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 その後、ヨタカは、明るい『一家団欒』の席に付き合わされる羽目になった。
「まあ、飲めや、飲め」
 いきなりどんぶりなみの大きさのある杯を手渡されて、そこにどぶどぶと透明な酒を注がれる。手で支えることが精一杯のサイズだ。
「飲めやー。飲みゃ肉がやわらこうなって美味うなる。さもなきゃダークエルフなんぞ筋張って食えんわい」
「く、食う……!?」
「あーあたしもちょうだい。あんたも飲みなさい、エウリィ」
「ウチぁ果実酒でええもん」
「下戸ねー相変わらず。いいわあんたが飲みなさいヨタカ。エウリィの分も飲みなさい」
 傍らを見上げれば岩がそびえるような灰色トロール、もう片方からしなだれかかってくるのは長い蛇体持つ吸血美女ラミア。目の前に置かれた岩の板の上には半身に裂かれて豪快にあぶられた山羊が一頭乗っている。エウリィはちまちまと木の実を齧り山羊の出汁を飲んでにこにこと笑っていたが、左右を魔物に挟まれたヨタカとしてはそれどころの騒ぎではない。
「まあ、美味そうな坊じゃが、エウリィの客ならしかたぁなか。食わんでおこかー。ううん、もったいない」
「ねーちょっとくらい味見するんだったらいいでしょ? ね、ヨタカ」
「あっ、頭をつままないでっ! くっ、首を舐めないで下さいー!!」
 左右からモンスター二匹に思う存分いじくられて、ヨタカは涙をこらえて悲鳴を上げるので必死だ。そのうえ「まあ飲め」などといわれて酒の杯の中に頭をむりやり突っ込まれる。うっかり酒を思いっきり飲んでしまう。そのとたん、頭を鈍器でぶんなぐられたような衝撃。
「―――-!?」
 こんな強い酒なんて初めてだ。アルコール度はいったい何度だ。とたんにむせ返るヨタカにドウムは可笑しそうに笑った。ばんばんと背中を叩かれる。痛い。痛いで済んでいるのが奇跡かと思うほど痛い。
「ダークエルフなぞ酒に強いもんじゃー。まだ足りんぞ坊。こりゃあスプリガンの衆特性の岩酒じゃ」
「いっ、岩!?」
「岩キノコを蒸してつくった特性の酒じゃけえ、黒鳥城の名物じゃ。黒鳥城に住んどるんだったら一度は飲まんと人生の損! まあ飲め飲め!」
 メルリエは二股に割れた下でちろちろと酒を舐めながら、「エウリィが買ってきてくれたのよねー」とにこにこと笑った。
「エウリィがあちこち飛び回って美味しいもんを集めてきてくれるから、あたしたちの食卓も豪華になるのよ、ほんと。あの子の舐めてるお酒だって、スリーアイズ・エイプが作った猿酒だし」
「カトブレパスのおじいが泥の中で寝かしてる酒が、ほんま言うと一番美味かよ」
 エウリィはちょっと唇を尖らせながら言った。
「でもアレ飲むと体が石になるけえ、命と引き換えの美味じゃ。ちとウチには縁遠い」
「ワシじゃったら元から岩じゃけえ、どんどん呑めるがなー!!」
「おとんに飲ませたらもったいないわ! 一口で飲んでしまうし!」
 飲むと石化するカトブレパスの美酒。なんだかとても希少なアイテムのような気がするが、頭から酒びたりのヨタカにはそれを問いただすところではない。げほげほとむせかえるのが精一杯だ。
「あのおじいはどうしとるんじゃ」
「カトブレパスのおじいは相変わらず泥ん中じゃー。背中掻いたら喜んでくれるんよ。やけど、周りがやかましゅうてかなわんってゆうとった。最近人間が多くてかなわんーち」
「うむ、たしかに増えた。季節かのう」
「たまにそういうことあるもんねー」
 まるで虫でも扱うような言い方だ。違うとヨタカは口を挟みかける。理由はある。黒鳥城のクエストが急に増えた理由。けれども。
「ああ、そういやウチ明日ちいと『青蜥蜴の塔』に用事あったんじゃった。の、ヨタカ、一緒に来んしゃい」
「へ、え、あ、ああ!?」
 いきなり自分の名前が出て、ヨタカはようやく我に帰る。エウリィはにこにこと笑っていた。
「さっき言うたっけ、『青蜥蜴の塔』にはダークエルフの衆が住んどるんよ。よけりゃー会いに行うたら面白いんじゃなか?」
「あ、う、うん?」
 頭が強い酒にぐらぐらして、何が言われているのか良く分からない。ダークエルフ。会いに行く。
「いいのー? ハーフなんていじめられるかもしれないわよ」
「歓迎されるかもしれんじゃろ?」
「あたしは無いと思うけどねぇ……」
「やけ、ここに居とってもしゃあないで。行け行け。連れとったれ」
 ドウムが言い、片手で山羊の頭をもぎ取り、ぼりぼりと一口で食べてしまう。あまりの怪力にヨタカは恐れおののいた。山羊が自分に見えた。
「やないと、ワシが食うてしまうかもしれんぞ?」
 一口で山羊の頭蓋を噛み砕いた口が、笑みに開かれて、鮫のようなぎざぎざの歯がむき出しになった。岩の口の内部はまるで洞窟のようだ。
「食うたらいけん!」
 恐怖のあまり声もないヨタカの代わりに、エウリィが頬を膨らませて抗議する。それからヨタカを見ると、はあ、と小さくため息をついた。
「もう、行くほかないーで。おとん、腹減ると何するか分からんところあるけー」
「な、な、な、何するって!?」
「何って、何でも」
 何でも。
 恐ろしすぎる。
「いいい行く! 行きます!!」
 酒にぐるぐるとまわる頭で、ヨタカはぶんぶんと頷いた。
 ―――しかし。
 ダークエルフだって? いまさらそんなものと出会ってどうしろというのか。自分の半分はたしかにダークエルフだが、彼らと話したことなど一度も無い。ましてやメルリエは『ダークエルフは人間が大嫌い』とまで言った。
 差別されるのはもううんざりだ。人間の間で暮らしていてすら、この黒い肌や尖った耳のせいであらぬ誤解を受けるというのに。今度はダークエルフに会えば、肌の色が薄いだの、耳が丸いだのといわれて何かと区別をされるのだろうか。なんとなく暗澹とした気分になる。しかし、この場合、一人で残るという選択肢はまず無い。明日のことなど考えるのも嫌だ。むしろ、明日生きているかすら疑わしいという子の状況。
 ヨタカは、思い切って、手にした杯の中身をぐいと飲む。
「おお、ええ飲みっぷりじゃのう!」
 ドウムがよろこび、ばんばんと背中を叩く。中身が出そうだ。けれどもヨタカは笑った。
「いやあ、美味しいですねえ、これ!」
「おう、岩酒の分かるゆうのは魔物の証じゃ。ぬしぁ元よりここへ住んでたんじゃなかか?」
 言いながらドウムはげらげらと笑う。そうだったらまだマシか。ヨタカはひっそりとため息をついた。そんなヨタカをエウリィが不思議そうに見ていた。




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