7
変わって、黒鳥城の廊下。
10メートルほども逃げ出して、廊下の片隅にうずくまって。ヨタカは赤くなった顔を抑え、「おちつけ、おちつけ」と自分に言い聞かせている。耳の先端が神経質に立っている。
―――ってゆーか、なんでいきなり脱ぐんだよ!?
すらりと伸びた白い足。きゅっと締まったちいさなお尻。間違いない。エウリィは下着一枚身に着けていない。それが目の前でいきなり『がばり脱ぎ』である。うろたえるなというほうが無理だ。
人間、片方が照れなければ、もう片方が照れる。照れたほうが負け。そういうものである。
ああ、そういえば俺、全裸見られてるんだっけ…… と思い、ふと、ヨタカは遠い目になった。
初対面の女の子にいきなり『下の毛』にまで言及された。恥である。もうお婿にいけない。
「なぁに考えてるの?」
ヨタカが思い出したくない思い出を反芻していると、ふいに、傍らから声をかけられる。ヨタカは跳びあがる。地面にひじを付いて、上半身素裸の美女が、くすくすとおかしそうに笑っている。メルリエである。
美女といっても下半身から下には長大な大蛇の尾が繋がっている。ヨタカはすくみあがった。その尾がずるずると這って来て、周りからヨタカを包囲する。美女の上半身がすりよってきて、おかしそうにヨタカの頬をつっついた。
「うふふー、赤くなってると思ったら、すぐに青くなっちゃった。かーわいいー。おーいしそうー」
「ひ……!!」
「食べないわよ安心して。エウリィに怒られちゃう」
うふふとメルリエは笑い、そのままヨタカの傍らの壁に背中をもたせかけた。腕組みをすると形のいい乳房がわずかに隠れてくれる。ようやく少し平静になった。ヨタカは何度か深呼吸を繰り返した。
「あ、あんた」
「うん」
「あ、あの、エウリィの……」
「うん、育ての母よー」
ラミアが人間の子供を育てる、という話は、無いわけではない。
おとぎ話などで時折人間の子を盗んで育てるモンスターの話が出てくる。それは小人だったり妖精だったり女怪だったりするのだが、ラミアは確かにそういった類に属する魔物の一種だ。けれども実際にそういう話を聞いてもどうしても納得が行かない。魔物というのは人間を食べる恐ろしいもので、それが人間を育てていた、などといわれても頭が混乱するばかりだ。
けれども。
「ほんとうに、ほんとうに育てたんだな?」
「何よ。何疑ってんの」
「最近さらってきて記憶を書き換えたとか……」
「なんでそんなことするのよ。それくらいだったらすぐに美味しく食べるわよ」
ヨタカは深い深いため息をついて、床にへたり込んだ。
「何なのぉ?」
メルリエが、驚いたように、不満そうに、唇をとがらせる。ヨタカは片手で顔を覆って、「いや、こっちの話」と答える。
そうだよな。トロール弁だし、下着はいてないし、人の前でいきなり全裸になろうとするし、俺の『下の……』なんて話を初対面でいきなりしたんだし。あんな女の子が―――であるなんて、まさか、とうていありえまい。
そんなヨタカを面白そうに見下ろしていたメルリエは、ふと、問いかけた。
「あんた、何者?」
「えーと…… 冒険者。ダークエルフ・ハーフのヨタカ」
「何、冒険者なの、あんた」
「う、うん」
「いやーん」
いやーん、って何だ。
メルリエは少し嫌そうに体を離したが、けれども、去っていくことはない。そのまま縦長の瞳孔で興味深そうにヨタカの顔を覗き込む。
「でも、珍しいわね。あんた、ダークエルフじゃないの?」
「母親はダークエルフだった。父親は人間だ」
「それってそーとー変よ。ダークエルフって人間がものすごく嫌いなのに」
ダークエルフの知り合いはいないからなんともいえないが、人間の子供を育てている魔物に『そーとー変』といわれると少々傷ついた。ヨタカはむっとしたような顔で言い返す。
「じゃあ、魔物に育てられた人間はどうなんだよ?」
「そうねー変ねー」
しかし、メルリエは堪える様子もなく、けらけらと可笑しそうに笑った。
「『純血の』人間って意味だったら、エウリィって、この黒鳥城唯一の人間じゃないかしら。まあ半分人間やめてる連中だったらいないわけでもないけど、エウリィは普通の人間の女の子だもの」
「ふつう……?」
「普通よ。だって、角だって生えてないし、火だって吹かないわ」
普通、そういうことになった時点で、その人間は『人間』の範疇から外れるだろう。
「だからまぁ、びっくりしちゃった。なんでエウリィが『人間』の知り合いなんて連れてくるのかって。だからてっきりあたしへのお土産かと思ったんだけど」
けらけらと笑うエウリィはなんだかひどく陽気だ。恐ろしい女怪だというのに、こうして話していると、まるで普通の陽気なお姉さんとでも会話しているような気になってくる。ヨタカは慌ててぶるぶると首を横に振った。おちつけ自分。食われかけたことを忘れるな。
「で、冒険者でダークエルフ・ハーフのヨタカ。これからあなた、どうするの?」
「どうするって……」
「別にエウリィがあんたのことペットにしたいって言うんだったらあたしは反対しないけど。あんたにも一応意見とかあるんじゃないの? 食べられるのは嫌なんでしょ?」
「……!!」
言われた瞬間、ざっと体の血液がさがった気がした。
そうだった。
自分は今、丸腰どころか丸裸寸前の状態で、恐ろしいダンジョンのなかに取り残されているのだ。
仲間たちのことを思い出す。自分のことを救い出しに来てくれそうなやつも思い浮かばないでも無いが、けれども、こんな奥の方まで来てしまっているのを見つけ出そうとするほうが困難だ。かといって自力でこの黒鳥城を脱出できるかというとそれは確実に無理である。3分でどこかの魔物につかまって、その日の夕食にされるのがオチだろう。ヨタカが無事にこうして歩き回れているのは、ひとえにエウリィのあとをくっついて歩いているからに過ぎない。
「ど……」
冷や汗が一筋、こめかみから流れた。
「どうしよう……」
考えていなかったのか、考えたくなかったのか。しかし改めて考えるとそれはそれで恐ろしい。どうすればいいのか分からない難問である。ヨタカは自分の周りの地面がぐるぐると回りだしたかのような錯覚にとらわれる。が。
「メルリエーっ!」
ふいに、明るい声が聞こえて、思考がぶちりと停止した。
「終わったけえ、行こー!!」
エウリィが浴室の入り口のほうでぶんぶんと手を振っている。長い髪が濡れて背中に張り付いている。手足で金銀の環が光っている。それはいい。が。
「ちょっ…… そのっ……!」
「? どうしたん、ヨタカ?」
絶句するヨタカにエウリィは不思議そうな顔をする。仁王立ちである。隠しもしない。当然、その胸どころか、体全体がきれいに丸見えになっているわけで……
メルリエはにっこりと笑うと、そのまま蛇体をするすると解いた。そうしてエウリィの目の前に立って、ヨタカの視線からその体を隠した。
「先に服着てから行きましょうね、エウリィ?」
「まだ濡れとるよー?」
「あんまり美味しそうだから心配なのよ。きっちり隠しなさい」
「……うん?」
そうして、ヨタカに軽くウインクをすると、メルリエは育て子の肩を抱いて浴室へと戻って行った。ヨタカは真っ赤になった顔を抑えて再びうずくまった。
「勘弁してくれよ……」
―――図らずもこれで全裸を見せ合った仲となってしまったわけだが、ヨタカはエウリィの何を知っているわけでも、無い。
琥珀の髪に翠玉の瞳の美少女。灰色トロールとラミアに育てられた人間の子。しかし、彼女だけがこの黒鳥城の仲で頼れる相手である。離れれば3分で誰かのおやつ。それだけは勘弁して欲しい。
……いわゆるコレが絶体絶命のピンチというヤツだろうか、と、ヨタカはふと遠い目をして思った。
半分現実から逃げているということは、いちおう、理解していた。
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