、メルリエもおるけぇ」
「……アンタのとうちゃん?」
「うん。血は繋がってへんけど、ウチのおとんじゃ」
それはどういう人なんだ、と聞きかけたときだった。
ずん、と足音が聞こえた。
びりっ、と手にした茶の水面が揺れた。
「あ、おとんが帰ってきた」
エウリィが言う。影が差す。ふいに、地面がびりびりと震えるような、低い、低い声がした。
「なんじゃ、エウリィ」
振り返らずともヨタカには分かった。
人間の声ではない。
「美味そうな人間の匂いがぷんぷんするのう」
ヨタカはとても振り返りたくなかった。だが、振り返らずには居られない。
そろり、と振り返る。
そこには、人間型の岩の塊のようなものが、立っていた。
高さは三メートルはあるだろう。瘤のような角に覆われた頭。異様なほどに発達した筋肉。体の表面は岩そのものの灰色の質感。そして眼。赤くて小さな眼が、熾火のように燃えながら、張り出した額の下からヨタカを見下ろしていた。
「!!!!!」
ヨタカは、声にならない悲鳴を上げた。
―――灰色トロール。
BACK NEXT
TOP